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ふと我に返り悩む事があります。

回答数回答 3
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初めて投稿させて頂きます。
私はまだ28歳の若造ですが、今沢山の人のご縁を頂き画家という職業をしております。
幼い頃から絵が好きだった私は、美大を出てデザイナーとして働いていました。
会社で辛い事が重なり病気をして1年程休み、暫くして百貨店と契約する画家になりました。
毎日絵を描く日々で時折絵の制作を邪魔する煩悩に悩まされます。
でも絵を描いていて時々心の底から嬉しくなる時があります。
それは「絵と自分が一体となる」感覚です。
私はお酒も煙草も大好きですが、絵を描いていてふと自分自身の絵に救われる様な気持ちと喜びが時々あるのです。
確か心身一如と申しましたか。
自分がまっすぐ絵と向かいあっている時、私は心も身体も澄んだ心地になるのです。
私は2年浪人して美大に入学しました。
今浪人時代辛かった時に、私の心を救ってくれたある風景を絵に描いています。
10年近く構想を温めていた新作ですが。
まだ私には絵を描いている時以外欲に苦しめられる時もあります。
正直に申せば果たして今回の制作も上手くいくか不安なのです。
ですが俗世の人間である私でも、心から絵を描いてきて良かったと思う事がありました。
それを支えに今もまた毎日自分の絵と向き合っています。
短絡的な質問で恐縮ではございますが、欲や悩みに駆られた時でも自分の仕事に集中する良い手立てはないでしょうか?
どうぞよろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

バランスが崩れると、その煩悩に支配されかねません。

打ち込めるものがあるというのは、とても恵まれていると思います。
その中でも、雑念が沸き起こる時に、どうそれと向き合うか、ということですよねぇ。

欲や悩みという煩悩は、無くなり消えるものではありませんので、そのことにより、目の前のものに上手く向き合えなくなるときは、もっと一心不乱にというより、あえて その場から離れてみる、ことをおすすめします。

仕事の場合、そんなたびに休憩というわけにはいかず、皆 我慢やコントロールをしながら、なんとか抑えているかと思いますが。バランスが崩れると、その煩悩に支配されかねません。

感情や感覚が微妙に作品に影響する芸術の世界では、尚更、作品に影響を及ぼすのではと思います。
いったん製作の場から離れてみるほうが、あなたの場合は、良いのではないでしょうか。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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心を無にする大切さ。

質問読ませていただきました。

たくさん辛い経験をされながら、夢を叶えておられるのですね!
とても素晴らしいことですし、頭が下がる思いです。

さて、欲や悩みに駆られながらも仕事に集中、というのは正直難しいのではないでしょうか。
たとえ仕事の動機が「欲や悩み」であったとしても、仕事をしている最中にそれらに心を支配されては、集中どころではなくなってしまいますからね。

では、どうしたらいいのか?それは心を無にし何も考えないことです。
他のことを考えながらも「集中しよう」と意図的に思ったところで、他の気持ちが大きくなれば結局はそれに支配されます。

ですので、一度何も考えないという訓練をしてみて下さい。心を無にするというのは気持ちをリセットすることです。そしてその状態でキャンバスに向かってみてはどうでしょうか?
何も考えないというのは、「時間が無駄になる」と思って焦ったりいらついてしまうかもしれません。しかし、急がば回れというように、何も考えずに自分をリセットすることで、次の作業にスッと入れたりします。結果的にはその方が効率的だったなんてことはよくあります。

芸術のことは無知なもので、これが当てはまるかどうかは分かりませんが、一度ゆっくりと心を無にする時間を作ってみて下さいね!

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おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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勉強や仕事など何かをしている時にふとした事で不安になったりモチベーションが下がったりすることは誰しもあると思います。
そんな時に私が思い出すのは、彫刻家の平櫛田中氏の座右の銘であります「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる。」という言葉です。
あなたの作品はあなたにしか作れない。
あなたが存在している今しか作れない。
だからこそ今、自分の力を振り絞って成し遂げよう。
そう思えたらいいですね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ