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煩悩と菩提心は同じもの。
Kさん、こんにちは。
煩悩をなくせば喜怒哀楽の感情も薄れるのではないかということですね。
「なくす」という言葉の真意が違うのです。正確に言うと「煩悩をコントロールする」という意味で「なくす」を使っています。だから人間である限り、お釈迦様ですら煩悩は無くすことはできません。ただコントロールして心に表さないだけなのです。煩悩は悪い見方で説明した場合であって、実は煩悩は生物としての本能の生きるエネルギーでもあります。生きるエネルギーが正しく使われればそれは菩提心としていいます。湧き出すままにしてしまうと煩悩といって、逆に生き方を乱してしまうわけです。
だから、脳の感情のつかさどる部分を切り取ってなくしてしまえば、人間は感情がなくなりますが、修行して煩悩をなくすというのは、コントロールするということなので、コントロールすることによって、感情は薄くなるどころか更に豊かになり、人間を幸せに導くのです。
お互い、煩悩をコントロールする力をつけていきましょう!合掌
煩悩を滅すれば究極の平安
お釈迦様は、
生きることは苦である。
苦の原因は煩悩である。
煩悩は滅することができる。
煩悩を滅する方法がある。
という四つの真理を発見されました。
私達の悩み苦しみの根本原因は、さまざまな煩悩なのです。
で、お釈迦様やその弟子達のように修行すれば、悟って、煩悩を滅して、悩み苦しみを滅することができるのです。
仏教が目指す最終的なゴールは、それです。
とはいえ、煩悩を滅することは、誰にでもできることではないですよね。
なので、私達はとりあえず、煩悩をコントロールすることから始めてはどうかと思います。
煩悩をコントロールできれば、人生の悩み苦しみ・ストレスをコントロールできるのです。
仏教には、煩悩をコントロールするコツも盛りだくさんです。
貪りや怒り、悲しみ、嫉妬などは、人生の悩み苦しみを増やす悪い感情です。
悪い感情なしでも、人間は理性で判断・行動できます。
お釈迦様や悟った弟子達には、悪い感情はなく、慈悲の心と智慧だけがあったのだと思います。
善い喜怒哀楽
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「煩悩」の大元は、自他のモノ・コトへの実体視執着というところであり、実体視執着による感情は、悪いものとして、仏教により対治していくことが求められるところとなります。
一方、実体視執着の離れた感情は、ニュートラルか、あるいは善いものとなります。
例えば、仏教において、ニュートラルか、あるいは善いものとしての喜怒哀楽として、
喜・・他の幸せを喜ぶ、他の功徳を喜ぶ。
怒・・不動明王さまのお怒りのように、煩悩や無明(根本的な無知)、悪業に対して怒り、それを力づくでも何としてでもやっつけさせようというような怒り。
哀・・他の迷い苦しんでいるありようを慈悲の心によって哀れむ。
楽・・実体視執着を離れた境地を楽しむ。空の境地を楽しむ。
としてあるなど、感情が一律に悪いわけではなく、悪い感情と善い感情があるため、できるだけ、仏道を歩むことによって、善い感情に努められるようにして参りたいものとなるのであります。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
染川様
煩悩をコントロールする、よくわかりました。
常に自分の心と向き合い、少しでも何かの、誰かの役に立てるよう生きていきたいです。
煩悩と菩提心は同じもの…がんばります。
本当にありがとうございました。
願誉浄史様
悪い感情はないほうがいいです。なのにふつふつと悲しみや怒りが出てきて、あっという間に心が呑み込まれてしまう感じす。
少しでも煩悩をコントロールできるよう、悪い感情を手放せるよう、自分自身と向き合っていきます。
ありがとうございます。
川口様
善い喜怒哀楽、解りやすく教えていただきありがとうございます。煩悩と菩提心がつながってきました。
自分自身と向き合い、心を整え、目の前の人、目の前の物事を大切にできるよう努力します。
ありがとうございます。