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煩悩とは

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煩悩を無くすように努めると、喜怒哀楽等の感情も薄れるように思います。
煩悩と感情は同じものなのでしょうか。

2018年6月9日 19:26

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩と菩提心は同じもの。

Kさん、こんにちは。

煩悩をなくせば喜怒哀楽の感情も薄れるのではないかということですね。
「なくす」という言葉の真意が違うのです。正確に言うと「煩悩をコントロールする」という意味で「なくす」を使っています。だから人間である限り、お釈迦様ですら煩悩は無くすことはできません。ただコントロールして心に表さないだけなのです。煩悩は悪い見方で説明した場合であって、実は煩悩は生物としての本能の生きるエネルギーでもあります。生きるエネルギーが正しく使われればそれは菩提心としていいます。湧き出すままにしてしまうと煩悩といって、逆に生き方を乱してしまうわけです。
 だから、脳の感情のつかさどる部分を切り取ってなくしてしまえば、人間は感情がなくなりますが、修行して煩悩をなくすというのは、コントロールするということなので、コントロールすることによって、感情は薄くなるどころか更に豊かになり、人間を幸せに導くのです。

お互い、煩悩をコントロールする力をつけていきましょう!合掌

2018年6月9日 19:42
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煩悩を滅すれば究極の平安

お釈迦様は、
生きることは苦である。
苦の原因は煩悩である。
煩悩は滅することができる。
煩悩を滅する方法がある。
という四つの真理を発見されました。

私達の悩み苦しみの根本原因は、さまざまな煩悩なのです。
で、お釈迦様やその弟子達のように修行すれば、悟って、煩悩を滅して、悩み苦しみを滅することができるのです。
仏教が目指す最終的なゴールは、それです。

とはいえ、煩悩を滅することは、誰にでもできることではないですよね。
なので、私達はとりあえず、煩悩をコントロールすることから始めてはどうかと思います。
煩悩をコントロールできれば、人生の悩み苦しみ・ストレスをコントロールできるのです。
仏教には、煩悩をコントロールするコツも盛りだくさんです。

貪りや怒り、悲しみ、嫉妬などは、人生の悩み苦しみを増やす悪い感情です。
悪い感情なしでも、人間は理性で判断・行動できます。
お釈迦様や悟った弟子達には、悪い感情はなく、慈悲の心と智慧だけがあったのだと思います。

2018年6月10日 10:36
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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

善い喜怒哀楽

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「煩悩」の大元は、自他のモノ・コトへの実体視執着というところであり、実体視執着による感情は、悪いものとして、仏教により対治していくことが求められるところとなります。

一方、実体視執着の離れた感情は、ニュートラルか、あるいは善いものとなります。

例えば、仏教において、ニュートラルか、あるいは善いものとしての喜怒哀楽として、

喜・・他の幸せを喜ぶ、他の功徳を喜ぶ。

怒・・不動明王さまのお怒りのように、煩悩や無明(根本的な無知)、悪業に対して怒り、それを力づくでも何としてでもやっつけさせようというような怒り。

哀・・他の迷い苦しんでいるありようを慈悲の心によって哀れむ。

楽・・実体視執着を離れた境地を楽しむ。空の境地を楽しむ。

としてあるなど、感情が一律に悪いわけではなく、悪い感情と善い感情があるため、できるだけ、仏道を歩むことによって、善い感情に努められるようにして参りたいものとなるのであります。

川口英俊 合掌

2018年6月10日 13:14
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質問者からのお礼

染川様
煩悩をコントロールする、よくわかりました。
常に自分の心と向き合い、少しでも何かの、誰かの役に立てるよう生きていきたいです。
煩悩と菩提心は同じもの…がんばります。
本当にありがとうございました。

願誉浄史様
悪い感情はないほうがいいです。なのにふつふつと悲しみや怒りが出てきて、あっという間に心が呑み込まれてしまう感じす。
少しでも煩悩をコントロールできるよう、悪い感情を手放せるよう、自分自身と向き合っていきます。
ありがとうございます。

川口様
善い喜怒哀楽、解りやすく教えていただきありがとうございます。煩悩と菩提心がつながってきました。
自分自身と向き合い、心を整え、目の前の人、目の前の物事を大切にできるよう努力します。
ありがとうございます。

「煩悩」問答一覧

煩悩について

お世話になっております。 浄土真宗では煩悩をどう捉えているのでしょうか。 煩悩を自覚することで慚愧し、内省するのですよね。具体的に、慚愧とはどういうことなのでしょうか? 例えばですが、僕も男(人間)ですから性欲というものはありますが、性に関する煩悩を自覚した時には性欲をどうするのですか?消そうと試みるのですか?(煩悩を否定的に捉える)まあ、いいやと開き直るのですか?(煩悩を肯定的に捉える)その辺がよく分かりません。 ちなみに、煩悩を消そうと試みる場合は、それはもはや「菩薩」という概念になってしまうように思います。 また、仏教においては分別心があればそれは煩悩ですよね。好き嫌い、善悪、優劣など。 しかし、そういうものに関しても慚愧するのでしょうか?僕達は人間ですよ。嫌いな人もいれば、好きな人もいます。そもそも、「好き」という感情が無ければ恋愛さえできないのではないですか。 僕はまだ学生ですが、将来仕事する時にも良し悪しを判断しなければいけない。もちろん、世間的(主観的)な善悪に過ぎませんが。でも生きていくためにはどうしても必要な判断ですよね。なので、人間の知恵も大切だと思うのですが...。 詳しい方、回答お願い致します。 南無阿弥陀仏

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執念との向き合い方

こんにちは。私は自分の執念深さに悩んでいます。 ある知人(知人Aにします)と交流してます。 その知人Aは私の事を馬鹿にしています。 というもの私は何をするにしてもうまくこなす事が出来ないので周りからも周知で馬鹿にされています。 一方知人Aは明るくて友達がたくさんで何でもうまくこなして自信に溢れているように見えますが、人の成功を喜んだり挑戦を応援できないので自己肯定感の低い人なんだろうなと私は勝手に認識しました。 私に対して今の言葉で言うとマウントに似た行為をよくされるのですが、これを言葉に出してしまうと倫理に反してしまうので黙って聞いていていつも自分の心が濁り怒りや悲しみ自己否定の沼に浸かっていました。 そして知人Aと会話をしていたある日、自身の嫉妬心やねたみで嫌な行動をしてしまい罪悪感を感じ後悔している事が過去にたくさんあると聞きました。 知人AはSNSをしています。 私は知りませんでしたが、別の方が私に知人AがSNSしているよと紹介してくれました。 見てみると私の印象が悪くなる嘘を何個か書いていました。 怒りが湧きました。そして私は知らないフリをしました。 とある日知人Aがマウントをとりながら曲がった事が嫌いだとか悪口が嫌いだと話し出しました。 じゃあ嘘ついた事ある?と私は犯意を持って試しました。 出来る事なら嘘はつきたくないと濁った返事をしました。 ふーんそうなんだと返しました。 私の心は確実に知人Aを侮蔑し馬鹿にしていました。 そして誰より私が一番ひどいマウントをしていました。 1人になった時に猛烈な自己嫌悪と罪悪感が湧きましたが、すぐに負の執念がやってきてそれを取り払い自分を正しました。 そして頭の隅に見えないようにして存在している『知人Aにも感情があり過去の行いで罪悪感で満たされている事実』を意識すると後悔するのですが、今までされて来た事を思い出すと怒りや悲しみが湧きまた執念で満たされます。 そして後悔と執念のループと思いきや私は執念ばかりです。 執念について理由を考えてみたら自分が一番自己肯定感が無く、自分を低くしてマウントを取ってるからと感情と向き合って出た答えでした。 相手も自分も大切にしたいです。 どうしたら執念を抑える事が出来るのか。 自分の行動の愚かさ、感情の醜さが苦しいです。 こんな自分にお言葉いただけたらと思います。

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強すぎる独占欲、我が儘と向き合うには

はじめて相談させて頂きます。 現在「何もかもが自分の思い通りにならない不満感」そして「そんな自分に対する嫌悪感」に日々振り回されている状況です。 常に自分の世界に閉じこもる癖があり、他人に踏み込まれるのが嫌で仕方ありません。 誰かと楽しい時間を共有したり、趣味を通じて繋がるといったことが絶望的に下手で、他人と向き合うと必ず相手を消耗させてしまい、悪い結果に終わります。 自分の好きなものは独り占めしたいし、他人と好みが被ると不愉快な気持ちになります。 自分自身がコミュ障なだけでなく、他人が目の前で仲良く楽しげに振る舞っていると苛立ちを覚えます。 (私がこんなに嫌な気分なのに、何でお前達は笑ってるんだ!という感じです) 最近は他人の話し声そのものが不快になってきたので、聴覚過敏の傾向もあるのかもしれません。 幼少の頃から何度も指摘されてきましたが、私は非常に自己中心的な人間なのだと思います。 不満があるのに、それを表に出せずイライラしているので、いつも人に避けられてしまいます。 家族とも遠く離れて一人暮らしをしていますが、この状況はきっと今後も続くのだろうと思います。 時折「我が儘を通せる強い人」に憧れることがあります。 私と同様に自己中心的な性質であっても、パートナーや友人に恵まれていたり、社会で一定の役職についている人を見ると、この歳で何も得られていない自分にまた腹が立ちます。 すみません。何だか支離滅裂な文章になってしまいました。 物凄く生きづらい性格なのは承知していますが、それでも生きていかなければならず、自分の中でどう折り合いをつけたらいいのか分からないのです。 恋愛や結婚は諦めていますし、孤独死も覚悟の上ですが、せめてこれからの人生を心穏やかに過ごしていけたらと思います。 アドバイス頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

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煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

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