hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

煩悩

回答数回答 4
有り難し有り難し 83

煩悩がいかによくないことであるかは解ったのですが、人生苦しむことなく、つまり、煩悩が芽生えることなく、膨張することなく、上手に生きていくひとたちは、多く居るものですか?
そういうひとたちばかりであるなら、煩悩だらけであった自分が恥ずかしくて、情けないです。
それとも私と同じように、だれだって成長するにつれて、煩悩も増えていってしまうものですか?
私は、仏教を知るまでは、煩悩だということに気づくことが出来ませんでした。それがとても情けないような気がしました。

2018年11月20日 17:17

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩成就

煩悩の大元は「無明(むみょう)-根本的無知」であり、これにもとづき、「これが私である」とか「これが私のものである」という執着、つまりは自我意識が芽生えます。
しかしこの自我意識がないと社会生活はままなりませんし、これは親と自分を比べて分けて認識していくという成長における必要過程ですから、これが芽生えることもない人というのは多くいるものではないでしょう。

なつさんは仏教により煩悩を煩悩と知り、恥ずかしくて、情けないお気持ちになったとのことですが、では、恥ずかしさも情けなさも感じ得ないままで根本的無知にもとづき迷っていたこれまでの生活ははたしてどうだったのでしょうか?

知らない方が幸せなこともあると俗に言いますが、知っているものからすると知らないのは空しい在り方です。
たとえ恥ずかしく、情けなく、辛く、苦しくとも、真実に気づいた在り方にこそ空しさを超える本当の満足が開かれてくるのではないでしょうか?

煩悩はたしかに苦しみの元ではありますが、煩悩があるからこそ私たちは仏様に出会えます。煩悩こそが私と仏様の橋渡しです。

煩悩をなくせると思うのも煩悩
煩悩をなくそうともがくのも煩悩
煩悩を知らないのも煩悩
どこまでいっても煩悩成就

煩悩の身を引き受けて、煩悩を活かす道を。それが仏様の教えに我が身の事実を照らされて歩む仏道です。煩悩の身を楽しんで生きましょう。

2018年11月20日 18:51
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

楽じゃなくとも、楽しく生きる志

成長するにつれて、意識や感情といった存在自体に逆らえないことを認識していくものです。
煩悩が制御されるのではなく、煩悩を出さないように律する志を持っていくのです。

高齢になるに連れて、身体が思うように動かないなど、色々な条件をもって人を苦しめます。この説明では、四苦八苦の「老」に値します。

どんな状況においても煩悩は発揮されます。しかし、煩悩をわたしは一つの「希望」としています。煩悩の次に来るのが欲です。そして、その欲こそが「あ〜したい。こ〜したい」と、目標や夢なる希望が芽生えます。

人間の根元にあります六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)を成長していく上で、多くを経験体験することで、必然に煩悩が制御されていくものです。(戒・律)

煩悩を持つことは人間の資格です。そして煩悩を持てることは希望を生みだす唯一の生き物です。

わたしたち僧侶は我修行を積みながら、他人に安心を与えれるように志をもっていきる大乗仏教です。これを仏教では「自利利他」となり、相互礼拝の関係を築くことができることを「自利利他円満」と称します。

他人に施す煩悩を志すことで、煩悩が大切に感じれるようになっていくと思います。

合掌

2018年11月20日 18:59
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...

大樹を育てるには雑草も生えます。

煩悩があるから、人間は成長するのです。
煩悩が悪い訳ではありません。適度な調整出来ないので苦しみになります。
煩悩は雑草と同じで、大地(肉体)があれば、栄養や水があればどんどんと成長します。と同時に、自分が志す大きな夢も、大樹として成長できます。雑草も生えない地では、大樹も育たないでしょう。ゆえに、雑草を刈り取ればいいのです。
そういう私は、雑草だらけです。

2018年11月20日 18:48
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...

煩悩がある。だけど仏教がある。

煩悩は、程度の差はあれど、誰にでもあります。
煩悩は悩み苦しみの原因です。
煩悩まみれの私達は、悩み苦しみの連続です。
でも、大丈夫。
そんな私達を救うための教えが仏教です。
仏教には、悩み苦しみを減らす智慧があります。

2018年11月20日 22:35
{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

「煩悩」問答一覧

煩悩について

お世話になっております。 浄土真宗では煩悩をどう捉えているのでしょうか。 煩悩を自覚することで慚愧し、内省するのですよね。具体的に、慚愧とはどういうことなのでしょうか? 例えばですが、僕も男(人間)ですから性欲というものはありますが、性に関する煩悩を自覚した時には性欲をどうするのですか?消そうと試みるのですか?(煩悩を否定的に捉える)まあ、いいやと開き直るのですか?(煩悩を肯定的に捉える)その辺がよく分かりません。 ちなみに、煩悩を消そうと試みる場合は、それはもはや「菩薩」という概念になってしまうように思います。 また、仏教においては分別心があればそれは煩悩ですよね。好き嫌い、善悪、優劣など。 しかし、そういうものに関しても慚愧するのでしょうか?僕達は人間ですよ。嫌いな人もいれば、好きな人もいます。そもそも、「好き」という感情が無ければ恋愛さえできないのではないですか。 僕はまだ学生ですが、将来仕事する時にも良し悪しを判断しなければいけない。もちろん、世間的(主観的)な善悪に過ぎませんが。でも生きていくためにはどうしても必要な判断ですよね。なので、人間の知恵も大切だと思うのですが...。 詳しい方、回答お願い致します。 南無阿弥陀仏

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

執念との向き合い方

こんにちは。私は自分の執念深さに悩んでいます。 ある知人(知人Aにします)と交流してます。 その知人Aは私の事を馬鹿にしています。 というもの私は何をするにしてもうまくこなす事が出来ないので周りからも周知で馬鹿にされています。 一方知人Aは明るくて友達がたくさんで何でもうまくこなして自信に溢れているように見えますが、人の成功を喜んだり挑戦を応援できないので自己肯定感の低い人なんだろうなと私は勝手に認識しました。 私に対して今の言葉で言うとマウントに似た行為をよくされるのですが、これを言葉に出してしまうと倫理に反してしまうので黙って聞いていていつも自分の心が濁り怒りや悲しみ自己否定の沼に浸かっていました。 そして知人Aと会話をしていたある日、自身の嫉妬心やねたみで嫌な行動をしてしまい罪悪感を感じ後悔している事が過去にたくさんあると聞きました。 知人AはSNSをしています。 私は知りませんでしたが、別の方が私に知人AがSNSしているよと紹介してくれました。 見てみると私の印象が悪くなる嘘を何個か書いていました。 怒りが湧きました。そして私は知らないフリをしました。 とある日知人Aがマウントをとりながら曲がった事が嫌いだとか悪口が嫌いだと話し出しました。 じゃあ嘘ついた事ある?と私は犯意を持って試しました。 出来る事なら嘘はつきたくないと濁った返事をしました。 ふーんそうなんだと返しました。 私の心は確実に知人Aを侮蔑し馬鹿にしていました。 そして誰より私が一番ひどいマウントをしていました。 1人になった時に猛烈な自己嫌悪と罪悪感が湧きましたが、すぐに負の執念がやってきてそれを取り払い自分を正しました。 そして頭の隅に見えないようにして存在している『知人Aにも感情があり過去の行いで罪悪感で満たされている事実』を意識すると後悔するのですが、今までされて来た事を思い出すと怒りや悲しみが湧きまた執念で満たされます。 そして後悔と執念のループと思いきや私は執念ばかりです。 執念について理由を考えてみたら自分が一番自己肯定感が無く、自分を低くしてマウントを取ってるからと感情と向き合って出た答えでした。 相手も自分も大切にしたいです。 どうしたら執念を抑える事が出来るのか。 自分の行動の愚かさ、感情の醜さが苦しいです。 こんな自分にお言葉いただけたらと思います。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

強すぎる独占欲、我が儘と向き合うには

はじめて相談させて頂きます。 現在「何もかもが自分の思い通りにならない不満感」そして「そんな自分に対する嫌悪感」に日々振り回されている状況です。 常に自分の世界に閉じこもる癖があり、他人に踏み込まれるのが嫌で仕方ありません。 誰かと楽しい時間を共有したり、趣味を通じて繋がるといったことが絶望的に下手で、他人と向き合うと必ず相手を消耗させてしまい、悪い結果に終わります。 自分の好きなものは独り占めしたいし、他人と好みが被ると不愉快な気持ちになります。 自分自身がコミュ障なだけでなく、他人が目の前で仲良く楽しげに振る舞っていると苛立ちを覚えます。 (私がこんなに嫌な気分なのに、何でお前達は笑ってるんだ!という感じです) 最近は他人の話し声そのものが不快になってきたので、聴覚過敏の傾向もあるのかもしれません。 幼少の頃から何度も指摘されてきましたが、私は非常に自己中心的な人間なのだと思います。 不満があるのに、それを表に出せずイライラしているので、いつも人に避けられてしまいます。 家族とも遠く離れて一人暮らしをしていますが、この状況はきっと今後も続くのだろうと思います。 時折「我が儘を通せる強い人」に憧れることがあります。 私と同様に自己中心的な性質であっても、パートナーや友人に恵まれていたり、社会で一定の役職についている人を見ると、この歳で何も得られていない自分にまた腹が立ちます。 すみません。何だか支離滅裂な文章になってしまいました。 物凄く生きづらい性格なのは承知していますが、それでも生きていかなければならず、自分の中でどう折り合いをつけたらいいのか分からないのです。 恋愛や結婚は諦めていますし、孤独死も覚悟の上ですが、せめてこれからの人生を心穏やかに過ごしていけたらと思います。 アドバイス頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

煩悩も欲も消さなくていい。

煩悩も欲も消そうとする必要はない。この世の理(ことわり)だから。 煩悩や欲はありのままの心の在り方であり、決して消えるものではなく、そのままを受け入れることでその縛りから解き放たれる。 辛い苦しい悔しい腹立たしいだけでなく、ありがとうと感謝の言葉を発することも、何か良いことをするという徳を積む行動も、お念仏さえ煩悩や欲のひとつである。煩悩と欲は人として生きるには逃れられないものである。 また、煩悩は108あるという。言葉遊びではあるが永遠(とわ)とも読める。 これは、煩悩や欲などはこの世の時空間が始まる時から(科学的にはビッグバンか)終わるまでの限られた「永遠」という中に存在することを意味する。 煩悩がこの世の物理的な法則決まりごと、欲が化学結合などを起こすエネルギーとして考えるなら納得してもらえる人もいるだろう。宗教や哲学、科学などは人のごく限られた能力の中で作られたものであり、大した差はない。 別の世、違う時空間には違った煩悩や欲があるだろう。 人は人としてこの世に産まれる前から生命体(あるいは物質)として遥か昔から存在し、煩悩と欲のおかげを受けながら、産まれてからだけでなく、死んだ後も物質やエネルギーとして森羅万象の中で存在しつづける。 自分とは?自分はなぜ?ということに捕らわれず、今の状態、周りの言動はその存在を認め、自分の感情をはじめ、他人の行動や起こった出来事は仕方がないと赦して労わり、その経験をありがたしと感謝しながら、経験を活かして自分の趣くままに行動する。 そうして、普遍的に存在する煩悩や欲にも感謝しながら、うまく活用できれば、自ずとこの世も極楽と気づくことができる。 悟ることができて仏になるであろう。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る