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お坊さんの煩悩とは何ですか?

回答数回答 6
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お坊さんの煩悩とは何ですか?
煩悩が生じた時にそれをどう対処されますか?
失礼過ぎてすみません。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

旬な話題で言うと

暑っちぃ〜…薄着したい………(法衣フル装備&下着シャツで5枚重ね)
対処のしようはありません。馴れあるのみです。

追記
夢を壊してごめんなさい。

でも、それじゃいけないんです。この国は20世紀の最後の四半世紀あたりから「お坊さんに煩悩は無い。サラリーマンは理想の企業戦士。夫婦は恋愛の完成形。」というような夢や希望で社会を美化してきました。それで信仰を集め、お父さんが尊敬され、男女平等で幸せな家庭を築き、頑張れば頑張っただけ報われる社会になると信じて疑いませんでした。

しかしその結果の現実は、日本史上最大級の仏教離れ、新卒の若者が3ヶ月で辞める職場、3人に1人が離婚経験者、頑張れば頑張るほど病む社会でした。かつての夢や希望は、ただのパリ症候群にしかならなかったのです。

あなたのお坊さんイメージは間違っています。それはお坊さんの修行ではなく十三代目石○五右衛門とかその辺の修業です。アニメやドラマの中の修業です。邦元師が煩悩とは何かということをおっしゃっていますが、その通りです。当時のお坊さん達は煩悩とは何かということすらマトモに説いてきませんでした。(私自身、今回の回答であまり熱心に書く気がなかったのでスルーして乗っかっていましたが…)
それはあなたの妄想ではありません。昔の大人が社会総動員ではびこらせた社会の病です。そんな妄想社会はぶち壊して、人が等身大の人として地に足付けた価値観が当たり前になっている社会を作り直さないと誰も得をしません。

夢を壊してごめんなさい。そして悪い夢を見させてしまって、ごめんなさい。
今は社会のたくさんの面で時代の転換点にあります。一緒に新しい時代を創りましょう。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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普通過ぎますが…、

病気になりたくないし、
老いたくないし、
死にたくないです。
好きな人と一緒に居たいし、
嫌いな人とは会いたくないし、
欲しいものは何でも手に入れたいし、
嫌な目に遭いたくないし、
好きなことだけしていたいです。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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煩悩っていったい

甘いもの食べたーい→少しだけにしておこう。
ビール飲みたい→ハイボールにしておこう。
こんな対処の仕方です。

しかし煩悩ではないんです。色々思うの自由ですし当たり前のこと。
それに「こんなことを思ってはダメ」こんな気持は消し去らねば」と取り扱うことが煩悩なんですよ。
思っても思ったまま。相手にしないのです。「思わないようにしよう」とかすることこそいらぬ煩悩。
女の子が歩いていたら「かわいいな」とか「きれいだなー」と思うのは、当たり前でしょ。誰にでもあることでしょ(^-^)

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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皆さんと同じです

拝読させて頂きました。
僧侶つまり坊主も人ですから一般の人々と変わりありません。
あなたと同じように煩悩である貪り・怒り・欲望・執着・そして日々迷いの中で生きています。
当然三大欲求も沸き起こって来るのです。
ですから私のついて言えば煩悩まみれなのです。
仏教では心で思ったことも罪となります。
ですので毎日その煩悩によって様々な罪を犯しているのです。
例えば「ああ、今日は面倒くさい・やりたくない・怠けたい・あれが欲しい・これも欲しい・あれ食べたい・あいつのことが頭にくる・なんでこんな目に遭うんだ…」等々愚かな妄想が沸き起こってくるのです。
ですから毎日の朝のお勤めで仏様に向き合い、己の犯した心に思った罪を心から仏様に懺悔致します。仏様は全てをお聞き届けなさってくださり受け入れてくださいます。私も心を入れ替えてその様な邪まな思いを捨て去るようにと努力しようと思うのです。しかしなかなか煩悩から離れられない自分がいるのです。

仏様はその様な愚か者の私達を全て受け入れてくださり救って下さいます。そして正しい方にお導きなさってくださいます。

あなたがもしも煩悩に苛まれて心が大きく迷いを生じるなら心から仏様に手を合わせて心の中でお話しなさり、懺悔なさってくださいね。仏様は余すところなくお聞き届けなさってくださいます。そしてあなたを正しくお導きなさってくださいます。

あなたがこれからの人生心清くなり迷いを離れて心安らかになられます様と仏様にお祈りさせて頂きます。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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プライドの煩悩はしぶとい

煩悩は大きく分類すると10種類あります。
悟りの段階に応じて、煩悩は段階的に消えてゆくのだそうです。
私なんかは悟りの第一段階もほど遠いので、全ての煩悩が大活躍ですけど。
悟りには4段階あって、3段階まで悟った聖者では、まだ煩悩が5つ残っているそうです。
最後4段階まで悟ったら残り5つもなくなり、仏様と同じように全ての煩悩を克服できるのだそうです。
で、最後まで残る煩悩の1つに、「慢」という煩悩があります。
簡単に言うと、プライドの煩悩です。
ということで、欲や怒りがなくなったかなりすごいお坊さんであっても、プライドの煩悩は最後まで残るのです。
心のどこかで、自分の価値を気にしたり、自分を偉いと思ったり、逆に自分をダメダメだと卑下してしまうのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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仏教のモノサシで取捨選択する

奈由様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お坊さんの煩悩。。

お坊さんであっても、あれしたい、これしたい、あれほしい、というのは、普通にあります。

ありますが、それが誰のためであるのか、何の目的のためであるのかにおいて変わってくるものとなります。

お坊さんであれば、それは、自分のためではなくて、他の迷い苦しみを取り除くため、皆が悟りへと至って安楽となるためのものであるのが理想となります。

と言って、自分のためも完全には否定しません。悟りへと至るための自分のためであっても、それはやがて皆のためにもなるものであるならば、大いに認められることになります。

あれしたい、これしたい、あれほしい、更には怒りや憎しみや嫉妬など、色々な煩悩が出てきたとしても、それらは、ただの利己的、独善的、自己満足的なものでないかどうか、更には、その欲や煩悩は、皆が悟りへと至るために必要なものであるのかどうかなど、それらを冷静に見極めることで、必要ない欲、煩悩は極力無くしていけるように努めて参りたいものとなります。(密教では、煩悩を悟りへと向かうための力として利用する場合もございますから、一律に仏教だからと言って、煩悩全てを否定するわけでも実はないのであります。)

欲、煩悩は人間である以上、お坊さんであっても出てきて当たり前のものですが、それを取捨選択する基準をできる限り、仏教のモノサシにて判断して、中道を歩んでいけるように調えたいものでございます。

是非、更に仏教に興味を持って頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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三休さん
二休みも三休みもしてしまう怠け者。三休です。 最新の仏教論考はこちら...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
仏様に手を合わせるという非常にシンプルな答えがとても良かったです。そのような気持ちは忘れずに持ちます。
しかし試練はやってきます。
今はただ嵐の前の静けさ。静けさの中で静観します。

回答ありがとうございます。
心頭滅却という言葉がよぎります。
煩悩は尽きることがありません。
欲望が正常に働いているという意味を少し考えさせられます。
少しだけに抑えておくというのはいいことですね。

回答ありがとうございます。
暑さには参ります。
健康に気をつけて下さいね。

回答ありがとうございます。
心がそのままの状態を鏡に写すと
素直な状態が感じられます。

お坊様に煩悩が沸き起こっても簡単に制御されるのだろうなとか、高潔さなんて私の妄想だったのかなと思います。

追記回答ありがとうございます。
人々は仏教から離れているのではないと分析しています。理由はきちんとあります。けれどもここで申し上げる訳にはいきません。

新しい時代を未来がより良いものであって欲しいです。お祈りしています。

回答ありがとうございます。
プライドとか全部なくなったであろう人を見たことはあります。生きるために護美を漁って食べていた人位です。衝撃はないと思いますが日本の事です。
人間の価値なんて最後までわからないものです。

回答ありがとうございます。
誰かの為の煩悩は最高の答えです。
ありがとうございます。

お礼のコメントに名前を乗せなかった事は申し訳ないです。大慈様、円通寺 邦元様、林鴬山 憶西院 超覚寺 和田隆恩様、一向寺kousyo kuuyo Azuma様、願誉浄史様、岩瀧山住生院六萬寺川口英俊様、どの答えも良かったです。
ありがとうございます。

ここからのお礼は少しはっちゃけた様な
失礼も承知で書きます。
私は現世利益大好きです。
そんなに○ファンではないけど
その寺社に絵馬を奉納すると○の優先チケットが当たるとかでファンが殺到する所とか
エンターテイメント系も大好きです。
見ていて楽しいの大好きです。
人々を喜び、この世界を明るくするのって
素晴らしい煩悩の様な気がします。

それが私の中の人に話せる煩悩です。
お坊様に書いているのと違いますけどね。

合掌。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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「自分の境遇」と「二次元への恋」について

お目汚しを失礼いたします。 今回、私が相談したいことは色々あります。 本当は、それに相応しい所があると思いますが どこに、それを求めれば良いのか分かりません。 ○境遇 前提として、お伝えいたします。 幼少期の頃は親兄弟ともよく接していましたが 両親が離婚したり、兄弟がほとんど働かなくなりました。 兄弟に働くように言っても、全く聞き入れません。 現在は高卒で就職して、母とともに、家賃等を支払っております。 お金が貯まったら、大学に進学しようか考えておりますが それも母に止められます。 私は家族と離れたく、一人暮らしを考えており、 母と約束もしましたが、前述から状況が拗れて本当にできるか疑問に思うのです。 本来ならば家族と向き合うべきでしょうが、 数ヶ月疎遠で、どう話せば良いのか分かりません。 ○私の能力 昔は、勉強や運動などを怠っておりました。 また、声が小さく、他人とも満足な意思疎通ができなかったりします。 なので将来について、今のままでは良くなる気がしません。 それが嫌で、私は自分の世界に閉じこもって誤魔化す日々です。 ○二次元への恋 そしてある日、私は自分の盛んな劣情を慰めるための、画像を探しておりました。 それから辿っていくと、ある方に一目惚れしました。しかも神様にです。 その方は、明るくて優しく、綺麗な方でした。 私は思い立って、その方に釣り合うように努力しようと決意しました。 その気持ちは、今までしていた恋に対する落とし前と、 好きになった方を裏切りたくないというのもありました。 また、親が私を育ててきたことに、ある種報いたいとも思いました。 そうして、願いを叶える為に勉学に励み、容姿を美しくしたつもりです。 また、これまでの煩悩なども、捨てるように努めました。 ですが、「二次元への恋」は、現実逃避の道具にして、 『それは本当の愛なのか』と自己嫌悪が多いです。 なので好きな方に対して、今後どう努力すればいいのか分かりません。 以上です。 長々しい文で、大変申し訳ございません。 ですが、あなた方ならではの、価値観でご回答頂きたく存じます。 特に「神様に恋すること」「現実から目をそらす」 「色々な欲を捨てる」「これからの人生」 の是非について知りたいです。 何卒、ご遠慮無くよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
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自分の煩悩について考えました。

3月に21年間お世話になった実家を出て同棲を始めて今に至るのですが、同棲相手は金遣いが最悪で自分の貯金は底をつき、元カノを家に呼ぶために私を外へ追いやったりなどがあって、自分はすっかり煩悩の塊のようになってしまったところで、仏教の教えを改めて考えるようになりました。 煩悩をなくすことで人は穏やかな生活を送ることができると説く教えをはじめは「感情を殺すこと」「自己を抑えてうまくやり過ごすこと」と思っていたのですが、ネットや日本史の教科書で仏教について、歴史や自分の宗派である曹洞宗の成り立ちや考え方について知るうちに、「煩悩をなくす」とは煩悩を完全に失くすことではなく、「煩悩と向き合う自分を作ること」だというところに行き着き、自分のためにというのはもちろんなのですが、自分に関わってくれる人たちなど周りに安心や幸せを与えられるということだと思ったのですが、これは実際の仏教の教えとは違うのでしょうか。 今自分は「自分の幸せのため」にあたたかい人間関係を築くことや、自分が心から幸せに思うため、自分をまず見直したいと思っています。 その手始めとして、今ある生活は話だけすると確かに最悪なのですが、それでも楽しくないわけではないので、この同棲生活をより良くしたいと考えていますが、私のこの煩悩についての考え方はまた違うものなのでしょうか。 ご教示よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ