回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
旬な話題で言うと
暑っちぃ〜…薄着したい………(法衣フル装備&下着シャツで5枚重ね)
対処のしようはありません。馴れあるのみです。
追記
夢を壊してごめんなさい。
でも、それじゃいけないんです。この国は20世紀の最後の四半世紀あたりから「お坊さんに煩悩は無い。サラリーマンは理想の企業戦士。夫婦は恋愛の完成形。」というような夢や希望で社会を美化してきました。それで信仰を集め、お父さんが尊敬され、男女平等で幸せな家庭を築き、頑張れば頑張っただけ報われる社会になると信じて疑いませんでした。
しかしその結果の現実は、日本史上最大級の仏教離れ、新卒の若者が3ヶ月で辞める職場、3人に1人が離婚経験者、頑張れば頑張るほど病む社会でした。かつての夢や希望は、ただのパリ症候群にしかならなかったのです。
あなたのお坊さんイメージは間違っています。それはお坊さんの修行ではなく十三代目石○五右衛門とかその辺の修業です。アニメやドラマの中の修業です。邦元師が煩悩とは何かということをおっしゃっていますが、その通りです。当時のお坊さん達は煩悩とは何かということすらマトモに説いてきませんでした。(私自身、今回の回答であまり熱心に書く気がなかったのでスルーして乗っかっていましたが…)
それはあなたの妄想ではありません。昔の大人が社会総動員ではびこらせた社会の病です。そんな妄想社会はぶち壊して、人が等身大の人として地に足付けた価値観が当たり前になっている社会を作り直さないと誰も得をしません。
夢を壊してごめんなさい。そして悪い夢を見させてしまって、ごめんなさい。
今は社会のたくさんの面で時代の転換点にあります。一緒に新しい時代を創りましょう。
普通過ぎますが…、
病気になりたくないし、
老いたくないし、
死にたくないです。
好きな人と一緒に居たいし、
嫌いな人とは会いたくないし、
欲しいものは何でも手に入れたいし、
嫌な目に遭いたくないし、
好きなことだけしていたいです。
煩悩っていったい
甘いもの食べたーい→少しだけにしておこう。
ビール飲みたい→ハイボールにしておこう。
こんな対処の仕方です。
しかし煩悩ではないんです。色々思うの自由ですし当たり前のこと。
それに「こんなことを思ってはダメ」こんな気持は消し去らねば」と取り扱うことが煩悩なんですよ。
思っても思ったまま。相手にしないのです。「思わないようにしよう」とかすることこそいらぬ煩悩。
女の子が歩いていたら「かわいいな」とか「きれいだなー」と思うのは、当たり前でしょ。誰にでもあることでしょ(^-^)
皆さんと同じです
拝読させて頂きました。
僧侶つまり坊主も人ですから一般の人々と変わりありません。
あなたと同じように煩悩である貪り・怒り・欲望・執着・そして日々迷いの中で生きています。
当然三大欲求も沸き起こって来るのです。
ですから私のついて言えば煩悩まみれなのです。
仏教では心で思ったことも罪となります。
ですので毎日その煩悩によって様々な罪を犯しているのです。
例えば「ああ、今日は面倒くさい・やりたくない・怠けたい・あれが欲しい・これも欲しい・あれ食べたい・あいつのことが頭にくる・なんでこんな目に遭うんだ…」等々愚かな妄想が沸き起こってくるのです。
ですから毎日の朝のお勤めで仏様に向き合い、己の犯した心に思った罪を心から仏様に懺悔致します。仏様は全てをお聞き届けなさってくださり受け入れてくださいます。私も心を入れ替えてその様な邪まな思いを捨て去るようにと努力しようと思うのです。しかしなかなか煩悩から離れられない自分がいるのです。
仏様はその様な愚か者の私達を全て受け入れてくださり救って下さいます。そして正しい方にお導きなさってくださいます。
あなたがもしも煩悩に苛まれて心が大きく迷いを生じるなら心から仏様に手を合わせて心の中でお話しなさり、懺悔なさってくださいね。仏様は余すところなくお聞き届けなさってくださいます。そしてあなたを正しくお導きなさってくださいます。
あなたがこれからの人生心清くなり迷いを離れて心安らかになられます様と仏様にお祈りさせて頂きます。
プライドの煩悩はしぶとい
煩悩は大きく分類すると10種類あります。
悟りの段階に応じて、煩悩は段階的に消えてゆくのだそうです。
私なんかは悟りの第一段階もほど遠いので、全ての煩悩が大活躍ですけど。
悟りには4段階あって、3段階まで悟った聖者では、まだ煩悩が5つ残っているそうです。
最後4段階まで悟ったら残り5つもなくなり、仏様と同じように全ての煩悩を克服できるのだそうです。
で、最後まで残る煩悩の1つに、「慢」という煩悩があります。
簡単に言うと、プライドの煩悩です。
ということで、欲や怒りがなくなったかなりすごいお坊さんであっても、プライドの煩悩は最後まで残るのです。
心のどこかで、自分の価値を気にしたり、自分を偉いと思ったり、逆に自分をダメダメだと卑下してしまうのです。
仏教のモノサシで取捨選択する
奈由様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
お坊さんの煩悩。。
お坊さんであっても、あれしたい、これしたい、あれほしい、というのは、普通にあります。
ありますが、それが誰のためであるのか、何の目的のためであるのかにおいて変わってくるものとなります。
お坊さんであれば、それは、自分のためではなくて、他の迷い苦しみを取り除くため、皆が悟りへと至って安楽となるためのものであるのが理想となります。
と言って、自分のためも完全には否定しません。悟りへと至るための自分のためであっても、それはやがて皆のためにもなるものであるならば、大いに認められることになります。
あれしたい、これしたい、あれほしい、更には怒りや憎しみや嫉妬など、色々な煩悩が出てきたとしても、それらは、ただの利己的、独善的、自己満足的なものでないかどうか、更には、その欲や煩悩は、皆が悟りへと至るために必要なものであるのかどうかなど、それらを冷静に見極めることで、必要ない欲、煩悩は極力無くしていけるように努めて参りたいものとなります。(密教では、煩悩を悟りへと向かうための力として利用する場合もございますから、一律に仏教だからと言って、煩悩全てを否定するわけでも実はないのであります。)
欲、煩悩は人間である以上、お坊さんであっても出てきて当たり前のものですが、それを取捨選択する基準をできる限り、仏教のモノサシにて判断して、中道を歩んでいけるように調えたいものでございます。
是非、更に仏教に興味を持って頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
仏様に手を合わせるという非常にシンプルな答えがとても良かったです。そのような気持ちは忘れずに持ちます。
しかし試練はやってきます。
今はただ嵐の前の静けさ。静けさの中で静観します。
回答ありがとうございます。
心頭滅却という言葉がよぎります。
煩悩は尽きることがありません。
欲望が正常に働いているという意味を少し考えさせられます。
少しだけに抑えておくというのはいいことですね。
回答ありがとうございます。
暑さには参ります。
健康に気をつけて下さいね。
回答ありがとうございます。
心がそのままの状態を鏡に写すと
素直な状態が感じられます。
お坊様に煩悩が沸き起こっても簡単に制御されるのだろうなとか、高潔さなんて私の妄想だったのかなと思います。
追記回答ありがとうございます。
人々は仏教から離れているのではないと分析しています。理由はきちんとあります。けれどもここで申し上げる訳にはいきません。
新しい時代を未来がより良いものであって欲しいです。お祈りしています。
回答ありがとうございます。
プライドとか全部なくなったであろう人を見たことはあります。生きるために護美を漁って食べていた人位です。衝撃はないと思いますが日本の事です。
人間の価値なんて最後までわからないものです。
回答ありがとうございます。
誰かの為の煩悩は最高の答えです。
ありがとうございます。
お礼のコメントに名前を乗せなかった事は申し訳ないです。大慈様、円通寺 邦元様、林鴬山 憶西院 超覚寺 和田隆恩様、一向寺kousyo kuuyo Azuma様、願誉浄史様、岩瀧山住生院六萬寺川口英俊様、どの答えも良かったです。
ありがとうございます。
ここからのお礼は少しはっちゃけた様な
失礼も承知で書きます。
私は現世利益大好きです。
そんなに○ファンではないけど
その寺社に絵馬を奉納すると○の優先チケットが当たるとかでファンが殺到する所とか
エンターテイメント系も大好きです。
見ていて楽しいの大好きです。
人々を喜び、この世界を明るくするのって
素晴らしい煩悩の様な気がします。
それが私の中の人に話せる煩悩です。
お坊様に書いているのと違いますけどね。
合掌。