とても1人で抱えきれず、お話をいただきたく質問いたしました。 10月に入って警察から、父が自宅で亡くなっていたとの連絡がありました。 両親は私が小学生の頃、15年ほど前に離婚しており、私は母と一緒にこれまで暮らしてきました。 長らく音信不通でしたが7年ほど前に、私から強制的に突入する形でコンタクトを取り、そこからはご飯に行ったり家族の思い出の地を巡ったり、連絡を取ったりと交流をすることができたのが唯一の救いです。 心臓の難病を患っていたようで、「(会いに来てくれて)救われた」と当時の父も言ってくれていたことを覚えています。 ただ、父は生前より、突然機嫌が悪くなってこちらのコンタクトを無視し続ける態度があり、その性格には母や私含め、周りの人全員が困っていました。 コロナ禍に入り、父の職業もフリーランスで安定したものではなかったので、頭のどこかで心配をしながら、連絡がこないこともいつものことだ、と思ってしまっていました。 遺体はかなり腐敗が進んでおり、自宅に残された周りの品から、死後2〜3年が経過していると判断されたことを警察から伺いました。 来週に父の弟さんと2人だけの火葬に立ち会う予定です。 離婚して、養育費を逆に使い込んでしまうような身勝手な父で、母がたくさん苦労して私のことを育ててきてくれたのも知っています。 厳しいことを言うと、父の自業自得だとも思っています。 周りの人たちも助けたかったけれど、その救いの手を上手く掴めなかった父の生き方の結果、父の選択であり、生き様かなとも思っています。 一方で、娘としてはかなりのショックを受けています。まだまだたくさん話したかったし、甘えたかったし、ごめんねと言ってほしかったです。私も気付けなかったことを謝りたいです。 父との思い出を思い返したいのですが、自分が壊れてしまいそうで怖いです。 この死をどのように受け止めていけばよいのでしょうか。 父は今、自分の死をどのように感じているのでしょうか。
いつも家族のことを一番に考えてくれた優しくて穏やかで面白い父が突然他界しました。 家族で仲良く、数年前までは両親と私で旅行に行ったり遊びに行ったりととても楽しく過ごしていました。 しかしここ数年、足の悪い父は出かける時に家で留守番してると言うことが増え、そのうち私も誘わないで母だけ連れて行くようになりました。 それに加えてここ数年、私の思い通りになっていないと父を怒ったりしていました。 それでもごめんな、と言う父。 そんな優しさに気づくことなく父は先月突然他界しました。 部屋から私を呼び、起きれないから起こして、と言われ部屋に入ったらもう亡くなっていたんです。 私は悔やんでも悔やみきれないことをしました。 父に寂しい思いをさせたまま旅立たせてしまいました。 私がもっと父を見ていてあげたら絶対もっと長生きしたはずなんです。 翌週には伊豆旅行の予定で、一番楽しみにいていたのが父でした。 父に謝りたいし、話がしたいです。 毎日泣けて泣けて仕方ありません。 ずっと過去に戻りたいと思っています。 まだ四十九日もすぎていないから近くにいてくれてるでしょうか。 掃除した父の部屋のベッドの脇に靴下が落ちていたり、一緒に行こう!と父が好きだった回転寿司に行って余分に用意した父用の醤油皿に脂が浮いていたりして、母とお父さんいるね!なんて話してます。 母と愛犬がいますので私が頑張らなければいけないし、お父さんが見守っていてくれるからみんなで頑張ろうね!と話していますが、1人になると父への後悔で涙が止まりません。 父は今、幸せでしょうか。 大好きな妻である母の事見守っててくれますか。 私はこれからどうやって父への謝罪をしていけばいいでしょうか。 本当に喜ぶことをしてあげたいです。
生涯独身である私の弟が急死して義理の妹が未亡人となってしまいました。弟夫婦には子供がいなかったので義理妹は1人ぼっちになってしまいました。まだ5ヶ月しか経っていないので今はまだ悲しみに暮れています。 私の母も子供に先立たれてしまい悲しみに暮れています。 母が最近、弟に先立たれて1人になった私と義理の妹が不憫で2人で同居したらお互いに孤独を感じずに済むのではないかということで落ち着いたら義理の妹の母に話しをしたいと言い始めました。母の優しさはありがたいですが、義理の妹は今まで弟と一緒に家に来ただけなのであまり交流はありませんでした。 逆縁を願っているようですが、今まで数十回お見合いして「待っているけど、あなたじゃないの」と断られ続け生涯癒えない傷を抱えた私に弟の代わりは無理と思います。 もう老後を1人で生きていく覚悟をした私はどのようにすればよろしいでしょうか? また傷を増やすのは金輪際勘弁です。檀家さんや知り合い等に体験談がありましたら教えて頂けると助かります。
母親 兄弟はいますが小さい頃から祖父と2人暮らしです。 自分が移したコロナで肺炎になり最愛の祖父を亡くしました。3ヶ月経ちますが罪悪感 喪失感 後悔 大切な人の人生を奪った 申し訳なさ 毎日がつまらない なんのために生きてるのかわからない 死にたいとは思ってないけど生きたいとも思ってない 今こんな状態です。 親 叔父 兄弟 周りは自分のせいではない。そういう運命だった 亡くなった祖父でさえ入院中まだ割と元気だった時に泣いてごめんよと謝るとお前のせいではないと言ってくれました。今思えばそれもよくなかった そんな姿みせたら自分はもう駄目なんだと思わせたのかも知れません。生きる気力を奪ったのかも知れません。 自分はコロナとは思わなかったけど体調不良の自覚はありました。コロナとわかっていれば家を出るなどして距離を取っていました。言い訳ですね。3日程してなんかいつもと違うと思い病院に行くと陽性でした。そうわかった時にはもう遅く祖父に移していました。高齢者はコロナに関係なくただの風邪でさえ重症化する可能性があるということを馬鹿だからわかっていなかった。 いい歳して世話になりっぱなしでなんの恩返しもできてないのに。一緒に出かけたり家でテレビを見たりご飯を食べたり そんな当たり前の日常 一緒に過ごした楽しかった日々の光景が鮮明に浮かび その度に大切な人の人生を奪った申し訳なさで辛くなります。なので今は家を出て一人暮らししてます。 逃げたんです。家族はほかにいても自分にとって祖父は父親同然であり、家族の中で唯一心を開ける人でした。祖父と小さい頃から二人暮らしだったのも恐らく居心地がよかったんだと思います。自分だけ生き残りどの面下げて生きていけばいいのか 入院中亡くなった本人からのあんたも頑張りやというセリフだけが唯一の生きる支えになってます。けどもしかしたら祖父は自分のこと恨んでるかもしれません。そういう人でないのはわかってますが辛い思い 苦しい思いをさせ心残りもあったでしょうし。出来ることなら変わってあげたかった。自分が移しといてなに言ってるんだって話ですが。お墓で祖母にお願いしたり神社でお願いしたり祈ることしかできなかった。 自分はただ祖父には元気でいてほしかった 笑っていてほしかった 喜んでほしかった それだけなんです。それなのに真逆のことをしてしまった 本当に馬鹿です
2週間半前に同棲していた彼女が実家に帰省した時に亡くなってしまいました。 最後にやりとりをしたのは亡くなったとされる時間帯の3時間前でした。 私から送信をして1時間くらい返信がなく、いつもなら起きている時間帯にも関わらずその日に限って寝落ちをしてしまいました。 そして寝てしまっていた時間帯に何かをする示唆で、かつ万が一のことが起こった際の最後の言葉のような返信が来ていました。 それを気づいたのは亡くなった時間帯に5時間後。 第一発見者はお父様で、私に連絡があって事態が発覚した次第です。 私がいつも通り起きていればすぐ連絡をして止めることが出来た、実家に帰らず自分のそばにいればそんなことをしなくて良かった、私がちゃんとしていれば亡くなることがなかったと思って凄い後悔と自責の念が襲ってきました。 また亡くなってしまった原因は自分にあり、そんな自分が生きていていいわけがないと考えて、後を追うことも考えて死に方について調べることもありました。 彼女のことを忘れることは今後無いと思っていますし、思い出すたびに悲しくなり、寂しくなり、辛くなって泣いてしまうと思います。 「日常生活」が一変してしまったことにより、この先どうすれば良いのか、何を糧に仕事やその他のことに取り組めば良いのか、それが何になるのかなど、「生きていくこと」に意味が見出せなくなっています。 お先真っ暗な状態です。 「生きていくこと」の意味を教えてください。
いつも心の迷いに寄り添ってくださってありがとうございます。 弟の死から2年が過ぎ、悲しみが癒されるどころか、ぶり返し、日がたつごとに寂しさが募ります。寂寥感、虚しさ、悲しみ。。。 母を支え、自分を支え、いろんな感情に押しつぶされそうになりながらまた立ち上がり、日々過ごすということを繰り返しています。 新しい趣味も始め、自分自身の人生を歩むことも忘れないようにしていますが、 どうしようもない悲しみ、寂しさは自分が人生を終えるその日まで続くことはわかっているのですが、こういう気持ちをだましながらというか、いやすにはどうしたらいいのでしょうか? たまに襲われる深い悲しみに耐えられる自分になるための道しるべをご教示いただけたら嬉しいです。 いつもありがとうございます。
息子の死受け入れられない。
息子が亡くなり早4年。まだ私は生きてる 情けない朝をずっと繰り返し 早く楽になりたいのに死ねない。自分が情けない大嫌い。無念はない。けど、自殺は周りに迷惑だから出来ない。こんなに毎日毎日願うのに死ねない。自分が情けない情けない情けない情けない
両親の離婚後長年会っていなかった父が孤独死しました。 死後、親戚の方と改めて関わっていく中で 私の幼少期の写真を見て泣いていたこと、 保険金の受取を最初から私にしていたこと、 養育費を払ってくれていたこと、 自分が死んだ時に私に渡せるようにと貯金してくれていたことを知りました。 高校生の時に会いに行って不在で帰ってきて以来、私はコンタクトを取ろうともしなかったことを悔いています。 私はもう大人になり結婚し子どもも生まれたので、孫を見せてあげられたらよかったなとも思います。 離婚の理由は父親が原因だったのですが、そこも含めて赦し、仲良くなれていれば…。 父親に自分はもう忘れられていると思っていたので、 私のことを考えてくれていたことを知り 驚きと嬉しさと、会いにきてくれればよかったのにとも思いました。 訃報を聞いてから 父親の晩年は幸せだったのか 苦しくなかったか 亡くなってまだ四九日経っていないけど私を見てくれているのか とぐるぐると考えてしまいます。 (電気がチカチカするのを勝手に、父がいるのでは?と思い込んでいます) また死自体が怖いと思ったり 漠然といなくなってしまいたくなったりと 死について極端に考えてもしまいます。 家族が亡くなるのが初めてで 自分の気持ちの持って生き方、 父は死後どうなっているのかをお坊さん目線で分かることがあれば教えて欲しいです。 よろしくお願いいたします。
3月に母を亡くしました。母とはどこへ行くのも一緒でなんでも話せる仲でした。 最期は自宅で亡くなりました。母の世話は私なりに色々がんばったつもりですが、一人で不安でどうしたらいいか、わからなかったり、そんな時は母にきつい事を言った事もあります。 母に謝った時、母は悪いのはこうなった自分だからと言いました。私は、そんな事ない、うまく出来ない私が悪いんだと泣きました。 仲が良かったと言え、母がうっとうしい時もありました。でも今はそんな嫌なことは全部忘れてただ母との楽しかった思い出しかありません。 今になって母のありがたみを感じるのですが、うっとうしく思った時もあるのに身勝手だなと思います。 今はただ、母に謝りたいです。ごめんなさい、ちゃんとしてあげられなくて、でも大好きだよ。もう一度名前を呼んでほしい、会って話ができたらと、いつも一人でいると泣いてしまいます。 母は寂しがりやな人だったので、向こうでみんなと仲良く笑顔で楽しく過ごしていてほしいと願っています。 自殺しようとまでは思いませんが、早く母の所へ行きたいです。 何かアドバイスあればお願いします。
私の母は89歳で認知症の末期と思われ、小規模多機能施設に行っており、週に2日寝に帰ってきます。 話すことも立つことも何も出来ず、今の処、何とか食事だけをしている状態です。 70歳の私は独身で常に母と今まで暮らして来ました。母が認知症になって約12年苦しい事ばかりでした。 私には域内に妹と弟がいます。弟とは反りが合わず、母の見舞いにも殆ど来ません。 妹は色々とお金の面とか協力はしてくれてましたが、今病気で入院しています。 私は妹が頼りで、元気な時から母ちゃんが亡くなったら、兄ちゃんは母ちゃんのそばで泣いとればいい。私が全てするからと言ってくれてました。 其の妹が病気になり、心ぼそくて、仕方ありません。 少しづつ少しづつ悪くなって来た母をそばで見てきて、もう直ぐ亡くなるかも知れない母が可愛そうでたまりません。 帰って来た時耳元でワシを一人ぼっちにせんといて、ご飯を頑張って食べてや!と毎回言ってます。スマホで嚥下訓練や口腔ケアの事を一生懸命勉強して、帰って来た時と翌日行く前の時間に一生懸命頑張って来ました。 しかし、老化には勝てず、少しづつ悪くなって来ました。 母は私の命です。亡くなる事が想像出来ず、とても怖く、何も手につかず、一種の鬱になった気がします。母は子供の時から実母にいじめられ、大人になってくると17歳で無理矢理親父と結婚させられ、私達が生まれたあとも酒癖が悪く、大変な一生でした。 母が60歳の定年を迎えた時にシーズーの犬を買い、犬を連れて、色々な所へ遊びに行った約19年間が唯一の幸せでした。 犬の亡くなる2〜3年前からアルツハイマー型の認知症になり、それからというもの本当に大変でした。 私も母とは友達の様な関係で絆も深く、母の死が近づいていて、怖くてたまりません。一応仕事には行ってますが、休みがちで、仕事中も母の事ばかり考えてます。このままでは母を道連れに、無理心中したいとの気持ちにもなります。(多分可愛そうで出来ないと思いますが) 上手に話がまとまりません。動揺して、今書いています。 私の気持ちは伝わったと思います。 私が心が安らぎ、少しでも前に向けるお言葉を頂けたら幸いです。
初めて質問します。この件に関して調べても分からず、どうしても専門の方に相談したく質問させていただきました。 先月祖母が亡くなりました。その祖母の49日を今月控えています。祖母とは小さい頃から頻繁に会っていてとても可愛がってくれていて、私は祖母が大好きでした。 歳のわりに元気で若々しく昨年までは一人で暮らしていましたが、今年に入ってから突然体調を崩し、入院、1人で生活できなくなったため一緒に暮らしていました。 デイサービスを使いながらの生活でしたが、ある日持病に肺炎が重なり急変、入院から1週間程頑張ってくれましたが亡くなってしまいました。元気な姿が印象的だったため体調を崩してから亡くなるまでがまるで悪い夢を見ていたようで、頭が混乱し、全く整理がつきませんでした。 お医者さんから覚悟してくださいと言われてから職場が融通をきかせてくれて長い時間ほぼ毎日側にいることができましたが、入院から亡くなるまでの間精神的にずっと辛く、泣く日々が続きました。亡くなってからは悲しみに加え後悔が出てきて、もう少し優しくすればよかった、もっとたくさん話しかけてあげればよかった等毎日考えました。 ここから本題なのですが、後悔してもどうしようもないため今すべきことをしようと49日までは前からの約束以外は極力控え、祖母が好きだった外食も控えるようにしていました。しかし、亡くなってから1ヶ月経った先日男性とホテルに行ってしまいました。(行為は行っていませんが、体の接触はありました。)その男性は祖母が亡くなる直前に入院する前から知り合っていた方で、何度か会ったりLINEをする中でだんだん好きになっていきました。亡くなる直前の辛い時も今できることをしてあげたらおばぁちゃんはきっと喜ぶよとアドバイスをくれたり、会う時も私が飲みに行ったり、お祭り、派手な外食は49日前はしたくないと言ったら、その通りにしてくれました。正直彼に何度も救われていました。 亡くなってから1ヶ月経つまでは気持ちが沈んでいて、彼と会うのを楽しみだとかそんな気分にはなれませんでしたが、段々と気持ちと心の整理がついてきて、ホテルに行った夜も最初はそんなつもりはなかったもののもっと一緒にいたいと欲が勝ってしまいました。 冷静になった今、後悔しています。 やはりやってはいけない行為だったのでしょうか。お返事お待ちしております。
先日祖父が亡くなりました。 私は初孫ですごく可愛がってもらっていました。施設に入る前はしょっちゅう会いに行っていたのですが、入ってから7.8年くらいは何か行くタイミングもなく、結局ずっと会えずしまいで亡くなってしまいました。 他にも、母と弟にはもっと優しくすればよかった。祖母にはあの時会いに行けばよかった。 など後悔ばかりです。 薄情な人間だなととても自己嫌悪に陥っています。 このような気持ちはどうしたら良いでしょうか。
大学生です。 昨年浪人時代から支えてくれた社会人の彼女が亡くなりました。それ以来一人暮らしをするアパートに引きこもりふさぎ込んでしまいました。夜も薬を飲むか大量飲酒をするかしないと眠れません。夜だけでなく日中でも急に涙が出てきたり、不安に駆られたりと精神的にもいい状態ではないと思います。当然学業も疎かで留年も確実だと思われます。 今まで周囲の方々には期待されてきたのではないかと思っていますが、私はそんな殊勝な人間ではなく、何に対しても気力が湧いてきません。この現状が不甲斐なく、とりわけ親には非常に申し訳なく思っています。 誰にも相談できず今まで過ごしてきましたが、たまたまこのサイトを見つけ相談してみようと思いました。厳しい言葉でもかまいません。私の背中を押してもらえるような言葉をいただけたらと思います。
7月20日に友人が突然死しました。 気持ちの折り合いがつきません。 19日に友人とお茶をしたのが最後となりました。 あの時体調が良くないと言っていた友人を襟首掴んで病院に連れて行っていたら、あの日の夜息苦しいと言っていた友人宅に勝手に救急車呼べば、窓ガラス割ってでも室内に入っていたらと自分を責めてしまいます。なんで躊躇ったのか、どうしてできなかったのか、合鍵がないからといって家族に先に連絡しないで私が警察を呼べばよかったのに、苦しいと連絡があった時に終電があったんだから家に押しかければよかったのに。 躊躇わなければまだまだ楽しい時間を彼女は過ごせたはずでした。 街中を歩いても一緒に行ったカフェや次に遊ぶ時行ってみようと言っていたレストランを見ると「自分が彼女の人生の時間を台無しにした」と思ってしまって潰されそうになります。もしかしたらもう潰れているかもしれません。 友人を亡くしたのは初めてです。どうしたら心に折り合いを付けられるか全く分かりません。ご家族からは「貴方のせいじゃない、自分を責めないで」と言われましたが出来たことはあったのにやれていない自分が許せないです。
父が亡くなって4か月が立ち、母も1人でいる時間を増やし、週に4日は、1人でいてもらっています。姉も母との距離を置かないと、お互いに口喧嘩がはじまり、お互いに、ストレスがたまってしまうからです。私も、月に2回ほど、母の所へ行って、泊まってきます。今回遺産相続の話しになり、3人で話し合い、司法書士さんにも来て頂き、作成をして、なんとか、ひと段落しました。が、母は、お金の話しになると、騒ぎ始めます。今まで父にかかった、お金のことや、父が残してくれた、貯金など、全て母に話しをしたのですが、見せてもらっていない、話しを聞いていないが、始まるのです、その度に姉は、父の通帳や、かかった費用の領収書などをみせて、説明していますが、姉も、その繰り返しで疲れたと言っています。母には、全て見せたし、話しをしたのいうのですが、見てない聞いてないの繰り返し、もう拉致があきません。訪問ドクターには、話しをして、お薬を処方してもらいましたが、今は飲んでいませんが、お守りがわりとして、持っています。まぁ90歳の母には、全て覚えていて欲しいものですが、やはり、どこか抜けている所があり、それを思いだすと、その話しになっていくようです。なので、母には、悪いのですが、少し距離を置かせてもらっています。私も月に2回程、泊まりに行っていますし、近所の方も、1人をされている方が多いので、母の所へ遊びに来ては、おしゃべりをしています。前にも、この話しを投稿した時に、子供には、共感して欲しいし、心配して欲しい、ストレスを与えたいとの、回答を頂いた事があるのですが、まさに、今の母の状況でもあり、私達も、わかっているのですが、やはりどこか嫌になってしまう所もあります。今後母には、どう接していけばいいのでしょうか?
大切な人との別れについてご相談させて下さい。 別れ、というのはお互いの仕事関係により物理的に距離が離れてしまう可能性が出て来たからです。 距離が離れたとしても、今まで通りに接していけば良いだけではありますが、寂しいといった感情や更に悪い想像すらしてしまいます。 感情に振り回されてしまい、自分の状況のみならず相手の今後を素直に応援することが出来ない自分の器の狭さが何よりも許せないのです。 この焦燥感と向き合い、整理する方法をご教授頂けますと幸いです。
50台、看護師してます。 先日夫が急逝しました。54歳、来月お誕生日がくる予定でした。 病気で寝たきりになり、在宅介護は困難なため、最後の2年程は施設入所してもらってました。 誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、それでもいままでは抗生剤治療などで回復してました。 でも、今回は発症翌日に亡くなってしまいました。 夫に対してもっとできることはなかったのか、ずっと考えてます。 一番後悔してるのは、53歳の誕生日の時の事です。 当時、夫は転倒による腰椎圧迫骨折を受傷し、私の勤務先に入院していました。 「誕生日ケーキ食べたいけど駄目だよね?」と聞かれ、糖尿病治療中でもあったことから私は「ケーキは退院してからにしようね」と言いました。 治療とリハビリをすれば自宅に帰れると信じてました。 しかし、夫の身体状況は悪化の一途を辿り、両上下肢機能全廃・嚥下障害・認知機能低下が出現し、在宅介護は困難となりました。 こんな事になるとは夢にも思ってなかった。 医師に許可をもらって誕生日ケーキ食べてもらえば良かった。本当に悔やんでいます。 甘い物好きで、誕生日やクリスマスのケーキを楽しみにしてた人だったのに…。 私は夫と出会えて本当に幸せでした。 こどもはできなかったけど、夫婦2人で力を合わせ、いろんな事を乗り越えてきてました。 夫は幸せだったのかな…? 次々と自責の念が現れ、苦しいです。
いつもありがとうございます 昨年9月より父が誤嚥性肺炎を起こし病院に入院し、口からの栄養を取れなくなり中心静脈での栄養点滴となり、療養病床での療養となっておりました 今週、静かに母のもとへと旅立っていきました 最期の時は末の妹と二人で静かに見守ることができました 穏やかな最期でした ただ一昨年の春に母が脳梗塞で倒れてから、今日まで母の入院、自分の胆石での手術、娘の出産、母の死亡・葬儀、そして父の施設への入居、父の入院、そして・・・ あまりにもたくさんのことが凝縮されていて、自分でもよく乗り越えられたな・・と考えております もちろん、自分一人での力ではありません 周りのたくさんの人たちの助けがあってのことです 感謝の気持ちだけは忘れたくはないと考えております あまりにもたくさんのことがあったので、これからの自分が空っぽになりそうで怖いです これから残りの人生を大切に生きたいとは考えておりますが、どうぞ道しるべになるようなお話を聞かせてもらえないでしょうか? お忙しいところ恐れ入りますがよろしくお願い申し上げます
先日、大切な親戚が亡くなりました。 一緒にお風呂に入ったり遊びに出かけたり、社会人になり怒られた事もありましたが優しい眼差しを思い出しています。 僕は、その親戚と同じ職業に就いています。 親戚が働く会社、憧れであった場所を、昨日より訪れています。 子供の頃を思い出しながら、また社会人になる頃に座った座席、レストランで朝ご飯を食べています。眺める景色は殆ど変わりなく店内の雰囲気が様変わりしましたが想い出が過ぎります。 大好きだった叔父ちゃん、もう優しい眼差しの姿に会えないのが残念であり淋しいです。 何の恩返しも出来ず、叔父ちゃんや祖父母に心配ばかりかけ人生の折り返しの毎日です。 また、みんなにいつかお会いしたいです。