遠方の家族が危篤状態です。会いにいった方がいいのかもしれませんが、死が目前の人と会うのが怖く、また帰省して沈んでいる他の家族と過ごすのも辛いと思ってしまいます。 自分の心を守るためには遠くから安らかに過ごせることを祈っていた方がいいと思います。こんなことを考える自分が最低だと思いながら、かなり気持ちが滅入っています。どうしたらいいのかわかりません。
こんにちは。 初めて質問させていただきます。 以前までは人並みに幸せな人生を過ごしていたと思います。 しかし、数年前に愛猫、祖父を亡くし、就職を機に実家を離れました。 孤独や悲しみを背負いながら、日々を生きておりましたが、最近になり両親が大病を患ったという報告を受けました。余命宣告はまだ受けておりませんが、ネット情報の海を潜ると5年生存率が数%しかない現実を突きつけられました。数年前に愛猫を失った記憶がフラッシュバックし、不安に過ごす毎日です。 人や動物はいつか死ぬものと知識としては理解しているのですが、見送るたびに胸が引き裂かれそうな悲しみに駆られます。もう何も失いたくないという思いの反面、また一つ私の大切なものが失われそうな現実を突きつけられ、自分の気持ちが整理できず、混乱しています。 いくつか質問させていただきます。 ① 迫りくる離別の恐怖に対して、これから私はどう向き合えば良いのでしょうか。世間の大人の方々は親を亡くしているにも関わらず気丈にふるまっていますが私にはその自信がありません。何か別れに対する心構えのようなものを頂けますでしょうか。 ② 神様?はなぜ我々に離別の苦しみを与えるのでしょうか。 出会って、愛をもらい、いつかは別れる。私も生を受け、たくさんの愛をもらい、最期には手放して旅立つと思います。法事やお坊さんのインタビューの中で「諸行無常」や「執着はいけない」といったキーワードをよく耳にします。そうであるならば、なぜ神様?は我々に「手放したくない」といった執着の思いをさせるのでしょうか。最初から出会わなければ、生まれなければ、我々は苦しみを感じずに済んでいると思います。 自分の気持ちの整理がついておらず、うまく文章化することができませんでした。 抽象的な質問になりますが、ご意見やアドバイス等頂ければ幸いです。
ガン闘病中の主人のことでお話しをきいてください。 一度は死を意識し腹をくくったつもりでしたが、本人の頑張りもあり仕事復帰もしまた日常に戻ることができていました。 誰もが逃れることのできない死まで残された日をカウントダウンするのではなく、これからは1日1日を足して生きていこうと心がけていました。 それでも、元気な姿をみていたらいつしかこのまま治るのではないかと思ってしまっていました。 もっと早く転移箇所の手術をしていたら… もっと私が病気のことに真剣に向かいあって調べていれば… 人間だから必ずお別れの日がくるけれど、主人とは1日でも長く一緒にいたい… たとえお互いに1000年の命があっても満足することはないでしょう。 やり場のない気持ちをどうしていいかもがいている最中にhasunohaにご縁をいただきました。 諸行無常、今目の前のことだけに集中して生きていく… 他の方の問答を拝見させていただき、自分の気持ちに近いものが沢山ありとても助けていただいております。 仏教の智慧も知ることができ、もっと勉強したいです。 おかげさまで落ちついている時間も増えてきました。 手術していたら治っていたかという、生死とは単純なものではないと少しだけ考えれるようになってきました。 それでもどうしようもない悲しみや主人を失う恐怖におそわれてしまいます。 そしてやはり手術に対する後悔と自分の至らなさの懺悔の気持ちにとらわれてしまいます。 そんな時は南無阿弥陀とおとなえすることしかできません。 今は入院しての抗がん剤治療中ですが、もうすぐ帰宅予定です。 本人は淡々と受け入れていくと申していましたが、本当の気持ちは今はみえてきません。 主人の前では笑顔でいたいです。 今までどおり、できる事をしていきたいです。 みえない先の心配は何の意味もないことを教わったつもりですが、目を背けてしまわないよう、逃げてしまわないよう何かお言葉をいただけないでしょうか? このように話を聞いていただける場をご提供いただけたことに改めて感謝申し上げます。 どうぞよろしくお願いいたします。
私は現在、海外で母と二人で暮らしているのですが、1週間ほど前に母が倒れてしまい、危篤状態となりました。医師からは、もうなす術がないので、心の準備をするように言われました。正直、突然のことで、気持ちの整理がついていません。私は一人っ子で、父親も3年前に他界しているため、天涯孤独になってしまうという寂しさと、また、母の身体の異常に気が付いてあげられなかった悔しさなど、いろんな気持ちが押し寄せてきて、毎日、泣いてばかりいます。今のこの苦しい気持ちを乗り越えるにはどうしたらいいでしょうか。
私は今海外にいます。婚約者と1年間同棲して、暮らしていました。 3ヶ月前彼女が腹痛を訴え、夜中に嘔吐したので朝病院に連れて行きました。彼女はそのまま救急車搬送された、今の今までに集中治療室にいます。 つい3週間ほど前に医者からもう回復の見込みはないと告げられました。どんなに投薬しても、助かることはできないようです。 彼女には連れ子がおり、私は心からその子を愛し、我が子のように向き合ってきました。 彼女が入院してから、子供は生物学上の父親のもとにいます。この国の法律では僕はどうやっても子供には会えません。 この3ヶ月の間に、全てを奪われてしまった気分です。 精神的にも限界がきてしまい、自殺も考えました。 この先僕の人生は一生苦しみを背負って生きていくしかないのでしょうか。 楽になれる方法はあるのでしょうか。 本心では彼女に回復してまた家族で暮らしたいとそうなって欲しいと願っているものの、それはもう無理だと理解しています。 誰が、何がいつどうやって僕をこの苦しみから解放してくれるのでしょうか。 今は家に落ちているシール一枚や、壊れたおもちゃを見るだけで心が締め付けられるようで、涙が溢れてきます。 彼女も気管切開もされており会話ができず、そもそも本人が苦しまないようと、投薬で眠らされている状況で苦しんでいるのを分かっていて、なんで僕たちだけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと、やるせない気持ちでいっぱいです。 めちゃくちゃな文章なのは分かります。ただ僕は今は藁にもすがる思いでハスノハに投稿させていただいています。 魔法のように僕が楽になる方法がないのは分かっています。 昨日も心の相談窓口に問い合わせたけれどもやっぱり僕の心は救われませんでした。 死ぬしかないのか、生きるならこの苦しみを背負っていくしかないのか…そんなふうに考えてしまっています。 どうか、教えてください。僕はどうしたらいいんでしょうか。どうやって生きていけばいいのでしょうか。 生きていかないといけないんでしょうか。僕を引き留めているのは僕のことを心配してくれている家族だけです。 めちゃくちゃな文章ですけど、何卒回答をよろしくお願いいたします。
1週間前に母の余命宣告を知りました。 3年前に癌の再発が分かり、今まで治療を続けてきました。現在は同居しています。 治ることはないと言われていたのでいつかはこの日が来ることを覚悟していたことですが、実際に宣告を受けた時から毎日、明日が来るのが怖くて泣いてしまいます。 母とは二人暮らしで、私には父兄弟がおらず親しい親戚もいないため、 私がしっかりして、色々と決ねばならない手続きなどを早めに決めて、余生をどう充実させるかに目を向けないと行けないことは分かっています。 しかし心が着いていかず、近い未来独りぼっちになる恐怖に毎日怯え、自分自身が生きることに後ろ向きになってしまっています。 誰しもがいつか迎える状況だとは理解していますが、早すぎる時と抱える事の重さがつらいです。誰かに胸の内を言うこともできず、つらくて書き込みさせていただきました。 こんな世界が本当に嫌で、もし全て終わったら私も消えてしまおうかなと考えることも多いです。 今後の自分の未来にはもう、楽しいことや嬉しいことなんてないのではないかと強く思います。 今はまだ母は日常生活ができる状態ですが 時間はあまりなく、自分がこんな状態でいる場合ではないのに自分のことでいっぱいになってしまっている自分に嫌気がさして余計に消えたくなります。 患者家族は元気な姿を見せ、サポートに徹さないといけないのですが、こんな状態で母にも申し訳ないです。 未来が怖くてたまりません。 どういう考え方をすれば、受け入れて前を向けるのでしょうか?情けなく弱い自分に喝をいただけませんでしょうか。
私の父親(75歳)は、重い肝疾患を患っており、大学病院で40歳から35年間、病と向き合ってきました。 ここ2年間は、手術などの為入退院を繰り返しておりましたが、なんとか退院して自宅で生活することが出来ていました。しかし3週間前に自宅で、肺炎で高熱が出て、救急車で運ばれ入院することになり、みるみるうちに体力がなくなり、今は、病室のトイレに行くのが精一杯で、移動の際も車いすにのっており、家族や本人も、この急激な変化に驚いています。 今回は回復がなかなか進まず時間がかかるようです。長年お世話になった大学病院にはもう出来ること(治療)がありませんので転院してほしいと言われました。父は、最後までこちらでお世話になりたかったようで、 その説明があったときの父の悲しい顔 を見たときはとても辛かったです。 次の転院先は自宅に近いのですが、規模の小さな病院で、不安もありますが、父は、自宅に帰ることを希望しているため、このような判断になったのだと思います。(介護など地域連携を考えて) 今、コロナ感染予防で、入院先では面会禁止となり、こんな時でも会って話が出来ないもどかしさや、 本人の希望通り、出来ているのか、 自分が今出来ることは何なのか? 焦りもあり、ご相談致しまた。 よろしくおねがいします。
先月余命宣告受けました。まだ8歳のかわいい女の子です。しかし、日に日に弱っていくのが目に見えてわかります。今は放射線治療していますが、これをしても助からないと思うと泣けてきます。今、やれることをしてあげようというのはわかっていますが、とても辛く受け入れ難いです。周囲の目も気になり、いつ何時‥と思うと心休まらず夜もろくに眠れません。助けて下さい。
初めて質問させて頂きます。 私には、歳上の同性の恋人が、さっきまでいました。つい先程、別れを告げられてしまいました。 彼女は、内臓の病気を患っています。先々月、お医者様から余命半年を告げられたようです。 その頃はまだ、交際関係に発展しておりませんでした。 しかし、私が相当依存しておりましたから、見かねた彼女から「私が居なくなっても苦しまないように、今から離れるリハビリをするか、辛くなること覚悟で最期まで恋人として隣に居るか、どっちがいい?」と、余命宣告をされた時、私に聞きました。 私には 大好きな彼女と離れる という選択肢がなかったので「短いかもしれないけど、貴方の恋人として隣に居たい。」と伝えました。 そこから一ヶ月間は、毎日とても幸せでした。連絡をまめに取り、彼女の愛情をひしひしと感じて過ごしておりました。 しかしある日、彼女のお母様が亡くなられました。彼女と全く同じ、内臓の病気と闘っていたお母様でした。 それから彼女とは、10日ほど連絡が取れませんでした。お母様の訃報は、彼女のお父様を通じて知りました。 そして先程、彼女から久しぶりの連絡がありました。 「私は母親を亡くしてとても寂しかったし、辛かった。私が死ぬことによって、貴方を私と同じ気持ちにさせることはできない。」と、言われました。 付き合い始めてから一ヶ月の間に、わたしは彼女に沢山幸せにしてもらいました。 中でも忘れられないのが、ある言葉です。 「私は貴方を、世界一幸せにできる自信がある。捨てたりしない。」 このような言葉です。 言ってることとやってることが違うよと、言いたいのですが、彼女もきっと、私のためを思って別れる判断をしたのだと思います。 ですが、涙が止まらないのが現実です。 こういう場合、私は、無理矢理でもそばに居た方が良かったのでしょうか。
大好きな祖母が余命宣告を受けました。 しかも、残された時間はかなりわずかでした。 確かに最近は体調が悪く、入院していましたがまさかこんなことになるとは全く思ってもいませんでした。 残された時間を悔いなく過ごそう!など前向きな気持ちには全くなれず、悲しくて寂しくて、号泣してばかりいます。 そして大きな罪悪感を抱えています。 それは、祖母の希望を叶えてあげられなかったことです。 祖母はいつも私に、「私が元気なうちに結婚してね」と言っていました。 なのに、その約束を果たせそうにありません。 確かに付き合っている相手はいますが、そう簡単に結婚をする勇気はありません。 いつも優しくしてくれた祖母に最後くらい恩返しをしたい、なのにできなかった。 それが悔しく悲しく辛く、祖母に会う勇気すらありません。時間は限られているのに。 どうしたらこの気持ちを抑え、笑顔で祖母に接することできるのでしょうか。 祖母に今まで感謝を伝え、果たせなかった約束の代わりに最高の祖母孝行をするには何が良いのでしょうか。 私には思い付かず、皆様のお力をお借りできませんでしょうか。 よろしくお願いいたします。
母は家族のため、15歳で田舎から上京し、親戚の家で下宿しながら、美容師の資格を取り、姉を出産するまで働いていました。 私が小学校中学年の時に、安定職に就き定年退職するまで働いてくれました。働いている間にも同僚からのイジメにもあいましたが、私たち子どものためと我慢して辞めずに働いてくれました。 退職後はアルバイトしながら、姉の子を可愛がり楽しい日々でしたが、2年ほど前に母が悪性リンパ腫を発病しました。 寛解を迎えては再発を繰り返し、先日、母の余命を主治医から聞かされました。毎回の治療も辛かったのに弱音も吐かずに今回も頑張ってくれています。亡くなってしまったら、一番の理解者がいなくなる、話せなくなる、携帯でのやり取りもできなくなる、触れなくなる、顔が見れなくなる、もし自分が子どもを授かり生まれたとしても抱っこしてもらえない、可愛がってもらえないなどと考えると涙が止まりません。母のいない生活が考えられないし、考えたくないです。 輪廻転生、諸行無常、愛別離苦など納得はできるのですが、肉体がなくなるということがとても辛いです。
2回目の相談を失礼します。 今祖母が入院していて面会ができず、 いつお迎えが来てもおかしくない状態が 本当に辛くて、何も集中できないです...。 何回か手紙を届けていますが、 結婚前は同居していたこともあり、 お別れを考えただけで、悲しくて悲しくて 外出していても毎日泣いてしまいます。 母親からは、 「健康で夫婦仲良く幸せなあなたでいる事がおばあちゃんにとっても一番だからね」と言われ、 今の私の姿を見たら心配症の祖母は 絶対に喜ばないのは分かっています。 祖母は朝晩と欠かさず お仏壇に手を合わせていました。 優しくて可愛いくて頭が良く、 戦時中の貴重な話しをしてくれたり 家族の健康を一番に願っている人です。 祖母から教えてもらったことは 大切なことばかりで、 本当に愛されてたんだなぁと実感しています。 そして、少しでも気持ちを落ち着かせたく 質問をさせてください。 よく魂はあり続けると聞きますが、 死後の世界について教えていただきたいです。 もしもお迎えがきたら... 先に旅立った両親や兄弟、祖父など 家族に会えるのでしょうか。 永遠の別れではなく、来世でもまた家族として 繋がりを持てるのでしょうか。 姿は見えなくなっても、 傍にいてくれるのでしょうか...。 今はどのような気持ちでいればいいのか ご意見をいただけましたら幸いです。 よろしくお願いします。
今年6月から父が肺癌で闘病中ですが、脳梗塞を併発し治療が難しく、9月から緩和ケアに移行しました。余命半年もないと言われています。脳梗塞の後遺症で失語となり意思疎通が叶いませんが食欲もあり元気にしています。でもコロナ禍で、窓越しの面会すら叶いません。本当なら家族が寝泊まりできる施設ですが、母すら付き添えず部屋に1人きりで居ると思うと、言葉がわからないから不安だろうし、寂しいだろうなと思い悲しくなります。父の同僚の話では、責任感が強く体調が悪くても休みたいと言わなかった様子で、本当は1年前くらいから具合が悪そうだったとのことです。市販の咳止め薬を何個も服用しており、父自身おかしいと感じていた様子でしたが、怖かったのか母が勧めても受診しなかったそうです。治療が始まってからは、そのことを後悔してため息ばかり吐いていたそうで、その話を聞いて胸が苦しくなりました。今1人で後悔して泣いたりしていないかな、と考えてまた悲しくなって泣いてしまいます。転院の時に救急車に乗り込む瞬間に顔を見れたのが、私が父に会える最後のチャンスでした。笑顔で会いたかったけど、怖くて泣いてしまいました。マスクもしていたし、もしかしたら父は気が付かなかったかもしれません。私はあとはもう父が死ぬまで何もできないのがとても悲しいです。まだもう少し時間があるのに、なんで一緒にいれないのかと悔しくなります。泣いてばかりじゃなくて、できれば残りの時間をきちんと大事に過ごしたいと思うけど、どうしたらいいかわからないし何も浮かんできません。何かアドバイスを頂ければと思います。
妻が余命3ヶ月の宣告を受けました。 今年の1月から抗がん剤治療を続けてきましたが、残念ながら効果がありませんでした。 余命宣告を受けてから 私自身、気分が滅入り、 何をやっても涙が出てくるし、 絶望感でいっぱいです。 余命はあくまで平均値なので、 もっと生きれる! もっと生きて欲しいって 願いはあるものの、 一方では、 日に日に弱っていく妻を見ていると、やはり厳しそうだなとも感じます。 妻とは結婚して22年、子供はおらず、何をするのも二人で楽しく過ごしてきました。 そんな妻がいない生活なんて、到底考えられず、辛くて辛くて、もう本当に心が持ちません。パンク寸前です。 これから先、緩和ケアになっていき、状況も更に厳しい日々になると思います。 このまま私の心がパンクしてしまっては、妻の為にはならないと思っていて、今の内に精神面を立て直しておきたいです。 私はどのような心構えでいるべきでしょうか? 何かヒントとなるようなお言葉を頂けるとありがたいです。
長文失礼します。 現在、父方の祖母が危篤の状態です。 祖父母の家は実家から40分ほどの場所にあるので、高校生くらいまで週に1回は遊びに行ってました。幼少の頃は泊まりに行ったりもしていて、すごく優しくしてくれました。好きなものを食べさせてくれて、たくさん遊んでくれました。 しかし、大学に入ったたあたりから月に1回…年に1回…と次第に会いに行く回数が減っていき、社会人になってからはほとんど会いに行きませんでした。 その間も私の父や他の親族は会いに行っていたのに、私はつい仕事や自分の約束を優先してしまいました。 今年になって祖父が病気を患って入院し、祖母がそれを追うかのように、急激に認知症と病気が悪化し、現在は危篤の状態です。 祖父母は現在別々の病院にいて、祖父の方は意識がまだありますが、コロナの影響で面会が許可されていません。 しかし、祖母はもう先が長くなく、2週間以内には…と父から知らされました。 そして先日、祖母に会いに行ったのですが、そこに私が知っている祖母の姿はなく、小さくなって弱りきっている状態でした。 話しかけてみましたが、自分の言葉が通じているかは分かりませんし、ひたすら祖父のことを呼んでいて、うなされていました。 その声を聞いて、姿を見て、自分がしてしまったことを大変後悔しております。 特別な孝行はもちろん、なんで数年間まともに会いにすら行かなかったんだろう…そんなどうしようもないことばかり考えてしまい、自分勝手で最低な孫だったと謝りたい気持ちでいっぱいです。取り返しがつきません。 祖母がその日を迎えるまで、可能な限り会いに行きたいと思っています。 もう遅すぎるかもしれませんが、祖母に謝罪と感謝を伝えたい。 意識がなくとも、思いを伝えることはできるのでしょうか。 母方の祖父母はまだ元気で、身内の死を間近にすることは初めてです。 自分が生み出してしまった後悔であることは承知しておりますが、数日間悲しみに暮れております。 こんな身勝手で未熟者の私に、なにかご教示いただけましたら幸いです。 よろしくお願い申し上げます。
父が余命半年となりました。コロナ禍で会いに行くことができずとても辛いです。 毎年年末年始には帰るようにしていましたが、コロナ禍で去年は帰省して居ませんでした。 今年の5月ごろに癌が見つかり、治療を続けていましたが、効果はなく、8月に脳梗塞を併発し、現在は失語状態で意思疎通はとれなくなりました。 抗がん剤治療が始まってからも元気で、脳梗塞を起こす前も元気だったため信じられない気持ちもあり、心の整理がつきません。 もう一度話したいし、ありがとうと伝えたいけど、もう父には伝わらないことが悲しいです。せめてそばに行って、肩を揉んだりしてあげたいけどそれも叶いません。 結婚もして居ないし、何も親孝行をしていないです。ただ悲しい気持ちでいっぱいです。 親の死を意識した事がなく、どう受け入れたら良いのかわかりません。
妹がいきなり意識不明の重体になってしまいました。7月頭ごろから、めまいや手足の違和感、足が上がらなくなるなどの症状があり内科や整形外科、耳鼻科など様々な病院を受診していました。最終的に脳神経外科を受診し、髄膜炎の疑いありで紹介状をもらって総合病院を受診、即日入院となり検査と治療を変更して行っていました。 が、入院から五日後の深夜に嘔吐や痙攣を発症、朝には心停止となり、救命措置を受けて現在意識不明の重体、人工呼吸器をつけている状態です。 妹はまだ20代半ばで、この世でやりたいこともたくさんあると思います。本人もまさかこんなことになるとは思っていなかったと思います。5日目の深夜に急変する数時間前には母や私や私の息子とテレビ電話をしていたのに、どうしてこんなことになってしまったんでしょう。具合悪そうだけど入院しているから、安心だね。と母と話していましたが、妹が深夜に頭痛や嘔吐をしていたにも関わらず病院は朝まで何の処置も行ってくれませんでした。朝になってようやく再検査をしてその最中に心停止をいきなりしたと説明されました。妹はお盆明けに検査結果が出揃うから、それまで頭痛いのは我慢して結果出揃ってから正確な治療をしてもらう!と言っていましたが、実際お医者さんからは検査結果はまだまだ出揃わないよ。と言われて、ショックでたまりませんでした。盆明けには結果が出揃うと思って妹は我慢していたのに… 自発呼吸がないとのことで、お医者さんからは厳しい状態だと言われていますが、とてもじゃないけど受け入れられそうにありませんし、お医者さん、病院に対する不信感も拭えずやり場のない感情に呑まれています。 私は、絶対に良くなって、また前のように会話したり、遊んだりできると思っていますが、お医者さんから言われたことを受け入れて覚悟をしていたほうが良いのでしょうか。 女で一人で苦労して私達を育ててくれた母もかなり憔悴していて見ていられません。順風満帆からは程遠い貧乏家族でしたが、家族がいるから頑張ってみんなで乗り越えてこられたのに。三人兄弟の一番下が卒業して家族がいよいよみんな独り立ちだね!と言って喜んでいた矢先にどうして妹がこんなことになってしまったのでしょうか。友達も多く、明るく、今までも病気一つしたことがない健康体だったのに。 泣き暮らすばかりでどのような心持ちで過ごしていいのか分かりません。
こちらで度々質問させていただいています、るると申します。 私の伯父がある重い病で余命一年と宣告されました。 伯父は日に日に病状が重くなり生活に支障が出てきているのと、今後への不安でかなり混乱しているそうです。 私は以前、浄土真宗である実家のお寺のご法話で「南無阿弥陀仏は感謝と報恩の言葉」と聞きました。 しかし、今病に苦しむ伯父に「仏様に感謝して生きよう」なんてとても言えません。 また浄土真宗ではご祈祷をしない、願い事をしないとも教えていただいたため、真宗門徒の私は伯父の病に対してどんな気持ちを持ったらいいのかわかりません。 重い病に苦しむ人間を阿弥陀様はどう見ているのでしょうか。 真宗門徒の私はどんな心持ちで伯父を見守っていけばいいのでしょうか。
8年前に脳出血で倒れて施設暮らしだった父が、1,2ヶ月前から体調が優れず、とうとう麻痺側の足が壊死、そして今週急変し、持ち直したものの、もうそんなに長くはないという状況になりました。 もう80だし、この8年間施設でずっと暮らしてきた父には早く来世を楽しんでほしいという思いと、別れの時間が近づいてきている寂しさで毎日が辛いです。 覚悟を決めているつもりですが、涙が止まりません。 親の死への考え方、ご教授頂きたいです。
大学1年生のものです。GWのため実家に戻ってきたのですが祖父の余命があと2.3ヶ月だと知りました。 去年一度倒れてしまいましたが持ちなおし、普通に過ごせていたのですがもうダメなようです。 先日祖父母の家に行ったのですが、ほとんどベットに横になっていました。頑張って話そうとしてくれていたのに、話していると私が泣きそうになってしまい、あまり顔も見れず、少ししか話せませんでした。今になってもっと話せばよかったと後悔してしまいます。会いたいですが、会いたくないようなうまく気持ちの整理ができません。元から涙もろく、祖父のことを考えてしまい今も涙が止まりません。いつかは誰しも亡くなってしまいますが、身近な人がなくなることは初めてです。祖父のことばかり考えてしまい辛いです。うまく切り替えられる方法を教えていただきたいです。