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「後悔したとき・後悔を乗り切る」問答(Q&A)一覧

後悔ばかりの人生

人生が詰みの状態です。 5年ほど前、天職だと思える仕事に就きました。自分がやってみたいと思っていた事で認められ、毎日が本当に楽しくて輝いていました。 ですが、社内恋愛の末、交際相手から手酷く振られたうえに、信頼していた人からのレイプ未遂が重なり、人間不信から心が折れて退職。 その後、これまでとは全く別の仕事に転職。最初は仕事を任されていることや頼られていることにやり甲斐を感じていました。 しかし思った以上の激務と、父親の病気で収入が途絶えて実家が家庭内不和になったことで、精神はボロボロに。 どうにか日々を乗り越え、やっとことが落ち着き、あとは幸せ一直線だな思いながら長年片思いをしている相手と飲みに行くと肉体関係に…ダメだと分かっていたのに。更にそれを感じ取った異性からは軽い女扱いで誘いは尽きず。仕事に集中できずミスが続き自信も喪失。今の職場も最早これまでかと思っています。 何故同じことが繰り返されるのだろう、繰り返してしまったんだろうと後悔と反省の連続です。 私には仕事も恋愛も向いていないのかもしれません。でもどちらも頑張りたいし、人並みの幸せを手に入れたいです。 後悔ばかりの人生、泥だらけの人生を正して、好きな人や好きな物を選んで真っ直ぐに生きたいです。 でもまた同じような結末が待っている気がして、動き出す勇気がわきません。 私は誰かに必要とされ、愛されることはあるのでしょうか。過去を消すことはできませんが、乗り越えて強くなることはできるでしょうか。どうすればこれまでとは違う、真っ当な人生を歩めるでしょうか。今の仕事を続けるべきなのかも分かりません… 何か助言をいただけると幸いです。

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過去の後悔に縛られている

こんにちは、地方に住むアラサーの会社員です。 過去の後悔(あれをやっておけばよかった、やりたかったことが出来なかった)を日常の中で度々思い出し、虚しい気持ちになります。 もともと好奇心旺盛な人間でした。高校を卒業したら好きな英語の勉強をしたく留学を祈願しましたが、金銭的な理由で却下。せめて国内で英語の勉強をと思い、行きたい大学があるも親に「将来どうするの?」と言われ、気が弱いわたしはそこで進学を諦めてしまい、実家から近い医療関係の資格がとれる大学に行きました。 進学した大学では、自分の思い描いていたキャンパスライフとは真逆であり、飲み会やサークルなど楽しみたかったのですが、全くといって無縁の生活を送りました。その当時はその生活で良い、と思っていたはずですが、アラサーになった今、もっと自分の意見を通してやりたい勉強を行えばよかった、もっと積極的に交流の場に行けば良かった、など後悔がおさまりません。 学生時代は生涯1回だけです。もう絶対に取り返せない物を手に入れたくて仕方がありません。今までの人生、自分で決断をしたことがあるだろうか?と、この年齢になってこのような考えを持ってしまい、虚しい気持ちになる時間が多くなりました。 過去の後悔から脱却したいです。こんな幼稚なわたしにご教示いただけないでしょうか。

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母に謝ってやり直したい 過去が恥ずかしい

結論から言うと私が悩んでいることは ・過去の自己中心的な行動がとにかく恥ずかしい ・母や弟を傷つけたことを後悔している ・母に謝りたい の3つです。 1つ目は書いてある通り、他人の気持ちを考えず生きてきました。 こんな私でも友達はいましたが、通信高校に転校したことや、受験生で自分から連絡を絶ってしまったことで連絡を取ることも減りました。 2つ目の母や弟を傷つけたというのは、私が父から虐待を受けていた事に文句を言い母や弟に暴言を吐きまくっていたことです。 当時は誰も助けてくれなかったという意識が強かったのですが、今考えると母はとにかく頑張っていたと思います。 私のせいで2人の性格は以前より荒れていると思います。 3つ目の母に謝りたいというのは2つ目の理由についてです。 どれだけ頑張っても文句の言う父に似た娘がいるという事がどれほど辛いことか、1人で子供を育てることがどれほど大変なことか、もっと考えるべきでした。 先程謝罪の手紙を部屋に置いてきましたが読んでくれたかどうか........ 長々と書いてしまいすみません。 全部改善してやり直したいです。こんなどうしようもない人間で恥ずかしいです。

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進路選択 取り返しのつかない後悔

現在27歳の社会人です。 人生の重大な分岐点における選択ミスから生じる激しい後悔に関しての相談です。 私は10年前、高校生の進路を決める時期にノイローゼ状態でした。当時は私立最高峰の大学を本気で高校1年生から目指していました。 しかし、受験のプレッシャーから最後の最後で逃げてしまい、推薦で楽に行ける下位の大学に進学しました。 今からするとどう考えても行く気の起こらないような大学で、なぜそんなのところを選んでしまったのか当時の自分が全く理解できません。 また、推薦で他にも良い大学があったのに、何故か今考えると到底納得できない大学に進んでしまいました。 進学後も再受験を考えましたが、結局卒業してしまいました。 大学受験は就職活動と並び、人生の一大イベントです。男にとっては天下分け目の関ヶ原の戦いだと思います。 もちろん、学歴などつまらない指標ですし、そんなことにこだりすぎるなど、下劣な人間だと自覚しています。 しかし、戦いに逃げてしまったことで男としての自信を失ってしまいました。 これは自己肯定感の低さにつながり、人間関係、異性関係で失敗し続けたり、就職活動その他弊害ばかり生まれてしまいました。 自信を取り返すべく、文系ながら上位の大学の大学院に進学し直したり、数多くの資格を取得したりしました。 また、海外留学や海外旅行をしたり、自己啓発本をとんでもない数読破したり、多くの人と接して色々な価値観な触れるなど、とても活動的に必死に生きてきました。 しかし、10年たった今、やらなかった後悔は色褪せることは全くありません。 学歴にコンプレックスもありますが、それよりも肝心な時に頑張れなかった男というイメージが鮮明に脳裏に毎日フラッシュバックされ続けるのです。 もちろん、他にも仕事やプライベートの目標など、エネルギーを割かなければならない部分はたくさんあります。 しかし、どんなに頑張っても過去の後悔に引きずりこまれてしまいます。 このように人生の分岐点での選択ミスによる激しい後悔へはどう向き合って生きていけば良いのでしょうか? 残りの20代を後悔だけに支配されずに幸せに生きて生きたいと思っています。

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好物を「神に捧げた」と言ってしまった

大好物を我慢するために「神に捧げた」と言ってしまい、食べられなくなってしまいました。 初めて質問させていただきます。 以前勤めていた職場の上司が禁煙を始めた際、私も自主的に、大好物のある洋菓子を我慢することにしました。 上司への好意や応援・尊敬の気持ちから行ったのではなく、自分が物凄く仕事の出来ない部下であったため、「実はあなたが我慢している間、私も好きなものを我慢して頑張っていたんですよ」という見当違いの努力をいつかアピールしたいという下心から始めたことだったと思います。 毎日のように食べていた大好物のその洋菓子は太りやすく、あまり健康に良いとは言えない食べ物のため、ダイエットも兼ねて、家族や周囲には「〇〇(大好物)は神に捧げた(ので食べない)」と公言し、実際に我慢してきました。 しかし上司が禁煙をやめ、以前の職場を退職して努力アピールの機会や理由を失ったにもかかわらず、1年以上大好物を食べていません。 食べたくてたまらないのに、食べるのが怖くなってしまいました。 覚えていないのですが、何かのお参りの際に大好物を我慢することを「願掛け」的に神様にご報告してしまったかもしれませんし、何より「神に捧げた」という表現を何度も使ってしまったため、その食べ物をいま自分が食べてしまったら、何か自分や大切な人にとんでもないバチが当たるのではないかと怖いのです。 その恐ろしさと、また大好物を食べたいという気持ちが葛藤しています。 小さい願望で本当に情けないのですが、この世で1番大好きな洋菓子なので、一生食べられないと思うと悲しくてなりません。 一度でも「捧げる」などと言ってしまった自分の考えのなさを後悔するばかりです。 しかし他方で、あんなに捧げると言って我慢してきたのにまた食べ始める意志の弱いやつ、と周囲に白い目で見られることが恥ずかしい気持ちもあり、自分の浅い行動への報いとして、もう二度と食べない方がいいのか?とも思い苦しくなります。 神に捧げた、という言葉を使ってしまったこの葛藤について、何かアドバイスを頂けましたら幸いです。 お忙しい中恐れ入りますが、何卒宜しくお願い申し上げます。

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色々な後悔、これからのこと

40代、結婚10年子供なしです。 結婚や出産に興味なく、子供の時からお金への不安を親から植えられていたせいか仕事をどうしても諦められない気持ちが強く、結局欲しいと思ったときに妊活しましたが出来ませんでした。夫婦2人の生活がこのあと続くのですが、やはり子供が欲しいと強く思えなかったんだろうか、女なら子どもが欲しいのが普通だったんだろうか、妊活に向き合う気持ちが薄すぎたんだろうか、邪心があったからできなかったのか、、と心が乱れまだこと人生を受け入れる準備が出来ていないように感じます。 不妊治療は遠方まで通院し、仕事の間に通って、家で注射したりと自分ではやることはやったのですが、世間でよく聞くような「やり切った感」はありません。 夫とはこれまで数えるしかSEXもなく、妊活も不妊治療にいきなり突入。夫婦生活もこの先ないまま女としても終わると思います。それでも夫と結婚して良かったとは思っています。 この人の子供がみたいとか、この人となら子育ても乗り切れそうと今なら思うのですが、結婚当初や不妊治療中はそう思えず、そう思えなかった自分も責めてしまいます。 今、自分、私を生きるしかないのは頭では理解するのですが、このところ今までの人生を振り返って、つい他の人の人生と比べてしまうこともあります。 今を生きるためにお知恵をいただければと思います。

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他人の意見を鵜呑みにして後悔、自己嫌悪

 新卒で入った会社で最初に配属された先が希望と異なり、入社依頼ずっと異動を希望してました。 配属先の仕事は全く自分に合っていませんでしたが異動のないまま3年目に突入し、 向いていない、希望もしていない仕事、別件での上司に対する不信感も拭えず、毎日毎日もう無理辞めたいと思っていました。  そんな折、突然人事との面談があり、前々から希望していた配属先の名前を出されました。人が辞めて空きがあったので希望すれば行くのはほぼ確実でした。  少し前ならすごく嬉しくて、やります!と喜んで言っていたと思います。 しかし、偶然にも面談の数日前に長く働いている先輩社員からその部署のよくない噂を聞かされ、あそこだけは絶対にやめておけ、兎に角だめ!と強く言われていました。私からはその部署の話は何もしていません。  今までならそのような他人の意見は無視していましたが、この時既にかなり心が参っていて冷静に考えられませんでした。 月の半分くらい仕事中でも涙が止まらないことがあり、日々の仕事をこなすのが精一杯で、こんな自分がそんな環境でやっていけるのか?という不安と恐怖で、 行きたくないです。と言ってしまいました。  正直、2年目の終わり頃には、今の部署から離れられるならどこでもいいから早く異動したいという考えになっていたので、ずっと望んでいた絶好の機会でした。 なので言ってしまってすぐに、何言ってんだよと思いましたが、それまで聞いた色んな悪い話が頭を駆け巡ってとうとう言い直すこともできませんでした。  結局今回も異動はなく、1,2年で異動と言われていたのが、いつか、に変わり異動の希望も持てず続ける気力もなく退職に至りました。  最近になってこの時のことを思い出して、あの時自分の意志を曲げずにいたら、 なぜ言うことを聞いたのかなど、ぐるぐる考えて眠れず、明け方目が腫れるまで一晩中泣いている時があります。  当時は、意見を参考にしたのは自分だから、思い通りいかなくてもこれは自分の責任だと心にもって決断したつもりでした。 でもつらくなるとどうしても先輩の言動と今の状況を結びつけて考えてしまいます。  今更どうにかなることでもないのに、こんなことを考えてしまう自分が嫌です。現状から逃れるための言い訳に過ぎないのは分かっていますが、後悔の無限ループから抜け出せません。

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就職のタイミングを逃して後悔

はじめまして。28歳の男性です。 コミュニケーションに自信がなかったこと、自由を奪われるのではと怖かったこと、そして祖父母の支援があったので、4年前に大学を卒業しましたが就活をせず、今までアルバイトを少ししながらのんびり過ごしてきました。海外に半年間の語学留学までさせてもらっていました。国内外でいろいろな人とかかわって、苦手だったコミュニケーションも自信がつきました。 しかし、この春がいわゆる第二新卒として就職をする最後のチャンスだったと、先月気がつきました。興味があって説明会に何度か行った会社も、もう年齢的に受けられないと知り、自分が就活を引き伸ばしていたことを激しく後悔しています。先月からは、毎日毎日その後悔ばかりです。 やはり前に進むのが怖いのでしょうか。社会に出るのに、その会社に入るのがぼくが一番望んでいたし、やりやすかった方法だったと思うんです。その会社でやりたい仕事もたくさんイメージがあります。 とにかく、毎日の後悔にもう疲れました。後悔ばかりではいけないと、転職サイトに登録して相談したり、友人にアドバイスをもらったり、求人を探したり、現実的に動こうとはしています。けれど、どれだけ現実的に動いても、頭のなかで後悔し続けるのは終わりません。 後悔で疲れたまま現実的に就活のため動くのも、なんかブレーキをかけながらアクセルを踏むようで、車が…体がどんどん疲弊していきそうです。 休息がほしいです。

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大学時代を後悔

いつもサイトを拝読しています。悩みが腑に落ちる感じがして、ありがたいです。 はじめて投稿させていただきます。よろしくお願いします。 社会人一年目です。大学時代の後悔がふつふつと浮かんできます。 主な後悔は、人間関係とゼミです。 私は、中高一貫校出身です。中学の時に、人間関係で失敗し、自分は嫌われ者だという意識の中で生活していました。実際、高校時代の嫌われ度合いはすごかったです。悪口もたくさん言われました。それから、人と関わることがとても怖くなりました。中高生活の中で、自分のダメなところを何度も何度も反省して、自分を責めながら生きてきました。余暇は大概自分の粗探しに消えていたように思います。 大学に入ってからは、やり直そうとと思い、サークルに入ったりして人との交流を広めたりしました。しかし、やはり、人の集団に入るのが怖く、サークルでも自分は多くの人と関われなかったという後悔があります。これが一つ目の後悔です。 二つ目の後悔はゼミです。 分野から選んだため、ゆるく、やることがあまりないゼミだとは知らずに入り、学びを深めることも、ゼミ生と交流を深めることもあまりできませんでした。 また、教授に嫌われている気がして、辛かったです。自分と話す時だけ、テンションが低いです。自分が怖がりながら話していたせいもあるかと思います。自分は、人を怖がっていて、無表情で関わりづらい性格だと思います。また、自分が嫌われても仕方ないことをした、と自覚していることもあり、自業自得だと感じていました。 ゼミ自体が居づらかったです。ゼミは全体的に、仲良いということはなく、サボっている人も多かったです。やることがあまりなく、中身がないゼミでした。本当は自分から勉強するのが大学だというのはわかります。しかし、まだ、学び方さえ十分にわかっていない状態だったのです。このゼミに入っていなければ、もっとよい学生生活が送れたのではと、後悔しても仕方ないことが頭に浮かびます。 昨年はコロナで学生生活がなくなってしまった(皆同じだとは思うのですが)ことから、消化不良や、後悔ばかり浮かんできます。自分が完璧主義なせいもあるかと思うのですが、この後悔の念をどうすれば良いのでしょうか? 読んでいただき、ありがとうございました。よろしくお願いします。

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