こちらではいつもお世話になっております。五十代半ばの男性です。ここ何年か題名の通り、老病死を強く意識するようになりました。それまでは頭にはあったもののほとんど気にしないで生きて来ました。 (老)に関しては、平均寿命から残り何年いきられるか?とか実感するようになったり、いつの間にか回りやテレビで活躍する人達がみんな年下で、二回りも下もいたり。またあと数年で還暦というと愕然とします。なにもできないまま年だけとったように、そんなはずではなかったのに等と考えてしまいます。ケアはするようにしていますが体力も目に見えて衰えて来ました。白髪も増え、目も悪くなって来ました。 (病)(死)に関しては今のところ大きな健康問題はないのですが、両親を内臓系の悪性腫瘍で亡くしているので、毎年の人間ドックが異常に不安です。食生活に気を配り、毎日ウォーキングをしたり等てできる限りの事はしていますが、両親の闘病から亡くなるまでのつらい経験が恐怖を増しているのかもしれません。 老病死という誰もが避けられない苦が急に身近というか、現実見をおびてきた感じでしょうか。 普通に結婚して子供に恵まれ、企業の管理職として並みの生活、人生なのかもしれません。ただなぜか急に老病死が受け入れ難いのです。 これからの余生の心構えについて是非アドバイスを頂けますと深甚に存じます。
最近写真や鏡が怖くなりました。 元々見た目を気にする(鬱などもあったため)タイプで、実年齢より若く見えると言われてきましたが、最近(ここ半年くらい)急に顔が老けてきて、目の下のたるみなど酷くなりました。 写真、鏡など見ると嫌悪感がでてくるようになり、受け止め切れない自分も嫌悪してしまいパニックになります。 人は皆平等に老いて行く、当たり前のこと。 中身を磨いてその時その時を楽しんで生きていれば表情にでて若くみえるとか、大体そういうような励ましをされてきましたが、当たり障りないとなぁとヒネた見方しかできず、どうしても心が納得しないのです。 運動も何でも頑張っているのですが、八方塞がりで塞ぎぎみになってしまいます。 もちろん、これが愚かな質問とは分かっています。 それでも敢えてお伺いしたいのですが、何か打開策はないのでしょうか
天才子役とかJKブランドとか奇跡の〇〇歳とか史上最年少とかいう言葉が必要以上に推されているせいか、私の世代の歳をとることへの不安って本当に計り知れないし、大きすぎるし、しかもその不安がいわゆるJK自身から出てきたものではなくて周りの大人がつけたって事が腹立たしいです。 気にしなければいいとはいいますが、世間がそういう評価を突きつけてきます。 私もそうですが、日本はエイジズムやルッキズムが抜けておらず、女性の愚痴ツイートの悪者はだいたい「おじさん」とされ、30歳の男性には言わないのに女性には「おばさん」だと見られます。誹謗中傷も女性のほうが燃えやすいし、男性に起こる悪いことは全ておじさんのせいにされています。一部の偏った人たちのせいですごく生きづらいし、人目を気にする自分も嫌いです。女性の私がこう思うのなら、男性も少なからず不満に思う方がいるのではないかと思います。 歳をとることが怖いと思うことはありますか?女性/男性のほうが生きやすそうだと思うことはありますか? ずっとこんなことに囚われていることが苦しいです。
社会人もうすぐ10年目になりますが、最近物事に興味がわきません。 私は小さい頃からアニメやゲームが好きで、学生時代は寝食を忘れるほど熱中していました。 また、なんでもない景色や人の発言から空想したり、イラストを描くことも好きでした。 自分が空想の世界に惹かれ、世間知らずなところがあると思っていたので、就職が決まったときは「これからは地に足をつけた社会人になりたい」という気持ちがありました。 今の仕事は感情労働特有のしんどさこそありますが、ブラックな労働環境でもなく人間関係も悪くありません。 楽しいこともあるし、勉強になることもあります。 ただ、社会に出る前に感じていたような好奇心とかワクワク感とか想像力とか、そういう生きてる感覚が最近あまり感じられません。 好きだったゲームやアニメにも惰性的に触れている状態になってしまっています。 仕事や生活といった現実的なことで頭がいっぱいで、空想する元気がありません。 かといって新しい趣味も見付からず、最近は何を食べたいのかもよく分からなくなってきました。 時折無性に寂しさや焦りのようなものを感じます。 これらの気持ちとの付き合い方のようなものがあれば、ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いします。
鏡に映る自分が老い衰え醜くて涙が出ます。 夫は私から去りました。私もそれを望みました。これ以上の苦しみは耐えられないと思ったからです。 今の自分の姿を見れば誰でも逃げ出したくなるのがわかります。 夫の愛人問題に振り回されて笑顔も出なくなり、クヨクヨ愚痴を言い続け、生きているのかどうかもわからない様な有様で。 髪もパサパサになり、顔もシミとしわばかりです。 一回り年下の夫の愛人は、「迷惑かけるけどずっと一緒にいて下さい」、とメッセージカードを夫に送るような可愛らしさです。Facebookの彼女を見ても、はつらつと若く明るく楽しそうで、南無阿弥陀、と書いては夫と息ぴったりな様子です。 全ての感情が無くなればいいのに。これから、二人が夫婦になるのかもと思うと憎まずにいられません。
こんばんは。 老後の不安が次から次へ出てきてしまいます。 結婚しましたが、子もなく、万が一自分が一人になってしまったらどうしよう、老人ホームのシステムは?など、調べて一人で苦しくなる始末です。 今考えても仕方のない事ではあるのですが、 何をやっていても浮かんできてしまいます。 花が今を一生懸命に咲き誇っているように、目の前のことに集中し、今、気持ちを楽に過ごしたいのです。 先のことを考えなくても良い方法を教えて下さい。宜しくお願い致します。
お世話になります。宜しくお願いします。 老人ホームで勤務しております。 勤務時は、記録、連絡等は私任せです。 また、主任はサボり放題、一部の職員も合わせて御利用者様へ虐待手前の介護対応、不真面目です。真面目に働く職員達が情けなく、見るに見かねるのが現状です。入社して日は経ちましたが、御指導や迷惑かけている部分もあって先輩方に注意しにくいです。上司も見て見ぬふりです。 転職したいのですが義両親と小さい子供もいる為、休みやすいのがメリットなだけで他は全くありません。体力的、精神的にもまいってます。
新たに資格取得し転職してもワーキングプアなままかわりません。 このまま老後まですぎてくのかと思うとやりきれません。 ずっと一人のまま楽しみも何もない。 ワーキングプアでは老後の見通し以前に海外旅行もいけません。 毎月すべて生活費にきえてくだけです。 50代になってから医学部入るとかいう人いますけど調べたら元々東大卒でそれだけの能力がある人です。低学力で50代で医学部には入れません。 それに世の中何するにも金がかかります。習い事もどこかにいくにもかかります。資格も大学で単位取得しないと受験資格ないものは授業料払えないととれません。今後も授業料払える給与はえられません。 自給自足でもできればいいですが畑仕事は嫌いなのでできません。 何をするにも遅くないというけど遅いことだらけ、できない事だらけで何かする気がおきません。やったってどうせ何もかわらないというのが現実。 このままワーキングプアでしなない程度に生きてくしかないなと。
「年老いた親の姿は、自分の将来の姿」 某年某月某日、読売新聞の「人生案内」欄で、ある回答者が、こう書いていました。 そうであるならば、もはや私に生きる価値はありません。両親の最期も看取り、さらにその思いは強まりました。 先日、スウェーデンの元パラリンピック選手が、安楽死を選択したというニュースが、流れました。私は、考えさせられました。 11月8日の亡き父、同9日の亡き母の誕生日を前に、墓参りに行きました。お墓に問いかけましたが、答えが得られるわけがないですよね。 「定命」という言葉があります。老醜を晒すのが確実で、生きる価値がないとわかっていても、自ら死期を早めることなく、定命に従うのが筋なのでしょうか?
こんにちは。 最近、とんかつやチキンカツを食べるのがきつくなってきました。 チキンステーキ はいけます。 かにクリームコロッケも大丈夫です。 やはり寄る年には勝てないのでしょうか? よろしくお願いいたします。
初めての投稿なので文章が少々分かりにくいかもしれませんがご了承ください。 私の父親は50代後半、母親は50代前半です。 私はもうすぐ60代になる両親を見て、心がズキリと痛みます。 「誰もいつか死ぬのは当たり前」「命の終わりに年齢は関係ない」「それまでいっぱい親孝行すればいい」と分かっていますが、日ごとにつれ、少しずつ老いていく両親を見るだけで、不安と悲しみと辛さでいっぱいになります。 一体どのような気持ちで受け入れればいいかも、怖くてわからなくて…、いつも泣いてばかりの私です。 P.S 父親は7月頃に心筋梗塞と診断されて以来、塩分や糖分などを控えた食事制限をしています。 母親は特に大病などはなく健在です。
よろしくお願いします。 年を重ね、顔のしわや増える白髪、鍛えても弛む体にもうウンザリです。 元々派手な服や髪型、ピンヒール(フリルとかミニスカートとか若い子の服を着たがるのではないです、普通では着ないような個性的なカットのデザインです。髪はスキンヘッドだったり)が 好きですが、その年でと人に笑われるようになり、じゃあ笑われないようにと着たくもない、よくあるオバサン風のダボダボ服にペッタンコシューズを履いてショルダーバッグを斜めにかけて歩くスタイルもこれまた苦痛です。 生きている限り年を取り容姿が衰えるのは仕方ない事とはいえ、私にとってそれは怖いし苦痛です。 大好きな美容やおしゃれに力を入れてももう無駄なら、誉められるどころか馬鹿にされるだけなら、乱暴な言い方ですが今すぐこの場で消えてしまいたいです。 残りの人生、顔はシミしわだらけの白髪頭、ダサい服を着た醜いオバサンと他人から見られるのは耐えられません。
おはようございます。 度々お世話になり、ありがとうございます。 私の最近の心の中を聞いて頂きたく、よろしくお願います。 退職まであと一年弱、私の役割は凄く大変で常に仕事のことが頭の中にあってホッとできる時間が無いように感じます。自分にそれだけの能力が無いからだと思いますが…でも あと少しなので精一杯努力しようと思ってますが、こういう時に仕事だけに集中できない状況になります。 実家の母の依存ですが、高齢なので仕方がないのは分かってますが。 精神疾患の末の弟の入院、次に母が鬱になり入院、その後の通院、週一の買い物… 全て今の私に取って負担で面倒です。 仕事してないなら別に負担でもないとは思いますが、とにかく仕事で頑張ろう!と思うと、実家の問題が私に来ます。 すぐ下の弟は私に任せっきりで、たまに来るくらいで、好きな事をやっています。 還暦過ぎて、私に残された人生もそんなに長くないし、体力もなくなったし、 そんな時に実家の事まで私任せだし。 仕事は大変で負担だけど、休みの日に朝起きたら空しい気持ちになり、辞めてしまったら空の巣症候群になりそうだし。 人間年を取るってこんな事なのでしょうか? 若返る訳でもないので、こんな感じで年取っていくのが何とも言えない気持ちです。こんな私でも、近々孫ちゃんも生まれる予定だし、息子達は優しくて気を使ってくれます。私はいつも明るく楽しく生きていきたい!と思っていますが… こんな私に何かお言葉をお願いします。
私は対人恐怖や社交不安による病気の側面もあること念頭に、聞いてください。 普段街中を歩いてるといわゆる、団塊世代の60代過ぎのおっさんの行動が気になります。 手をポケットに突っ込んで、余裕かまして周囲を見渡す感じが見ていてイラつきます。 自分はこんな安っぽい心のこんなやつの様にはなりたくないです。万が一見た目通りじゃない方としてもそれを詮索する我が心の余裕はゼロ。 引き寄せの法則で且つこんな安っぽい老害に虚勢を張ってる自分がいます。時間の無駄、情けないです。 あーこんな奴まともに相手するだけ、意識するだけ損だ!と理屈でわかってても抵抗しないと納得出来ません。つまりわかっていません。 このままだと、自分もこいつらみたいに老害と言われかねません、残りの人生穏やかに、来世も人間として産まれたい。 明らかに理不尽な事、またはされたと想像したら直接相手に物申したい。しかし場合によっては何をされるか分からないこのご時世。 チキンな私は泰然自若になれません。 お坊さんなら、もし身近に不本意な不利益な状況が降りかかってきたら、どう対処してますか? アドバイス下さい。 アンガーマネジメント意識するも、先頭態勢入ると、何処かプッツンしてしまいます。
こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。
当方、癌治療の影響もあると思うのですが、年々体のあちこちが痛み、また疲れやすく、疲れがとれにくくなりました。、 ここ最近は、とみに老化を感じ、次第に不自由になる体に「苦」を感じています。 中年期・高年期のお坊様は、どのように心の中でご自分の「老」と折り合いつけるといいますか、向き合われていらっしゃるのでしょうか。 参考にしたく、お伺いいたします。
タイトルの通り老いの受け入れ方をアドバイス下さい。 独身、子なしの人生です。仕事、友人、健康には恵まれています。それなりに楽しい人生ですが、将来の不安と体の老化に心が苦しい時間が日々増えています。長寿の家系です。これからの人生を前向きに生きる考え方や知恵を教えて頂きたいです。
初めて質問させて頂きます。 今月末で60歳です。家族構成は 主人(56歳)と2人です。私には子供がなく 兄弟もおりません。 主人は前妻との間に 子供が2人おり 連絡を取り 会いにも行っているようですが 私は 会った事がありません。 現在 借家住まいで 貯金という程の蓄えもなく 主人の安月給で 何とか暮らしていますが ここ数年 主人が体調が悪いなどと言うようになり 万が一病気や 最悪 死亡した場合(死亡保険等ありません) 天涯孤独になってしまいますので とても寂しく不安です。 どのような心構えが良いのでしょうか?
母が年末から体調をこわし、元旦の夜中は大変でした。母はゲッソリでしたし、私は走り回っていたところ、兄が眉間にシワを寄せていました。寝れない、と文句まで。 一番しんどいのは母です。しかも母が一番に信頼していた兄の様子にショックのようです。 寒くなってから時々、体力的にも精神的にも母の老いを痛感します。 洗濯を手伝ったり、夕飯の準備を手伝ったりしています。早く終える事が出来ると喜ばれます。 着替える時に洋服をコタツの中で温めてあげたりしています。温かいと喜ばれます。 そんな一言が嬉しいです。 うまくいかない母でも、そんな一言から老いをさらに感じます。 できる範囲で守ってあげたい、と思います。
母の肩幅がひとまわり小さくなった気がします。歳をとったんだな、と実感しました。 ひと月に一度ほど兄が帰ってきますが、母が理解できない事を、なぜ分からないのか本人に愚痴をいいます。コタツの中でゲームをし、ご飯も据え膳上げ膳。 理解できなくなるのも老いた、という事なんだと思います。 なるべく母を手伝うようにしていますが、兄が帰ってくるたび、私もヘトヘトです。とにかくゲームで、何もしないから。 そんな中、母も終活を考えています。最期は自宅で死ぬ、と言っています。 それを聞いて困っています。私ひとりで仕事をしながら介護、看病が待っています。 兄が帰省した時の事を考えると、または、実家から通勤可能な範囲で通える転機があった時の事を考えるとゾッとします。 老いを、死をどうむかえるか、こちらも大きな課題です。