hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

私の生きる価値(老醜)

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

「年老いた親の姿は、自分の将来の姿」
某年某月某日、読売新聞の「人生案内」欄で、ある回答者が、こう書いていました。
そうであるならば、もはや私に生きる価値はありません。両親の最期も看取り、さらにその思いは強まりました。

先日、スウェーデンの元パラリンピック選手が、安楽死を選択したというニュースが、流れました。私は、考えさせられました。

11月8日の亡き父、同9日の亡き母の誕生日を前に、墓参りに行きました。お墓に問いかけましたが、答えが得られるわけがないですよね。

「定命」という言葉があります。老醜を晒すのが確実で、生きる価値がないとわかっていても、自ら死期を早めることなく、定命に従うのが筋なのでしょうか?

2019年11月7日 13:34

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

生きる価値は、自分で見出すものです。

「年老いた親の姿は、自分の将来の姿」かもしれませんが、全く別の自分も存在するとも言えます。
たしかに、外見的には、歳を重ねるごとに、体力は落ち、腰は曲がり、歯も抜け、頭髪も無くなり、内臓も弱り、どんどんと醜くなっていく。これは自然の法則で避けようがありません。お釈迦様でも生老病死は避けられないと諭されていますので仕方ありません。しかし、あくまで何もケア(お手入れ、健康診断、運動等)しなければそうなるでしょう。ということで、そのような外見的なことをまず語ったことかと思います。
しかし、もちろん、それだけではありません。心の面もとなれば、さらに多くのことが言えるでしょう。そして、自分が親にしてきたこと(親孝行も含め)どうであったが、今度自分が子からそうされるという意味もあるでしょう。ともあれ、すでにご両親は亡くなられたのですから、心からのご供養をしっかりと営んで頂き、嫌だった面は、そうならないように努力するしかありません。
私も、父の同じように頭の禿げ具合が似てきましたが、これはどうしょうもありません。

又、合わせて死ということに対しても、ご両親の生死観と違うと思います。乗り鉄さんも、改めて人間の死、身内の死を経験され、様々なことを考えたと思います。これからの人生の中に、「死」とはテーマとして学んでいかれたらどうでしょうか。

人の寿命は、神様が決めるものでもありません。自らこうして生きていこうと決めてきたのでしょうから、せっかく生きている間は、楽しく生きればいいのです。生きる価値がないと決めつければそうなりますが、まだまだ人生は長いです。
どうせ生きるなら、苦しく生きるより楽しく生きた方がいいに決まってます。
まずは、家の中に閉じ籠らず、外へ出かけましょう。
人生これからです。

2019年11月7日 18:57
{{count}}
有り難し
おきもち


日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

回答を頂き、ありがとうございます。
来年、「母の十三回忌」と「父の三回忌」を控えています。とりあえず、そちらを無事に済ませることに、注力します。
その後、改めてじっくり考えます。
ありがとうございました。

「老い・老後」問答一覧

老苦、死苦は未来人にも通用するか?

こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

天涯孤独な老後が心配、死後両親と会える?

天涯孤独な老後が心配です。 心を許せる友人も恋人もいません。そしてなにより、両親が大好きです。 結婚はおろか付き合いたいと思ったことすらありませんが、いずれ結婚して子供を産んで、と漠然と思っていました。 しかし出会いもなくネットやアプリは怖い、となれば今更結婚できる気も、体調的に子供を産める気もしません。 また、大好きな両親がいなくなってしまった時のことを考えると昼は何も手につかず夜も眠れないほど辛いです。 辛い時に支えてくれる人もなく誰にも頼ることのできない、天涯孤独の老後が心配で仕方ありません。 両親は私の心の支えです。 特に母は面白く明るい性格のため、母がいるとその場が明るくなります。太陽のような存在です。同じゲームもしています。 母がいない部屋がどれだけ静かになってしまうのか、想像しただけで寂しいです。 また両親に結婚相手を紹介したり孫に会うという世間一般での普通の経験をさせてあげられないことが申し訳ないです。 今のところ老後の支えは、死後両親に会って今のように楽しく過ごしたい、ということだけです。 死後なので過ごす、という表現は違うかもしれませんが、両親にお迎えされ同じ場所へ行き一緒にいたいのです。 そこでお尋ねしたいことは、 1、死後両親と再会し共にいられますか? 恐らく私は孤独死してしまうと思うのですが、それでも両親に会って一緒にいられるでしょうか? 2、色々調べている中で未練があると成仏できないとありましたが、もし両親か私がお互いが心配で成仏できていなかった場合、私の死後両親と会って共に成仏?再会し一緒にいられるでしょうか? 3、もし両親や私が認知症になってしまって生前お互いを認知できなくなってしまっていた場合、死後お互いを認知できますか?両親と再会し一緒にいられますか? 私はとにかく死後も大好きな両親と一緒にいたい、それだけです。 会える、一緒にいられるのなら天涯孤独で寂しくてもそれを楽しみに生きていけるような気がします。 若いうちから今後や老後の心配して今を楽しめていない自分も辛く、勝手にうつになりそうです。 どうか今の私を救ってください。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

歳を重ねることへの不安があります

久しぶりに相談させて頂きます。 私は30代前半の女性ですが、歳を重ねることに恐怖や不安ばかり感じます。 きっかけは、自分の体型に関することでした。 30歳になって半年経った頃から、明らかに太りやすくなったのです。 私は甘い物を食べる事が大好きで、今まではどれだけ食べても普通体型でいられたのに、運動しても食べる物に気をつけても中々痩せず、ひたすらダイエット食品とサプリを買い漁りました。 体型が変わっていくことが耐えられず、定期的に断食する日を作る始末で、今でもそれは変わっていません。 これは歳をとったのだから仕方のないことだと頭では分かるのですが、中々その事を気持ちの上で受け入れられないのです。 相談したいのはここからです。 30代になってすぐにこれで、これから先歳を重ねてもっと色々と変化を迎えるにあたり、どのような心構えをしておくべきかアドバイスを頂きたいのです。 身近な人には言えませんが、体型が維持できないというだけで、時には死にたいとまで思ってしまい、このままさらに歳を重ねることに不安が絶えません。 変化を受け入れるには、どのような考え方をすればいいのでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

五十代からの老病死のとらえかた

こちらではいつもお世話になっております。五十代半ばの男性です。ここ何年か題名の通り、老病死を強く意識するようになりました。それまでは頭にはあったもののほとんど気にしないで生きて来ました。 (老)に関しては、平均寿命から残り何年いきられるか?とか実感するようになったり、いつの間にか回りやテレビで活躍する人達がみんな年下で、二回りも下もいたり。またあと数年で還暦というと愕然とします。なにもできないまま年だけとったように、そんなはずではなかったのに等と考えてしまいます。ケアはするようにしていますが体力も目に見えて衰えて来ました。白髪も増え、目も悪くなって来ました。 (病)(死)に関しては今のところ大きな健康問題はないのですが、両親を内臓系の悪性腫瘍で亡くしているので、毎年の人間ドックが異常に不安です。食生活に気を配り、毎日ウォーキングをしたり等てできる限りの事はしていますが、両親の闘病から亡くなるまでのつらい経験が恐怖を増しているのかもしれません。 老病死という誰もが避けられない苦が急に身近というか、現実見をおびてきた感じでしょうか。 普通に結婚して子供に恵まれ、企業の管理職として並みの生活、人生なのかもしれません。ただなぜか急に老病死が受け入れ難いのです。 これからの余生の心構えについて是非アドバイスを頂けますと深甚に存じます。

有り難し有り難し 22
回答数回答 2

老化ですか?

社会人もうすぐ10年目になりますが、最近物事に興味がわきません。 私は小さい頃からアニメやゲームが好きで、学生時代は寝食を忘れるほど熱中していました。 また、なんでもない景色や人の発言から空想したり、イラストを描くことも好きでした。 自分が空想の世界に惹かれ、世間知らずなところがあると思っていたので、就職が決まったときは「これからは地に足をつけた社会人になりたい」という気持ちがありました。 今の仕事は感情労働特有のしんどさこそありますが、ブラックな労働環境でもなく人間関係も悪くありません。 楽しいこともあるし、勉強になることもあります。 ただ、社会に出る前に感じていたような好奇心とかワクワク感とか想像力とか、そういう生きてる感覚が最近あまり感じられません。 好きだったゲームやアニメにも惰性的に触れている状態になってしまっています。 仕事や生活といった現実的なことで頭がいっぱいで、空想する元気がありません。 かといって新しい趣味も見付からず、最近は何を食べたいのかもよく分からなくなってきました。 時折無性に寂しさや焦りのようなものを感じます。 これらの気持ちとの付き合い方のようなものがあれば、ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 35
回答数回答 3

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

仏教駆け込み寺 自殺防止・DV・虐待・鬱 相談窓口のご案内
hasunoha YouTubeリスト 回答層YouTuberのまとめ

関連コンテンツ

縁切り供養寺大法寺