2023/07/08生きる事がしんどく、疲れました。
こんにちは。
はじめまして。
私は臆病で怠け者です。
やる事を先延ばしにしたり、継続が苦手で、何かを続けているとある時窮屈さを覚えて辞めてしまいます。
そんな自分が嫌になり、20代の半ばに差し掛かる頃、やりたい事は先延ばさずにやろうと決めて、数年頑張りました。
しかし、徐々に克己心を使い続ける日々に疲れてしまい、この先死ぬ迄何十年もこんな事をしないといけないのかと思うと気が狂いそうになりました。
確かにそんな中でも充実感はありました。
結果もある程度は出て、自惚れの様ですが、こよまま続けていれば大きくとはいかなくとも、成功できるだろうと言う道筋は見えていました。
しかし、気付いたことがあり、それは目標を達成しても人生は続くのだと言う事です。この辛さを乗り越えれば、楽になる筈と頑張っていましたが、実際のところ、目標を達成すれば次の目標へ向かわなくてはならないのです。人生は頑張り続けないといけないのでした。
その無限とも言える様な日々の繰り返しを思い愕然としました。
人間は至らない存在だと思います。
とりわけ私は出来の悪い人間だと自覚しておりますが、その出来の悪さを都度都度反省しては改善するという営みの連続が人生の構造だと言う事に気づき疲れてしまいました。
行動して、至らなさを自覚して、改善しては、また冒頭に戻る。この無限のサイクルがとてもとても恐怖で苦痛です。
また、世の中には様々な人がいます。
優しい人、攻撃的な人、立派な人、他人の噂が好きな人。
1人の人間も良い部分悪い部分、様々な面を持ち合わせている事がわかりました。
しかし、世の中は文明が起こる前から、群れと群れで争い、群れの中では中で序列を作り争っている。
これは科学技術が発達し、豊かになった今も変わらぬ構造だと実感しています。
有能さや、優位性を証明し続けなければならない構造に嫌気がさしました。
私は他人にも自分にも負けたのです。
以前は悔しい思いをすると、それを糧に奮起していたのですが、ある時からその動機付けの虚しさや、その動機による行動に疲労を感じてしまい、気力がなくなってしまいました。
私は生きる事に向いていません。
甘えた人間です。それを正す為の努力ももう嫌になりました。
死ぬ迄改善の連続。努力の連続。
もう嫌です。
死にたいと思っています。
読んで頂いて有難うございます。
有り難し 6
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