優しさの原動力は何ですか?
回答僧の方々の優しさの原動力を伺いたいです。
前回の質問からハスノハ全体を色々見てみたのですが、回答僧の方が真摯に回答しても質問者からお礼が無い例も多く見かけました。また、僧侶としての活動の中で「何度も騙されてきました」と書かれている僧侶の方もいました。
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巷には、「優しい人ほど潰される社会」「いい人ほど早くこの世を去る」「正直者ほどバカを見る」などのフレーズがはびこっています。実際わたしも、「どうせ汚い世の中なのだから、多少性格悪くなくちゃ、やっていけない」「自分を守るためには、他人に対して多少反抗的でいないとナメられる」などの思いが浮かんでくることもあります。
また、犯罪者などで「真面目に生きてくのがバカバカしくなった」と犯罪をおかす人がいますが彼らの動機も共感できるところがあります。
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回答僧の方々のように人々の悩みに真摯に寄り添うには、人の気持ちに共感できる繊細な心が必要なのではないでしょうか?ですが繊細な心は同時に傷付きやすいものでもあります。
一方、社会ではたびたび人の感情もわからないような図太い神経の、図々しい人ほど幅をきかせているように見えてしまいます。(例えば、パート先のボス格いじわるオバちゃんとか?)
また、人の善意を消費して自分だけ利を得ようとする人など。
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何年にも渡って回答僧として活動されている方々はすごいと思いますし尊敬します。
その活動に必要な優しさの原動力はなんですか? また、「優しさ」と「社会でやっていく強さ」の両立はできますでしょうか?
私はまだまだ未熟者ですが出来るだけ人に優しくできる人になりたいです。そのためのヒントを得られたら、と願います。よろしくお願いします。
有り難し 208
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