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優しさの原動力は何ですか?

回答数回答 5
有り難し有り難し 208

回答僧の方々の優しさの原動力を伺いたいです。
前回の質問からハスノハ全体を色々見てみたのですが、回答僧の方が真摯に回答しても質問者からお礼が無い例も多く見かけました。また、僧侶としての活動の中で「何度も騙されてきました」と書かれている僧侶の方もいました。
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巷には、「優しい人ほど潰される社会」「いい人ほど早くこの世を去る」「正直者ほどバカを見る」などのフレーズがはびこっています。実際わたしも、「どうせ汚い世の中なのだから、多少性格悪くなくちゃ、やっていけない」「自分を守るためには、他人に対して多少反抗的でいないとナメられる」などの思いが浮かんでくることもあります。
また、犯罪者などで「真面目に生きてくのがバカバカしくなった」と犯罪をおかす人がいますが彼らの動機も共感できるところがあります。
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回答僧の方々のように人々の悩みに真摯に寄り添うには、人の気持ちに共感できる繊細な心が必要なのではないでしょうか?ですが繊細な心は同時に傷付きやすいものでもあります。
一方、社会ではたびたび人の感情もわからないような図太い神経の、図々しい人ほど幅をきかせているように見えてしまいます。(例えば、パート先のボス格いじわるオバちゃんとか?)
また、人の善意を消費して自分だけ利を得ようとする人など。
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何年にも渡って回答僧として活動されている方々はすごいと思いますし尊敬します。
その活動に必要な優しさの原動力はなんですか? また、「優しさ」と「社会でやっていく強さ」の両立はできますでしょうか?
私はまだまだ未熟者ですが出来るだけ人に優しくできる人になりたいです。そのためのヒントを得られたら、と願います。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「両立」はできる

こんにちは。

心遣いが有難いです。
回答僧について、「人の気持ちに共感できる繊細な心」を持っていると表現してくれています。「人の気持ち」に「繊細」さを感じている人だからこそ出てくる言葉ですね。

「人々の悩みに真摯に寄り添う」というのは、なかなか難しいことです。
「共感」をもって「寄り添う」のは大切ですが、時に厳しい問いかけをすることも必要で、相手には不本意なことでも「寄り添う」ことになるのだと私は思っています。

「質問者からお礼が無い例も多く見かけ」とあります。
よくお気づきですね。確かにガクッと来るときは正直あります。一つの悩みに対して、30分から1時間ほどかけて回答を書きます。この人が今の状況を改善するためには、こうか、それとも、と考えたのに、ノーリアクションだったり、有難うございました、の一言だけだと少し力が抜けるときがあります。

読んだのか、読んでないのか、何を有難うと思ったのか、思わなかったのか。
そう考えるときはあります。

しかし、その問答を見た誰かの何かを考えるご縁になっているだろうと、考えます。ご縁は無数に広がっていくものです。私が測り得るものなど、ほんの一部に過ぎない、と。

あなたは、「優しさの原動力」が何かとお尋ねです。
期待する回答ではないかもしれませんが、私はただご縁があっているからさせていただいている、ただそれだけだと思います。私に「力」があるわけではありません。ご縁あった方が「力」だと思ってくれれば、それは「力」になるのでしょう。

私の回答を「優しさ」と受け止める人もいれば、何もわかってない、ひどいと思う人もいると思います。しかし、私は私が思ったことを、その時々でただ書くだけです。

「優しさ」と「社会でやっていく強さ」の「両立」はできると思います。
ただ、自分の行いを「優しさ」だと思いすぎないこと。「優し」いと受け止めてくれる人ばかりではないということ。逆に受け止める人もいるということ。そのことを不条理だと思いつめないこと。相手には立場があるということ。

メンタルが強い、とか弱いという言葉に引きずられないこと。
鉄面皮が強くて、人間的なことが弱いなどという価値観に振り回されないこと。
そして、「繊細」は弱さのように見えて実は「強さ」にもなり得るということ。人を助け、心を動かす縁になり得る。

私はそう思います。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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Give-and-take

誰かが仰っていました。
「正しさ」を求めて動くのではなく「楽しさ」を原動力にするのだと。
物事を継続させるにはそれが一番だと。

職業柄と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、私達僧侶はこうした活動に対して、論拠をあまり難しく考えていないような気がするのです。
「目の前に現れた誰かに、そうしないと居られない気持ちが湧き、体が自然と動き出す」のような感じです。「もよおす」んです。

誰かの助けになればと思って働きかけ、そして何かしらのリアクションをいただければ、とても嬉しい。僧一人では微力ながらも、これだけ寄れば幾らかの力に変わるはず…そう思って活動しております。
と同時に我ら僧侶の側も助けられているような、学ばせてもらっているような不思議な感覚です。
以上のような考察ですが、個人的な感想が故、ご参考までに(^O^)

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現代は実に「背負い込んでる」人が多いと思う。 別に自分が背負い込まなくて...
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人の悩み苦しみに気づき役に立ちたいという強い気持ち

サキ 様 質問ありがとうございます。

優しの原動力ということですが、
自分と他人の悩み苦しみに気づき、その悩み苦しみを軽減していこうということに尽きると思います。
気づきが動機になり、軽減していこうとすることが行動力になっていきます。

そして、優しさや思いやりには、どのようにしたら苦しみや悩みから軽減・解放されるのかという知恵と、役に立ちたいという強い気持ち、勇気と責任感、そして、寛容さと温かさが特性として言われています。

さらに、この優しさや思いやりというのは、育んでいけるのです。
混沌とした社会の中でも、実践していけば、あなたの中で育てて、習得して、発揮していけるのです。つまり、「優しさ」と「社会でやっていく強さ」の両立ができるのです。

しかし、人は、過去の苦しい体験や哀しい体験から、優しさを受け取ることが出来なかったり、弱くなるかもしれないとか、甘やかしじゃないかと判断してしまって、優しさや思いやりを遮断してしまう時があります。

それでも、気づくという動機と軽減していくという行動に意識をむけて、また共感できる方々と繋がることによって、優しさや思いやり、つまり「慈悲」を育てて発揮していることができるようになります。特別な事ではありません、誰でも小さなことから実践すればできるようになっていくのです。

お釈迦様が、「母親が赤子を、命を懸けて守るように、命のあらん限り、慈しみの心を堅持せよ」とおっしゃっておられるのは、それが生きとし生けるものの生きていくうえで最も大切なことだからです。

まずは、優しさを上記のように理解していただいて、優しさを学んで実践していただければと思います。何か難しいとか、できないかもなんて思う時は、どうぞごまたご質問ください。
一礼
追伸:早速に、お礼メッセージありがとうございました。「身近な人達に何が出来るのか考え取り組んでいきたいと思います」は、素晴らしいと思います。そして自分にも思いやりや優しさを向けることも心掛けてみてください。勇気と責任と寛容さをもって自分に安らぎがもたらせるようにご自分を大切にしてください。ご縁に感謝申し上げます。再礼

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お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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優しさはエネルギー

サキさん、はじめまして。質問を拝読しました。

サキさんは、優しさの原動力は何か、「優しさ」と「社会でやっていく強さ」の両立はできるかどうかを知りたいのですね。

私は「お前、やさしすぎるんだよ!」とよく言われました。ほめ言葉ではなく、ディスりとして。
なので、私は強くなろうと思いました。ひ弱なので力で勝てません。口や態度で厳しくなろうとしました。強い言葉を使って人の上に立とうとしました。結果、マウントを取りたいだけのイタい人になりました。自分らしくないなと思ってやめました。

効率的に人に好かれようと思ってマーケティングや成功法則の本を読み漁りました。マーケ手イングを仕込もうとしてあの手この手をしてみましたが、自分らしくないなと思ってやめました。

結局、優しさを与えられる存在になることが一番自分らしいと気がつきました。優しさはエネルギーです。優しさのエネルギーを出せる能力は努力しても身につかないものだから大切にしなくてはいけないと分かりました。

巷には、
「優しい人ほど潰される社会」「いい人ほど早くこの世を去る」「正直者ほどバカを見る」「どうせ汚い世の中なのだから、多少性格悪くなくてはやっていけない」「自分を守るためには、他人に対して反抗的でいないとナメられる」と思っている人はたくさんいるでしょう。

でも、優しくいい人で正直者であり、他人に対して共感性の高い人は希少価値があります。努力して身に付けることができないから。
hasunoha回答僧の皆さんは、そういう希少価値を持っている方ばかりです。

私は末席を汚しているだけなので、煩悩まみれです。”有り難し!”がつくとニヤリとし、御礼が入ると涙が出そうになり、有り難し!がバズると舞い上がって踊り出します(笑)
回答によっては有り難し!がつかない、御礼がつかないこともあり、「私の回答が響かなかったのだな」とションボリします。

それでも、回答を通じて優しさというエネルギーを向けられただけで私はどこかで満足しています。優しさと強さは表裏です。優しさを出すには芯の強さが必要だから。

「優しい人ほど潰される社会」なら、潰れたらいい。
「いい人ほど早くこの世を去る」なら、人の記憶に残っていればそれでいい。
「正直者ほどバカを見る」なら、たくさんバカを見たい。
私はそう思っています。

合掌

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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私はあなたが思っているような立派な僧侶ではありません

 サキさん、お褒めの言葉ありがとうございます。私はこの事を励みに回答を続けていきたいと思います。
 私は先の僧侶たちのように立派な人間ではありません。優しいなどとは程遠いし、世間と和合しないと不安で生きていけません。綺麗な言葉で締めくくる事も出来ません。起承転結の結が苦手だし、表現することが嫌いです。理由はつまらないからですね。人生とはジタバタしながらも何とか生きているから充実するものであると私は思っており、半ば綺麗な言葉で締めくくる事は帰って悩んでいる人に失礼カナと毎回回答する度に私は悩む日々です。
 わたしは自分が悩みを解決してヤッタという人にはなりたくない。相談者が回答した僧侶を批判したり、中傷したりするのは相談者には気持ちの余裕が無いからです。だから、誰かに相談したいのです。批判したり、中傷したりすることに私は批判しません。それが出来るだけまだまだ、生きる気力があるのです。悪いことではありません。回答は批判されることが大切です。褒められると返って不安になります。言うべきことをいわせると人は意外に冷静になってきます。私がそうだからですかね。あくまで主人公は相談者です。だからといって相談者に寄り添う事もしない、自己の経験でしか回答しないチョイ悪坊主ですがね。

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あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのでは...
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質問者からのお礼

TAIKEN様
誰かを助けるために動いてそれが楽しみや喜びになるなんて、こんな素晴らしいことはないですね!
確かにハスノハでの活動がご自身の成長や修行になっていると仰る回答僧の方々は見かけます。私も支え、また、支えられるような関係を誰かと築いていけたらいいな、と思います。
回答ありがとうございました。
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釋悠水様
1つの質問に30分から1時間ですか!私の予想以上の時間でビックリです。それだけ質問者の方々に真摯に向き合っておられるのですね。
たとえお礼の無い質問だったとしても問答を見た無数の人々の学びになることは多いにあると思います。私も実際、過去の問答を読んで勉強させて頂いてます。そのような間接的なご縁があることも忘れないようにしたいです。
たとえ厳しい言葉と捉えられてしまっても、いつか思いが届くといいですね。私自身も過去の苦い出来事が成長に必要なものだったと後になって気付くことがあります。
優しさを自負しすぎないように、とのアドバイスありがとうございます。お返事は書ききれませんが、お言葉の数々を心に留めていきます。
また、繊細な人にたくさんの良縁がありますよう願っています。
回答ありがとうございました。
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釋孝修様
具体的な取り組み方を教えて頂き、とても実践しやすいように感じます。アドバイス感謝いたします。まずは身近な人達に何が出来るのか考え取り組んでいきたいと思います。そしてその輪をより広く広めていけたら、と思います。
回答ありがとうございました。

中村太釈様
初めまして。中村太釈様の体験談、興味深く拝読しました。
私も以前、「優しすぎる」と言われてしまうような友人に対して「意地悪をしてくるような人には、もっと激しく反撃したらいいのに」などと思ってしまうことがありました。ですが結局それは私の「自分のスタンスを他人にも強制したい」ような傲慢の表れだと気付きました。彼女は気ぃ遣いいで繊細で、悩みの多い人だったので見ていて不憫に思うこともありましたが、私は彼女の素の優しさに教わることが多くありました。
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中村太釈様のお話を拝読して思い出したこの彼女の様な人には、優しさの才能(希少価値)が備わっていて、周りの人に気付きや良い影響を与えるパワーがあるのだろう、と思いました。
そして「マウントを取る才能がありそれが生きがいになる人」ではなく「優しさを向ける才能がありそれが生きがいになる人」に生まれることは恵まれたことである気がしました。
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最後の文章からは、「世界がどうであれ、俺は俺の道を行く」というような自信が感じられるようでした。何だか、「世間に合わせて、負けないように闘っていくこと」だけが人生の歩み方ではないと思えて、安心できた気がします。
回答ありがとうございました。

大鐵様
私なんかは批判されてしまうとすぐ凹んでしまうので、批判ウェルカムな姿勢には驚くような気持ちです。私にも経験がありますが(汗)人は追い詰められると周りを気遣う余裕が無くなりますね。そんな方も受け入れる僧侶の方々はやっぱり尊敬します。
回答僧の方には敢えて質問者に厳しい意見を言う方もいらっしゃるようですが、人によってはそんな言葉も時に必要なように思います。やはり甘い言葉をかけられるだけでは、人間それに依存してしまう側面もあると思います。
また、自分の思い通りの回答(例えば慰めの言葉?)を得られなくても、自分と異なる意見を受け取るだけで新しい世界を知ることが出来るように思います。やはり人間、自分の頭だけで考えては思考が凝り固まってしまいますからね。
大鐵様のおっしゃるように、反抗するような怒りの感情はエネルギーにもなると思います。どこかで聞いたことがあるのですが、喜び悲しみよりも怒りには行動を起こすエネルギーがあるそうです。 なにくそ精神で、良い方向に持っていければ有効に使える感情だと思います。
回答ありがとうございました。どうか、チョイ悪坊主道を邁進されていくことを願っています!

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