寛容になれない理由
私はとても我が強く、自分の考えにこだわってしまう性格です。
なので、つい他人に対して批判的になってしまいます。
そういう時、いつも頭にあるのが、
・どうして他人の迷惑を顧みないのか
・自分だけ良ければ良いのか
・なぜそうなるのか理解できない
ということです。
受け入れてしまえば人間関係のストレスが減るし、自分も楽だと思うのです。
しかし受け入れてしまうと、
・それを認めた
・相手に同意した
・自分も同じ
ということになるのではないかと思い、とても抵抗があるのです。
それに正直なところ、責任を放棄したり、面倒なことは人に押し付けて楽をして(それでまあまあな給料を受け取っている)人に、寛容になる必要なんてないかな、とも思っています。
ですが、それで自分は幸福だろうか?と最近つくづく思います。
結局自分が一番損をしているような気がするのです。
それに、私が寛容さを学ばなければ、この先ずっと同じような縁が付いて回るような気がしてなりません。
何かお知恵を頂けると幸いです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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弱肉強食、でも怠けたい
私は、NHKの「ダーウィンが来た!」という番組が好きで、毎週録画しています。
野生動物(虫や魚なども含む)の生活に密着するドキュメンタリー番組です。
動物達の暮らしを見ていると、やはり「弱肉強食」なんですよね。
自然界では、油断していれば食べ物も盗まれるし、自分自身も天敵に食べられてしまいます。
縄張りや巣なんかもライバルに力づくで奪われたりします。
ということで、あなたが理想とする正義や道徳なんかも、それを守るためには力が必要なのです。
「力」とは、当然、腕力だけではありません。
知力体力総動員で「うまくやる」ことです。
あなたが許せないと思う相手(敵)がいるなら、あなたはそれを倒すために力を発揮する必要があります。
でも、野生動物だって無闇矢鱈には闘いません。
人間も動物も怠けたいのです。
常に全力で縄張りを広げようとすると疲れるし、返り討ちにあうリスクも高まります。
ということで、基本的には弱肉強食、
強い者、賢い者、抜け目ない者が勝つ、だけど闘いばかりは疲れるので怠けたい休みたい、という生物の現状を自分に当てはめましょう。
どうしても許せないなら、理不尽な敵を倒せるだけの力や技、あるいは味方(戦友)を持ちましょう。
野生動物は、数の力で勝負するチームプレーもありです。
本当に大切なものを守るためなら、卑怯な手段でも何でも、必死でやります。
質問者からのお礼
回答いただきありがとうございます。
私も生き物や自然が好きで、ちょうど大河ドラマの前ということもあり「ダーウィンが来た」はよく見ています。
私はネズミが好きです。ネズミは食物連鎖の下層にいますが、生き残り戦略に成功し、繁栄している生き物(種類にもよりますが)だと思うからです。
私はネズミの種類で言えば、縄張り意識が強くて単独行動を好むハムスターかな?と思いました。
なので、仲間を作ることは得意ではありませんが、寛容になれないことを悩むより、自分の考えに共感してくれる人を見つけるのも一つの手かもしれませんね。
自分と似た動物を観察したり、自然界に当てはめて考えると面白いですね。