自分から救いを求めない者を救いたいと思う気持ち
例えば、不動明王さまは戦前は泣きながら怒る姿だったといいます。
苦しんでいることが当たり前、仕方がない、どうしようもないこと、と思うのは煩悩だと思います
特にこの「仕方がない」というのは、思考回路の停止です。
もしも皆さんのお寺に、物乞いが来たらどう思いますか?
例えばこれがマンションのオートロックなら、恐怖に支配された思考回路なら「この泣いたり、土下座したり、生活保護を受けている
(もしくは受けられない)といっているのは演技で、出て行ったらさされるかもしれない。」と、思うかもしれません。
お寺はオートロックはないところがほとんど(ビルのお寺もあるかもしれません)でしょうから、お寺に入ってこられたらどうしますか?
毎日来て、オートロックだとしたら3時間は同じ部屋を鳴らし続けて、食べものをください、100円でいいからお金をください。と
言い続けたとします。
面接の為の履歴書をかうのも大変で、そのせいで食費が圧迫されてるとします。
なぜ面接に受からないかというと、笑顔がないからです。
私も以前そうでした。自分自身が「不幸だ・苦しい」と思っていると
「関わりたくない」と思われます。
どんなにお金に余裕があってもです。
ここのお坊さんで、ガス室に閉じ込められた時も、祈りを捧げ続けた人の話をしていた方がいらっしゃいます。
どんな境遇でも、「笑顔」や「誇り」を忘れなければ人に信頼されるんだと思います。
笑えない状況でも、笑顔を見せなければ信頼されないならば、笑うしかありません。
十分な生活保護を受けられなくて餓死したあのニュースの人も、父子家庭で、お腹だけがカンボジアの子供みたいに膨らんでいくわが子が怖くて、放っておいたら死なせてしまったニュースのお父さんも、
誰かに助けを求めていれば、(人と関わることへの)恐怖で支配された思考回路がなければ、思考の壁がなければ、3歳の子供でも、死なずに済んだと思います。
私は意見交換がしたいのです。
今の日本に物乞いが現れたらどうしますか?どこかの団体や、笑顔を忘れないようにして、人から尊敬されて、人が「助けたい」「採用したい」と思うような考えを指導しますか?
物乞いが弱音を吐いたら不動明王さまのように怒りながら救ってくださいますか?
有り難し 12
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