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複数の女性が好きなことはなぜ悪なのか?

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お釈迦様はたしか何人も妻がいたそうですが、複数の女性を愛することは仏教的にどう考えられていますか?仏教の教えでも悪なのですか?
日本では複数の女性を愛することは大悪とみなされていますが

2020年5月16日 6:24

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

騙すこと、裏切ることが悪

お釈迦様の妻は一人です、と、パーリ語の仏典には記されています。漢訳仏典もほとんどすべてそうだと思います。「妻が何人もいた」という情報は、たぶん間違いです。
 古代インドの王様や日本など他の国でもたくさんの妻を持つ人はかつていました。今はキリスト教の一夫一婦制が広がって、辺地の国でなければどこでもほとんど一夫一婦制です。
 それはともかく、複数の女性を同時に妻にすることは、仏典の時代では問題ありませんでした。しかし、不倫はダメです。
 複数の女性を同時に妻にすることは、女性側も承知しています。不倫は、妻であれ、未婚の二股であれ、もう一人が承知していません。知りません。隠されています。
 仏教では、相手に必要な事実を隠すこと、騙すこと、こういうことが信頼を損なう最悪の罪・裏切りだと考えていて、そこが問題なのです。たくさんの妻と不倫の決定的な違いなのです。
 ちょっと考えればわかりますが、自分がやる分にはよくても、自分が相手に隠されている、騙されているとなったら、もう、相手のことを信用できません。それが、実は大きな罪なのです。

2020年5月16日 7:58
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

「悪」

こんにちは、初めまして。

この問いは、あなたの人生上の煩悶から発せられた問いなのか、教養的に知りたいということなのかは分かりませんが、一先ずお答えしましょう。

「お釈迦様はたしか何人も妻がいたそう」とあります。
まず、出家前のゴータマ・シッダールタは、王族であったため側室がおられたという説もある(マノーダラー『仏本行集経』、ゴーパー『修行本起経』)ようですが、正妻はヤショーダラ妃お一人だけです。出家後に、妻を娶ってはいません。そもそも出家とは、世俗的な家族関係を置いていくことですから。

「複数の女性を愛する」ことが「悪」なのか、と問われています。
そもそも、仏教的な悪とは、平たく言うとさとりを得る(成仏する)方向性の善とは反対の方向性を持った言動や心を言います。この意味で言えば、「複数の女性」に限らず、一人の女性に対しても執着を深めていけば行くほどそれは悪の可能性があります。

つまり、愛欲に限らず、日常の心、言動等にある煩悩を無反省で肯定していくこと全般が悪なのです。

大まかに言えば、この悪を断じて善を積むことを目指す日本の宗派があります。
また、私の浄土真宗のように、仏様の智慧によって自らの悪を顧みつつ善(念仏)を最上の行いとして生きるという宗派もあります。

簡単には、このような説明かと思います。

ご自身の思っておられたことと、説明を聞かれたその差に何を感じるかお聞かせいただけたら嬉しいです。

では。

2020年5月16日 7:31
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...

愛する女性が、他の男と付き合っていても平気ですか?

一夫多妻制・一妻多夫制の社会なら
誰も文句は無いでしょうが
日本ではそうではないので大悪とみなされます。

仏教の戒律に
「不邪淫」が入っているのも
その行為が苦を生むからです。

2020年5月16日 8:46
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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...

仏教の教義からはどうともいえない。

先に回答された。2師の答えが尊くて、私などが回答できるものではないのですが、私は、お釈迦様の妻は一人と認識しています。

また、一夫多妻を正式に認めているのはイスラム教だけです。日本ではかつて、側室というシステムがあり、お妾さんや二号さんと呼ばれる存在もありました。

それも正妻が認めていればの話なんだったと思います。

一般的な仏教的に言えば、愛すら渇愛と呼び否定されます。恋愛という概念は日本においては、明治時代以降キリスト教の愛を輸入して作られたものです。

そもそも、一人の人を愛するとか永遠の愛などないと仏教的に言ってしまうこともできるとは言えましょうか?

2020年5月16日 8:45
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おきもち


浄土宗僧侶ですが、時宗の一遍上人と同じころ活躍した一向上人の流れです。 ...

質問者からのお礼

色々な回答がついたので混乱しましたが、よくよく読んで見ると回答に共通することは仏教的には複数の女性を愛すること自体は問題ではなく、執着したり騙すことが良くない行為ということのようですね。女性が嫉妬して可愛そうだから悪いといった理由だと思っていましたが、仏教的には女性が嫉妬するのも執着するという悪なんでしょうねきっと。仏教の物の見方は大きくて面白いですね。
ありがとうございます。

「お釈迦様・ブッダ」問答一覧

釈尊の教えについて疑問があり悩んでいます

人生がつらいので少しでも楽になりたくて仏教の勉強をしているものです。 お釈迦様の説いた教えについて質問です。 最近、初期仏教の経典スッタニパータを読みとても感動しました。 その結果お釈迦様はこの世の全てが縁起によって繋がっており結局は全てが同一の価値ある存在である事を理解すれば最終的には自己に囚われることもなくなり現世の苦しみをなくすことができると説いているのではないかと自分なりに解釈しました。 しかしそう考えるといくつかの疑問が浮かびました。 スッタニパータでは父母や我が子に対する愛執を捨てる事を悟りへの道とする一方で、父母に従うことが幸せであり老いた父母を養わない者は卑しいと書いてあります。 しかし無我の境地を目指すのであれば血縁関係に固執してはいけないのではないでしょうか?何故父母に限定して言及したのでしょうか?目の前で父母と知らない人が同じ様に病気や貧困や老いに苦しんでいてどちらかにしか手を差し伸べられない状況の時、知らない人を切り捨てて親子だからと特別扱いして父母に手を差し伸べるのは果たして正しいのでしょうか?両親が仏法を汚す人間であってもそれに従うことが幸せなのでしょうか?  私の父親は酒に溺れた非常に暴力的な人間で犬や猫に対して無益な殺生もしていました。母も暴力的な人間でしたし噓つきでした。私はこの両親に従うべきだったのでしょうか?老後の面倒も見なくてはいけないのでしょうか? また怒りや嫌悪についても疑問があります。 スッタニパータでは怒りや嫌悪を煩悩とし捨てることのできないことをなまぐさと言い汚らわしいことだと言う記述があります。 しかし世の中ではしばしば想像を絶するほど卑劣で残忍な事が起こります。  例えば女子小学生に乱暴して殺害した犯人をたまたまニュースで見て犯人に怒りや嫌悪感を覚えるのはなまぐさなのでしょうか?実際に知り合いの僧侶はその事件について犯人を殺してやりたいとまで言っていましたが彼は僧侶失格なのでしょうか? 自分の周りでより強いものによって不当に傷つけられている弱者を見ても怒らず苦しみも感じないことが美徳なのでしょうか? 他の記述が自分の人生価値観を根本から変える素晴らしいものだっただけに、私はこの二つの疑問に苦しみ悩んでいます。 悟りを目指す僧侶の方々にお話を聞きたいです。

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真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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漫画 聖☆おにいさん

私は「聖☆おにいさん」というブッダが出てくる漫画が大好きなのですが、愛読されているお坊さんいらっしゃったらこの質問に目を通して頂けたら嬉しいです。 作中で梵天と帝釈天が出てきますがブッダに対して「シッダールタ」と悟る前の名前で呼び、ブッダは敬語を使っています。シッダールタ時代に苦行している時にも「おー、頑張れよー!」とか言っていますよね。ブッダをプロデュースしてるみたいな場面も沢山出てきます。 私は手塚治虫の「ブッダ」も読んだのですが(フィクションもだいぶ盛り込まれているようですが)、その中で梵天はシッダールタの前にここぞという時に現れるので(迷っている時や悟った時など)、シッダールタの背中を押す師匠のような存在、と思っているのですが、 梵天や帝釈天はそもそも人間ではない存在なのですか? シッダールタが誕生する前から存在してるという事ですか? この漫画は私の仏教への興味を広げてくれた大好きな作品です。 初歩的な事と思いますし、ネットで調べればすぐ出てくるのでしょうが、ハスノハという場所があるのでお坊さんに質問してみようと思いました。 (帝釈天のスーツはアルマーニ、梵天のスーツはコナカというのはツボです)

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