お坊さんにも、悪いことをしたことがありますか? 間違ったことをしてしまったこともあるのでしょうか? 昔の罪や自分を許せないことはありますか? 過去の自分を許せない時、どのように立ち直れば良いのでしょうか。 私は悪いことをした自分が目標の仕事に就きたいなんて思っていいのか、と自分を責める気持ちがあります。 お坊さん方も、自分がお坊さんになることに対して躊躇した経験や、自分がこの仕事をしていいのか、と考えたことはありますか? お坊さんは善人というイメージが個人的に強い様に感じます。しかしハスノハの回答を見ていると、お坊さんでも過去に罪を犯してしまった方もいるようです。 私のなりたい職業よりも、お坊さんは善や心、道徳を大事にする部分が多いため、葛藤もあったのではないか、と疑問に思いました。 罪を犯した自分が夢を追いかけることに対してどうしても罪悪感が拭いきれないため、お話を聞かせていたたけたら有り難いです。 どのようにして罪や過去の自分、今の自分、そして仕事に向き合っていますか? 僧侶や仏教、宗教というものにあまり詳しくないため、検討違いな文章になっているかもしれません。 僧侶を職業だと認識して、仕事として書いておりますが、お坊さん方は「仕事ではない」と認識されているかもしれません。 知識不足でご不快な文章になっていましたら申し訳ないです。
ずいぶんと久しぶりに、こちらに伺いました。 あれからもう、二年半以上が経ったのかと、感慨深く。 現在は、実家からさほど離れてはいませんが、独り暮らしを始め、コンビニのアルバイトと、国からの障害年金・福祉ヘルパーさんたちに支えて頂きながら、自立生活・リハビリに努めています。 家族間の溝は、どうしても多少なりとて残ってはしまっていますが… 最近になって、父の世代の下に当たる 現在宗派を率いる世代 の方たちと、父経由ではない形でお話しをする機会を得ました。 今後の私のライフワークとなっていくだろう〝ヘルプマーク〟などについて興味を持って頂いて。 ちょっとずつ… 父とは違う形で、宗派 その他に関わっていくかもしれません。 本当は、〝つぶやき〟に書くべき徒然ではありますが。 字数制限に合いませんでしたので、こちらに書かせて頂きました。 【質問】 皆さまの宗派の、 ・食前の言葉 ・食後の言葉 など、宜しかったらお教えください。 各宗派・地域によって、瑣末に違ってくるだろう。 そして現在は、わりと廃れてきているのかな… という、この言葉を、少しでも残しておきたいと思いました。 ちなみにうちでは 「一粒一滴 皆 御恩。 不足を言ってはもったいない。 感謝で美味しく頂きましょう。 いただきます」 「今、尊い食を終わりて。 心豊かに、力 身に満つる。 この心身をもって、己が技に励みましょう。 ごちそうさまでした」 だったかな。 伝えていきたい言葉だと思います。
実家が寺院です。 住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。 現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。 具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。 お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。 非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。 父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。 悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。 お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。
いつも、なにかあるとここにきて、過去の問答を拝読して、勝手に満足して帰っています。いつも温かいご回答をありがとうございます。 さて、今日は何か、ついさっきまで物凄くイライラして、うぎぎ!!これは誰かに相談しなければ!!と勇んでここまできて、いつものごとく問答を読んで、…何を相談したかったのか忘れました……。 でも「質問する」のボタン押しちゃったし、入力フォーム出てるし、 ええと…… お坊さん、最近何か、ラッキー!とか、ハッピー!!とか、思うことはありませんでしたか? 他人のよかったことを聞くのが好きです。人生経験豊富なお坊さん達は何にラッキー!ハッピー!!と思いますか? 私は昨日、帰り道に虹を見たのがラッキーだったなって思っています。
はじめまして。 先日、こちらで投稿をさせて頂き、道標をいただきました。 一進ニ退の日もありますが、先ずは己のために少しずつ仏教の教えや考えにふれたいと思うようになりました。 貴重なお時間をいただく事になりますが、質問をさせて頂きます。 申し訳ありません。 沢山の問答を拝読致しました。 今は自分が出来そうな事から、出来る日には、はじめています。 変えられない過去やわからない未来、辛い事が浮かんだ時には、(体の都合で座る事ができなくても)目を閉じて今の空間や呼吸に集中してみる 心を静めたい時等、南無阿弥陀仏と心の中で唱えてみる 自分の考えに偏ったり、様々な執着を手放すように心に留める など、容易くはない事柄もありますが、今の私にできそうな、まだまだ小さな一歩ですが、この事を知らなかった、しなかった時に比べると心のありようが違うと感じています。 お坊様方にも私達質問者と内容は違えど、苦悩や葛藤が過去におありだったり、今尚、もたれている事もおありかとは思いますが、過去に迎えられた苦しみや葛藤の中、どういう心の動きがおありでしたでしょうか?(葛藤の内容については複数の方々が見られるかもしれませんので、省いて頂いて大丈夫です。) また、その時やその後、スッと心に入ってこられたり、感銘を受けられた仏教の教えや考え方が(仏教の教え以外の親、友人、恩師等からの言葉でも)おありでしたら、お教え願えますでしょうか? お時間をさいて頂く事になり、申し訳ありませんが、可能でしたら宜しくお願い致します。
お忙しいところお話を聞いてくださってありがとうございます。 私は悩みごとができるとこちらのハスノハの問答を読みに参ります。 沢山のお坊さんがいろいろな視点から回答をしていて、たいへん参考になり、救われたりもします。 でも、中にはせっかくお坊さんが回答をくださっているのに、怒り出したり、つっけんどんな返信をする方もいますよね。 お坊さん方はきっと複雑な気持ちになるだろうと思うのですが、どのように気持ちを切り替えておられるのでしょう? 私も、頼られて親身になったのに「あなたは何もしてくれない、期待外れだった」と言われて腹が立ったことがあるので、お坊さん方の心の持ちようを教えていただきたいです。
お寺を維持していくためや自分たちの生活費というのは必ずかかると思うのですが、お坊さんは何をしてお金を得ているのでしょうか? イメージできないので質問させていただきます。
突然変な質問をして申し訳ないのですが、 お坊さんは宇宙人を信じますか? 仏教的な視点でも、お坊さん個人の感覚でも何でも良いので、ぜひ聞かせて頂きたいです。 また、仮に宇宙人がいたとして、宇宙人が仏教徒になることは可能なのでしょうか。 意思疎通が出来れば、クラゲみたいな宇宙人でもOKなのでしょうか。 変な質問をしてしまいましたが、気軽に答えて頂けたらうれしいです。
お世話になっております。 独身の女ですが、仏教学(歴史、仏典等)について、同年代の僧侶の方と、語り合いたいと思っております。 歴史や文化財にも興味があります。 お寺に直接伺って、そうした話をしてはご迷惑をおかけしてしまうでしょうか。 また、同年代の僧侶の方と出会うには、どうしたら良いでしょうか。 よろしくお願いします。
私はゲームなり本なり創作なりでお寺で働いているキャラクターをよく見ます。 私も創作物を書くのですが、お寺についていくつか疑問が湧いたのでお答え頂ければ幸いです。 1、お坊さんが世襲制だという話 親がお坊さんなので自分もお坊さんになる。というのはお寺では多い事なのでしょうか。 また、そのような家系にお産まれになった女性の方に、巫女になるという選択肢はあるのでしょうか。 2、お札について 初詣などでお札を頂く機会があります。 この「お札」というのを作るのに適切な時期のようなものはありますか?(例えば、仏滅を避ける……等) また、お札を作成される方はお坊さんだけなのでしょうか。
初めまして。 以前何かのきっかけでこちらのHPを知り、時々拝見させて頂いておりました。 本日はお坊さんの息抜きについて教えて頂きたいと思いまして、ご質問させて頂きました。 私は幼少期より、何故か周りから常に相談を受ける側でした。 それは老若男女職業問わずでして、ここ数年では特に、初対面にも関わらず重たいご相談を頂く機会がとても増えております。 勿論、報酬は頂いておりません。 ここからは私の勝手なイメージですが、基本的にご相談者は怒りや悲しみ等の「黒いモヤ」のようなものを大量に抱えていらっしゃいます。 その方が話し始めると、その方の体から黒いモヤが放出され、それを私が吸い取る事でその方の黒いモヤが少しずつ薄くなり、ある程度黒いモヤが薄くなると、その方は最初の頃よりスッキリした良い顔色になります。 反面、その黒いモヤを吸った私はとても重たくなり、時にはその方の怒りや憎しみ悲しみと同調してしまい、涙が溢れてきたり、頭痛やめまいに襲われる事もあります。 ここ数年は皆さんの悩みが重く、なかなか自分だけでは処理しきれず、私自身が他人から受け取る黒いモヤのせいで悩まされる事があります。 私は仏に仕える身ではございませんし、ごく普通の一般OLです。 見た目は怖そうだと言われますし、多少押しても倒れなさそうで強そうだと言われる程の体躯ではあります。 精神的にも強そうだと言われますが、それは不平不満を言ったところでなるようにしかならないと思っており、怒りや悲しみを持っても仕方がないので、それなら楽しい事を考えようと、自分のご機嫌を自分で取っているからそのように見えるのだと思います。 その為、自分が生み出した黒いモヤというものは割と簡単に放り投げる事ができるのですが、相手から相談として受け取った黒いモヤは時々しつこく、神社やお寺に行ってお参りをしたり、綺麗な景色を見ても取れない場合があります。 そのような取れない黒いモヤのカスが蓄積されていくと私自身も疲れていき、段々どうにもできないイライラが貯まっていきます。 そこでお伺いしたいのが、お坊さん方の息抜きについてです。 ご相談を受けられる事が多いと思いますが、その後の自分のメンテナンスはどのように行っていらっしゃるのでしょうか? 相手から黒いモヤを受け取っても、自分で処理できれば問題は解決できると思い、相談させて頂きました。
僕は中学生で、興味のある職業について調べています。 僕が選んだ職業は、趣味の仏像鑑賞にも精通する僧侶です。 質問の内容なのですが ・仕事内容 ・その職業に就くためにどうすればよいか ・仕事中に心がけていること ・その仕事をしていてやりがいを感じるとき この質問に答えていただけないでしょうか。宗派や、寺院によって変わることは、承知しております。 答えづらい質問は無視していただいて結構です。 よろしくお願いします。
私の地元に全国的に有名なお寺があるのですが、そこのお坊さんが超高級車であるフェラーリやマクラーレンを長年所有していると知りました。最近は中古価格が1億円を超えることもあるマクラーレンを所有しているそうです。親に聞いて見たところ、昔から地元では有名だったそうです。 私の中でお坊さんと言えば質素な生活をするのが当たり前?だと思っていたので大変驚きました。超高級車を乗り回すなんて煩悩の塊ではないかと思うのですが、お坊さんが超高級車を所有することは仏教の教えやお坊さん達にとって問題のない事なのでしょうか?
私は本来なら回答者側にいるはずの坊さん見習い。世襲によって住職になってしまった、檀家さんに顔向けできない三流のダメ坊主です。 仏教大学を卒業してこの世界に入って思ったんだけど ・飲み会多すぎない? ・不必要な会議多すぎない? ・下品なやつ多すぎない? ・どうでもいい修行多すぎない? って思っています。(最後のはうちの宗派だけかもしれない) 元々体育会系のノリでの人付き合いがあんまり好きじゃないコミュ障なので、マジで会議後の飲み会とかいうダブルコンボが辛いです。 なぜ抜苦与楽のために仏教やってるのに私自身が苦しんでるの???ってなってきてます。 下品な坊主多すぎない?って思っています。「どこどこの修行を何回やった」みたいな謎のマウント取りがそのまま地域内での寺ヒエラルキーに影響するような世界に辟易としてます。 実家が寺なので寺そのものを捨てると家族が路頭に迷う関係上、俗世間を離れるのはできないんですけど正直したいくらいに今仏教に疲れています。 ここにご回答して下さるお坊さんの方は、そういうことを思ったりとか、しませんか? したなら、どうやって折り合いってつけてますか?
出家したいです。 わがままですが、曹洞宗か天台宗のどちらかで・・・ 駒澤大学を卒業すれば僧侶になれる、と思っていたのですがそんな甘くないみたいですね。 そこで知恵をお借りしたいのですが どういう手順を踏めばいいのでしょうか? 住職になるつもりはなく、また夜勤でもして食ってく覚悟はあります。 PS 座禅会とか参加したいんですが、僧侶になるため、の下心モロ見えだと思います・・・ 皆様はこういう奴が来たらどう思いますか?
初めまして。 現在お付き合いしているお坊さんがいます。 もうすぐ誕生日なので前から欲しがっていた法衣着衣時でも身に付けられる、シンプルな腕時計をサプライズで渡そうと思っているのですが、何か素材やデザインでタブーなものはあるのでしょうか? 今は文字盤とベルトが黒で、ベルトの素材は皮のものを検討しております。 予算がなく高価なものは贈れませんが、彼に喜んでもらえるよう選びたいです。お忙しい中このような質問で恐縮ですが、教えていただけると嬉しいです。よろしくお願い致します。
今の状況を好転させたい時、願望を叶えたい時、負の出来事を寄せ付けたくない時、自分を愛し許したい時…引き寄せの法則、願い叶えるノート、アファメーション等色々とありますが、お坊さんも、アファメーション等を試して成功したり叶ったりした事はありますか? または、別な方法や誰かの言葉で救われた経験がありましたら教えていただきたいと思っています。 よろしくお願い致します。
僕は来年僧侶になる予定の高校生です。 お坊さんの戒律の現状に関して皆様の意見を教えてください。 明治以降、国の政策によってお坊さんは肉食、世帯、飲酒、その他諸々の戒律を守らなくてもよいことになりました。 そして国家の規定による持戒は戦後の信仰の自由の徹底化によって可能性はほぼ無くなりその状態は今現在も続いています。 以前こちらでも活躍されている大慈さんの配信で僧侶の肉食、世帯に関する質問をしたのですがその際に ・肉食は栄養の問題で必要だし仏教の教義としても問題ない ・世帯は無条件の良い事では無いが寺を継ぐ後継者を育てていくためにも必要 ・これらの問題は全てを解決できる答えが無いから考え続けることが大事 という様な答えを頂きました。 僕も大慈さんのお考えに感銘を受け、すぐに結論を出さすこの問題に向き合う事にしました。 しかしすぐに結論を出さないという事は問題に向き合う事に消極的になるという事では無く様々な意見、主張を聞き考え続けることだと思います。 そこでここにいらっしゃる僧侶の方々の肉食、世帯に関する意見をお聞かせください。 また、大慈さんは戒律の問題を一括りにはせず肉食と世帯を別の理由でもって語って下さいました。 確かに一つ一つ事情は異なっているので僕も個別に考えようと思います。 そこで肉食、世帯に加えて飲酒や金銭に関する問題もお伺いします。 今現在の僕の意見としては、しょうがない理由のある肉食や世帯と違い嗜好品としてのお酒やお寺を支えるため、生活するため、将来のための貯えを超えた過度な儲けと散財はある程度宗派、教団で規制してもいいんじゃないかと思うのですが皆様はどうお考えですか?
前に授業で仏教について習った時、仏教の最終目的は解脱して輪廻転生から抜け出し、あらゆる苦しみから解き放たれて「無」になること、と習い、驚きました。私は自分の意識が無になることが1番怖いと思います。お坊さんは死ぬのが怖くないのだろうか?と不思議に思いました。どうなんでしょうか?
最近、とても疑問に思うことがあります。お坊さんは何のために信仰をしているのでしょう?例えば、信仰して極楽浄土(宗派によって変わるかもしれませんが)に行くためとか...宗教って、信仰する人は良い事があって、それ以外の人はあまり良くない事が起こるってよくある事だと思います(酷い場合は地獄に行ってしまうとか...ちょっと怖いですね)そう考えると、もし自分が特定の宗教を信仰する目的は、地獄に落ちないためとか、天国に行くためっていうことになってしまうのです。ですが、本職のお坊さんは私のように浅い考えで信仰されているとは思いません。実際、私は何回かここで相談した時もお坊さんは本当に真摯に向き合っていただき、適切なアドバイスを頂いてきたので、それがお坊さん自身のためとは思えないです。改めて質問しますが、お坊さんは何のために信仰をしているのでしょうか?