hasunohaさんの最終目標はhasunohaがなくなることとTwitterで拝見しましたが、hasunohaのお坊さんはhasunohaがなくなるまで私のお友だちになっていただけますか?
あたたかいお言葉が有り難く、お坊さんのお言葉で、こんにちまで生きています お坊さんに質問していいですか? 私も含め皆様の悩み•苦しみ、本当に生きるとは大変な修行です…でも、お坊さん方のお言葉にはブレがなく適切で、精神科医の言葉より身にしみます。お坊さん方に悩み•苦しみはないのですか?いや、あっても我慢して日々過ごせてるのですか? お坊さんのような、心広くあたたかい人に和みます
いつもお世話になっております。 沢山の教えをいただき感謝しております。 お坊さまに唐突な質問で、大変恐縮なのですが、お坊さまも古事記や日本書紀を読まれたりしますか? また、神仏習合の時代を含め、神道にはどういった感覚(思い)をお持ちなのでしょうか。 神道について勉強すればするほど、お坊さま方の考えを知りたくなりました。 世界中においても多くの人間は宗教を求めています。 それは何故なんだろう?とかも考えてました。 (そこは、もっと自分で勉強すれば良いのでしょうね…。) 差し支えなければ、お時間のある時にでもお教えください_(._.)_ どうぞよろしくお願いいたします。
お坊さんには金持ちの方や貧乏の方様々な方がいらっしゃいますが、お金というものは誰かの借金であり、誠に不浄なものですのでそれを必要以上に持たないという教えはないのでしょうか? お葬式代でぼったくって贅沢をしていらっしゃるお坊さんは本当に悪行を積まれていると思います。
以前、代々ご家族の血縁でお寺をされている長男のお坊さんとお付き合いさせて頂いておりました。 私は、小さい頃からずっと日本の文化が 好きです。行動や意味、全てに想いが詰まっていると思うからです。禅もそうだと思います。宗派や教えは違いますが、修行する意味、教えの意味、そこにある想いは一緒だと思うのです。 彼は継ぐ決心が出来ず、実家のお寺を離れて大学生をしている時に出会いました。彼のお父様にお会いした時、すごく違和感を覚えました。言葉では表しにくいのですが、冷たい…ドライな感覚です。彼もお坊さんになる決心をして、修行に行くまでの期間、その違和感に似たものが私の中でどんどん大きくなっていきました。偏見の言葉や、権力には敵わないなどの発言も多くなっていきました。お父様そっくりでした。 お別れした後、周りの方からは「私達には分からない世界だからそれは仕方ない」「私達には分からない重圧があるのだろう」と。 それが私には納得がいきません。生きていくだけで辛い事、苦しい事が沢山あります。それはお坊さん一般人関係なく平等にあるものだと思います。 お寺の世界とは、一般の世界とは違うものなのですか?今まで自分が信じてきたものが分からなくなる時があります。
最近、中国茶のレッスンに通い始め、お茶に関する本を色々と呼んでいます。 茶の歴史の中で、日本におけるお茶は遣唐使が持ち帰ったお茶から始まっています。 そのような歴史的なことはいくつか本を読んで、何となく分かったのですが、、現代におけるお茶と仏教の関係については文献を調べてもあまり分かりません。 現代を生きるお坊さんの中でお茶はどのような位置づけなのでしょうか。 宗派によって何らかの儀式があるようであれば教えてほしいです。 また、そういうことについて記述している文献があれば知りたいです。 お手すきで結構なので、ご回答よろしくお願いいたします。
挑発的なタイトルで申し訳ありません。もっとマイルドにしたかったのですが、字数の関係でできませんでした。決してお坊さんを馬鹿にしてやろうとか、悪口を言ってやろうとかいう気持ちはありません。むしろ日々尊敬しております。なのでそこの所をご理解いただけたら幸いです。 本題に入ります。 まことに、大変失礼な質問だとは思いましたが、心の中にふと思い浮かんでしまいました。 仏教書を読んでいたら、「仏教の出家者は一切の生産活動を放棄して修行に専念しなければならないので、一般の人たちからお布施をもらわないと食べていけません。」とありました。 その部分を読んだ時に浮かんだことは、「お布施をすることによって、お布施をした人にはなんのリターンがない。これでは乞食に施しをするのと同じでないか?」ということです。 もちろん、お布施をすることによって功徳が積める、物惜しみに打ち勝つことができるというのは分かっているのですが、現代人にそんなことを言ってもそれが何だよ?と鼻で笑われるでしょう。もし私が誰かに「坊主と乞食って何が違うの?笑」と聞かれたら私はなんと答えればいいのでしょうか? ちなみに身近なお坊様(そこそこ名のある立派な人です)にこの質問をしたら「違わないんじゃね?」とのことでした。ハスノハのお坊様方はどうお答えになりますか? 大変罰当たりな質問だと思います。このことで私の身に不幸が起こったら甘んじて受けるつもりです。しかし、後学のためになんとかお答えしていただければ幸いです。
子供の頃、少林寺を観てお坊さんはみんな 、カンフーをやっていて、強くて優しくて、空を飛べる最強な存在だと思っていました。 DVDの特典映像を観て、ワイヤーに吊られてただけで、空は飛べないし、カンフーやってないと知り少しショックを受けました。 最近知りあったお坊さんが、元自衛官、元ボクサーのムキムキな方がいて、やはりお坊さんは、最強なのではないか。と思ってます。 ・・・相談じゃないですね(;・ω・)
宿坊に泊まった時に、若いお坊さんたちが色々とお世話をしてくださいました。 僧侶になるにはいくつかのコースがあると思うのですが(二つくらいしか知りませんが)、朝の勤行などでお経を読めるようになるまで、何年くらい経験が必要なのでしょうか。 大体、皆さん20代くらいとお若く見えまして、年齢・経験を積むことで地位や出来るお仕事も違ってくと思いますが、ざっくりとどんな流れで僧侶と言う職を人生の中でしていくのでしょうか。 ふと、気になったので質問させて頂きました。
こんばんは。 何人ものお坊さんとお話する機会があった訳ではないですが、お坊さんは話し方が穏やかで、話すスピードも落ち着いていて柔和なイメージがあります。 話し方に、何か心掛けている事はあるのでしょうか? 私は油断すると早口になりがちで、 声のトーンが低く、方言丸出しのキツい口調になりがちです。 また、私は推敲している際はしかめっ面になりがちで、相手にとっつきにくい印象を与えているように感じてしまい、結果、空回りしてしまう事が多々あります。 話し方のコツ等あればお聞かせ願いたく、質問いたしました。
お坊さんは健康で長寿のイメージがあります。 病気や認知症のお坊さんは想像しづらいです。 実際に、お坊さんをされている方も、周りのお坊さんを見ていてそう感じられますか? また、お坊さんが健康長寿なのが本当だとしたら、理由は何だと思われますか? 読経 ? 粗食でしょうか? 宜しくお願い致します。
私は、自尊心が低く、自分というものがわかりません。 自分を認める事が、どーしても出来ず自分自身が嫌いです。 心が疲れてしまっている時、仏様にすがるのは、甘え?逃げなのでしょうか。 お坊さん方は、こういう気持ちになる事は無いのですが? 心が病んだ時どの様に対処なさっているのですか? お経を唱えるとよいのですか? 私なんかより、本当に苦しんでいる方がいる事も、承知しています。 平凡日々を送らせてもらってる中での、ただの甘えなのかもしれません。 けれど、変えたい変わりたいと思うだけで、どーしたらよいのかがわからないのです。
私は36歳で専業主婦であり 9歳の双子の息子の母でもありますが 最近、自分の生き方や人間関係の 下手くそさ、未熟さで悩み苦しんでいます。 メンタルが弱いのです。 そんな自分が嫌で 心の広い人間に。 穏やかな生活や人間関係を求めています。 そこで、私は僧侶として名前をいただき 穏やかな人間に生まれ変わりたいと願っています。 いろいろ調べましたが 私は、まだ手が離せない子供がいます。 お寺に住み込みはできません。 そんな私でも得度をしてもらい 僧侶としての名をいただき 通いで仏学を勉強できるのでしょうか? どんなけ、本屋さんへ行ったり ネットで調べてもわかりません。 どうか、教えてください。
いつも心穏やかにしてくださるご回答をありがとうございます。 随分と前から年上の僧侶の方に恋をしております。(過去に恋愛相談も投稿しておりますので、ご覧くだされば幸いです。) 以前お見合いでもとお話しが来て、私としては願ったり叶ったりの状況だったのですが、お相手から「妹のような存在だから」「東京で仕事があるのに田舎に戻してはダメだ」との事でうやむやになってしまいました。 それ以降も相手の御自宅のお座敷で何時間もお茶をしたり、デート(21時前には帰宅する健全なもの(笑))はしています。 遠回しにですが、好きとは言っているのですが、未だにお答えは出してくれていません。 もう脈ナシかとも思っているのですが、他の僧侶の皆様から見てどう思われるでしょうか? またこちらは男性の僧侶様限定にはなるかと思いますが、僧侶だからこそ思う「男ゴコロ」というのをご教授いただければ有難いです。 長文乱文で大変失礼致しますが、何卒ご回答を宜しくお願い申し上げます。
世間は10連休でしたが お坊様方はどう過ごされましたか?? 普段テーマパークやコンサートとかも行かれたりしますか?? アイドル追いかけたりとかしますか?? 私は、主人が9連休でしたので 毎日1歳児と主人のお世話で終わりました… 買い物に行けば主人が無駄なものを買い イライラ(´д`|||) くだらない質問ですみません。 でもずっと気になってたので聞いてしまいました。お堅いイメージがあるのでどうなんだろう、と。 実は最近なかなか眠れず、気分も落ち込み… 体調もあまりよくなくて。 家事も育児も辛くて。。 こちらでお坊様方とお話すると元気がもらえるので書き込んでしまいました。 ごめんなさい。
お坊さんは落ち込んだとき、 深く傷ついたとき、どうしていますか? 前向きに考えることにめげそうになったとき、どう気持ちを整理しますか? 心構え、心の整理の仕方、教えてください
お世話になっております。 心救われています。 25日で妻が亡くなって百日になります。 百日の法要のお祈りを、お願いします。 まだ、妻のもとに行きたくて、しょうがありません。 今は、我慢して、妻の一周忌まで、やること、やっていこうと、思っていす。 妻が亡くなったら、すぐついていこうと、自死し、失敗した、情けない男です。 遺された以上、弔いを、やっていこうと思います。 百日法要のお祈り、よろしくお願いします。
どうしても意味・ユーモア感覚が分からないので、ここでお坊さんに直接質問をさせて頂きます。 いま私は、とある掛け軸について研究をしています。ですが、私は仏教の世界を深く知るようになったのは、つい最近になってからであり、そのせいで仏教世界のユーモアが分かりません。 研究している掛け軸には、掛け軸の下の方に、『十六羅漢のうち十人が水が足首らへんまでしか来ていない海(若しくは川)の浅瀬を渡って、上の方を見上げている』描写があり、左上の方に、『龍頭観音と思われる龍が一匹と、龍の口らへんに、モワモワした煙と共に、お花のような(?)ものを手に持っている着物を着た女性が一人立っている』描写があります。更に、この空の方へ登っている龍には、十六羅漢のうち六人が乗っており、そのうちの一人が釣り糸みたいなもので蛸を海から釣っています。 十六羅漢が川ではなく、海を渡っているのは、蛸が海にしか生息していないからという理由で、海だと推測しました。 この絵には漢詩が付いているのですが、以下のようなものです: 是秋釈子袿第響 無転十六蛸入道 為老先生博祭無事居楽 遊印には→星洲晩漁 と書いてあるはずなのですが(あまりきちんと読めませんでした)、漢詩の意味は全て分かりませんが、ここには蛸入道としっかり書いてあります。 以上のことから、私は、蛸とお坊さんの頭を掛け合わせて、笑いを取るような絵だと見受けました。 が、私の感性では、釈迦の弟子たちで笑いを取るという感覚が全く分からないのですが、ひと昔の日本では(明治・大正あたり)、このようなことはよく起こり得たのでしょうか?またこのような、ブラックユーモア的な掛け軸は、よくあったのですか? ちなみに、私の推測はあっていますでしょうか?(蛸とお坊さんの頭を掛け合わせることで、笑いをとるという感覚) 若しくは、他に何か意味があるのでしょうか? 漢詩の意味も分かりませんが、このセンスが本当に意味が分からなくて、大変困っております。どなたか詳しく説明して頂けますと幸いです。 掛け軸の絵を写真で添付できないので、絵そのもののイメージがし辛いと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。 ちなみに、この掛け軸は、近代に描かれました。
私くしは、持病で 随分苦しんできました。 何かある事に めまいが襲い 本当に明日は大丈夫か そんな思いで生きてきました。 普通に仕事できる事がありませんでした。 残業も、休日出勤もしたらしただけ 休んでしまい 結局は、プラスマイナス0って感じでした。 剃髪してから 7時まで残業しても 体調が悪くなる事も今はなくなり 本当に普通に仕事できるって幸せなんだと 実感しています。お寺様で信心していると 不思議な事があるんだと そう思っています。 お坊様方はお坊様になってから 自分の体調なり よくなられた 体験などありましたら 教えてください。 後、宗派が何処とか 言われたりしますが 拝む仏様は違っても 仏様に手を合わせる心ってどのお坊様も同じですよね。宗派が違うからとか それが あまり好きではないです。ご縁はご縁ですよね
前回の質問では、僧侶の先生方の的確で分かりやすいご回答ご指導を頂きまして、心より感謝申し上げます。俗世間の人々は、怒ったり恨んだり色々な事柄に悩み苦しんだり致します。僧侶の先生方も、怒ったり恨んだり、悩み苦しんだりすることはあるのでしょうか?仏道を歩まれて、十善戒・六波羅密・八正道等の実践をされていることであろうと思いますが、それでも腹を立てたり、怒ったり、恨んだり、妬み嫉みの気持ちを起こされることはありますか?大変気になっています。どうかご回答の程、よろしくお願いいたします。