跡継ぎの悩み。お坊さんとしての在り方とは
実家が寺院です。
住職をしている父親の在り方に疑問を覚えるとともに、自分の将来について悩んでいます。
現在、人々のお寺への関心は少しずつ薄れているものと思います。そんな中、私の実家は今でも多くの檀家の方々に支えられ、お寺として成り立っています。しかし、父はその有り難さが分かっていないように思うのです。
具体的な収入(僧侶が頂くお金を収入と呼ぶのは語弊があるかもしれません)を私は知りませんが、高級車を何台も乗り継ぎ、沢山の娯楽品を購入し、暴飲暴食…。具体的な発言があったわけではありませんが、「僧侶も職業だ。稼いだ収入を好き勝手使ってもいいだろう」というような気持ちが根底にあるように思います。
お寺の管理として沢山の工事も行い、綺麗なお堂を建てる一方で、景観として素晴らしい大きな木を何本も切り倒すようなこともありました。
非常に恥ずかしく思うとともに、悲しく、また、檀家の皆様に申し訳なく思います。そんな父の「粗さ」に母親が涙する日も増えました。ただ、私もまた、そんな父の援助があって、仏教科ではない別県の大学へ進学しているため、やっていることは本質的に父と変わりないのだと思うと、苦しくなるばかりです。
父親のような僧侶にはなりたくないと思います。ただ、日々誰かの死と向き合う仕事ですし、お寺としての管理も父なりに苦しんで考えているものと思います。大きなストレスもあるでしょう。父がどんな気持ちで高級車を乗り回しているのか、分かる気もします。改めて、現代におけるお寺や僧侶というものの在り方の難しさを感じます。「苦しすぎて私にはとても継げない。」「自由に暮らしたい。」「普通の家庭に生まれたかった。」そんなことを連連と考えてしまいます。
悩みやすい性格で、父親のことも悩みの一端に過ぎません。ただ、お寺の道に進むのか否か選択を迫られる時期が近づいてきており、「お坊さん」として生きていらっしゃる方々の言葉を聞いてみたいと思い投稿しました。
お坊さんとしてお金とどう向き合っているか。お寺への関心薄れる現代において、お坊さん・お寺として、今後どう在るべきか。また、悩んだ末に実家を継いだ方がいらっしゃいましたら、その決断に至るまでのお話など、相談としては漠然としており申し訳ないですが、何かご意見頂けると有り難く思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏教そのものの魅力に触れてはどうでしょうか
こんにちは。
父親である住職に対する厳しい目、後継についての苦悩が伝わってきます。
全く同じ状況ではないでしょうが、私も当時悩んだ一人としてあなたの質問を少し懐かしい思いで読みました。
あなたの問題意識に共感するところは少なくありません。
確かに、「高級車」は良くないですね。
僧侶の日々の糧は、檀家さんからのお布施、お供えで成り立っているのであり、これはなるべく華美、余剰にならない範囲にすべきです。「沢山の娯楽品」「暴飲暴食」も同様です。
ただ、一方であなたは父親の僧侶としての厳しい目を持つと同時に、その苦労しているであろう立場にも思いを致しています。「日々誰かの死と向き合う仕事」、「大きなストレスもある」という視点もあるようです。それは、その通りです。365日基本休みがなく、電話は24時間対応、日頃から僧侶としての品格を保つことが求められるのは、なかなか気が抜けません。
しかし、だからといって、「高級車」を乗っていいとは思いません。
ただ、これも程度問題でもあります。ある住職に聞いたことですが、10年以上乗りつぶした車を、普通車の新車に買い替えたところ、周囲の檀家さんから「高級車」だ、そんなお金があるなら本堂の修繕に回せと言われた、というケースが有りました。これはこれで気の毒です。
つまり、自分が「高級車」に乗っていないから、周囲にはきちんとした僧侶として認識されるかというと、そうではないということです。さすれば、僧侶として、後継として求められることの核はなにかといえば、それは身も心も仏教に身を投じた僧侶に成れるかどうかという一点に尽きます。
「仏教科ではない」「大学へ進学している」ということは、基本的な仏教の素養をあなたは学んでいないのだと思います。先ずは、仏教そのものを学びましょう。あなたの宗派がわからないですが、自分で書籍を購入するなり、基礎講座を何らかの形で一度受けてみることをおすすめします。
「父親のような僧侶にはなりたくない」という反発が大きければ大きいほど、自分が理想的であらねばならないというプレッシャーに押しつぶされます。反発と葛藤の中に僧侶とお寺を考えていくのは一度お休みにして、仏教そのものの魅力に触れてはどうでしょうか。
仏教を好きじゃなかったけど、好きになった。
そういう動機があれば、自ずと進路は定まります。
自由ですよ
私はお寺に生まれましたが、やはり継ぎたくないという時期はありました。私の場合、他にやることがないという、消極的な動機で修行に行きました。
あととりと言われるプレッシャーもありました。
正直、仏教と真剣に向き合い救われるということを本当に知れたことから、私はお坊さんになる意味を感じました。悩みが多くそこから救われたいと願い、そして救われる事実を知りました。それは修行を終えた後の話でした。
正直お寺を継ぐ継がないは自由です。あなたの人生ですから。
ひとつ思ったのは「悩みやすい性格」とのこと、それなら本気で坊さんめざしたら救われると思います。
救われたらその道を人に伝えたくなります。それが自然な流れです。
現代の檀家は契約でなりたっているだけでそこに、信仰心の薄い方もいます。これはこれまでの仏教会がきちんとした形で人を育てることから逃げてきてしまっていたからだと感じます。
今ちょうど仏教会も真剣に考えていかなければならない時期です。人を導く役として、修行しご自身が救われたいかどうか。自分自身を究明したいかどうか。そこがないと、やはりずれてきてしまうのだと思います。
経営の部分は住職次第で変わります。あなたがもし継ぐならその時に変われば良いことです。お父様とあなたは違う人、あなたのなりたい僧侶になれば良いです。
もちろんならなくても良いです。仏の道を生きることに在家も出家もないですから。
私は在家出身で、親戚のお寺の後継者になりました。
私も
あなたに近い感情を
拙寺の前住職に抱いておりました。
そんな折
下記の超宗派の研修に参加し
前向きな考え方を学びました。
同じような想いのお坊さんが
大勢参加されると思います。
ぜひあなたも参加されては?
いろんな道がありますから
拝読させて頂きました。
あなたがその様にお悩みなさるのもわかります、あなたでなければ詳細にはわからない部分もあるでしょうけれども、あなたのお気持ちはなんとなくわかります。
あなたが嫌だと思うならばしばらくお寺や修行に関わらなくてもいいかもしれませんし、とりあえず修行だけして僧侶の資格を取ってあなたがやりたいことをやってもいいでしょうし、あなたが勉強したいことを勉強してもいいと思いますよ。
極端かもしれませんがお寺や仏教から逃げたっていいともいます。
因みに私も一般大学を出てとりあえず資格とる為修行に行って、その後は一切お寺や仏教から逃げました。その後実家にもほとんど帰ってきませんでしたし、ましてや手伝いもしませんでした。
40歳迄サラリーマンをやってお寺に関わらないようにしました、はっきり言うとお寺が大嫌いでした。
40歳の頃住職の父が突然亡くなってしまってあわててお寺に戻って、とりあえずお寺の住職をやらなければならなくなりました。母や家族をお寺から追い出すわけにはいかないですからね、ですからしょうがなく住職をやりました。
そして3年過ぎた頃かな…お寺や檀家さんや周りの方々の有難みが分かるようになりましたし、5年経ってから自分の役割や生きる意味や目的が少しずつ見えてきたかな…。つまり苦しみに向き合うことに気がつき始めました。
ですからあんまり頭ごなしではなく、いろんなことをしながら生きていいと思います。時には何もかも捨てて逃げてしまってもいいですし、それでもやっぱり戻ってきたい仏教を学んでみたい、人の役に立ちたいと思ってリスタートしてもいいんです。
誰かがおっしゃってましたが、僧侶は生き方ですからね、それぞれに生き方や志があっていいのです。その一つがそれぞれいろんな宗派が仏教にはありますよね。山を登るのに険しい急な山道を独りいく道もあれば、みんなで和気あいあいとゆっくりと登る道もありますし、ヘリコプターに乗せてもらって楽に山頂に上る道もあるのです。それはそのままそれぞれの仏教の宗派でもありますし、生き方でもあるのです。
あまり頭でっかちになるよりも先ずはいろんな世界を見ていろんな体験をしてみてそうしているうちにやっぱりやってみようかな…?でもいいと思いますよ。
また是非この場所を有効活用して下さいね。あなたを待ってますね。
反面教師
とてもとても悩まれているんですね。
今、こうして向き合っておられることはとても素晴らしいことだと思います。尊敬します。しかし、時にはどうしようもないこともあるでしょう。今がそうなんでしょう。
自分も今は、一般企業に勤めながら、寺院のことも自分なりに家族としています。
境遇も違い参考になるかわかりません。
およびさんと変わらないことは、誰よりも自分なりに将来、寺院のことを考えているということです。
そこに疑いはありません。
具体的なことを書いていませんが、色んな方の意見があればいいですね。
ご自身の性格と相談しながら
およびさま
https://hasunoha.jp/questions/53558
こちらでも回答させて頂いておりますのでご参照下さい。
しかし、この上記の問答をフェイスブックで取り上げたところ(SNSで拡散して問答について議論、参考等にしていただくのもhasunohaの使命です)、甘すぎる、辞めさせろと批判の嵐が・・
菩提心、利他心の発心、育みと・・もちろん求められるところは「志」に行き着くのでありますが、いきなりそれは難しいとも思います。
やっていく中で、低きに流れず、長いものに巻かれず、克己していけるかとなります。
結構、心を病む者も多いです。病みすぎての自殺もありますよ。どこの世界でも改革というのはそれぐらい覚悟がいるか、それか、天然的鈍感力がいるのであります。
ご自身の性格と相談しながらにて。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
お礼コメントを書くのが大変遅れてしまい申し訳ありません。それぞれの御回答、本当に有り難く、一つ一つ考えながら読ませて頂きました。様々のご意見、アドバイスを深く受け止め、今後の道を模索していこうと思います。
これまでの自分が知識,知見不足から来る独善的な思考に陥っていた側面にも気付かされました。先ずは、仏教、そして今生きているこの状況を広い視野を以て見なくてはならないと、そう思っています。
また、お話を聞きに来ることがあろうかと思います。その時はよろしくお願いいたします。