フェラーリなどの超高級車に乗るお坊さん
私の地元に全国的に有名なお寺があるのですが、そこのお坊さんが超高級車であるフェラーリやマクラーレンを長年所有していると知りました。最近は中古価格が1億円を超えることもあるマクラーレンを所有しているそうです。親に聞いて見たところ、昔から地元では有名だったそうです。
私の中でお坊さんと言えば質素な生活をするのが当たり前?だと思っていたので大変驚きました。超高級車を乗り回すなんて煩悩の塊ではないかと思うのですが、お坊さんが超高級車を所有することは仏教の教えやお坊さん達にとって問題のない事なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
知って下さいね、
拝読させて頂きました。
おっしゃるとおり高級車やスポーツカーを乗り回す坊主は煩悩の塊です、欲望の塊です、そして愚か者です。
自分が愚かな者だとわざわざ宣伝しているようなものです。
坊主の中にもそのような愚かな者がいるということでご認識なさって下さい。
そのような愚かな行いをする坊主は目立つとは思いますけども少ないです。基本的に坊主は裕福な生活はしてはいませんし、仏様を敬い仏教を信じて精進して生きています。
どうかそのような物欲にまみれた愚か者ばかりではないことを知って下さいね。
あなたが仏様とのご縁に恵まれて、これからの人生を心から豊かに皆さんと一緒に心から幸せに生き抜いていかれますよう心より仏様やあなたのご先祖様方にお祈りさせて頂きます。
安心して下さい、人は必ず亡くなります、その時にはフェラーリもマクラーレンも全て置いて行かなければなりませんからね。まして仏様の教えではフェラーリもマクラーレンも何の意味も成しませんからね。
余計なお世話
"お坊さんと言えば質素な生活をするのが当たり前"
"お坊さんが超高級車を所有することは仏教の教えやお坊さん達にとって問題のない事なのでしょうか?"
何か気に入らなければ、こんなところに陰口を書き込んでいないで、文句を言いにそのお寺に自分で乗り込んでいきなよ。それとも、やっぱりそんな度胸はないかい?
ところで、どこからどこまでが質素で、どこからどこまでが贅沢なのでしょうか?件のお坊さんがフェラーリやマクラーレンを捨てて、ブレーキの音がキーキー鳴るようなサビっサビの自転車に乗り換えれば、あなたは満足するのでしょうか?最新型のスマホを捨てて、ダイヤル式の黒電話を設置し直せば、あなたの人生の問題が解決するのでしょうか?洗濯は近所の川へ行き、便所は一回一回穴を掘り、夜は蝋燭の明かりを頼りにお経を読んでさえいれば、あなたの人生の課題は達成されるのでしょうか?
業(カルマ)
サンマクシマンさま
マクラーレンという名の高級車があることを初めて知った田舎者です。同じマクラでも、よく眠れそうな枕の方が有り難い。。
世の中には、富める者と貧しい者、才能に恵まれた者、恵まれない者がどうしてもおりますよね・・
それも、とても努力とかではどうにもならない・・何故なんだろうと思うことが・・
しかし、仏教では、全てのモノ・コトには因縁(原因と条件)が必ずあると考えます。
でも、常識で考えたら、あり得ない、絶対おかしいな・・と思うことはあるでしょう。
そんな一つであるのかもしれません。
しかし、あり得ない、絶対おかしいということではなく、それは、今世、今生だけの行状、環境等だけでは図れないものが実はあるからであります。
前世のみならず過去世、それも気の遠くなるような幾度と繰り返す輪廻における因縁が絡んでくるのであります。
そういえば、お坊さんで芸能人と二度結婚した人のことを、どうしてなのだろうか、そんなことありえるのか、ということで、その際にも、結婚は許されるのか、裕福なお寺で贅沢はいいのか、など批判めいた意見も多々ありましたが、それを今の行状、環境等だけで判断してしまうと、どうしてもそうなってしまうのであります。
それは、私たちそれぞれも同じなのです。
過去世からの因縁、特に、業(カルマ)の作用というものは、善いものも悪いものも、偽りなく、因果応報、自業自得として降りかかるものなのであります。
そういう例の一つなのであります。
逆もしかり、どうしてあんな誰が考えても分かるような悪人が、凄い金持ちになったり、凄い綺麗な人と結婚できたりできるのだろうと、羨ましいと思ったり、嫉妬したりしても、それは仕方のないことなのであります。
そんな他人のことよりも、その業というものには偽りないことをよく理解して、仏教では、その業を清らかに調えるための方法に取りくむことで、悟りへの道を歩むことが大切なことになるのであります。
もちろん、本来は、その清らかな悟りへの道を歩むべきである僧侶としては、当然に違和感があるのは否めないかとは存じますが。。他のふり見て我がふり直せです。
川口英俊 合掌
収入に見合った生活
日本の大乗仏教の観点で言えば、収入に見合った生活をするのは悪いことではないと思います。
観音菩薩像などは、かなり豪華なアクセサリーを付けています。
盗んだり借金をしてまで無理な贅沢をするのは間違いだと思いますが、そのお坊さんには高級車を買える収入があるのでしょう。
現代社会では、収入に見合った消費をすることは地域経済への貢献にもなるので人助けにもなります。
もちろん、お釈迦様の時代のお坊さんにはありえないことですけどね。
仏教的には、高級車に乗ることよりも120円の発泡酒を飲むことの方が戒律違反ですが、日本のお坊さんはお酒も普通に飲む人が多いです。
申し訳ありません。
私も織田無道氏に憧れて
お寺に入ったクチです…。
でも聞法していくうちに
そのような欲求も萎んでいきました。
正直そういう生活も羨ましいとは思いません。
ただ
一部の金満寺院のせいで
どのお寺もそうであるかのように思われるのは
甚だ迷惑です。
しかし
そういう裕福なお寺の檀家であることを
誇りに思う檀家さんもいらっしゃいます。
檀家さんに何も言われないから
その坊さんもフェラーリに乗れるのでしょうね。
正見ですね。。
歎異抄に「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」という御文があります。
わたしには何が善で何が悪かわかりません。。という意味です。
もし、そのご住職が高級外車を購入しなければ、ただ預金通帳に1億円の残高だけが残っているだけかも知れません。銀行が預金の一部をつかって広く融資をしていたかも知れません。また高級外車が売れる事によって自動車販売会社の売り上げが立ち、事業に携わる様々な方々やその家族の生活が助かったかも知れません。国税庁が、高級外車と寺院法務とは関係ないと認定し、個人に対する所得とみなして、住職個人に累進課税と延滞税の支払いの修正申告を迫ってくるかも知れません。全てが因果の道理にもとづいて動いている事です。 重要なのは、その事象を通じて、正しくモノを見る事ではないかと思います。
質問者からのお礼
たくさんのご回答を頂き、ありがとうございました。
新しい発見ができ、質問を行って良かったと思いました。