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坊さん世界がしんどい

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私は本来なら回答者側にいるはずの坊さん見習い。世襲によって住職になってしまった、檀家さんに顔向けできない三流のダメ坊主です。

仏教大学を卒業してこの世界に入って思ったんだけど
・飲み会多すぎない?
・不必要な会議多すぎない?
・下品なやつ多すぎない?
・どうでもいい修行多すぎない?
って思っています。(最後のはうちの宗派だけかもしれない)

元々体育会系のノリでの人付き合いがあんまり好きじゃないコミュ障なので、マジで会議後の飲み会とかいうダブルコンボが辛いです。
なぜ抜苦与楽のために仏教やってるのに私自身が苦しんでるの???ってなってきてます。

下品な坊主多すぎない?って思っています。「どこどこの修行を何回やった」みたいな謎のマウント取りがそのまま地域内での寺ヒエラルキーに影響するような世界に辟易としてます。

実家が寺なので寺そのものを捨てると家族が路頭に迷う関係上、俗世間を離れるのはできないんですけど正直したいくらいに今仏教に疲れています。

ここにご回答して下さるお坊さんの方は、そういうことを思ったりとか、しませんか?
したなら、どうやって折り合いってつけてますか?


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

世界の仏教に触れて下さい

ご質問を拝読しました。

全くあなたの違和感というのは、正しい違和感です。上下関係も古い体質なので、昭和のような雰囲気がお坊さんの世界にはありますよね。

法脈がうまく伝わっていないのが原因です。何故ならば仏教とは、教えを体現して菩薩となった方が、人から人へと法のバトンを渡していくものだからです。

バトンを渡す側も本物でなくてはなりませんし、バトンを渡される側も教えを求めてそれを実践し完成させるだけの器が必要です。

しかし現状はそう優れた関係性は稀です。その結果として、多くのお坊さんも迷い苦しみの中にいるのです。世間の価値観のなかに溺れて、出世間の法に触れる機会がありません。

これにはいくつかの歴史的な背景があります。ひとつは明治期の廃仏毀釈で、仏教が廃れたこと。そして妻帯によって世襲制になったこと。そして戦後の近代教育と研究方法に仏教の伝統が破壊されたことです。

ここでは特に最後の教育と研究についてです。日本は戦前戦後にかけて、西洋に圧倒されました。そのため、義務教育を取り入れて、お寺に入るような小僧さんも近代教育を受けるようになりました。仏教的な教えを身につけるべき大事な時間を、すっかり西洋的価値観を真似た教育のなかで過ごすことになりました。その時点で、かなりの仏教的な教えが失われました。

更に、西洋で行われていた仏教の研究方法まで真似てしまいました。ヨーロッパ人が仏教を発見した時に、あまりにも様々な教えがあるので、このように解釈しました。「何か元の教えがあって、それに時代がたってヒンドゥー教などの影響があって、教えが変わっていったのだろう」と。そのために、仏教の教えとは違う、西洋的時間軸で仏教の教えを整理して、ゴータマシッダールタが教祖であり元の教えであり、それ以外は後からの創作であると(乱暴な言い方をすると)そのように整理しました。そのため「原始仏教」などという学者の作った新ジャンルまで登場しました。

本当は全てブッダの教えなのです。そして、その教えは体現した者が伝えるものです。にも関わらず、仏教を文献学にしてしまったのが近代の仏教研究でした。お坊さんまで東大のインド哲学科のような研究を始めたものだから、教えを体現することは重要視されなくなりました。インド仏教の伝統のような教え方も廃れてしまいました。

ただ、世界には必ず本物がいます。
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おきもち

ご覧頂き有難うございます。夫婦で2児の子育てをしながら僧侶をしています。少しでも困っている方のお力添えができればと願います。 すべての生きとし生けるものの願いは「苦しみを除きたい、幸せになりたい」という点で衆生はみな平等だと仏教では考えています。この願いが自分ばかりに向かえば自己中ですが、他者に向かえば利他になります。 この慈悲の現れ方、表し方は生き物の数だけあって多種多様なのです。ひとりひとりがオリジナルな世界で、オリジナルな慈悲なのです。その「自分らしさ」に気づくことも仏教の修行のひとつの醍醐味ではないかと思います。 そういうわけで、皆さんの「自分らしさ」に少しでも触れられれば幸いです。

会議会合の中にも、学びの機会があります。気づいていないだけ。

・飲み会多すぎない? ・不必要な会議多すぎない?
・下品なやつ多すぎない? ・どうでもいい修行多すぎない?

 確かに、にささんに共感出来る部分はあります。回答僧の方々で同じような経験をした方は多いでしょう。住職になって30年以上、無駄な飲み会、無駄な会議も結構経験してきたかも。でも、私はそれらを全否定するつもりはありません。
 今のあなたには無駄にしか思えないかもしれませんが、日頃の同業者間との大事なコミュニケーションの機会だと思います。寺に居て住職をしていれば、必ず晋山式や本葬等大きな行事を行わざるを得ません。日頃の積み重ねが、いざという時の輪となり助力となります。
 無駄話や昔話ばかりで退屈に感じることも多いと思います。でも、先輩方の無駄話や昔話の中にも、有益なものもたくさんあります。同じ宗派の同じ地域の寺院でも、其々の寺の運営は異なります。反面教師とするしかない残念な面もあるかもしれません。でも、其々の住職が力量を発揮して其々の寺院をうまく運営し、檀信徒を化導している場合も多い筈です。無駄話昔話と切り捨てるような姿勢では、大事な部分を見落としている場合も多いと思います。

 修行道場での修行だって、やらされている修行では「どうでもいい修行」にしか見えないでしょう。参師聞法という言葉のごとく、道場の役寮や先輩たちに参じて教えを乞う姿勢を持たなければ修行の何たるかをわからないまま、修行期間を過ごしてしまうでしょう。

 今の仏教寺院の僧侶は、世襲の僧侶の割合の方が多いでしょう。確かに、仕方が無く僧侶となり、仕方が無く宗門の大学に行き、宗門の修行道場に行く人も多いと思います。でも、寺に生まれ仏飯を頂いて育ってきたということは、素晴らしいご縁であり有難いご縁です。檀家さんもいろいろ居られると思いますが、住職を信頼しお寺のお子さんたちにお寺の未来と檀信徒の未来を託してくれる檀家さんも大勢いると思います。仏飯を頂き檀家さんの応援いただいたことを機縁として、仏道に励んでください。
 大学だけで本当に仏教を学んだとは言えません、修行道場に一年や二年居たって修行のすべてがわかる訳ではありません。自坊を自分の修行道場とし、檀信徒を化導する教化の場にしていくことが大事です。更に学び行を重ね、もっと目を見開き、耳を欹てて話を聞いてみましょう。

 

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おきもち

個別相談可能
 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努めております。決して容易いことでは有りませんが、一期一会の気持ちで相談に、葬儀法事に励みたいと思います。    最初法学部部にで学び、4年間ほど公務員をしていました。(税務署勤務)その当時の学びと経験を終活相談に活かしたいと思います。                                              昭和63年5月に住職となってから、30年が過ぎてしまいました。仏教学・禅学もそこそこ真面目に学んだつもりですが、宗教学・宗教民俗学に力を入れて学びました。そういう分野については丁寧な回答が出来るかも。
一人一人の気持ちに寄り添い、傾聴に徹して、心をほぐしてあげられるよう、努めたいと思います。 それと同時に、完璧に出来るとは限りませんが、其の人が歩むべき方向を一緒に考えてあげたり、次の一歩を踏み出せるよう背中をおしてあげられるよう、努めたいと思っております。

単立化の検討も

にささま

これが当たり前と思ってしまうと終わりです(笑)

疑問に思われるだけ、良識、常識、見識がおありで素晴らしいことであるかと存じます。三流でなく、一流であるかと思います。

拙生の場合は、会下会、地域仏教会も含めて全て行きません。

理由は簡単で、煩わしい、アホらしい、何もためにならないからです。

まあ、拙寺は、単立寺院ということもありますから、横縦の繋がりはほとんどなく、行かなくても済み、その点、かなり恵まれております。すみません・・

単立化はさほど難しくなく、総代会、責任役員会等の議決と役所への手続きで可能ですから、今後、ご検討なさられることも。

・飲み会多すぎない?
→一切行かないです。そもそも酒を飲むこと自体、アウトです。

・不必要な会議多すぎない?
→一切行かない。だいたいはメールやネット活用で済むことが多い。

・下品なやつ多すぎない?
→世間と感覚がズレている者が多い。まあ、拙生もそうだとは思いますが。。

・どうでもいい修行多すぎない?
→修道が確立されていない。チベット仏教を学ぶと、どれだけ無駄、意味のないことが多いかがよくわかります。我慢大会に付き合うのは時間と労力の無駄ですね・・

もし宜しければ、この発心を大事になさられて、仏教の基本から学び直されますのも。拙生も、そこからでした。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

一定不変

こんにちは。

 私はサラリーマン経験がありますが、サラリーマン時代は「これは仕事の手を止めてまで集まる必要があるのか」と思うような会議もたくさんありました。仕事の後の慰労会、同期会などがありました。お坊さんになったら、お坊さんの同じ宗派の様々な集まり他の宗派との集まり、地元では自治会の活動やボランティアなど、様々な団体に入ったり抜けたりしましたが、どこに行っても同じです。同じように会合があり飲み会があり、下品な人がいたりマウントを取ろうとする人がいます。そういうのって一定不変なのだと思います。もしあなたがお坊さんをやめて自営業をしたとしても、同業者の組合や商店会など集まりに入る必要があるでしょう。多分その割合は一定不変でしょう。

 今回はお坊さんとしてのお悩みですが、誰もが同じような問題を抱えていると思います。私も人と会うのが苦手なので、お気持ちはとてもよくわかります。

 今「一定不変」と書きましたが、下品な人やマウントを取りたい人は少数ですが声が大きいので目立つのです。だから多いように見えるのです。実際は少ないはずです。ひとりひとり見ていくと、あなたと気が合う人もきっといます。しっかりと耳をすませ、人を見てみましょう。

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・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

しんどいですよね

にささん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

概ね共感しますよ。

まあ、下品なやつ多すぎない?については共感する部分もありながら、一方で、そう思っている私は一体何者なのかという視点は忘れないようにしたいとは思ってますが。

折り合いはつけません。最近は、だんだんぶつかるのも億劫になってきてスルーしてしまうことも増えましたが、不必要な会議や下品云々についてはぶつかります。変に、折り合いをつけるのは、結局同じことをやっているような気がして、とことんぶつかります。正論うざいと言われても(笑)

難しいですよね。

だから、周りは全部間違えている。他の僧侶や寺院との交流は全て断つというのは、私は酷く独善的な気がして、勧めません。

超宗派の繋がりは、自分の発想とは違う人たちに出会えるのは楽しく、また熱意ある人たちともいっぱい知り合えましたが、一方で、宗派内<超宗派という考えには私は賛同できませんし、超宗派の集まりは超宗派の集まりでひとつの世間だよなとは私の実感です。

そうですね。私とにささんは宗旨が異なりますし、全然見当違いと思われるかもしれませんが、私は、にささん、あなたがプロフィールに書かれていること、そこを認めて、まずはそこから歩み始めるのが良いと思いますよ。にささんのプロフィールは、お坊さんのみに紹介とされているので、ここでは詳しくは言及できませんが。

人付き合いに折り合いはつけても良いけど、あなたの仏道に折り合いはつけて欲しくない。一人の僧侶として私はそう思います。

もうひとつ、坊さん世界がしんどければ、色んな人と会ってみると楽しいですよ。仏教の学びは寺の中だけには留まりません。宗派の中の勉強会もあるでしょうし、超宗派もありますし、あるいは仏教と全然関係のないところで学んだって良いと思います。コミュ障でも、幸い、今はオンラインのイベントも多いですから、色々学ばれると良いと思いますよ。

にささん、どうかあなたの仏道を大事にしてください。

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個別相談可能
真宗大谷派僧侶。共に悩める場所を求めてこちらに参りました。
あなたのお話お聞きします。 助言やアドバイスを送ることはどちらかというと不得手です。 昼間は法務もあるため、夜間の方が身動きは取りやすいですが 時間が合えば昼間にお話することもできます。申し込みフォームからご依頼ください。 最近、寺に相談を望まれる電話がかかってきます。法務の都合もあり、電話でのご相談は受け付けておりません。申し込みフォームをご利用ください。

全く同感です!

私は会議だけ出て懇親会には出ません。
その他の付き合いもほとんど関わっていません。
自分が有益だと思われるものだけに限って
参加すれば良いと思います。

同じ価値観の方々との
超宗派の研修会の方は
本当に楽しいです。

仲間内での付き合いより
お檀家さんとの付き合いの方が重要です。

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おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談など地道なグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。

離れてもいいと思います。

拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちよくわかります。もしも嫌なら逃げてもいいと思います。しばらくお付き合いなさらなくてもいいのではないでしょうか。
私も若い時は修業を終えてから一切宗派のお付き合いをしませんでしたし、本山にも行きませんでした。大体20年ぐらいはほっておきましたよ。そしてしばらくお寺を離れて会社員として勤めて一切お寺のこともしませんでした。
そういう時間があってもいいと思います。お寺だけが全てではありませんからね。逆にお寺を離れてみていろんな方々とお付き合いなさってみたりするのもいいかと思います。
それぞれ生き方は様々です。
あなたが志す道をあなた自身が考えて検討して判断なさってみて下さいね。いずれその道を振り返る時がきます。その時また考えてみて下さいね。
どうか頑張って下さいね!

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脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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