思い切って相談してみます。 私は菜食に疑問を持ち始めました。 こちらのサイトで知ったからです→http://ameblo.jp/hmaganba/ 以前はお坊さんのところに嫁げば自分の夢はかなうものだと思っていました。 しかし、菜食せずに非遺伝子組み換え・無農薬・無肥料・平飼いなどを実現するとなると、お寺では反対されるかなと思いました。 檀家制度が難しい問題になっている今なら、お寺の新しい取り組みとして、山に土地を買い自然栽培と平飼いで特別牛乳(殺菌する必要のない牛乳のこと)を作ったり、 hasunohaのように相談サイトを作ったり、コンビニや市役所や学校に無料の切手と封筒と便箋を置いておいてもらい(そのお金は自分の宗教法人がだす) 虐待やいじめ、家出したい方、逃げ出したい方を自分の寺で受け入れて、いつまでもいていいようにする。 (行方不明届が出されず一生私の寺で暮らすかもしれない) というようなことを、協力してくれるお寺がいたらなあ。(*'ω'*) それとも年収1000万の方と結婚したほうが実現できるか。と、いう具合に悩んでいます。 理解してくれる方と結婚するのが一番ですがね。 会社兼宗教ですから、カフェを東京でやったりして自然栽培や平飼いの農作物でランチを楽しんでもらいたいと思っています。 最初はナチュラルハーモニーさん→http://www.naturalharmony.co.jp/trust/ で栽培が簡単なゴマを売って資金を得て、太白ごま油の九鬼さんに油を作ってもらったりしようと思います。 ここまで読んでくださってありがとうございます。 お坊さんの観点からみて、率直にどう思われましたか? お寺の嫁として受け入れてもらえない場合は、山の近くのお坊さんをお呼びして法話をしてもらったりします。 毎日般若心境を最低3回暗唱したり、ご先祖さまの武田信玄氏が祀っていた愛染明王や不動明王をお祀りしたり、ティンシャ→http://www.amanamana.com/fs/amanamana/c/tingshaws をならして家族みんなをおこしたり(血がつながっていない人も一緒に住む)してというような生活にあこがれます。 ご意見頂戴いたしたく候 合掌 リンク先おすすめばかりです。ぜひ見てみてください♡
疑問に思っていることがあり教えていただきたいと思います。 我が家では祖父の葬儀はお寺で行い、法事もしました。お盆には毎年迎え盆、送り盆を家族でしています。仏壇もあります。 自分の家の宗派も認識していますが、かと言ってそれ以外に仏壇にお線香を上げる等以外は日常で仏教的な事をしている訳ではありませんし、クリスマスを祝えば、神社にお参りする事もあります。典型的な日本人だと思います。 「私は仏教徒です」と言えるのはどういう場合なのでしょうか?逆に無宗教とはどういう状態でしょうか?身内が亡くなった際はどうしているのでしょうか。 仏教の本を読んだり仏像を拝観するのは好きですが、私の場合は無宗教なのか?と思ったりします。
信仰をする事にあまり興味はなかったのですが、今二つの宗教?に関わらせて頂いています。 一つは、宗教とは知らずに凄く興味があったので入会したら宗教だったみたいで… もう一つは、凄くよくして下さる方の紹介で深く考えずに入会しました。 この二つの宗教は、両極端です。 信仰するのは、一つに決めるべきでしょうか? 宗教と知らずに入会した方はかた苦しいし、?と思う事もありますが、興味ある事があって続けたいし、 もう一つの方は心穏やかでいられます。 このまま、二つの宗教を続けていいのでしょうか?
はじめまして。 どの宗教でも所属しないと、仏様からの救いは受けにくいのでしょうか? 私は親の影響である宗教に所属しております。最近そこのやり方に疑問をもち、辞めるか他のお寺へ移りたいと思いました。 そこでは毎月のお参り(2〜4回)は強制、お金も人によりますが毎月何万とかかっております。確かにそこで救われた経験があるので感謝はしておりますが、それらをしないと感謝の心が足りない、仏様に救ってもらえないなどと言われます。 同じ宗でもやり方が違うようで、普通のお寺か本山へ移りたいのですが、今の住職の許可が必要で、許可がおりなければ辞めるしかありません。 仏様のそばに来ないと助けて貰えないと言うのなら、別のお寺に移籍してでもその人の幸せを願うのが普通ではないのか?と思いますし、所属していないとまるで仏様からの助けが後回しにされるような言い方をされます。 できれば、所属しても強制される事がなく仏様も実生活も大事にしながら生きていきたいのですが、どうすれば良いでしょうか?
今、母が受けた新興宗教を亡き母の代わりにしています。先祖供養という宗教でお金も会費だけであまりかからないのですが、今起こる事は過去世に自分がしてきた事だから、ご先祖さんにお経をあげて救わせてもらって因縁さんに謝る。という考えです。自分のした事は返ってくる。というのは聞いた事がありますが、本当にそうなのでしょうか?宗教を否定するわけでもなく、一生懸命されている方は素晴らしいなぁ。と思いますが、自分の未熟さなのか、新興宗教をしていない時でも事故に遭っても無傷だったり、ご先祖さんに守って頂いてるように思い、今の宗教に半信半疑でいます。家は浄土真宗なので、やめようと思いますが、悪いものではないと思うので、正直迷っています。それがある事で悩むようなら、やめたほうがいいでしょうか?よろしくお願いいたします。
最近義母が亡くなり、葬儀の為主人の実家に帰った時に、義姉に宗教の事で言われる事が多くなりました。 主人の家族は、義父・義母・義姉(次女)3人が 宗教団体に入信しています。 主人・義姉(長女)・私は無宗教で、強いて言うなら、実家が東本願寺で葬儀をしていたので、私も同じ様に葬儀をしてと子供には話しています。 私は昔から義姉の入信した団体の友人等に、毎日勤行を上げているから、テスト・受験も上手くいくとか、日々の生活が全て上手くいくんだと自慢めいた事を聞かされたり、貴女の家で読まれているお経は、地獄に落ちるんだと訳の分からない事を聞かされたので、宗教が真底嫌いになりました。 で、今は姉に、無宗教は一番恥ずかしいとか、戒名・法名は位が高い人が付けるのに、一般人が付けてどうするんだと、また色々と話してきます。 私は、1神仏・人を信仰するよりも、一番自分を産んで育ててくれた父・母を尊敬しています。 日々両親に感謝する事で、良いと思っています。 争いの元になる事を作る宗教なら、私は無宗教で良いと考えています。 私みたいな考えて方は、間違っていると思いますか? 御住職方の、ご意見を聞かせてもらえないでしょうか? よろしくお願いします。
小さな頃からお仏壇に手を合わせる習慣はありました 祖父母の家には毎月お坊さんが来てくれていました しかし私はカトリックの幼稚園出身です 幼稚園ではイエス様マリア様にお祈りしてきました 月日が経ち祖父は亡くなりました 母は以前はお仏壇に手を合わせていたのですがいつからか熱心なキリスト教徒になり祖父のお仏壇にも見向きもしません 弟も別の新興宗教にのめり込んでいます 祖母はいつもそのことを嘆いていました 私は小さな頃から仏教に対してもキリスト教に対しても 何も疑問に思わずどちらも正しいものだとどっち付かずな生活を送ってきたと思います その罰なのでしょうか 重度障害児が生まれました 言葉も持ちません意思疏通は不可能です 暴れることしかできず世の中から切り取られたような生活をしています 私はどうすべきですか? 今なにができますか? わたしは死んだら祖父と同じ墓に入りたいのですがそれは可能でしょうか? どうか教えてください
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あちこちの宗教に興味を持つのはおかしい事でしょうか? 私は神話や説話、いろいろな昔話が好きで聖書や今昔物語、日本書紀、ギリシャ神話などあらゆるものを読むことが楽しく、お寺や神社などで美しい装飾を見て、歴史や装飾の意味などに思いを馳せるのが趣味とも言えます。 国によって共通の話があったりと興味がつきません。 また、宗教は文化でもあると思っていたので人や歴史と交流するためにも積極的に調べていました。 話は変わりますが私の祖父母はある宗教に入っています。 表記するとトラブルになる方もいると思うので実名?は伏せさせていただきます。 私は古い宗教の歴史の重みが好きなので新興宗教の薄さが好きではないんですが、2人が入っている宗教ではほかの宗教を邪教と呼び、私が神話を見ているのもあまりいい顔をしません。 私がその宗教を少しでも批判すると大騒ぎです。 前には十字架のアクセサリーを付けていただけで打たれたことがありました。 宗教ってなんでしょうか? どの宗教も根底には救いを求めいるのだと思います 世界を救う、自分を救う、誰かを救う ある程度妥協や権力の影やらが混ざっていても根底の優しさは変わらないはずなのに 邪教と全てを否定するのはいいことなんですか? 物語のコウモリのようにどっちつかずでふらふらして信仰を持たない私がいけないのですか? ごめんなさい書いているうちに頭がぐちゃぐちゃになって上手くかけなかったです
グローバルという言葉が当たり前になった現代でも、宗教はいまだ閉鎖的であるように感じます。 中東をはじめ宗教を理由にした紛争はいつまでもなくならず、中世の時代から少しも変わっていません。 それぞれの宗教はいい教えだと思うのですが、なぜ対立という方向に走ってしまうのでしょうか。 宗教の教えはよくても、それを運用する人間に問題があるのでしょうか。 仏教会(?)は宗教を理由とした紛争について、どう考えているのですか? いまこそ一致団結し、世界平和に向けてなにか活動してもいいのではと思うのですが、人任せで無責任な考えでしょうか。 ちなみに私は神社の町で育ったので神道が好きですが、仏教も尊重しています。
私は子供の頃から一度もお守りを持ったことがありません。 初詣に行ったことがなく、寺社に行くのは観光として、葬儀は風習や文化と考えます。 美術展で仏像を見て感動しても、それは美術品としての鑑賞です。 仏教の教えを耳にしても特に神格化はせずに、自分の腑に落ちれば過去の偉人の言葉と同列に受け止めます。 過去の厄年では、お祓いやお守りを受けた友人たちに 「自分は年齢の節目と捉えるけれど、宗教的には何もしない。 例えばキリスト教には厄年の概念は無くお祓いなどしないのだから」と豪語していました。 しかし、この2年間に酷く辛いこと悪いことがたくさん続きまして さすがの私も心が折れました。何かにすがりたくなりました。 そこで質問です。 1)今の時代には、私のような宗教心のない人はたくさんいると思われます。 そのことを御坊様はどう感じられますか? 2)こんな私が今さら何かにすがろうとするのは、たいへん後ろめたいです。 「ムシが良すぎる」と思います。 我が家は檀家ではないので、どこにどのようにお参りすべきか解りません。 適当に近場で有名な寺社に行くのもどうかと思いますし、 宗派やお寺を決めて毎月説法を聞きに行くなどの宗教活動をするのも、 なんだか行き過ぎで嘘っぽく、自分が打算的な感じがします。 その結果、今さら宗教と関わりを持ち、すがるのは筋違いなような気がしてしまいます。 どう思いますでしょうか?
お寺ではなく、神社の話になると思うのですが… お稲荷さまの事でご存知の方がいらっしゃいましたら、御意見、御指導よろしくお願いいたします。 友達の高校生の娘さんが、アニメなどの良い影響もあり、稲荷神社のキツネを『かっこいい!お参りに行きたい!』といってるそうなのですが、何の用事もない人が興味本意で、近づいてよいものなのでしょうか? お稲荷さまやキツネと聞くと、少し恐い話も聞いたりするので、親である友達もすごく心配しています。 よろしくお願いいたしますm(__)m
仏教に限らず宗教が具するテーマには、如何にして必然必至の死を受容するか、超克するかということがあると思います。 にも関わらず、人の死んだ時にからんで「忌日」とか「回忌」など「忌まわしい」という字を使うことには違和感があります。 死や血を忌まわしいもの、汚らわしいものとするのは神道の思想のような。 また、各宗祖が亡くなった時をも指して「遠忌」と呼んだりすることがあると思いますが、僧侶のかたはこれには抵抗ないのでしょうか。
団地に住んで一年以上たちますが、何ヶ月かに一回は新興宗教の勧誘が回ってきます。 毎回居るときは丁寧に「申し訳ありませんが、旦那が僧侶なので…お話もチラシもいただけません」とお断りしています。 それでも、「奥さんは僧侶じゃないでしょ、なら平気よ。それとも、仏教徒?」と聞かれ「はい、仏教徒です。すみません、忙しいので」とお断りしてます。 本当にしつこくて困ってます。ああいう宗教はすぐお金の話をするし、最初は優しくても、すぐ信者の勧誘をせがむし、ろくなもんではありません。 どうしてそんな変なもんに入ってしまうのか、人間弱ってる時に優しくされると弱いのはわかりますが、私からすれば行く所が間違ってると思います。 お寺さんや教会に足を運んで少し話を聞いてもらうなり、お参りに行くなりの方向になぜ行かないのかな?と思います。 私は精神的につかれた時にお参りに行って、空間と香りに癒され、開放された気分になるし、好きですけどね。 そのうち私も寺婦になりますが、誰でも気軽にあがれるアットホームな空間作りが出来たらと思います。 たまに物貰いもきます(笑)そういう方はお断りしますが、若い人も気軽に来れるようになればと思います。
今私は母親が入っている宗教をやっています。 そこでは毎月2万弱の会費等を支払いながら御指導を頂いたりしてます。 ただ最近先祖供養をするのにそんなにお金が必要なのかな?と疑問を持つようになり迷っています。 先祖供養は大事なのはわかってます。 ただ何かにつけて時のさんげで何万とか神力をもらうのに何万とか多い時で10万とかお金がかかります。 そのお金は御先祖様が貯金をしてくれていていざ必要な時に助けてくれると… ほんとに貯金をしてくれているのですか?(´・ ・`) 母親はもう信じきっていて私がそれを言うと怒ります。 疑いながら先祖供養をしても御先祖様に申し訳ないしモヤモヤしてしまって…
私は仏教徒の家庭に育ち、幼い頃からお寺に通い、お坊様と話すのが大好きな幼少期でした。仏教系大学を卒業しましたが、就職後、人間関係でうまくいかず、キリスト教と出会い洗礼を受けました。 しかし、教えへの疑問は続き、今は禅の考えに共感していて、キリスト教も仏教も 人の悩みに対する解決策としては考え方が近いなと感じています。 このサイトに出会い自分の疑問、不安を 質問させていただき、ありがたく感じています。 心配し過ぎず、考えすぎず、目の前の出来事だけを事実として生きていく?これでいいのでしょうか? 生き方と考え方のアドバイスをいただきたいのでよろしくお願いいたします。
仏教を含めた、三大宗教の入門書で、良いものがありましたら、教えて頂けないでしょうか。
仏教と宗教はどう違うのですか? 宜しくお願い致します。
初めて質問させていただきます。 御坊様に相談していい内容なのかとも躊躇しましたが、他に相談できる相手もいないため、筆を取らせていただきました。 ご無礼となってしまいましたら申し訳ありません。 私は家庭の事情もあり、小さい頃から宗教に関心がありました。 去年成人し、改めて自分の信じる道について考えることが殊更多くなり、仏教や神道に関連した本を読んだり、ネットで調べているうちに私はどちらの道を信じればいいんだろう、と結局悩むことになってしまいました。 どのような視点で、基準で自分の信じる道を選択したらよいのでしょうか。
はじめまして。 早々ですがお聞きしたいことがあります。 私は神様そのものは信じています。 けれどそれは神様や仏様はいる、とおもっているだけで、信仰しているわけではないのです。 崇め、奉り、敬い、教えに縋りたいわけではなく、 しかしただいるものだとはおもっています。 神仏の教えを素晴らしいものとおもい、そうありたい心が信心、伝え説くのがお坊様、という認識でおります。 そこで、なのですが、 そのような心構えでお祈りをするというのはおこがましくはないのでしょうか。 教えを守る気持ちも、尊ぶ気持ちもない私がです。 信仰心のない者であっても、時には手を差し伸べるのが神仏であると言われればそれまでですが、一方的感が拭えないのです。 見返りを求めていると感じる訳ではないのですが、 お賽銭などはともかく、お願いをするのに私は何もできないのでしょうか。 交通安全や、大切な人が健やかに、そして大切な人が天国で健やかであるようになど、そういう有り体といえば有り体なお願いです。 長々となってしまいましたが、よろしければ、ご回答のほどよろしくお願い致します。