仏教の新興宗教って
友人の誘いで仏教系の新興宗教?に顔を出しています。
宗教といっても、軽いサークルのような所です。
それは置いておいて。
今ある環境が私はとても苦しく大変だなと感じているんですが、これもお釈迦様の計らいというものでしょうか?
私を成長させるために仕向けたものなのですかね。そんな感じで言われたのですが。
最初は納得するのですが後で本当かなぁとちょっと疑ってしまいます。
教えを聞いて、納得して、疑問に思っての繰り返しです。
相手を変えないで自分が変わる、親や先祖を大事に。感謝。
人としての基本だと思うことを教えていただいて、実践しています。
ただ、私が若いせいか、親や親戚が宗教=危ない
という考え方でちょっと探るために知り合いが宗教を〜と話すとやってはいけないと言われます。
なので通っていることは秘密です。
そこは生活の制限など何かをしてはいけないというのは全くないので、たまに顔出して色んな人の悩みを聞かせていただいています。
色んな宗教があって、中には危ない場所もありますが全部が全部悪いわけじゃないですよね。若い私たちは、安全な宗教とそうじゃない所を見極める必要がありますが。
しかし宗教をやってない人には言えないこの罪悪感はなんなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
たぶん誰でも自分の宗教をいちばん疑うべきです。
サークルのように始まって、やがてがんじがらめになっていく、そういう、仏教系の新宗教もあります。具体的な名称がわかれば「それはダメです」など言いやすいですが、hasunohaの規約からいくと、具体名は出さない方が良い気がします。
カルトの専門家ではないので、ちょっと違うかも知れませんが、いろんな話を聞いていると、お金や時間や労働が、あまりに要求されるようになるかならないかが、いちおう分かれ目のように思います。
全部が全部悪いわけじゃないというより、ぜんぶが大丈夫というわけじゃない、ということだと思います。本当に変な感じなのはごく一部です。かつ、どんな大丈夫な宗教にも、カルトと同じような危うさは、必ずあります。
「宗教をやってない人には言えないこの罪悪感」
……「慣れ」で解決される場合もあります。が、慣れてもやっぱり解決されない部分もあると思います。地下鉄サリン事件がやっぱりあまりに衝撃的だったのだと思います。
盲目的、妄信的な信仰とならないように
うどん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
石田智秀様もおっしゃられておりますように、盲目的、妄信的な信仰は危険なものとなります。
しっかりと疑いがあれば、批判的、合理的に検証して参りたいものでございます。
「自分が変われば、周りも変わる」というのは、確かによく言われることですが、自分の見方、捉え方だけがただ変わっているだけで、周りが変わって見えているだけに過ぎないという場合もございますので、そこは注意が必要です。
「親や先祖を大事」、「感謝」するというのも、ただ、抽象的な標語のようなものとなっていないかどうかについても十分に注意されて下さい。
色々と問題の本質のすり替えなどに終始していないかどうかを見極められつつ、しっかりと良い(幸せ、悟りという)結果へと向けた良い因縁(原因と条件、動機と行動)を調えて参りたいものでございます。
とにかく、カルトの傾向は、セクト化し、独善性・排他性・脅迫性が顕著となっていくと危険度が増していくものであると考えております。
例えば、「自分のところが一番正しい、他は全て間違っている」とか、「自分のところに入れば救われる、他では救われない」など、あるいは、「先祖の因縁が・・」とか、根拠のない陰謀論を持ち出してきて、不安を煽り、その不安に付け込んでくるなど、いくつかのサインがあるかと存じますので、お気を付けくださいませ。
「宗教をやってない人には言えないこの罪悪感」・・
まあ宗教のことは、別にあまり関心のない、求めてもいない方に対しては、しいて言う必要はないものではないかなとは存じます。余計なおせっかいとでも捉えられる恐れがあると申しますか・・それぞれの気質、機根もありますから、自分の合っているものでも、相手に合うかどうかもわからないものですし・・薬と同じで、とにかく他に勧めるには、まずは自分でその効果を実感しないと勧められませんし、合う合わないという副作用も気にしないといけません。
しっかりと確実に相手のためとなるものになるまでは、薬の治験と同じで、批判的、合理的に検証していくことは欠かせないかと存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
いただいた回答をみて、私は怪しいと思っていたことを気付かされました。
お金はとられることはないですがお布施を気持ち袋に入れて神社のような募金箱にいれます。最初に始めた人の写真を拝んだり。熱心な人は役をもらって休みの日にも行っています。
悪いことはしていないようですが、今回の回答をみて疑ってかかろうと思います。