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出家した僧侶が結婚している。

回答数回答 4
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仏教が好きで学んでいるものです。
単純な疑問があるので教えて下さい。

仏教は出家をして修行し仏になる教えだと学んでいます。
一般生活をしている私には遠い存在です。
しかし、現代の僧侶は結婚してお酒も飲んで在家の生活をしていますよね?
それでは全く修行ができないと思うのですが、何を根拠に結婚しているのでしょう?
何かのお経のご文を論拠にしているのでしょうか?
もしくは既に仏道修行は諦めたということでしょうか?
もし結婚をしていいのならば、何故一時的にだけ出家(修行)するのでしょうか?

各宗派の考え方を教えて下さい。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「特別存在に」逃げない為

シャカもダルマもキリストもアンタも女性から生まれてきたでしょうが。回答のお礼を拝見しましたところ、賢明なアナタであればこれで十分でしょう。
まず出家だからなんだからと言って結婚や女性の存在を否定する時点で、昔はまかり通ったでしょうが、現代ではいくら仏教だろうが何だろうが人間の感性としてアウトだと私は思います。
だから曹洞宗の瑩山禅師は女人救済を強く訴えたのです。
女性の尊さを顧みずして、何の為の男女ですかい?
母親から生まれてこなかった僧侶がいましょうか?
母親、女性の乳を飲まずして育った僧侶がいるでしょうか?
関係性を尊重せずして出家も何もありません。
仏教だ宗派だのの仏教学屁理屈はどうでもいいっすわ。
宗教、仏教以前に男女があるでしょうが。
古代インドの差別的な思想をさらに上回り、結婚を認めた、という大きない一歩を踏み出した日本仏教こそは、世界に誇るべき最高の文化なのです。
あなたがその考えは違うと言われるなら、あなたが出家して、嫁さんほったらかし、母親もほったらかし、女性をほったらかして「これぞ出家だ」とかいって高みに立って仏ヅラすりゃいいでしょう?
そんなチープで時代遅れな差別的とも言われかねない思想が正しいとでも思っているのですか?
だから私は結婚しています。
結婚せずして家庭の苦しみの誰の何を救えるというのですか?
結婚もしていない僧侶に、夫婦、親子問題の現実の苦しみの何が現実的にわかるのでしょうか?
お釈迦様だって結婚され、子供や乳母を出家の立場に導かれたでしょう?
出家とは、そういう人間の観念、しがらみ、思想、考えなどから❝出つる❞ことをいうのであって、アタマ丸めりゃいいってもんじゃない。
仏教徒だから〇〇してはいイケない、というのはあなたの仏教に対する理想の押し付けでしょう。
修行とは、そういう考え、理屈を離れて、事実の世界に生きて、自らの考えに振り回されずに、ココロ明らかに生きる事です。
疑問があれば、お礼で質問せず、回答数が限られているため、新たに質問なさってください。
「物は持ってもそれを所有しようとするものは、ものに所有される。
無所得の所得は、それを持っていながらも、それに所有、支配されない。」
それが出家者の妻帯、結婚の姿勢です。
縛られていない、あり方が出家であり、無所得の所有であり、修行なのです。 

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おきもち

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

浄土真宗は出家をしません。

浄土真宗の僧侶は出家をしない在家僧侶です。
私たちは出家(修行)をする必要がありません。

阿弥陀如来の他力本願による浄土往生成仏が全てなので、こちらの側でなにかする必要が全くないからです。
100%阿弥陀様のはたらきなので、僧侶も門徒もただただ阿弥陀様のお話を聴聞し、報恩のお念仏をとなえる日暮しを送るだけです。
つまり私の口から出るお念仏は阿弥陀様のお育ての結果であり、念仏を申すような身に私が育て上げられたということです。

浄土真宗は極楽浄土での往生成仏が目的であり、それは全て阿弥陀様本願力に任せるのですから、私のことは全く問題としないのです。

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おきもち

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

救世観音

シャ家族さま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
面白いハンドルネームですね!

さて、仰るとおり「仏教は出家をして修行し仏になる教え」というのは間違いありません。それがそもそもの仏教だと思います。
ご質問に「何を根拠に結婚しているのでしょう? 何かのお経のご文を論拠にしているのでしょうか?」とあったので、その点についてお答えします。

私も釈心誓さんと同じく浄土真宗なのですが、宗祖 親鸞聖人は若い時に京都の六角堂に篭もり、救世観音が現れる夢を見たのだそうです。ちなみに当時、夢は神仏からの重要なお告げと思われていました。

夢の中で聞いた言葉は…
 行者宿報設女犯 我成玉女身被犯
 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽

訳すと「もしあなたが因縁あって妻を持つとしても、この私(救世観音)がそなたの妻となって生涯を共にし、いのちを終える時には浄土へ連れてゆこう」となります。

また親鸞聖人の師である法然上人は、自身は持戒堅固な聖僧でしたが、人々には「妻を娶って念仏が勤まるなら結婚してもいいでしょう、妻を持たない方が念仏が励めるなら独身でいなさい。なによりも、お念仏が大事なのですよ」と説きました。

私にとっては、以上のことが根拠になっています。
また釈心誓さんへの追加質問ではありますが、私は浄土真宗の僧侶と信者の違いは「仏教に出逢い感動をしたか、否か」と「感動した教えを人に伝えようとしているか、否か」だと考えています。

であれば、仏教に出逢い感激し、人に伝えようとしている人は全て僧侶かというと、現実問題としては僧籍を得ているかどうかということが問われます。
ただ、仏教に感動し人に伝えたいという思いがある方は、そうでない僧侶よりも遥かに仏教者であると、私は思います。

追記
そうですね、私も親鸞聖人は非常に特異な方だと思います。
で、端的な言葉ですが、間違ってはいません。ただ、「念仏すればOKなんだって〜」というニュアンスではなく、どんなに修行をしても煩悩を消し切れない自己を認識することが大切なのだと思います。

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おきもち

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

結婚してても修行は出来ます。

仰る通り日本では戒律を破って結婚肉食飲酒をされている僧侶は多いと思います。

しかし、戒律は何のためにあるのでしょうか?
それは修行をしやすくするため、
仏の悟りに至りやすくするためではないかと私は思うのです。

家族を持つと確かに独り身であるときより修行はしんどくなります。
だからといって修行が出来ないわけではありません。

どのような環境の中でも修行をすすめる事は出来るのです。

逆に全ての戒律を守ったからといって悟れるわけではないと思うのです。
修行をする事が大切なのだと思います。

仏門に入るのは、本当に門をくぐるに過ぎないと思うのです。
それからの日々の修行がとても大切だと思います。
修行は他の特殊な世界でするのではなく
相手は常に自分の心です。

お坊さんは法事とお葬式をしているだけでは決して無いと思うのです。

追記:私は真言宗ですが、お坊さんになるための修行の時は
百日間 家族や俗世と一切離れもちろん肉食もお酒も娯楽も一切禁止で
携帯電話やテレビ新聞ラジオなど一切持たず、
もし家族の誰かが亡くなっても知らせられる事の無い状況で
肉体的にも精神的にもかなりハードな修行をしました。
でも、それはその修行が終った後に日々の中で一生修行を続ける基礎だったと私は認識しています。
日々の修行と言っても、自分というちっぽけなものが頑張るのではありません。
私という小さな存在の「我」というものを遥かに越える
大きな尊いもの(仏と私たちは呼んでいます)に全てを任せることにより
小さな自分を鏡のごとくすることで大きな仏さまが映り込んでくださる…
これ以上は書けませんが、そのように修行を続けて行きたいと思っています。

追記:真言宗の宗祖弘法大師空海の著作「即身成仏儀」の中に『加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水、よく仏日を感ずるを持と名づく』という記述があります。
つまり、仏の姿が人の心の水面に映るのが「加」修行者の心が仏の姿を感じ取るのを「持」という意味であり、仏と人(行者)が照応して悟りの世界が現れます。
…それを私は『全てを仏様に…中略…仏さまが映り込んでくださる』と私の日々の修法(約2時間)の体感から表現しました。表現が悪ければ申し訳ありませんでした。
追記2:師匠を見つければ修行が出来ます。

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仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

質問者からのお礼

釈心誓様
浄土真宗の立場はよくわかりました。
確かにそのおしえであるならば出家をすることの必要はないですね。
お任せしておくというのは、とてもわかりやすいです。
阿弥陀如来のはたらきが本当であるならば、それが自然かもしれませんね。
であるならば、僧侶と信者の違いは何ですか?

悟東あすか様
その生活をしていて仏になれると確信していますか?
戒律を守ることが修行であって、戒律を守らなくても修行できるというのは、明確におかしいと思います。
「大きな尊いもの(仏と私たちは呼んでいます)に全てを任せることにより…」これは修行しなくてもいい、浄土真宗の教えじゃないですか?

釈心誓様
浄土真宗の立場はよくわかりました。
確かにそのおしえであるならば出家をすることの必要はないですね。
お任せしておくというのは、とてもわかりやすいです。
阿弥陀如来のはたらきが本当であるならば、それが自然かもしれませんね。
であるならば、僧侶と信者の違いは何ですか?

悟東あすか様
その生活をしていて仏になれると確信していますか?
戒律を守ることが修行であって、戒律を守らなくても修行できるというのは、明確におかしいと思います。
「大きな尊いもの(仏と私たちは呼んでいます)に全てを任せることにより…」これは修行しなくてもいい、浄土真宗の教えじゃないですか?

悟東あすか様
表現は悪くありません。
こちらこそズケズケ聞いて申し訳なかったです。
日々の修行とは具体的にどのようなものですか?
私でもできるでしょうか?

浦上哲也様
ハンドルネームにお褒めの言葉ありがたいです笑
親鸞という僧侶は特異な方ですね。
では端的に言えば「念仏を唱えれば修行をしなくても仏になれる」ということでしょうか?

丹下 覚元様
そもそも論点が違います。
社会構造や差別の話をしているわけではありません。
問答をしにきた訳でもありません。
「出家をして仏門に入った方が何故結婚しているのか?」と純粋に疑問なのです。
異性が好きで、世俗を捨てられなくて、結婚しているのであれば、それはもはや出家ではないと思うのです。
だから「何かしら論拠・根拠になるものがあるのでしょうか?」「もう修行を諦めたのでしょうか?」と尋ねているのです。
お釈迦様の話を出しておられますが、お釈迦様は出家をした後に結婚なさったわけではありません。
元々釈迦族の王子であり結婚なさった後に、全て捨てて出家なさったのです。

>仏教徒だから〇〇してはいイケない、というのはあなたの仏教に対する理想の押し付けでしょう。 私の理想ではなく仏教の戒律の話をしているのです。
新しい質問をするので、お答え下さい。

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

不謗三宝戒について

お世話になっております。 僧籍を持つ方との関係について相談します。 以前ご相談した方なのですが、授戒をためらっている理由の一つである方との関係です。その方はお寺のご住職の弟子で、僧籍をお持ちです。 その後、こちらでいただいたアドバイスを受けて少し距離を置いていました。お寺のご住職の法話は拝聴していました。 数カ月して必要があり、またそのお弟子さんの経営するお店にお世話になりました。 当時私はかなり苦しい状況にありました。その方に近況をお話したところ、特に悩み相談をしたつもりではなかったのですが、規定の時間をオーバーしてずっとその方の人生や人生観について語られました。 私の助けになればと思ってお話をされたのだと思いますが、正直、私には見当はずれなお話でしたし、何をお話しなさりたいのか、どうしてそういうお話になるのかもよくわかりませんでした。当時私は極めて多忙な時期で、なんとか時間を作って伺っていました。そのことはその方にもお話していました。一分一秒も惜しく、早く帰りたいと思いながら、でも途中でお話を遮るのは失礼だと思い、最後まで伺って、お礼を言って失礼しました。 距離を置いている間、僧籍を持っている方のことは敬わなければならないと戒にあるのだから、意見を素直に聞けない自分がわがままなのかもしれない、ご縁があったのだからすぐに捨てることは良くないと思い、今回改めて伺いました。しかしやはりその方のことを尊敬することができません。 ご住職は身体が丈夫ではないらしく、現在は仕事のほとんどをお弟子さんにさせているそうです。私たちとも直接会うことはなく、もちろん私もこれまで直接お話したことはありません。ただ、ご住職の法話から、こちらの状況は伝わっているのかなと少し推測する程度です。 お話したお弟子さんは後継者にはならないと思いますが、ほかのお弟子さんのお話も少し疑問に思うところがあり(上の、「受け入れられないのはあなたがわがままだからだ」ということはほかのお弟子さんから言われました)、今後、そのお寺とかかわって良いのか迷っています。 ご住職がおられる間はずっと法話を拝聴したいと思いますが、ほかのお弟子さんのことは心から尊敬する気持ちがわきません。このような考えは、戒に背いているのでしょうか。

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ご住職の対応について意見を聞きたいです

長文を失礼いたします。 私の母が亡くなった折、私の父が私の母の永代供養のお願いのためにお寺へ出向いた折、私からいくつか住職に質問をいたしました。 「私、葬儀社の方にかなりお世話になりまして、で、その方たちは亡くなった方に対して一礼を欠かさず、敬意を尽くしているようにみられました。 私はお経の意味などはわかりませんが、この一連の(お経をあげる式の)動作中に、何かそうした「敬意を表す」ような行動は含まれるのでしょうか」 といった内容のものです。その住職の言動などに、どこか投げやりっぽい感じを受けましたもので。 住職の回答ですが、端的に「お経をあげることがこうした敬意になります」というものでしたが、なんとなく私は納得できませんでした。 続けてあげていただいたお経の意味をおたずねして、それについても説明していただきました。 「納得いただけましたか」という問いに対して、私は「あとは個人個人のとらえ方になってくると思います」みたいなことを言ったと思います。 その直後にご住職が激高しまして・・・。 「お前、俺のあげるお経より葬儀社の人間のほうが礼を尽くしてるっていうのか、そうなら全部葬儀社の人間に供養してもらえ!」 「俺の方が(葬儀社より)上にきまってるだろ!」 「こっちは商売でやってるんじゃないんだ!お前がそんな態度なら金は返す、そのかわりこの戒名は返してもらう」 「●●(父の名前)とのご縁もあって、特別に永代供養という形をとったが、こんな態度をとられるとは思わなかった」 私も「それは違う」「誤解だ」と色々言いましたが、聞き入れようとはされなかったように見受けられます。 最終的には「お前の言うとおり誠意なんてのは個人個人のとらえ方だろうから、それならお前が納得する寺を探せ!」と怒鳴った後、住職は席を立って退席されてしまいました。 私自身「お経なんて何の役に立つのか」といった気持ちがありましたし、そうした気持ちを見透かされていたのかもしれません。 それにこうした質問は「場」にそぐわないものでしょうし、私のような気持ちを持つ人と接する場合、かなり不愉快であっただろうとも思います。 しかし、あそこまで面罵されるとは思いませんで・・・。 二人で平謝りしたことでとりなしを得ましたが、個人的には今後の事も考えています。ほかの方のどんな見解でも聞きたいです。よろしくお願いいたします。

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嫁ぎ先がお坊さん便を使うこと

死後の世界はわからないものだとこちらでも他質問でいくつか拝読いたしました。 現代では亡き親族の供養の仕方は様々かと思います。いろんな考え方があって当たり前だと思うのに、いざ自分のことになると気持ちがついていきません。 私は名家出身とかでは全くないですが、両親はあるお寺の檀家として必要だと思うことはやってきておりました。父は亡くなっております。 私自身、それが普通だと思って生きてきまして、嫁いだら私の実家のお墓に入れなくても、宗派は違えども、嫁ぎ先のお墓・御先祖を大切にし、供養や法要等やるものだと思っていました。 しかし、主人の実家では檀家などの概念がありません。そのような考えがない方も現代にはいらっしゃると分かってはいます。 こちらでも、葬儀は必要なのか、法要は必要なのか、お墓は必要なのか、、、などと、類似の質問はあるかと思います。 ただ、義祖父の亡き後、葬儀はお坊さん宅配便…法要は最低限…。なんだか寂しいような、理解できない気持ちになってしまいました。 ですが、そのときに来ていただいた和尚さまには私としては感謝しかありません。 私自身、正直仏教について詳しく存じている訳では全くありませんのでこのような質問をさせていただくこともどうかとは思うところもあります。 ただ、気持ちの置き所をどうしたら良いのかわかりません。厳しいお言葉でも構いません。何かお示しいただけたら幸いと思い、質問をさせていただいました。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 17
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乞食と喜捨に関する考え方

こんにちは、托鉢や乞食に関して、周囲の理解を得たいです。 私は地方都市に住んでいるのですが、街中でよく托鉢を行う人を見かけます。 お財布にゆとりのある時には小銭程度ですが、托鉢を行う方にお分けする事もあります。 …しかし、基本的に一緒に居る連れにはいい顔をされません。 「仏教には喜捨という概念があって、捨て去る事を有り難いと思う、そういった機会を与えてくれる事に感謝するっていう考えがあるんだよ」と説明はするのですが、あまり納得してもらえません。 私は小額で人の為になれれば嬉しい、そんな程度の考えで托鉢をなさる方に施しをします。 ですが、連れには大体の場合、「ああいうのはホームレスとかが僧侶などに変装してやっている。何も知らない人の善意を踏みにじる行為だからそんなものに手を貸すなんて」という具合の反応を返されてしまいます。 連れの言いたいことはわかります。ですがそもそも喜捨に関しては相手が誰だろうと関係ないものと認識しています。 しかし、それを連れに言ってしまうのまるで大事な連れを分からず屋扱いしてるような言葉になってしまいそうな為、いつも「小銭でも喜ぶんだからいいだろ」と終わらせます。しかしその言葉もまた托鉢をしてる方を、私が悦に入るための道具扱いしてるようであまりいい気分ではありません。 ところで私は敬虔な仏教徒ではありません。 人の為にどうのというのも、昔やっていたボーイスカウト活動にて「困っている人を助ける機会は善行を積む機会を頂ける」という考えを持っているからです。(この辺りは喜捨と似ているかもしれませんね) そのせいもあって、あまり詳しい仏教的な教えなどは語れなくもあるのです。 長文乱文になってしまいましたが、要は人は助け合うべきものであり、自分もいつホームレスの方々のようにモグリの托鉢や乞食をせねばならなくなるかわからない以上、誰かに何か出来る時はしておくべきだと思うのです。 こういった考え、仏教的な価値観を持たぬ身近な人に、角を立てずにわかってもらうにはどうしたらいいでしょう? わがままな話ですが、友人は大切なので「アイツは変わり者だ」と思われて距離を置かれるのも、「なんだか面倒くさいヤツだ」と思われて距離を置かれるのも嫌なんです。 支え合いこそ人類の本質にして美徳、そして自己のためでもあるのだとただわかってもらいたいのですが……

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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 78
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