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自分のことについて

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有り難し有り難し 81

自分自身メンタルがとても弱いのです。
メンタルが強くなるにはどうしたらいいのでしょうか?
マイナスな受け取り方もします……。
メンタルを強くしていきたいのですが……
いいアドバイスをください。
直ぐに胃にきてしまい……しんどいときがあります。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

メンタルを強くするとかいう、その曖昧な図式を捨てる。

メンタルが強くなるとは、総じておのれの観念に騙されないようになることです。
自己の中で沸き起こる内なる想念に乱されている様がメンタルが弱くなっている姿ということですから。
物事、状況、人など、自己が出会い、接する外の出来事に動じない、物怖じしないこと。
また、それを眺める、観る人も内なる自己ですからこそ、その内なる思いこそビビらない、動じないことがメンタルを強くする最大のポイントです。
物事も、内なる思いも、起こるまま生ずるままにいることです。
ありのまま、あるがまま、その通りそのままに、それを観て、あれやこれやと二次的な想念を波🌊たたせない、出てきても自分がそこに関わりを持たない、という事がメンタルを強くするということです。
心の波風が起こるのは全自動。本来は無我。自分がやっていることではなく脳が勝手に想念を生み出す。主観的に自分の内なるネガティブな分析、評価をすることよって問題が起こります。
よかれ悪かれ自分の脳内ディスプレイに最終判断された評価がどんなに根拠のないものであっても、あなたの最終的な自己評価です。間違った評価、嘘の評価であっても、その脳内自己評価があなたの脳内では真実なのです。ですが、現実は脳内真実とは違う。あなたが思っているネガティブ評価と実際の事実とは別物なのです。
メンタルの強さとは評価に陥らない心。
つまり、実際の真実、事実を正しく見極めていればそれが同時にメンタルが強くなっているさまなのです。
他人の評価と自分の評価に一喜一憂しなくなることです。
私は評価以前の心に住しています。
それは思考、想念から外れた心、非思量です。
難しいことではなく、事実に住するまま、感受のままだけでいることです。
今も目の前の景色が映っている。
音も、香りも、感覚もある。
そこにはただその様子があるだけで、感受のままと言えます。
その感受状態がいつでも誰でもの本来のありようです。
それが人間の本来の様子(仏)のありようです。
判断や分析以前であるから私的な価値判断も恐怖も恐れもない。好き嫌いもない。
ここが人間の持ち合わせている万国万人共通の人間の救われです。
ただ脳内ディスプレイで生じた純粋な思いに対して、後追い的に生じさせた私的な評価や分析ペダルをこぐことをやめる。これあるのみです。

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有り難し
おきもち

まずは呼吸に意識してみることから。

はじめまして、橋本昌大と申します。
私もお坊さんになる前は、自分に自信が持てなかったり、人前で上手くしゃべれなかったり、怠けるクセがついてしまったりした時期がありました。
自分自身の体なのに、本当に言うことを聞いてくれませんよね。
でもそれが人間だと思います。
だからこそ、その性質を逆手に取るというか、利用することが解決方法になる場合があります。
お坊さんの修行法に座禅や瞑想があるのはお耳にされたこともおありでしょうか。
そこでは呼吸がもっとも重要な要素になります。
普段、私たちの呼吸は感情にリード(支配)されています。
それを逆手にとって、呼吸を深くゆっくりにすることで、感情を最も正しい判断ができる状態にすることができます。
ここまでは、大切なことに気付ける心の状態を作る、準備運動です。
ここからが本題です。
頭ではしなければいけないことが分かっていても、心と体がついていかないとき、こんなことをイメージしてみてはいかがでしょうか。
例えば、今はもうこの世にいない、自分の先祖のこと。できればお顔を思い出したり記憶があるような、少しでも同じ時代を生きた方が分かりやすいかもしれません。
その方々は、現代を生きる私たちより、もっと辛い時代を生きてこられたと思いませんか?
仏教的には、仏の世界に行かれた方々には煩悩はありませんから、現世での性格や人間関係は心配ご無用です。
ご先祖様はただただ、子孫の幸せを願っておいででしょう。
そんな方に思いを馳せながら、自分のいのちの使い方をもう一度考えてみてはいかがでしょうか。
いのちは、自分の努力で獲得したものではなく、授かったものです。そして人間には寿命がありますから、いつかそのいのちはお返ししなければならないものです。そうです、期限付きの借り物なのです。
そうすると、「いのち=時間」とも言えます。今日1日を大切に使いましょう。
焦る必要も自分に出来ないことを悲観する必要もありません。
自分にできることこそが”使命”です。
そして”使命”は思ったより身近で小さなものです。
その”使命”に気付けたとき、強い精神力を発揮できると思います。
まずは、ご自身の周りに困っておられる方、辛いことがあった方がいらっしゃったら、優しい気持ちで接してあげてください。
人間は誰しも弱くて、一人では生きられない生き物ですから。

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おきもち

橋本昌大
1979年十輪院生まれ。 中学・高校は京都市内のカトリック系ミッションス...
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プラス思考の練習

和馬様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「メンタル」が弱いというのは、もしかすると「自分はメンタルが弱いという思い込み」によるところもあるのかもしれません。

本当は心、メンタルというものは、中性的なものであるはずなのですが、色々な因縁(原因と条件)により、良いものにもなれば、悪いものにもなるという程度なものとなります。

とにかく、少しでも良いもの、強いものへと変えていくためには、良い因縁を調えていくことが必要となります。

まず、モノ・コトを見る際に、どう見るか、ということにもよります。

hasunoha共同代表・井上広法師の著書「心理学を学んだお坊さんの幸せに満たされる練習」の中でも扱われていましたが、目の前に「半分水を入れたコップ」があると想像してみてください。

本来は、ただの「半分水を入れたコップ」にしか過ぎないはずなのですが、見る側における因縁によっては、その「半分水を入れたコップ」に対しての判断、価値が色々と付いてしまうことになります。

例えば、のどが渇いてもっと飲みたいという者にとっては、「なんだたった半分しかないのか」となり、十分飲んで渇きが満たされているものにとっては、「まだ半分もあるのか」となるなど、「半分水を入れたコップ」に対して、怒りや嫌悪など、とらわれの心が生じて苦しむことになってしまうのであります。

もちろん、ただの「半分水を入れたコップ」に対して、中性な見方ができれば、それに越したことはありませんが、まあ、それはまた仏教を修習していく中で可能になっていくこととして、今は、とにかく「プラス」に考えてみる訓練をしていってみるというのがお勧めになります。

つまり、「半分水を入れたコップ」を見て、「半分しかない」とマイナスに見るのではなく、「まだ半分ある」とプラスにみて、では、それをどう自分のプラスに繋がることに活かしていけるか、ということを考えて思考を鍛えてみることで、実際の実践の場に応用していくのであります。別に半分でなくても、いっぱいの場合、空の場合でも、それぞれをどうプラス思考へと変えていけるようにできるのか、是非、考えてみて下さい。そのようにして、何でもプラスに考えていけるような思考を訓練していくことで、メンタルを鍛えてみられてもどうであろうかと存じます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「自分とは・自分を何とかしたい」問答一覧

自分は浮気性なのでしょうか

最近頭から離れないことがあり、ご相談させていただきます。 私には6年お付き合いをしている彼氏がいます。相手からも大切にしてもらっていると感じるし、本当に大好きで結婚したい相手です。誰に何と言われようと浮気や彼氏を裏切ることはしたくないと思っています。 今まで自分は浮気をしたことがないと信じて疑ってきませんでした。 しかし、最近そんなことなかったのかもしれないと悩むようになりました。 きっかけは職場の人たちに、「長く付き合ってきて一回も浮気してないの?結婚してないんだから遊ばないと」と言われたことです。 浮気って結構よくあることなのかなとそこから浮気について考えるようになり、よくわからなくなってきました。 もちろん体の関係は彼氏以外と持ったことないし、自分から他の人に好きだと伝えたことも今の彼氏と並行してお付き合いしたこともないです。 ただ、過去の飲みの席で男の先輩にベタベタしてしまっていたな、とか仲良くしてくれて頼りになる先輩のことを好意的に思っていたのも恋愛的に好きだったと言えるのかも、とか自信がなくなってきました。 また、しつこく言い寄られた際に流されそうになったこともありました。 理性が働き、断り続けて耐えたことでなんの関係にもなりませんでしたが、あれは時間の問題だったかもしれないと思い始めました。実際に少し気になっていた相手でもあったのか、これ以上一緒にいたら好きになってしまうかもしれないと思ったこともあります。 行動に移してはいないけど、心は浮ついていたことが多々あったように思えて仕方ないのです。 そう思い始めると、今後自分は絶対に浮気しないと言い切る自信もなくなってきて、私はすごく不誠実にお付き合いをしているのではないかと彼氏に申し訳なくなります。 飲みの席にはなるべく行かないようにしたり、下手に異性と仲良くなるのも避けたりしていますが自分が信用できません。 私は自分に厳しいだけ? それとも本当に浮気性でどうしようもないのか… 私はおかしいのでしょうか。 自己嫌悪で冷静に考えることができなくなってきました。

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なにが正しいのか、なにをするべきか

 全て無意味に思えてしまいます。哲学的で少し長い話になると思いますが、よろしければ聞いていだたき説法して頂けると幸いです。 自分の生き方の指針が見えません。自分には夢も目標もありません。ただあるのはある経験から得た自分のやるべきことをやるべきだという学びだけです。しかし、私のやるべきこととはなにでしょうか。  「善いことをしよう」と考えたこともあります。しかし、「善いこと」とはなんでしょうか。少し話がそれますが、ボランティアもしたことがあります。しかし、「これは自分が善いことをしたと思い、楽になるための自己満足」だと思いました。要は自分のためなのです。自分は浅はかだと思います。本気で誰かを救うため、例えば国境なき医師団のような紛争地で医療を行うような、勇気も能力も適正もありません。自分のような臆病で繊細で自己も確立できていないような人間が命が関わるのは誰にとっても良い結果はでないと思います。ネガティブで拗ねた考えで自分を卑下しているのではなく、実際に向いている人間にお願いするのが救われる人にとっても良いことだと思います。完全にひねくれた考えがないと言えば嘘になります。しかし、私にとって身の丈にあった「善いこと」とは何でしょうか。 そもそも、世界的に見れば資源は有限で幸せになれる人は限られています。世界がどう転ぼうが不幸せな人がでます。これは大学で経済や経営の勉強をして自分なりに本を読み、世界がそのような構造になってしまっていると考えました。  すると、私は日本に生まれ、両親がおり、世帯収入があり、大学にいけるという世界で幸せになれる席に座っており、その席に座れなかった人からみると加害者とみることができます。すると加害者である私は「善いこと」をしたいという浅はかな自己満足に縋りたいだけの存在であり、私の存在を肯定するには運と弱肉強食の理論でないと辻褄が合わないように思います。しかし、その様な考えはまりにも救いがありません。しかし、このような哲学的な考えが頭をめぐり、何が正しく何を信じればよいか分かりません。正義も悪も人が勝手につくったものであり、全て無意味の様に思います。 私はなにを指針に、なにをすればいいのでしょうか。  

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自分のことで精一杯で人の心が想像できない

(真剣な内容ですが、性的な内容が含まれます) こちらで何度か相談させていただいた方と、先日無事に挙式できました。その後、新婚初夜ということになったのですが、そのことで妻を呆れさせてしまいました。 先に申し上げておくと、私はこれまでそのような経験がなく、当日いきなりそこまで行く可能性もそこまで高くないと考えておりました。妻の誘いで始まり、結局は失敗に終わってしまったわけですが、妻の怒りはそこではありません。 その最中に「ちょっと痛いかな」と言われたので、自分なりに必死に考えて動きを緩慢にしたり方向を変えてみたりしていたのですが、妻曰く「痛いと言ったのに止めてくれなかったのがショックだった。それくらいわかってほしかった」とのことでした。 また、翌日以降にも体調のことや痛みのことを聞かなかったことで、「挙式直後じゃなければ人間性を疑って荷物をまとめて出ていくくらい。失敗したことに怒ってるんじゃなくて、あまりにもわかってなさすぎなのが信じられない。とりあえず勉強して、反省して。30代半ばの女が診断書持って離婚なんて恥ずかしいからしないけど、20代だったらそうしてたよ」と言われました。妻はその後実際に少し体調を崩しています。 以前の質問にも関連するのですが、このように自分なりに考えたことが裏目に出てしまい、他人からすれば「結局自分のことしか考えていない」と思われる(実際にそうなのだと思います)ことが本当に多いです。 後から考えると「確かにそのとおりだ、なぜあのときああしなかったのか」と強く悔やむのですが、そのときには頭が真っ白になったり、一瞬とはいえ極端に楽観的になったり、他者からすれば非常に自分本位な行動を取ったり…もうすぐ30代だというのに、自分があまりにも子供っぽくて情けなく、妻にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。妻は態度こそ温和ですが、実は非常に短気なところがあり、上記のような発言もときどき出ます。いつか愛想を尽かされるのではと怖くて仕方ありません。 妻を怒らせるとき、私にも言い分が無いわけではないのですが、妻からすれば言い訳以外の何物でもなく、弁明も聞きたくないと言われます。根本的には相手の気持ちを汲み切れないところにあるのですが、どうすればそこに気づくことができるのでしょうか。

有り難し有り難し 2
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自分をコントロールできなくなり、不安です

タイトルが20文字までなので変な感じになりました。 私は数年前からリセット癖が起きています。深夜に唐突にデータを削除したくなり、キーボードの変換からアカウント削除まで本来必要なアプリも消したくなります。 スマホだけならまだいいですが、ミニマリストを目指しているわけじゃないのに連日物を捨ててしまいます。診察券やパスポート、卒業アルバム、ゲーム機…後で後悔する(面倒くさくなる)と分かりきっているはずなのに捨てたくなります。実際パスポート以外は捨て方を調べてから捨てました。結果、診察券(再発行)で後悔しました。 前は期限を決めてそれまでリセット関係の行動を起こさないと自分の中でルールを決めたりしましたが、それも失敗してしまい最近は自分ではどうにもできないんじゃないかと思いつつあります…。 原因に心当たりはあります。 元々几帳面な性格で物が散らかってきたなと思ったらまとめて片付けたり、決めた場所に戻したりしていました。 しかし、それに加えて(最近気づいたのですが)大きな事件・事故が身近に起きると無意識にセルフ終活を始めてしまうんです…。 最近、スクランブル交差点で事故がありましたが、その日私は渋谷で遊んでいました。そしてニュースを見て「あの時長めに寄り道しなかったら遭遇して死んでいたかもしれない…」と思い、3日後には部屋がスッキリしました。 他にもコロナにかかった時や地震があった日など、身の危険を感じたり「いつ死んでもおかしくない」と思ったら即セルフ終活を起こしてしまいます。 あとこれは考えすぎですが、セルフ終活中は「早く捨てないと…(あまり物は無いけど)こんな部屋の状態で遺品整理されて中身を見られたら恥ずかしい!」と思っています…。 そして決まって片付いたりリセットした後後悔するんです…。 (自業自得なのですが)これらのせいで思い出の品と呼べる物はほぼ無く、正直同級生の名前や顔も思い出せない状態になっています。 この悪癖どころではない行動を直すことはできるのでしょうか?

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母性に飢えた私は胎児に戻りたい

お世話になります。 結婚相談所にて婚活中ですが難航しており、ご助言いただきたく失礼します。 元々自分に自信はなく、容姿身長収入等でいわゆる低スペックだと自認しています。それらに加えて相談所のカウンセラーはじめ、周囲から「考えすぎ」「繊細」と評されることが多いです。 先日、素敵な女性とお見合いすることが出来ました。 知性と包容力があり、気遣いも見せてくださり、人として信頼できると感じられる方でした。 翌日、お相手から今後の希望が届いたのですが、結果はあいにく「お断り」でした。 後日相談所に理由を問い合わせたところ、 「受け身に感じられた」 「話を広げようと質問したことに対して、自分のことを話したくない雰囲気を感じた」 といったものでした。 ご縁がなかった事実は仕方ないとして、いま改善できることを探している最中です。 相談所のカウンセラーから「次回以降、話し方に気を付ければいい」というアドバイスはあったのですが、それは表面的な対処に過ぎず、根本的な「自信の獲得」にはならないと感じました。 そこで考えを巡らせたのですが、私が内面に抱えているものが良くないはらたきをしているのでは、と疑っています。 先のお見合いと前後して強いストレスを感じる時期があり、その間、私は「胎児に戻る」妄想を繰り返していました。 守られたい。 一方的に与えられたい。 責任を負いたくない。 ひたすら安心させてほしい。 甘えたい。 甘やかされたまま溺死したい。 生まれる前こそ極楽だとすら思えるのに、なぜ生きて社会で生活することはこんなにも…… 例のお見合いの影響で気付かされた面もありますが、どうやら私は母性に飢えているようです。 女性からは、寛容で穏やか、生活力と協調性、共感性を持つ男だと認められたいと思い描いてはいるのですが、お断りの一件は、私の心の底にうずく幼児退行ならぬ胎児退行願望を見透かされた結果ではないか、そのように考えてしまいます。 巷のコラム等で見聞きする限りでは、私のように甘えの欲求をうまく消化できない成人男性は案外多いのでは?とも思うのですが、何か救済手段はあるのでしょうか。 また、お釈迦様が語ったこととして、母胎回帰の幻想といいますか、そういった内容のお話しはあるのでしょうか。 お知恵を拝借できれば幸いです。 宜しくお願いいたします。

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人への意見や気持ちの伝え方、黒い感情

私は機能不全家庭で育ちました 物心ついた時には父から虐待を受けていて 父は賃貸の家の壁に殴って穴を開けたり 私が自分の気持ちを言ったり 父に蹴られてにらむと なんだその目はともっとやられました 母は私のアザを見て離婚を決めました 私は性同一性障害の傾向があり 体は男ですが女の意識が強く 顔立ちも女っぽかったので学校でもいじめられており 友達はほとんどいませんでした 離婚後転校してからもいじめられました 母はすぐ再婚しました しかし再婚相手が働かなくなり その人も気に入らないと家を破壊する人でした 私は再婚なんてしてほしくなかったし 母と二人でいれれば貧しくても幸せだったんです でも妹が生まれ母は私に当たったり 少しの事で怒る事が増え 私もいじめられていましたが 恥ずかしいし母が心配したり悲しむと思うと言えませんでした その頃から毎日悪夢や霊を見るようになり 夜中に何度も起きたり眠れなくなったため 朝も起きれず学校もいじめがあるから行きたくなく 母と毎朝喧嘩するようになりました 母は再婚相手に何も言えず 私が言おうか?と言っても お願いやめてという人でとにかく事なかれで生きていました 私もそんな母の背中を見たり 意見を言うとキレる父 学校でいじめられて反論すると 大勢で一斉に言い返されたので どこか諦めの気持ちが出てきて 嫌な時ほど笑ったり明るく振舞ったり 相手に意見を言えない人間になりました 関係を持ちたくない人に迫られた時も 自分の気持ちを言うのは悪い事だという意識や 父の暴力のフラッシュバック 相手を傷付けるのではないかという気持ちがあり 自分さえ我慢すればと受け入れてしまった事も多々あります でもそれで今いらない病気をもらってしまったりして 本当に苦しいです でも私の内面が綺麗なのかと言えばそんな事はなく 怒りや黒い感情が渦巻いていて 他者に対して憎しみや殺してやりたいというような気持ちさえあります ただ言えないだけ なので他者に対して言いたい事を言って それで反感を買っても自分を通している人達がすごく輝いて見えるのです そして貝のように自分の気持ちを殺して押し黙ってしまった私より そういう人の方が人生をエンジョイしていて 素の自分で接してもついてきてくれる仲間も多いように感じます どうしたら素直に自分を出せるのでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ