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宗派の違い

回答数回答 3
有り難し有り難し 36

何度も質問させていただいております。
毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。

さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。
元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。
そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。
バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。
そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。
どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。
それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。
今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自灯明

仏教に関心を持ってくれて嬉しいです。
他宗の事を詳しくは知らないのですが、仏教の誕生を考えると、先ず最初に選ぶとすれば聖道門でしょう。

聖道門とは、坐禅や瞑想により自分の心をコントロールして苦しみを無くし、この世を楽に生きること(悟ること)です。自力とも言います。
宗派で言えば、浄土宗、浄土真宗、時宗の3つを除く宗派全てでしょう。特に禅宗の曹洞宗や臨済宗、あるいは原始仏教(テーラワーダ仏教)がお釈迦様の教えに近いかと思います。(他も近いのかもしれませんが詳しく知らなくてごめんなさい)
法句経(ダンマパダ)など読まれてはと思いますが、解説本から読んだ方が理解し易いです。

そこでもし、聖道門で悟りに近づけない、死ぬことがどうしても怖くて悲しいと挫折したら、浄土門を訪ねてください。

浄土門とは、自力の努力をするものの挫折し、来世(極楽浄土)に悟りを求めることです。他力本願とも言います。
宗派で言えば、浄土宗、浄土真宗、時宗にあたります。
ただひたすら阿弥陀仏におすがりし、極楽浄土に生まれる事を願うのです。極楽浄土で悟りを目指すのです。
キリスト教などに近いかもしれませんね。
大慈悲の阿弥陀仏は、西洋の神よりも優しいと思いますが。

また、聖道門の中でも浄土門寄りだったり、浄土門の中でも聖道門寄りだったりする宗派もあるし、お坊さんによっても違います。
これは、お釈迦様が遺言に自灯明、法灯明と言い遺したからです。
自灯明とは、自分で考えて悟りを目指しなさいという事です。
法灯明とは、真理や法律に従って悟りを目指しなさいという事です。
ですから、お坊さんによっても、個人によっても、お釈迦様やお弟子さん達の残された教えの解釈、受け止め方が変わるのです。

というわけで、ぜひいろいろ本を読んだり、お坊さんの話を聞いたりして、ご自分の仏道を歩んでください。共に頑張りましょう。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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選ぶものではなく……

ゆるんさん、はじめまして。石田といいます。

日本のキリスト教の学校を出て、その後はイスラムの国で過ごしていらっしゃるのですね。わたしには真似がなかなかできない経験をされているように思います。うらやましいと思うべきなのか、ものすごいご苦労があるはずなのにそれをまったく出さない強さ?を…やはりうらやましいと思うべきなのか。

わたしの場合は、宗派や宗教を自分で選んだつもりはありません。おのずとこうなってきた、というふうに感じています。ただ、他者から見ると、わたしが自分で選んだように見えるようです。そのあたり、いわゆる「無宗教」の人との決定的な違いのようなものを感じることもあります。

とある一つの信(信仰)に入った後では、自分の信と他の信との違いはかなり明確になります。入る前に同じように見えていたこと、同じように感じていたことがかえって不思議に思えるようにさえなります。(個人差はあるかもしれません)

教義・教学を知識として学ぶことももちろん大事ですが、あらゆる宗教は、書物やモノ、そして何より「人」を介して今に伝わって来てくださっています。仏教も間違いなくそうです。わたしもそうでした。ですから、自分が良い感じに思う僧侶の方の話をテキトーにまずばんばんいっぱい聞いて、それから……

……と思いましたがイスラム教圏の国にいらっしゃるのでしたら近場に仏教僧侶はそんなにいないかもわかりません。うーん。

……NHKの『心の時代』のアーカイブなどでご覧になる、などの方法が良いかもわかりません。

他にも、僧侶が法話をしているファイルはネット上にありますから、そこから探っていくのが現実的なのかもしれません。

たいしてお力になれず、すみません。ただ、そう、選ぶものではなく、おのずとそのようになっていくのが信なのだと思っています。

ゆるんさんが良い出会いに恵まれることを願っています。

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石田 智秀 (ちしゅー)
お寄せくださった質問について考えさせていただくことで、必ず回答できる場合ば...
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他宗教と仏教、仏教の宗派について

ゆるん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

他宗教と仏教との違いは何かと申しますと、端的には、仏教には他の宗教には見られない「空」の精緻な思想哲学があるということ、では、同じものは何かとなれば、人格の向上、幸せを目指して、愛や慈悲、利他の思想哲学があるということになるのではないかと存じております。

「科学と神秘、宇宙と人間は皆同じ」というのも、仏教的には、「空にして縁起なるもの」としては同じであると言えるものと考えて良いのではないかと存じます。

仏教の宗派に関しては、色々と分かれてはいますが、最終的に目指すところは、悟り・涅槃であり、そのために釈尊がお説きになられた八万四千にも及ぶ法門の真意をしっかりと理解して、修習に取り組んでいく必要があると考えております。

それも、全ての教えは初転法輪の中にてお説きになられました苦・集・滅・道の四つの聖なる真理、「四聖諦」を原理として説かれているとして、これから幅広く仏教を学ばれていかれます中においても、その教えの原理には、「四聖諦」を意識して理解されていかれれば、さほど間違ったことにはならないのではないかと存じます。

あとは、釈尊の教えには、最高真理への誘いを意図して説かれている「勝義諦」の教えと、便宜的、一時的な理解へと向けた方便の教えとして説かれている「世俗諦」の「二諦」があるため、その教えがどちらの教えであるのかも、慎重に留意しながら学ぶ必要もございます。

もちろん、拙生もまだまだではございますが、是非、共に頑張って仏道を歩んで参りましょう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

聖章様、石田様、ご回答ありがとうございます。
じっくり読ませていただきました。
まずは縁があるだろうということ、じたばたしても仕方がございません。今ここで出来ることを精一杯やろうと思います。今後どういう出会いがありどういう未来が待っているかわかりませんものね。
今、こうして仏教に出会ったこと自体がよい縁だと思って、まずは無理のない範囲で学んでゆきたいと思います。
またこの主題の宗派ですが、ほんとうに色々あるのですね。まだこれといったものとの出会いがないということは、私自身の理解が足りないもかもしれませんし、ある意味、蚊帳の外で色々と読んだり勉強したりする機会があるということも素晴らしいチャンスなのかもしれません。
今という状況に地団駄踏まずに、ポジティブに受け止めてゆくことにいたします。

長文のご返答、本当に感謝いたします。

川口様
詳しい説明をありがとうございます。学ぶということ、信仰するということ、実践するということが一つの宗派で行われるのが大事なのだなという思いがしてまいりました。あまりにも情報が膨大すぎて、全てを学んでそこから選ぶというのも信仰とは違う気が致します。その点はこの先、良い巡り会いが必ずあると信じていくことにいたします。
仏教に関しては哲学そのものを学ぶことは、非常に興味深いものです。全ての要素と巡り会うには膨大な時間がかかりそうですが、気長に修行してまいります。

「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

有り難し有り難し 3
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一生の信仰にする宗派を決めたい

私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

有り難し有り難し 16
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