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宗派の違い

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有り難し有り難し 35

何度も質問させていただいております。
毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。

さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。
元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。
そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。
バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。
そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。
どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。
それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。
今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

2016年7月8日 21:45

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自灯明

仏教に関心を持ってくれて嬉しいです。
他宗の事を詳しくは知らないのですが、仏教の誕生を考えると、先ず最初に選ぶとすれば聖道門でしょう。

聖道門とは、坐禅や瞑想により自分の心をコントロールして苦しみを無くし、この世を楽に生きること(悟ること)です。自力とも言います。
宗派で言えば、浄土宗、浄土真宗、時宗の3つを除く宗派全てでしょう。特に禅宗の曹洞宗や臨済宗、あるいは原始仏教(テーラワーダ仏教)がお釈迦様の教えに近いかと思います。(他も近いのかもしれませんが詳しく知らなくてごめんなさい)
法句経(ダンマパダ)など読まれてはと思いますが、解説本から読んだ方が理解し易いです。

そこでもし、聖道門で悟りに近づけない、死ぬことがどうしても怖くて悲しいと挫折したら、浄土門を訪ねてください。

浄土門とは、自力の努力をするものの挫折し、来世(極楽浄土)に悟りを求めることです。他力本願とも言います。
宗派で言えば、浄土宗、浄土真宗、時宗にあたります。
ただひたすら阿弥陀仏におすがりし、極楽浄土に生まれる事を願うのです。極楽浄土で悟りを目指すのです。
キリスト教などに近いかもしれませんね。
大慈悲の阿弥陀仏は、西洋の神よりも優しいと思いますが。

また、聖道門の中でも浄土門寄りだったり、浄土門の中でも聖道門寄りだったりする宗派もあるし、お坊さんによっても違います。
これは、お釈迦様が遺言に自灯明、法灯明と言い遺したからです。
自灯明とは、自分で考えて悟りを目指しなさいという事です。
法灯明とは、真理や法律に従って悟りを目指しなさいという事です。
ですから、お坊さんによっても、個人によっても、お釈迦様やお弟子さん達の残された教えの解釈、受け止め方が変わるのです。

というわけで、ぜひいろいろ本を読んだり、お坊さんの話を聞いたりして、ご自分の仏道を歩んでください。共に頑張りましょう。

2016年7月9日 1:37
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんをしています。 なかなか良い回答はできませんが、少しで...

選ぶものではなく……

ゆるんさん、はじめまして。石田といいます。

日本のキリスト教の学校を出て、その後はイスラムの国で過ごしていらっしゃるのですね。わたしには真似がなかなかできない経験をされているように思います。うらやましいと思うべきなのか、ものすごいご苦労があるはずなのにそれをまったく出さない強さ?を…やはりうらやましいと思うべきなのか。

わたしの場合は、宗派や宗教を自分で選んだつもりはありません。おのずとこうなってきた、というふうに感じています。ただ、他者から見ると、わたしが自分で選んだように見えるようです。そのあたり、いわゆる「無宗教」の人との決定的な違いのようなものを感じることもあります。

とある一つの信(信仰)に入った後では、自分の信と他の信との違いはかなり明確になります。入る前に同じように見えていたこと、同じように感じていたことがかえって不思議に思えるようにさえなります。(個人差はあるかもしれません)

教義・教学を知識として学ぶことももちろん大事ですが、あらゆる宗教は、書物やモノ、そして何より「人」を介して今に伝わって来てくださっています。仏教も間違いなくそうです。わたしもそうでした。ですから、自分が良い感じに思う僧侶の方の話をテキトーにまずばんばんいっぱい聞いて、それから……

……と思いましたがイスラム教圏の国にいらっしゃるのでしたら近場に仏教僧侶はそんなにいないかもわかりません。うーん。

……NHKの『心の時代』のアーカイブなどでご覧になる、などの方法が良いかもわかりません。

他にも、僧侶が法話をしているファイルはネット上にありますから、そこから探っていくのが現実的なのかもしれません。

たいしてお力になれず、すみません。ただ、そう、選ぶものではなく、おのずとそのようになっていくのが信なのだと思っています。

ゆるんさんが良い出会いに恵まれることを願っています。

2016年7月8日 23:55
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有り難し
おきもち

石田 智秀 (ちしゅー)
お寄せくださった質問について考えさせていただくことで、必ず回答できる場合ば...

他宗教と仏教、仏教の宗派について

ゆるん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

他宗教と仏教との違いは何かと申しますと、端的には、仏教には他の宗教には見られない「空」の精緻な思想哲学があるということ、では、同じものは何かとなれば、人格の向上、幸せを目指して、愛や慈悲、利他の思想哲学があるということになるのではないかと存じております。

「科学と神秘、宇宙と人間は皆同じ」というのも、仏教的には、「空にして縁起なるもの」としては同じであると言えるものと考えて良いのではないかと存じます。

仏教の宗派に関しては、色々と分かれてはいますが、最終的に目指すところは、悟り・涅槃であり、そのために釈尊がお説きになられた八万四千にも及ぶ法門の真意をしっかりと理解して、修習に取り組んでいく必要があると考えております。

それも、全ての教えは初転法輪の中にてお説きになられました苦・集・滅・道の四つの聖なる真理、「四聖諦」を原理として説かれているとして、これから幅広く仏教を学ばれていかれます中においても、その教えの原理には、「四聖諦」を意識して理解されていかれれば、さほど間違ったことにはならないのではないかと存じます。

あとは、釈尊の教えには、最高真理への誘いを意図して説かれている「勝義諦」の教えと、便宜的、一時的な理解へと向けた方便の教えとして説かれている「世俗諦」の「二諦」があるため、その教えがどちらの教えであるのかも、慎重に留意しながら学ぶ必要もございます。

もちろん、拙生もまだまだではございますが、是非、共に頑張って仏道を歩んで参りましょう。

川口英俊 合掌

2016年7月9日 9:35
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

聖章様、石田様、ご回答ありがとうございます。
じっくり読ませていただきました。
まずは縁があるだろうということ、じたばたしても仕方がございません。今ここで出来ることを精一杯やろうと思います。今後どういう出会いがありどういう未来が待っているかわかりませんものね。
今、こうして仏教に出会ったこと自体がよい縁だと思って、まずは無理のない範囲で学んでゆきたいと思います。
またこの主題の宗派ですが、ほんとうに色々あるのですね。まだこれといったものとの出会いがないということは、私自身の理解が足りないもかもしれませんし、ある意味、蚊帳の外で色々と読んだり勉強したりする機会があるということも素晴らしいチャンスなのかもしれません。
今という状況に地団駄踏まずに、ポジティブに受け止めてゆくことにいたします。

長文のご返答、本当に感謝いたします。

川口様
詳しい説明をありがとうございます。学ぶということ、信仰するということ、実践するということが一つの宗派で行われるのが大事なのだなという思いがしてまいりました。あまりにも情報が膨大すぎて、全てを学んでそこから選ぶというのも信仰とは違う気が致します。その点はこの先、良い巡り会いが必ずあると信じていくことにいたします。
仏教に関しては哲学そのものを学ぶことは、非常に興味深いものです。全ての要素と巡り会うには膨大な時間がかかりそうですが、気長に修行してまいります。

「仏教宗派について」問答一覧

仏教に様々な宗派がある理由

いつも拝見し、様々な方のご質問やお坊さん方のご回答を読ませていただいては多くを学ばせていただいており、ありがとうございます。 初めて勇気を出して質問させていただきます。。。 少しずつ本を読んだり話を聞かせたいただいていますが、まだまだ初心者です。 本来ならばいずれかの宗派に特化して学ぶべきなのでしょうが、まだそこまで絞れておりません。 少し学んだレベルなのですが、自力の仏教も他力の仏教も頷かされることが多々あります。 どちらの仏教も並立するんやないかなと思うこともあるくらいなのですが、他方、それぞれで相反する考え方もあります。お経さんでも同じです。 元はお釈迦様から始まった同じ根っこなのに何故なんやろう…と不思議でした。 これは、対機説法、応病与薬が具現化した結果だと理解するべきものなのでしょうか? そうであるとするならば… 浄土真宗では、煩悩はなくならず、自力では決して救われず、悟ることはできないと聞かせていただいています。 他方、禅宗では、煩悩を減らして行き修行を重ね悟りに至ることを目指すものと認識しています。 ということは、人それぞれによって(対機)、自力で救われる人もいれば他力で救われる人もいる、 煩悩のままで救われる人もあれば、煩悩を減らして(なくして)救われる人もいるということでしょうか。 どの様な人に、どの様な説法=教えが適切なのでしょう⁇⁇ 屁理屈の様な、ド素人の、アホな質問で大変恐縮ですがご教示頂けますと有難いです。 もしかして過去にどなたかが似た様な質問をされて回答がある様でしたら申し訳ありません。 宜しくお願いいたします。

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