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一人で悟ることはできる?

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一人で悟ることはできますか?

お寺も無いお坊さんもいない国にいます。
お坊さんや書物の力を借りなければ悟ることはできませんか?自分一人で悟ることはできますか?

一人でも悟れるなら、悟るために何をする必要がありますか?座禅ですか?

2015年2月6日 1:45

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無師独悟

迷いや悟りがおこなわれるのは、どこまでいっても、この自身の上においてのみ。
そういう意味で人間は無師独悟、一人で悟れるようにできています。
禅門で悟りを求める為の王道は参師聞法、工夫坐禅です。
さらに言えば、考えや悟りを求める意識すら撃ち方止めにすることです。
師とは正師。正師の伝える心とは、正法。正法とは考え事ではない心の状態です。
坐禅や師によらずとも、人間は一日24時間の中で仏も要らず悟り要らずな悟りに等しい心があります。
我を忘れて、物事をワタクシしない心のありかたです。
逆に言えば24時間一秒でも問題の無い心が無いなんてことは無いはずです。
坐禅とは、坐る事ばかりではなく24時間ひっきりなしに出てくる思いを一切手をつけずに、ワタクシ化させないで過ごすことです。
今、私はPCに向かいながら題名のない音楽会が激しい演奏をしています。子供がキャッキャと飛び回って、今肩の上にのってきましたが、そういう外の事も、内なる思いも邪魔にならなくなります。
無私だからこそ、涼やかなのです。
宗派によっては「悟りは得られない」といいます。
ですが「悟り否定説」も「悟れる説」も、ゴール地点、帰結する所は同じ脚下。思考を離れた事実なのであって、そこが悟りと為すべき所であると説いた方便です。
経典、祖録という文字文言観念理屈ではなく実生活の中に悟りを見出したお釈迦さまをはじめ、祖師方たちは皆、脚下照顧(あしもとをみよ)とか、喫茶喫飯などと、悟りを特異な事とはせず平常の中にこそ見出すべしとお示しなのです。
 事実に親しみ、考え、思考、分別を離れましょう。あるのはただただ、たった今の事実のみです。
ゴールといっても、到達、行くのではなく帰結するといってもイイでしょう。たった今の事実に(へ)です。
ただ言葉が違うだけで、事実の内容は誰にとっても、万人にとっても一つ、「たったいま」「自分の考えを加える前の事実」です。
悟りは外に求めず、自己に、現前に見出すほかありません。

2015年2月8日 10:28
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丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

一人で悟ることが出来たのは、お釈迦様だけです。

長い仏教の歴史の中で、それが出来たのはお釈迦様だけです。
お釈迦様のお弟子方はお釈迦様がおられたので、悟ることができました。

2015年2月6日 11:48
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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

悟りと言った時点で悟れません。

 もしかして・・・と思いましたが。曹洞宗の永平寺猊下で在られました宮崎奕保禅師様が「1分坐れば1分の仏、1日坐れば1日の仏。一生坐れば本物だ。」というお言葉があります。悟ろうとして悟るのではなく、良いことを良く考えて続けることで大悟が得られるものかもしれませんが、得られた思った時点で、それは大悟ではなくなります。ワシは何度も「百尺の竿頭から一歩を踏み出す。」(『正法眼蔵随聞記』)勇気を持ってほしいと思います。

2015年2月9日 10:07
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有り難し
おきもち

ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

質問者からのお礼

釈心誓さん、回答ありがとうございました。

丹下 覚元さん、回答どうもありがとうございます。合点がいきました。

大鐵さん、回答ありがとうございます。

「悟りとは」問答一覧

悟りとは不可能なことなのでしょうか

なぜ、私たちは生まれてくるのでしょうか。なぜ、生と死が一つのものだと分からないのでしょうか。                                                                              なぜ生まれたら苦しみがあるのに、生きる楽しみに浸ってしまうのか。執着とは、罠のようなものなのでしょうか。                                                                                                      なぜ私たちは生まれてきた理由を知らないのでしょうか。なぜ浄土や輪廻があるか否かを知るすべを持っていないのでしょうか。                                                                                                 どうしてこの心は、真理とは違う方向に向かってしまうのでしょうか。私たちは生きているうちに悟ることができないのでしょうか。                                                                自分が愚かだと僅かに気が付いても、未だに愚かなのはなぜなのでしょうか。                                                                             

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悟りと解脱、輪廻転生について

こんにちは。 これだけこのサイトにお世話になりながら、悟りについて良く考えた事がありませんでした。私の考え含めて質問させていただきます。 仏教の入門書だとよく「修行の完成」→「悟りを開く」→「輪廻の苦海から解脱」と解説されています。 しかし自分はこの解脱と言うか、輪廻転生が今一つピンと来ません。 生前や死後については無記とするのがお釈迦様の真意に近いと思うし、 輪廻とは一種の比喩と考えるのが適切と思うからです。 実際、輪廻を考えると色々と矛盾が生じます。 例えば虫の輪廻転生。一生無心に鳴き続けるセミ等に「善行」「悪行」などあるのでしょうか?善行を積んだセミが高次の存在に転生し悪行を積んだセミがさらなる悪趣に落ちるのだとしたら、誰がそれを判定するのでしょうか? そのような超越的な存在(判定者の類)は仏教では否定されるのではないでしょうか? となると、悟りも輪廻転生を前提にしている限り、よくワカラナイものになってしまいます。 悟った覚者は転生せず、凡夫が転生する・・・のでしょうか? だとしたら悟ったかそうでないか判定者がいる事になります。 (ここでまた超越的な判定者の問題にぶつかります。) 悟りによって体質と言うか、魂(?)の質が変わるとでも言うのでしょうか。 じゃあ輪廻とか死後が無記なら、結局「悟り」て何なの?って話になって 頭の中ぐるぐるで何だかよくわかりません。 こんな考えって戯論でしょうかね? お考えを教えて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 66
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