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縁という言葉

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最近こちらのサイトを知って登録し、はじめて投稿します。
私は20代の頃から日本的な(東洋的な)景観に惹かれ、お寺の建造物・庭園・造形物などに興味を持ち、趣味として仏閣めぐりをしているうちに、仏教に興味を持った者です。

これまでのQ&Aを拝見すると、お坊様方の回答の中に「縁」という言葉がよく出てきて、そういえば父方の祖父母(故人)がよく「縁」という言葉を使っていたのを思い出しました。
日本的で趣ある言葉とは思っておりましたが、もとは仏教用語なのでしょうか?

ちょっと変わったうちの母が、曖昧な言い方が嫌いなのか、犬猿の仲の姑がよく使っていたからなのか、「縁」という言葉を毛嫌いしてまして・・・。
「縁なんてものはない!魅力のないモテない女が、モテないという事実を認めたくないがために、縁がなかったという言い方に逃げて、実在しない縁というものを捏造した!」という奇抜な主張をするんですよ~^^;

縁は男女の出会いだけではないし、第一、「良縁に恵まれました」を「私の魅力によって良い男つかまえました」と言っては印象良くないですし(苦笑)

でも、そんな母はお寺さん・お坊さんを尊敬しているので、もしも仏教用語だったら、それを知らせたら毛嫌いしなくなるかなぁと思いまして。。。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「因縁生起」という言葉を知ってください。

むらさきさん、ご質問ありがとうございます。

「縁」という言葉に、ともすれば、まがまがしいものを感じている人は、多いのかもしれません。

結論から言えば、「縁」は仏教用語です。

「因果」とか「縁起」という言葉は、よく使われますが、ときおり、元々の仏教用語とは違った、

誤解を含む使い方をされることがあります。

「因果」とは「因=原因」と「果=結果」と思っていただいていいでしょう。

この原因があってこの結果となる。

このように考えていただいてよろしいかと思います。

よく「因果」は、「種」と「花」にたとえられます。

この花の種をまいたからこの花が咲く。

しかし、現実にはそう単純ではありません。

種をまいても花が咲かないこともある。

花が咲くには、「種をまく」という因は不可欠ですが、そのほかに、気温だとか、土だとか、水だとか

様々な条件がそろってこそ「花が咲く」という結果になります。

この「気温・土・水」に当たるものが縁です。

ですから「因果」といっても、「因」の他にたくさんの「縁」によって「果」が成り立つのです。

「因縁」とありますが、元は「因縁生起」なのでしょう。

「縁起」も「因縁生起」の「縁」と「起」を結んだもの。

ですから、「縁起が悪い」「縁起が良い」という一般の使い方は、仏教語としてはおかしいですね。

「因」と「縁」が整ってこそ「果」があるのです。

ちょっと意地悪いかもしれませんが、お母様の主張を逆手に取ってみると、

「魅力のないモテない女」(失礼な言い方になりますが、原文のままで)がモテないという事実には、

因も縁も果もきちんとそろっているのでしょう。

もちろん、しあわせな結婚ができるという事実にも因も縁も果もそろっています。

ただ、「縁」はいいことばかりではありません。

そのことも確認しておくべきなのでしょう。

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有り難し
おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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はたらきかけ 関係性 かかわり

あなたのお母ちゃんはあなたが縁という言葉に逃げずに、ちゃんとイイヒトつかまえなさい、という事でしょうねぇ。
良縁悪縁 何が良き縁で悪い縁になるかわからんものです。
別れることの方が良縁とすらなるのですから。
縁という言葉にこだわらずに、よい働きかけをしていくことは大事であろうと思います。
自分が良い結果を目指して働きかけていくことで結果は変わります。
他人様から頂いたご縁によって、自身がより良くなることもあります。
今も、心の中にいろいろな頃が思われておられると思います。
それもまた縁として活用できます。
縁でないものはありませんね(/・ω・)/
外を見ればその景色が映る、聞こえる音がある、それによって思われることや意思が起こる。
縁となるものばかりです。  
えにし、ゆかり、はたらきかけ、かかわり、かかわりあい、機縁、わたし共は頂いていることばかりです。
それが皆、縁です。
悟りに向けてきっかけとなる事、なすべきことです。

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有り難し
おきもち

「縁」は仏教の根本思想です。

全ての事柄は「縁」によって起こります。
「縁なんてものはない!」ということはありえません。
「縁起」「無我」「無自性」「諸行無常」等、これら全て「縁」の道理を教えてくれるものです(^^)

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おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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「縁」について

むらさき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「縁」という言葉は、仏教において非常に重要なタームであり、正しく理解することが求められるものとなります。

拙生の回答をまとめさせて頂いておりますブログのタグ付けにおいても、「縁」はまさに一番のタグ・キーワードとなってございます。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/縁

もちろん、世間におきましては、例えば「因縁をつける」とか、「因縁を切る」などと、「縁」が悪い意味合いで使われていることもありますが、それは仏教的には誤解であり、既に藤堂様もおっしゃられておられますように、「因縁果」(要因・条件・結果)の理としてまずはしっかりと理解することが大切となります。

また、この「縁」・「縁起」の理解は、これも既に釈心誓様もおっしゃられておられるように、「無我」・「無自性」の理解においても大切なものとなります。

「無我」・「無自性」とは、つまり、「空」ということでもありますが、この「空」とイコールで「縁起」が理解できるかどうかが非常に問われてくるところにもなります。つまりは、「色即是空 空即是色」の理解となります。

まあ、難しいことは少しおいておいて、簡単には、むらさき様はむらさき様ただ一人で生きていけるような存在ではありません。無数の生かされる「縁」があってこそ、生きることができている次第であります。それがゆえにも、自己中心的に、独り善がり的に、自分さえ良ければ良いということであってはいけないものであり、支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いの中で過ごしていくことが大切になるのであります。

そして、仏教で因果の法、因縁果の法を重視するもう一つの理由が、善い結果のためには、善い因縁(要因・条件)が必要になるということで、これもまた既に丹下様がおっしゃっておられることと同じとなりますが、悟り・涅槃へと向けた善い結果を臨むのであれば、そのための善い因縁を積むことが必要になるということでございます。

仏と成るための善い因縁を積むための教えがまさに仏教であり、その実践が仏道となります。是非、少しずつでも学びを進めて行って頂けましたら幸いでございます。共に頑張って仏道を歩んで参りましょう。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

>藤堂尚夫様
因縁生起というお言葉、教えていただきまして、ありがとうございます。
種と花のたとえ、わかりやすかったです。
大変勉強になりました。

>釈心誓様
ありがとうございます。
日頃なにげなく使っていた言葉が(使い方は違っていたかもしれませんが^^;)仏教の根本思想と知り、ほかにも耳にする言葉が仏教の教えであったと知り、日本文化の中に仏教が溶け込んでいると感じました。

>丹下覚元様
わかりやすいご説明をいただき、ありがとうございます。
はたらきかけ・関係性・かかわり、そう考えるとわかりやすく、マイペースに生きていても1人では生きていないことを実感します。
日々の努力と感謝の気持ちを忘れずに生活していきたいです。

「縁とは・縁をつなぐ」問答一覧

「縁」について仏教的な解釈を知りたい

※「運命」カテゴリかもしれませんが、人間関係カテゴリにて投稿いたします。 当方、30代女性です。 「縁とはなにか」について考えを巡らす体験があったので、ぜひ仏教的な解釈でお言葉をいただきたいです。 ーーーーー 元同僚の男性と、たまたま2人で食事する機会があり、個人的に仲良くなりました。 初対面の頃から「この人とは仲良くなりそう」と直感し、仕事でも相性が良かったのですが、 プライベート面でも驚くほどたくさんの共通点(趣味嗜好、ゆかりのある土地など)があり、声も雰囲気も居心地が良く、縁のある人だと勝手に感じていました。 ただ、電話もLINEもよくするのにタイミングがすれ違うことばかりで、なかなか会うことができなかった。 (約束をしてもコロナにかかって会えなかったり) そうしてる間に彼には別の想い人(偶然再会した元恋人)があらわれ、 「好意はあるけどこれ以上親密にはなれない」とふられました。 一応両思いだったのに、交際には至りませんでした。縁があるのかないのかよくわかりません。 身内や友人含め、出会ったすべての人の中で一番共通点の多い方でした。 そう思っているのは私だけかもしれませんが、前世の繋がりがあったのでは、と、スピリチュアルなことを考えていしまいました。 彼がたまたま再会した元恋人も、これまた縁によるものだろうと思っています。 彼には幸せになってほしいと思いますし縋ることはしませんが、 こんなにも共通点が多い人にはもう出会えないと思うので、もし彼と縁があればまた会えると言い聞かせてしまい、未練に酔って前に進めずにいる自分にため息が出ます。 縁の力には逆らえないものでしょうか。

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古くからの縁に対する違和感について

お世話になります。 宜しくお願いします。 今回は、古くからの友人に対する違和感についてご相談したく、ご連絡しました。 私は去年の春に適応障害を患い、約半年間の療養を経て今に至ります。来月からは次の仕事が控えており、これらの出来事は、私の人生史上で最も大きな影響を自らに及ぼしたかと思います。 こうした環境下で、自らの思考や感性、行動が、それ以前と比べてかなり変化しました。その変化は、まさしく成長と呼ぶに相応しいと自認しています。 しかしながら、ここで問題が生じます。古くからの友人との会話に違和感を感じ始めたのです。今まで感じていなかった相手の短所、価値観の不一致などがふつふつと湧いており、今までフタをして閉じてきたものが、溢れてしまいそうです。変わってしまった自分を悲しく思うも、それが自分の成長の証であるかのように考える自分がいることも事実です。 ただ、そんな自分を肯定しようとするも、そうなってしまったのは自分が不寛容だからでは?ただの完璧主義なのでは?相手を許すべきなのでは?相手を見下しているのでは?古くからの縁を大切にすることは徳を積むことなのでは?などと、自分自身を責めることもあります。 一体私は、こうした変化をどのように受け止めればいいのでしょうか。今の私は、善悪で言うところの悪なのでしょうか。 ご教示頂ければ幸甚です。 何卒宜しくお願い致します。

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同じ悪縁が巡ってきました

ご縁についての質問です。 今働いている会社を思いがけず退職することになり、以前働いていたA社に復帰することになりました。 辞めた当時はA社に不満があったのですが、色々な職場を経験したことで、その会社の良さに気付くことができたからです。 親しい人も居るし、どうやら歓迎してもらえているようだったので、有り難かったです。 ところが、問題が起こりました。 私と同時期に、知人もA社に就職することが決まったのです。 ややこしいのですが、知人の沢口さん(便宜上の仮名です)は私と同じくA社の元社員で、私とは別のB社で知り合いました。 時系列でいうと、 沢口さんがA社を退職後に何度か転職をしてB社へ入社。 私はB社で沢口さんと知り合い、A社を勧められてA社に転職。 その後私もA社を離職。 という流れです。 B社では、沢口さんが人間関係のトラブルを起こしていたことは知っていましたが、沢口さんとB社がミスマッチだったのだろうと思っていました。 ところがA社へ入社後、沢口さんがA社でもトラブルを起こしていたことを知りました。 詳しい経緯を書くと収まらないので省略しますが、私自身もその後、沢口さんとトラブルになりました。 それ以来、着信拒否をするなどして連絡を断っていました。共通の友人もいないので、沢口さんがどうしていたかは不明でした。 しかし、沢口さんがいそうな地域や場所には近付かないようにするほど、二度と関わりたくないと思っていました。 A社は移動や入れ替わりが多く、沢口さんがいた当時を知る人は既にほとんどいないようです。 元々お互いA社に縁があったとはいえ、同じタイミングで再び入社することになるなんて…と驚いています。 正直、A社に入社することは諦めようかと思っています。 おそらく、精神的に持たないと思うからです。 ですが、沢口さんがまたトラブルを起こすのは分かりきっているし、私の方が周囲とうまくやっていけると思うので、何だかなぁと割り切れない思いでいます。 一度切れたと思っていた悪縁が再び巡ってきた時、それをどのように捉えればいいでしょうか? 悪縁とはいえ、それを少しでも前向きに捉えて、この先のことを決められたらと考えています。 アドバイスよろしくお願いします。

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縁は切りたくない。連絡して良いものか。

初めて相談させて頂きます。大学生です。 私には「友達に戻りたい」と言われ別れた元彼女がいます。その人と友達に戻りたいのです。 2ヶ月の交際期間でした。別れを告げられた際、私は本気で相手を好きでいました。だからこそ、本音を押さえ、相手の要望を受け入れました。 しかし今、私は相手と絶縁状態になりました。彼女が私を徹底して避けています。別れた後話す事も、校内で会っても挨拶も一度もありません。半年以上この状態です。 「最後の最後に嘘をつかれた」と私はかなりショックを受けました。正直「友達になるが疎遠にはならない」と僅かに希望を感じていました。故にショックも大きかったのです。 別れの原因は全て私です。相手の意思や気持ちを上手く理解してあげられなかった。だから絶縁されても当然だとは思います。 でも顔を見かけたり、バッタリ会った時の「別れる際の言葉」と「現実」のギャップがずっとずっと苦しいのです。それでもいつか「友達」になれるのではと期待してしまって。「この拒絶も相手の望み」と耐えてきました。でも正直もう疲れました。 私は相手を人として心から尊敬しています。本当は縁を繋いでいたい。無理なら無理でそれでいい。真実を知る為にも連絡したいと思っています。でもこれはあまりに自分勝手な行動です。楽になりたいと言う思いもあります。正直はばかってしまって…。 相手の気持ちを考えていない行いなのは分かっています。それでも、私は連絡してもいいでしょうか。

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何をしても縁が繋がりません

私は43歳の男です。 現在まで異性と付き合った事がありませんし、友人ももう10年近くいません。 まずは友人からとボランティア参加や趣味のコスプレイベントにも参加して挨拶をしたりと精力的に行動しましたが、繋がれませんでした。 またSNSでも自分の趣味や食べ物などを投稿しても誰からも反応はもらえず、こちらからリアクションしても誰にも反応を返してもらえずにいまして、孤独を打ち破れません。 こんな事をしてる内に自分は心筋梗塞や腫瘍などの大病をし、また精神障害も分かり見も心もぼろぼろになり、更には障害者雇用も打ち切られ今よりも貧乏になり、余計に異性と繋がりなど持てない人間になります。 しかし世の中を見れば色々な人間がいて良い面も悪い面もあるはずなのに、家族やカップルで暮らしています。 なぜ私はここまで誰にも相手にされないのか…?嫌われるのか…?孤独なのか…? と辛いです。 やはり障害持ちや社会で底辺の人間だから孤独に生きるべきなのでしょうか? もう1人で頑張ることに疲れました。よく書籍やインターネット記事で「孤独を楽しみなさい。慣れなさい。死ぬまで孤独」など目にしますが、そんな境地にはいけません。 諦めて孤独死するしか私にはない運命なのでしょうか?

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正反対のご縁

長年連れ添ってくれた身内、パートナーのことを外や陰で悪く言うことは差し控えたいところですが、相談員の方から「あなたの心と体が壊れる前に、離婚に向けて、具体的に相談に乗ってくれる機関を頼ってほしい」と助言を受けました。 職場を通じて知り合った、再婚経験者、シングル・初婚のまま伴侶と共に子育てを終えつつある先輩方(同性・異性どちらも)から、本当に優しく有難い共感やアドバイスを毎日のようにいただいています。 ぽつんと離活をしたい、と言葉にした時「まだだったの?こんなに外で働いてるってことは、てっきりもうしてるのかと…」と笑顔で返され 素のままの自分の本音を出せた清々しさと同時に、胸の奥に突き刺さった杭を抜くように夫に、ごめんね、と心の底からお詫びしました。 そして、辛い私を支えてくれる存在もいます。感謝と共に、もし「縁切り後に自分と共に」と周りからも追い風を受けるような雰囲気ならば、そのまま寄り添いたいです。 その人は私にとって 私を心から大切にしてくれる人。 仕事仲間を大切にする人。 そして仕事仲間から、大切にされる人。 控えめかつ、信念のある人。 仕事仲間をリードし、いざという時に頼られる人。 一生懸命な人。 私の至らぬところを心広く許し、気持ちを楽にしてくれて、弱さをわかってくれる人。 安定した人、器量のある人。 私の困った時、弱った時に、何とか解決しようとアドバイスをくれる人。 すぐに謝罪のできる人、リカバリー・信頼回復のために「次はこうします」と約束できる人。 繊細で、明るく、ポジティブに努力する人。 相手の良いことには良いと共感し、時には励ます人。 また一方で相手の悪い面には反応せず目をつぶり冷静に受け流したり、黙って見過ごすことで私に振り返る機会を与えてくれる人。 お寺の言葉=謙虚さや、思いやり、精進、尊敬、感謝が自然と出てくる人。 私の大切に思うことを、同じく大切にしてくれる人。 幸せとは何か、の価値観が一致しそうな人。 私の全部を知ることは無理でも、わかろうと誠実に向き合ってくれる人。 いただきものを独占せず、みんなにシェアしようと瞬時に判断できる人。 責任感のある人。 知らないことは素直に、知らなかったと言える人。 落ち込むことがあっても、仲間に支えられ、すぐに立ち直り、清々しく前進・成長している人。 とても、有り難く支えていきたい一人です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ