ネチネチした性格をやめたい。
ネチネチした性格を直したいです。
さっぱりとした性格になりたいです。
こうしたらいいよ、
といわれ、
そうだね。
と素直に行動できたらいいのですが、
え?前もこういうことやったけどうまくいかなかったけど、
とかひねくれたり
もっとそういうのを早く言ってよ
とかひねくれたり、
うまくいったら、
なんであの時はうまくいかなかったのだろうと
ネチネチネチネチ考えてしまいます。
仕方ないよね〜とか思えるくらい
さっぱりした性格になりたいのですが、
ですが、
どうしても、
なぜ?、なぜ?
どうして??と
いろいろネチネチ
気になってどうしても
考えてしまうのです。
どうしたらいいでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
カンマ と ピリオド
ネチネチ、ネバネバ、ベタベタした食べ物を探してみましょう。
納豆、柔らかいスニッカーズ、脂っぽいもの、カラメル、水あめ、こびりついてベッタリ。
何がいけないのでしょうかね。
❝離れ❞がわるいのです。
私のそばではセミが鳴いていますが、カナカナカナカナ…。
必ずピリオドを打っています。
あなたの場合は「,」(カンマ)で、その後も後々続いている思考なのでしょう。
ピリオド思考を学んでください。
ピリオド思考とは実は思考ではありません。
ゴンとぶつかったらそこで完了。
あとくされなし。
そこではじまり、そこで終了。これを成仏というのです。
物事を正しく見て、その因果のあり方に自分自身を置く
はじめまして。亀山純史と申します。
ネチネチした性格を直し、さっぱりとした性格になりたい、とのことですが、大切なことは物事を正しく見て、その因果のあり方に自分自身を置くことができるかどうかでしょう。
さて、ご相談に出てきた事例を元に、私なりの考えを述べさせていただきます。
まず、人からのアドバイスは、あくまでも他人の考えです。素直に行動できるかどうか、自分で判断することが大切です。何でも他人のアドバイスに従うことは、物事を正しく見ているとはいえませんよね。また、前にもやってうまくいかなかったことでも、失敗の原因はどこにあったのかを検討することで、再度やってみる価値を見出すことがあるかもしれません。
そして常に因果関係の分析を怠らず、その因果のあり方に自分自身を置くことができれば、しかたがないよね~と思える場合もあるでしょうし、しかたがないとは言い難い場合もあるでしょう。
最後に、何事においても感謝の気持ちが大切です。人は人との係わり合いの中で生きています。もっとそういうのを早く言ってよ、と思うことは私にも経験があります。でもそれは、相手が私のことを、「そこまで言わなくても分かっているだろう。」と評価してくれていたからだと思っています。(もしも意地悪で言わなかったとしたら、それはまた私の性格とは別問題のことでしょう。)
以上が私からの回答です。ご参考になさっていただければ幸いです。
質問者からのお礼
〉〉〉そして常に因果関係の分析を怠らず、その因果のあり方に自分自身を置くことができれば、しかたがないよね~と思える場合もあるでしょうし、しかたがないとは言い難い場合もあるでしょう。
とありますが、
因果のあり方を自分自身において考えられなくて苦しいです。
ゴンとぶつかったら終わり。
なのもかもですが、
すべてのことは意味(因果)があるから
と言われると考えてしまいます。。。