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娘の死

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私には、夫、長女15歳、二女10歳の家族がいます。
2ヶ月前の中学卒業式の前日に長女が朝方トイレで倒れており運ばれてから半日で亡くなってしまいました。
肝臓に悪性腫瘍があり、破裂したことが原因でした。症状が出にくいのでわからなかったでしょう、とのことですが、気が狂いそうな葬儀を終え、日にちがたつと自分を責め、してやりたいこともたくさんありすぎて後悔をし、寂しくて会いたくて、最後のすがた、笑顔の娘、抱きついて来る娘、母さんて聞きたくて、思い出しては辛くて仕方ありません。
二女は泣くのは見たくないようですし、私がつい買いものしても、これ姉ちゃんなら欲しがるねと言ったりすると姉ちゃん姉ちゃん言わないでといいます。
二女もあの悪夢のような日は号泣しておりました。
私は15年間夢を見ていたんじゃないかとぽっかり穴があいたままです。
パートも再開しており外ではまだ大丈夫なのですが
思い出しては苦しくなります。
夫の誕生日に産まれ、私の誕生日に亡くなったのも何か意味があるのでしょうか?二女の為にも長女の為にも気持ちをどう思って生きていくのがいいのかアドバイスをいただけたらありがたいです。
宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが愛すべき、向き合うべき2人が、すぐそこにいる。

25歳でお嬢さんを亡くされた神奈川県在住のある女性は、その日から「時間が止まってしまったかのよう」だったそうです。
これは妹の玲子さんから伺った、そのお母様のお話です。

「私は姉の順子の死後も、母から姉と比較され、悪く言われ続けてきました。
母の中では、姉が亡くなったあの日以来、いまも姉は変わらず美しい思い出のままなんです。
私は母と共に年を重ねる。
そりゃお互い人間ですから、母と娘、互いに自分のことばかりでたがいに譲らず、醜い面でぶつかり合いが絶えませんでした。」

玲子さんはお母さんがいつまでたっても、過去に執着した母親、そのままの玲子さんを受け入れてくれないことを悔やみ続けて来られたそうです。
お母さんに対する願いと恨み、心配ごとを私に告白し、最終的にお母さんを変えることはできないから、とお母さんに理想的なあり方を求めることを止めました。

彼女は病室でこう語りました。
「丹下さん、親の最高の愛情って
“あなたはそのままでいい”って、認めて赦してくれることよ、ね。」
これはお母様に対する玲子さんの願いのように思われました。

私に、子供に対する愛情の正しいあり方を遺言として遺され、
静かにこの世を去りました。妹の玲子さんは実はガンだったのです。

玲子さんが亡くなられたお通夜の晩のことでした。
「姉の順子はいい子でした」
この人、気は確かか…!?と正直思ってしまいました。
「自分の二人目の娘が、死んでいったというのに、今もまだ亡くなったお姉さんと妹さんを比較しながら…、」
これ以上は立ち入るまい、と思いました。

私が申し上げたいことは、しっかりと次女と向き合って頂く、ということです。
おそらくあなたは、ご自分のことと、ご長女さんのことで、ご主人や次女のこと、周りときちんと向き合えなくなっておられることと思います。
長女に与えた愛情以上に次女に愛情を注ぐことです。

この内容をご主人に見せて差し上げてください。そして、夫婦で話し合うべきです。
次女の子にも見せて上げてください。
今後、
ご主人の誕生日は、ご長女様がこの世界で、お生まれになられた日として、
あなたの誕生日は、仏様の国でお生まれになられたご命日として、
ご夫妻の誕生日と共に、ご生誕を祝って差しあげてください。

必ずやご長女様とご家族が、ご一緒に新たに歩むべき新しい道が開かれるはずです。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

悲しみを大切になさって下さい

じゅんちさま

2ヶ月前に15歳の長女さんが急にお亡くなりになられたとのこと。
どれほどお苦しみの深いことか、想像を絶する苦痛の中におられるのだと拝察いたします。
衷心よりお悔やみを申し上げます。

ご主人の誕生日にお生まれになった初めてのお子さんですから、手塩にかけてお育てになった15年間だったと思います。
じゅんちさんの苦しみの深さは、愛情を注いだ15年間があってのものですから、一朝一夕に薄れさせることはできないと存じます。
どうぞ深く悲しみ、涙を流して下さい。5年、10年と悲しんでいてもよいのではないでしょうか。

「あなたが悲しんでいると亡くなった方が浮かばれない」なんて言う方もいるかもしれませんが、私はそんな事はないと思います。仏さまと成られた長女さんは、じゅんちさんが泣いていても怒っていても笑っていても、常に穏やかに見つめて下さっている。私はそう思っています。

また、じゅんちさんの誕生日に亡くなったことに、何か意味があるのかと考えてしまうお気持ちもわかりますが、それは「縁」としか言いようがないと、私は捉えています。

「大切な方を失う」のには様々な形があります。
突然に、あるいは短期間に失い、何も出来なかったことや充分看病出来なかったことを後悔する方もおります。
かと思えば長期の看病・介護に疲れ果て「早くその時が来て欲しい」と思ってしまい、その思いに対し自責の念を持つ方もいます。
いずれにしても、後悔をせず、満足して大切な方を送り出すことが出来る人は、そうそう多くないのではないでしょうか。

私も今年の頭、大切な先輩を亡くしました。とは言っても家族ではありませんし、じゅんちさんの苦しみに比することは出来ません。
ただ私は、「亡くなった先輩がお浄土で『あの浦上というのは俺の後輩なんだ』と他の仏さまに誇れるような、そんな自分になろう」という決意を胸に抱きました。

じゅんちさん。今はただ、悲しんでいてもよいのではないでしょうか。真っすぐに悲しみと向き合う時間も大切だと、私は思っています。

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おきもち


浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

じゅんち様。

2ヶ月前に長女さんが急にお亡くなりになられたとのこと。
貴女様やご主人様、次女様の其のご心中どれほどお苦しみの深いことか、
想像を絶する苦痛の中におられるのだと拝察致します。
当方も哀悼の誠を捧げ、当寺のご本尊様にも即得往生を祈りをます。

今は唯々、娘さんのご冥福を祈る日々で宜しいです。
但し、ご自分やご家族を責めては成りませんよ。
其れこそ亡くなった娘さんが、悲しまれますから…
此れでは娘さんのご冥福を祈る事には成りませんからね。

浦上 哲也 師も仰る様に、
『あなたが悲しんでいると亡くなった方が浮かばれない』
等と言う方もいるかもしれませんが、今は其れに応たりません。

今はただ、悲しんで良い時期に有ります。
悲しみに真剣に向き合う時間が、今なのですから…
そして、其れが娘さんのご冥福を祈る日々に至る道ですから…
少しでも貴女やご家族が、「お姉ちゃん」の御供養をと思いが至ったなら、
「お姉ちゃん」の為に御供養を為さってあげて下さいな。

其れと…「夫の誕生日に産まれ、私の誕生日に亡くなったのも何か意味があるのでしょうか?」との事ですが、一言で申し上げれば、「縁」と成りましょうね。
此の、「縁」を心していれば、お姉ちゃんは貴女方の側に常にいらっしゃいますよ。

次女様には、「お姉ちゃん…云々」は成る可くお控え下されますれば宜しいかと存じます。
彼女は彼女なりに、「お姉ちゃん」を心に留める為の期間で有りましょうから…

また、貴方様や、ご家族のお心がどうしても哀しみで満ちあふれ、
誰かにご相談に成りたい折には、ご遠慮なく当方や「自殺防止ネットワーク『風』」へ
お電話下されて構いませんよ。
以下のアドレスから、ご覧下さいませ。                
http://www.soudannet-kaze.jp/

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...

「愛別離苦」を乗り越えていくために

じゅんち様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

愛する我が子の早世・・心の準備もなく、到底予期することもできなかった突然の別れ・・実に耐え難いお気持ちの中でお苦しみのことではないだろうかとお察し申し上げます。心からお悔やみを申し上げます。

「夫の誕生日に産まれ、私の誕生日に亡くなったのも何か意味があるのでしょうか?」・・

このような意味を考え出しますとおそらく答えは簡単には出ないかと存じます。ただ、このことからどこか拙生が思いますのは、ご長女さんは、あなた方ご夫婦を確かに選ばれてお産まれになられ、そして大事に大切に育まれる中、愛情を頂かれて、短いご生涯でございましたが、きっとお幸せにお過ごしになられたのではないだろうかと存じております。どうか善い処へと赴かれますように、拙生もこの度、誠に少しくではございますが、じゅんち様のご長女さんへと想いを寄せさせて頂いて追善のご供養を申し上げさせて頂きます。

「二女の為にも長女の為にも気持ちをどう思って生きていくのがいいのか」・・

ご長女さんであれば、きっと私へとできなかったことを、どうか二女さんへと思われることでありますでしょう。もちろん、これまでの大切な思い出もしっかりと抱きつつ、二女さんを長女さんでもあると想われて、二女さんを大事に大切に育まれて下さいませ。

ただ、仏教におきましては、仏縁によっての生死一大事の見極めも大切なこととなります。菩提寺様におけますご供養と併せて、この「愛別離苦」を乗り越えていくためにも、仏教に関しましても更に学びを進められるご機会となさられることをお薦め申し上げます。

愛する者との死別のことに関しましては、これまで下記の問いにて拙回答をさせて頂いております、少しでもご参照を賜れましたらと存じております。

問い「友人の死について」
http://hasunoha.jp/questions/91
「愛別離苦」へのアプローチ

問い「最期に苦しむということ」
http://hasunoha.jp/questions/95
「四聖諦」へのいざない

ご長女さんのご冥福を心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究 この度、仏...

「身近・大切な人の死・悲しみ・喪失」問答一覧

今の私にできること

はじめて相談します。つたない文章ですが、よろしくお願いします。 私の父と母は長年の別居を経て、熟年離婚しています。 離婚の経緯など今までの出来事から、私自身、父への不信感を拭えず、両親の離婚を機に父とは連絡をとる事もなくなりました。 先日、父が亡くなったと兄から連絡がありました。 兄夫婦は定期的に父と連絡を取って会っていました。 亡くなった父には内縁関係の方がいらっしゃり、その方と兄夫婦で近年やり取りをしてくれていました。 数年前に一度、私自身が父との関係に一歩踏み込むタイミングもあったのですが、ちょっとしたすれ違いにより、私と兄夫婦の溝も深まる事になりました。 父が亡くなり、葬儀が執り行われる事になったのですが、兄夫婦は私の疎遠だった今までの行動を良く思っておらず、通夜、葬儀には参列しないでもらいたい旨をやんわり伝えられました。 私も疎遠になっていた後ろめたさもあり、私が参列しなければ兄夫婦の気持ちもおさまり、その方がよい御見送りになるのならと思い、辞退する事にしました。 内縁の妻の計らいで、兄夫婦には会わない形で父とお別れの時間を作ってもらえる事になっております。 誰にも相談する事ができず、どのように気持ちを整理していけばいいのか分かりません。こんな私が最後に父に出来ること、これから父に出来ることありますか?

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母の死の受け入れ方

今年の三月に最愛の母を亡くしました。三十分前まで自宅で話をしていた状態からの突然死でした。 私は自他共に認めるマザコンで、何をするにも母に報告しては、それに対する反応を生き甲斐としていました。嬉しいことがあった時は一緒に喜んでもらうことで幸福を倍加させ、辛いことがあった時には慰めてもらうことで苦痛を緩和できていました。 唯一絶対の味方であった母を失い、もう五ヶ月も経とうというのに絶望から抜け出せません。母が生きていた頃、私はよく「お母さんが死んだら私も死ぬから長生きしてね」と言っていました。なのに母が亡くなった今も私は生きています。そんな自分に嫌悪感を抱くのですが、私が自死すれば母がどんなに悲しむだろうと考えると死ぬこともできません。 今の望みは母の死を受け入れて、自慢の娘だと言ってもらえるよう立派に生きていくことです。しかし実際には、日々涙にくれて生活もままなりません。明るい未来を思い描きたくとも、孫を抱いてもらいたかった、まだまだ一緒に旅行したかった、介護が必要になれば面倒を見たかったと、すべてを母とのもう叶わない夢につなげて虚無感に襲われます。こうなるたびに、私は未だ母の死を受け入れられていないのだと実感します。 母は死んでしまった、この事実が変えられないのなら、死を受け入れ乗り越えて、思い出と共に笑って生きていきたいと存じます。泣くばかりでは状況が改善しないのは身に染みています。母のことを考える時、生前のように暖かい気持ちになるためには何をしたら良いでしょう。どのように考え方を変えたら良いのでしょう。ご教示ください。お助けください。今でも母を愛しています。

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回答数回答 1

妹と月命日とオリンピック、パラリンピック

先日から何回も投稿させてもらってるものです。 今日が妹の3回目の月命日です。 月命日は何して良いかよく分からないので、好きな食べ物とか買ってお供えしてあげるくらいです。 現在も相変わらず毎日苦しいです。 地獄のような毎日です。 来月は初盆で、あまりわけわからんのですが、申し込みとかしてます。今日お寺から何か紙に書いてるのもらいました。おせがきとか何かお経みたいなの書いてる紙もらいました。今週の金曜日に葬儀やが来て色々してくれるそうです。 色々準備してますが、まだまだ信じられないです。 本来なら楽しみにしてたオリンピック、パラリンピックを一緒にまさに今日も見てるはずなのにと、東京オリンピックを見せてあげたかったなと思いながら見てます。 妹はあまりスポーツは詳しくないのですが、イベント事は好きみたいで日本が活躍したら何となく嬉しそうでした。たまに手を叩いたり静かに見てました。僕はスポーツとか大好きなので絶叫したり雄叫びあげたりしながら一緒に見てました(笑)。 今回のオリンピックは静かに見てます。 母はまた寝てます(笑) 一緒に見たかったです。 結局前回2016年のオリンピックが妹には最後となってしまいました。 父は2012年ロンドンオリンピック直前に亡くなったので、なんだかな~と思います。 今後も何回もずっと一緒に見るつもりでした。 やはり残念です。寂しいです。 妹は朝ドラも好きで毎日見てたのですが、最後の朝ドラおちょやんも最終回を見れず仕舞いでした。12月に始まるアニメも楽しみにしてました。それも見れません。 突然の死は好きなテレビすら見れなくなります。 色々なアニメや漫画やドラマも最終回を見ること無く自分の人生が終わってしまったのです。かわいそうです。 今日も暑くて、僕は仕事で汗だくなりました。汗だくなっても妹の為に仕事も頑張って来ましたので張り合いもありません。 来年のサッカーワールド杯、今後のオリンピックなどのスポーツイベントは妹はいません。一緒にテレビも見れません。静かな寂しいオリンピックです。 こんなことならコロナなんか気にせず妹が好きな外食や外出させてあげればなと思いました。 僕の辛い、苦しいなんかどうでも良いのです。妹が今後何も出来ないのがかわいそうです。死に方も1人で苦しんで死んでしまってかわいそうです。やはり助けてあげたかったです。

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全てが虚しく憎い 早く死にたい

今年の4月にご相談をさせていただいた者です。 https://hasunoha.jp/questions/52766 その際相談したパートナーが、先月亡くなりました。 余命宣告から二ヶ月も経たないうちでした。 一目ですら、会うことは叶いませんでした。 連絡がつかなくなってから毎日お悔やみ欄を調べ、ある日、彼の名を見つけました。 何も信じられませんでした。しかし、一週間、一ヶ月と時が経ち、本当にもう二度と会えないのだと悟りました。 余命を告げられてから今日まで、涙を流さなかった日はありません。 彼は、いつも誰かのために動いている人でした。まだまだこれからやりたいこともたくさんある人でした。 私よりもずっと、生きる価値のある人でした。 なぜ、そんな彼を連れていってしまったのですか。なぜ彼を苦しめたのですか。お坊様にこう言っては失礼ですが、この世には神も仏もいないのですか。 彼を亡くしたあの日から、全てが虚しくて憎くてたまりません。 彼の病を見つけてくれなかった医師が憎い。ずっと不調を訴えていたのに。コロナのせいで見舞いにも行けなかった。 街で見かける彼より自堕落で不健康そうな人、テレビに映る身勝手な人々…認知症の自分の祖母にすら、なんであなたが生きてるの、とひどい考えを向けてしまう。 生活の中で自分が感情を持つことも、毎日健康に過ごしていることも憎くてたまらない。 日に日に自分が醜く歪んでいくのが分かります。 一度は、彼が願ってくれたように幸せになろうと思っていました。 誰かを恨んでも無意味なだけ。大切な両親や支えてくれる友人を大事にして生きようと思いました。安易な選択をしては、今度はその人たちを苦しめてしまう。 ですが、日ごとに絶望が強くなる。自分の幸せなどもういりません。どうせ彼のように簡単に消えてしまうのですから。 人生の全てが無意味で虚しいのです。早く命を絶てたら、と毎日思います。 彼に会うために死ぬのではありません。彼のいない世を生きるのがあまりにも辛いのです。どの道、醜い私は死んだところで彼には会えないでしょう。 毎日泣くのも苦しいのも、外では平気なふりをするのも、もう疲れました。 いずれ彼の記憶が薄れていくことが何より恐ろしい。彼を愛しているうちに、はっきりと心の中にいるうちに、死にたいのです。 地獄に落ちてもいい。私が死ぬことを許してください。

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妹は何故死んでしまったのか?

先日から何回も相談してる者です。 妹が亡くなってから来週で早くも3ヶ月です。 まだ信じられません。 暑くなって来たので例年なら熱中症対策で水分補給に気を付けてました。 またウナギが好きでしたのでウナギをよく食べ指してました。 生きてたらこういう日々がまだまだ続くはずでした。 亡くなった日は妹は朝の薬を夜僕が帰るまで飲んでなかったのです。てんかん発作を押さえるための薬は朝9錠、昼6錠、夜8錠ととても多く本人も大変そうでしたが、何とか飲んでました。 ところが亡くなる半年前くらい前からまた飲めなくなってきて、病院に行って相談して、お薬ゼリーなるものを紹介してもらいそれを使ったり、また飲みにくい大きめの錠剤は僕がハサミで切ったりしてました。最後の方はその薬を切るのが僕の日課みたいにもなってました。 だんだん朝の薬飲むのが遅くなり朝のを夕方に飲んで昼を飛ばしたり、昼と夜も飲めない時もあったり、僕が夕方に帰って来たとき薬全然飲んでないときもあり、慌てて飲ましたりもしてました。昔はにそこまでしなくても、本人が勝手に飲んでくれてたのですが、何故かだんだん飲めなくなってました。 で最後の日は朝御飯も夕方まで食べず、朝御飯は僕が仕事行ってからは食べてました。ただ大事な朝の薬を何故か飲んでなかったのです。薬の袋すら開けてなかったのです。 ヘルパーさんは夕方までいてくれたのですが、その間にも飲んでなかったのです。いつもなら連絡ノートに朝の薬を先ず飲ませてくださいと赤字で僕が書いてヘルパーさんに伝えてたのに、その日だけは朝まだですしか書いてなかったのです。ヘルパーさんに直接言うことも出来たのに面倒くさがって何も伝えずに仕事に行ってしまったのです。 ちゃんと伝えるか、または僕が仕事行くまでに朝の薬だけでも飲ませとけばまだ生きてたはずなのです。 この朝の薬を飲んでなかったことが妹の死因だと思います。 原因がはっきりしてるので、ここさえ何とかしてればまだ生きてたはずなのです。 この事が一番未だに僕を苦しめてます。 この日死ぬのが運命だとか寿命とか言われることもありますが、僕はそうは思えません。人が死ぬには何か原因があると思います。何も問題無いのに突然死ぬわけがないです。 僕が朝の薬を飲ませなかったことが原因です。やはり僕の責任だと思います。 もっと必死に薬を飲ませとけばと言う罪悪感しかありません。

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父の死について

父親が先月亡くなりました。 まだ50歳でした。 心臓の病で倒れ、一時は手術もせずに退院出来るかもというところまで来たのに急変し3日後に亡くなりました。 父とは血が繋がっておらず、高校生の時に出会いました。 警戒心丸出しでなかなか心を開かない私に、根気強く、そして優しく向き合ってくれました。 人間関係や仕事が上手く出来ず、落ち込む私を一番に気にかけてくれ、そっと側にいてくれました。 父にしか話さなかったこと、父にしか相談しなかったこと、たくさんあります。 父は身体が弱く、よく頭や歯が痛いと言い、熱を出すことも時々あり、睡眠も短いことが多かった為(疲れていても長時間眠れなかったようです)心のどこかで長生きしないのではないかと感じていました。 そのため多少無理をしてでも父親に対して孝行をしてきたつもりです。 父が亡くなった後、棺に入れるものを探していた時、仕事用の鞄からたくさんのポチ袋が出てきました。 私が就職してから、ボーナスが出た時に家族に渡していたお金を入れていたものでした。 ずっと持っていてくれたことを知らず、胸がいっぱいになりました。 ボーナスが出た時にお金を渡すのは、父が私の祖母にしていたことだったので、私も同じようにしていたのです。 また、亡くなった後会社の人や、父の仕事関係の人から、娘にこれを買ってもらった、娘とあそこに行った、私のことを娘みたいに可愛いと話してくれていたことを知りました。 血の繋がりのない私を実の娘以上に大事にしてくれ、時には怒ってくれたこと感謝してもしきれません。 そんな父が亡くなり、まだ現実を受け止められません。 上手く感情に蓋をし過ごせる日もあれば、涙が出る日もあります。 ただ、本気で泣けないのです。 間違いなく、私にとって大事な存在だった人です。 涙は出ても本気で泣けず、自分でも驚きます。 いつか、本気で泣ける日が来るのでしょうか。 また時が薬となり癒してくれる日はやってくるのでしょうか。 時が経つにつれ、父との記憶が薄れるのではないのかと怖い気持ちもあります。 いつも身体のどこかが痛い中、家族の為に働いてくれていた父はやっと痛みから解放されたのでしょうか。 感情がまとまらず文章がぐちゃぐちゃで申し訳ありません。 何かお答えいただけると有り難いです。

有り難し有り難し 25
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息子と主人に申し訳ない。

色んな方の相談を読ませて頂いております。 思い切って、今回私の内を書いてみようと思います。私は5月に母を亡くしました。急性心筋梗塞でした。父はもう10年前に他界しております。兄弟も居ないので私だけが残り、本当に血が繋がっているのは9歳になります息子だけになりました。 息子は発達障害。将来がどうなるのか不安です。私が死んだらこの子はどうなる。という気持ちだけで生きています。本当の気持ちを言えば母に会いたいです。母は本当に息子を可愛がってくれていました。四十九日を終えましたが何も出来ません。する気力がありません。金銭的にも難しいです。 息子が何かしたら、息子になにかあったら、と。主人は運転免許を持っていないので市外の学校や病院に通っている息子は何かとお金がかかります。それを算出するのもやっとな状態。母の有難みを恥ずかしいのですが金銭面でも感じています。 この現状から抜け出したい。その気持ちはあります。でもどこから手をつけていいのか分からず、気力が無く一日が過ぎていく。その毎日です。働きたくとも放課後デイは延長出来ません。夜一人で過ごしたくても息子が居ます。 母が亡くなってから今日まで泣けずに過ごしてきました。とにかく今は泣きたいです。一人で泣き腫らしたいです。この後悔も自己嫌悪も向き合えない母の死も。総てとは言わずとも一度流したい。誰もいない所で。そろそろ心が壊れてしまいそうです。

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妹の死あれから

先月も投稿させて頂いたものです。最愛の妹が亡くなり2ヶ月立ちます。今は仕事行きながら残された母の介護しながらなんとか生きてますが、やはりまだまだ妹を助けられなかった罪悪感で苦しくて本当に地獄です。何故体調悪そうだったのに普通に仕事に行ってしまったのか。電話一本で休めたのに、今まで何度も休んで来たのに何故油断したのか、本当に妹に悪くて悪くて申し訳なくて、まだ40才でまだまだこれからだったのに、薬は昔から苦手で今までも飲めずに重責発作なってたけど、その都度回りの家族が救急車早めに呼んで助かってたのに、今回は家族も年取って亡くなったり、母も認知症でまともなは僕しかいなかったのに仕事なんか行って妹が1人苦しんでたのに死なせてしまって本当に申し訳ない気持ちしかなくて。妹の居ない世界は無意味です。死にたいけど母も居るし妹の為にも死ねない。だから地震や事故にあって死ねるのが理想かなとも思います。もう生きる意味ないです。 薬飲めなくてお薬ゼリーや薬をきったりしてましたが、結局昼飛ばしたり朝を飲んだり夜を朝方に飲んだり朝6時まで起きてたり最後の方はもう生活や服薬がめちゃくちゃでした。全然言うことを聞いてくれなくて、怒ったら泣いて、すねて耳塞いだり最後は僕もよう見んかったです。本当にわがままが酷くて。僕が管理できなかったです。もっと早く嫌がっても泣いても入院や入所させとけば死ぬことはなかったです。日帰りのデイサービスに半日行くのすらめちゃくちゃ嫌がっても泣きわめいて大変でした。僕が最後は疲れてて介護が適当になってしまって殺してしまったと思います。人殺しは死を持って償うべきです。妹はもうトイレも行けない、歯も磨けない、ご飯も食べれない、鼻もかめない、車椅子にも乗れない、見たかったテレビも見れない、iPadも見れない、ゲームも出来ない、本も読めない、絵も書けない、歩く練習も出来ない、寝れない、起きれない、ジュースも飲めない、外食も外出も出来ない、話せない、もう何も出来ません。妹を見殺しにした僕はのうのうと生きてる。何故死刑にならないのか。妹に未来を消してしまった。色々話し聞いてもらいアドバイス頂き少しは前向きになった時もありましたが、やはり罪悪感に戻ってきてしまいます。無理とはわかってても妹に会いたいです。また母と3人でワイワイ賑やかに普通に生活したいです。

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一人暮らしの叔父の死

叔父の急逝に家族としてどのように両親をサポートし、亡くなった叔父に対してどのような事を思ってあげたら良いか整理ができません。 先週、突然母親から「叔父ちゃんが死んでるかもしれない。これからお父さんとマンションへ。」と携帯にメッセージ入りました。 叔父の上階の住人から変な匂いがすると管理人に連絡が入ったとの事でした。 私は大変驚き、急に怖くなり、とても落ち着いていられなくなり、急いで近くのお寺へ手を合わせに行きました。 しかし、その後「玄関で血を流して死んでいた」と母親から電話が入り、涙が溢れ落ちてきました。 警察と救急が駆けつけ、鑑識による捜査後、遺体は警察へ運ばれ、私の父が本人確認を行い、医師の診断により推定4日前に病死したと判りました。父がいうには、母は震えてしまって身体が硬直していたとの事でした。 人生のライフステージで毎度お祝いをしてくれた叔父の事を思うと、そのような亡くなり方がとてもとても残念で、悲しくて、その夜は一晩中眠れませんでした。 翌日、叔父の兄夫婦も新幹線で駆けつけ、私の両親と伯父夫婦と4名で小さなお葬式と告別式が執り行われ、お骨は実家のある岩手県へ移されました。その後、菩提寺で現地の近い親戚だけでお葬式をするとの事でした。 いつか落ち着いたら叔父のお墓参りに行くつもりですが(私の祖父母も一緒に眠っています)、私は今回、叔父のお参りが一度も出来ませんでした。正直にいうと、怖くて携われませんでした。 両親は今、マンションの特殊清掃、遺品整理、近隣の住人からの苦情の対応など、叔父の死後、ほぼ毎日のように叔父のマンションへ足を運んでいて大変疲れている様子です。私が両親を手伝う事ができたら、両親の心労は3分の1になるのに、私は何もできなくて酷い娘だなと思います。食事の準備や諸手続きは手伝っていますが、叔父のマンションでの作業がどうしてもできません。 叔父の鍵付き金庫を壊したら、中から大量に半世紀前の祖父母の手紙が出てきました。岩手から東京の大学に通う叔父を案ずる旨、母の結婚の事、都会人の父をきのこ狩りに連れて行った事などが書かれており、胸が熱くなりました。 家族とは遠く離れていても本来そうあるべきなのに、私は全然できていないと自分を責めました。 叔父が天国で祖父母に再会し、幸せに暮らせますようどうかお祈りさせてください。よろしくお願いします。

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