住職である父が嫌いになってきています。
私は小さい頃からお寺を継ぐことは考えていませんでしたし、好きなことをしろと言われていたので自分の興味のある仕事をしたいと思い今の大学に進学しました。
それが今になってお寺を継げだの父が用意した人と結婚させるなどいろいろ言われ、普通に父が好きだったのがこのごろ嫌いになっています。
お寺も嫌いではなかったのに、実家がお寺じゃなかったらいいのにと思ってしまうようになりました。
自分の就職を考え大学院に進学するのですが、それに踏まえ夏休みでも学校にいかなければならなくなり、それでもお盆などは帰省して家を手伝おうとは思っていたのでこの日からこの日まで帰るねと伝えたら短いだの、家のことを何も考えていないと言われました。挙句の果てには休みもなく死ぬほど働いているのにお前は呑気に遊んでいるんだろうと言われ、さすがにこちらも口調が荒くそんなことはないと言ったのですが信じてはもらえず、いろいろと嫌味を言われます。
さらには卒業後は父の言う通りに働き結婚するんだとまで言われ、疲れました。言い返す度にここまで誰に育ててきてもらったと思ってるんだと言われそれを言われるとこちらもなかなか反抗しにくく、父と母に育ててきてもらったことはわかっているし感謝もしているのですがどうしても、父からはわたしはお寺を繁栄させるためのただの駒なのではないかと考えてしまい実家に帰るのも憂鬱で父にも会いたくないです。
育ててきてもらったことはわかっているので恩返しもしたいのですが、わたしの人生全てを父の思い通りにしなくてはいけないのが納得できないです。したくはないし、できないと思っていても時々縁を切りたいとまで考えてしまいます。
母はお寺の事はどうとでもなるから継ぐとか考えなくてもいいと言ってもらえました。しかしいつかは父とぶつかる日が来るのかと考えるととても憂鬱です。
友達にもお寺の娘さんがいるのですが、そこはお寺の事は考えず自分のやりたいことをしなさいという方針ですごく羨ましく思ってしまいます。父がこんな人ならなと思ってしまいます。
ですが基本父のこは嫌いではないのです、お寺の話になると父が嫌いです。
ここまで読んで下さりありがとうございます。
ほとんど愚痴になってしまいました。
もし何かアドバイスなどがあればよろしくお願いします。
お寺を継げとうるさい父親が嫌いになってきています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
化縁すでにつきぬれば 浄土にかへりたまひにき
高僧和讃の一節です。
この娑婆世界のご縁が尽きて極楽浄土に還るいう意味です。
還られたのは、阿弥陀如来さまの化身として、この娑婆世界に生まれ替えされた、法然聖人さまになります。私共は、そんなたいそうな者ではございませんが、ご縁によって生まれ、生かされ、そして還っていく存在なのではないかと思っています。
実は私は全く偉そうなことを言える立場ではありません。
大都市、それも中心部にある古刹の住職の立場を、前住職や檀家総代さまのご迷惑をおかけすることが分かっていながら飛び出してしまったからです。
いまは、立派な方が継職していらっしゃいますが、本当にご迷惑をかけました。今でも本当に申し訳ないと思っています。第〇〇代住職という路線に乗って、将来の自分の在り方が見えることが、酷く気が重く、嫌なものに思えたのです。耐えられませんでした。
理由はあなたと一緒です。
自分の生き方は自分で決めたい。その一点です。自分のしたかったこと、それは、都市開教です。
新たに自分で寺院の建てて、布教活動をしたい。苦労はたくさんしていますよ。でも充実しています。
胡散臭いお寺が新しくできて、信者のかたはなかなか増えません(笑)この娑婆世界のご縁とは何でしょうか?つい100年前までは、お百姓さんはお百姓さん、大工さんは大工さん、真宗は血脈相続なので坊さんは坊さんになったのです。いまは自由なのです。なりたいこと、したいことをされたらいいんです。
お父さまが本当に引退される時に、あなたが継ごうと思ったら継いだらいい。
うちには2人の息子がいます。2人とも理工系の大学を出てSEです。たぶん、そのまま、サラリーマンだと思います。継ぐかどうか、それは本人次第です。
私が魅力のあるお寺を作って、それに彼らが魅力を感じたら参加表明するかもしれません。でも、それは、彼らが決めることです。お寺はすべて私が賄っていますが、お寺は公のものです。
誰かが継ぐかもしれないしそのまま、廃るかもしれません。それもこれも、全て阿弥陀如来さまの思し召しです。そう思っています。あなたはあなたの人生を生きたらいいんです。お寺を継ぎたくなった時が継ぐときなんだから。ご活躍を祈っています。浄光寺
住職の最大の悩みは。
京乃さんへ、こんにちは。
住職である父に寺を継げとの横暴で、悩んでいるのですね。
僧侶と住職の最大の違いは、住職にはお寺を次代につなぐという大切な役割があります。多くのお寺が悩んでいることだと思います。大きなお寺はなりたい方はたくさんいますが、小さなお寺は誰もいません。しかし日本の文化の持つ世襲という方法で小さなお寺も生き延びてきました。世襲の批判もありますが、多くの日本の文化がこの世襲で維持されているのが現実です。お金儲けだけでなく貧しくとも先祖がつなげたこの暖簾を守りたいと僧侶をされている方もたくさんおります。
私のお寺は貧乏の小さな山寺ですが、歴史だけは1300年と続いてきており、私が継いだ最大の悩みも次世代にどう繋げるかです。私の地域は徐々に過疎の町になりつつあり、国宝があるわけでもないので参拝者も少ない。維持はさらに困難になってくるでしょう。私もあなたのお父さんと同じで息子が継いでくれればと単純に思うのが正直な気持ちです。その気持ちは汲み取ってあげてください。
その上で今は自分の人生は自分で決める時代です。自分に夢があるのであれば、きっぱりと父に断りを入れることも大切です。そうすれば父も辛いが考えなおさざるおえなくなるでしょう。ただし親子の縁を切られるかも知れません。そのぐらいの覚悟も必要です。なぜなら、お寺は法人のものなので住職である父が亡くなったり高齢でできなくなり、あらたな住職を向かいいれたならば、家族は出ていかなければなりません。そういう問題もあります。
ちなみに私は息子には継いで欲しいと願っていますが、違う道に行きたいという場合のために、今から他のお坊さんが着てくれるようなお寺を目指して準備しています。これから世襲でもお寺を維持できない新たな問題も出てきていますので、いろんな維持の方法が考えられてきます。京乃さんの目指す人生の形で住職ができるかもしれません。
そういう将来を父と相談する年齢になってきたのです。一度、父親の言葉に負けずに相談しあってください。それが寺の子どもとして生まれた、あなたの宿命でもあります。
がんばって!合掌
質問者からのお礼
いろいろアドバイスやご自身の経験などの貴重なお話をありがとうございます。父はすぐ言葉が荒くなり、こっちもそれが怖く嫌で何も言い返すことができません。しかし同じような状況のお寺の方から話をしてもらうと宿命なのだなと改めて感じたり自分の道は自分で見つけなければいけないなと感じました。とりあえず帰省することに変わりはないので今年の夏もがんばりたいと思います。またいろいろと愚痴を言いに来てしまうかもしれませんがその時はまたよろしくお願いします。本当にいい話をありがとうございます。