生きていく意味を教えて下さい。
今、私は在ることがきっかけで心の病気となり精神安定剤を服用しています。
薬を飲んでいると気分は落ち着きますが、仕事に集中出来なくなってしまったり、脱力感が凄く出てしまいます。
また、薬を飲まないと不安になり会社に行くことも、人と関わり合うことも嫌になります。
そして、死にたくなってしまいます。
でも、死ぬのが恐いのかなかなか実行も出来ず悶々とした毎日を送ってしまいます。
他の方達は、会社を辞めたら負けだとか、頑張れるとか色々励ましてくれますが頑張れば頑張るほど反動が増して行きます。
こんなに嫌な思いをしているのに、どうして死ねないのでしょうか?
よく、死ぬ気になったら何でも出来ると言われます。
確かに、幼少の頃から死ぬ気になって自分を守る為に頑張って生きて来ましたが疲れました。
死ねない自分にもイライラします。
病気や事故等で命を落とすのは寿命なら今の状態にギブアップし終わりにするのも寿命ではないでしょうか?
もうどうしたら良いかわかりません。
自分が何を考えているのかも分からなくなって来ました。
支離滅裂な文で申し訳ありませんが、どなたか、アドバイスをして頂けると助かります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたのこれからの人生で
拝読させて頂きました。あなたのお悩みそして生きることへの疑問や苦しみを読ませて頂きました。お気持ちをお察し申し上げます。
私も以前は会社の中間管理職でした、そして仕事や人間関係に疲れ追い込まれて生きることの意味はわからず虚無感に襲われて苦しみました。命は今ありますが何度か自死を試みました。
私の意見ですからあくまで参考程度で見てくださいね。私はその様な病いから今でめ生き生かされております。未だに疑問から解放されて答えを見つけ出してはいませんが、生きる意味を見つけることがつまり生きる意味であり目的だと感じています。そして様々な出会いやご縁を通して様々な生命の恵みを受けて生かされております。それをスッキリと身と心で実感できれば生きる意味を理解したことになるのではないかと思います。仏教は自分自身が仏となる道です。全てを受け入れて完全な円満な存在になることです。人生はつらく苦しいことが多いですが、その中で自分を見つめて少しずつでも受け入れていくことができればと思います。そしてそう志して生きることが大切なことかと思います。
今私の隣では一年前に道端で捨てられていた猫の子がすやすやと寝ています。その子の中にも生きる意味が自ずとあるのを感じます。確実な生命の営みを感じます。
どうぞ心おだやかにゆっくりと周りを見回しながらご自分でこれからの人生を見つめながらその意味を探して見つけ頂きたいと思います。
あなたのこれからの人生が大切な出会いに恵まれて豊かな実りをもたらします様にと心よりお祈り申し上げます。
すべての人を救うため
大正昭和の名僧飯田トウイン禅師は人間がこの世に生まれたのは、全宇宙を救うためだと言われます。
自分が足りない、足りない、と不足をぼやくのではなく、自分がどんな境遇にあっても、自分ができることをやって人を救う、誰かの助けになる。何かをなしてこの世のためになる。この私が宇宙を救うのだという大きな菩提心を持つことが大切だと説かれています。
では宇宙を救うという大きなことはどういうことでしょうか。
自分が「わたし・わたし」した、小さな自己を離れるのです。
人間、何を考えるか何を行動するかも全部自己責任です。
「自分なんて駄目だ」と思うのも悪いですが、あんたの勝手。自己責任。(厳しくて悪いですが目を覚ましてほしいからです。)
私だって昔、自分なんて駄目だと思って自殺しよかと思いました。アホだったと思います。
そんな事ばかりずっと考え続けるのも自分の選択なのです。
こんなことで死んでたまるか!と怒りのエネルギーを使ってでも自分を奮い起こすべきです。
本当に自分で尻を叩かなければいけない。私は救ってやれない。誰もあなたを救ってやれない。自己責任だからです。本当に。自分を本当にすくいあげるには、自分が奮起するしかないのですよ。
心の地獄の最下層のその下に眠っているあなたの爆発的なチカラがある。
それが菩提心です。
虫一匹でも救ってあげてから死んでいく。誰か一人でも救ってから死んでいく。百人、万人、億人。全宇宙を救ってから死んでいくという大誓願を奮い起こしてください。
私にはできませんなどと口にしてみてください。私は即座にこういう。
「それを選択するのはアンタだ。あなたの自己責任だ。」と。
逃げることを選択し続けて安全地帯にとどまって、いつか誰かが救い上げてくれるなんて都合のいいドラマは私には待っていませんでした。地獄のどん底で奮起して、本当に自分のため自分の為というちっぽけな生き方を捨てて、公の為にい尽くそうとした仏祖と呼ばれる立派な人間がいたのです。
そこまで及ばずとも、今立ち上がれば、立ったことになる。
そこから歩みを勧めれば一歩進んだことになる。
もう、グダグダ言うのはもうやめにしよう。
そういうことを口にするからこそ、そこに浸ってしまう。それも自分の選択、自己責任なのです。
仏法を求めませんか。誰か一人でも救ってみませんか。お待ち申し上げております。