人が嫌い
私は犬とうさぎを飼っています。
彼らは愛情をかければかけるほど懐きます。
人は裏表があります。面倒くさいです。
面倒くさくて疲れます。本当に疲れます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが気付くこと
Mimiさん
あなたに何があったかわかりませんが、世の中を思い通りにしようとしすぎなんでしょう。本当は思い通りにいかなくて当たり前なんです。今、車の点検に来ていて待っていますが、早く終われと願っても終わりません。1時間でも2時間でも待つしかない。待つこともなくただいれば終わります。
あなたは、人と会話する時に必要以上に頭のなかで思考して、勘ぐるのでしょう。どうであっても受け入れられる力が人間には備わっているのにあなたの我(が)が出てくるから、物事を素直に見ることができない。自らを苦しめているのです。ペットは全てを受け入れます。どんな環境でも、自由自在に生きています。我なんてもので物事を見ません。とても素直です。
あなたは大切なペットから学ぶべきことがあります。世の中や周りの人々を変えるのではなくあなたが変わるのです。というより気付くのです。
わんわん🐩 🐕
こんにちわん。🐩
こんばんわん。🐕
仏教界の犬、丹下かく犬です。ヘッヘッ(←尻尾振ってます。)
ちょっと参考になるかどうか。聞いてくれワン。
世の母親は従順を求める、という話です。
息子がいうことを聞かない。
娘がいう事を聞かない。
そこで母親は不機嫌になり、子供に対してムくれます。
子供が尻尾をふってすり寄ってきてもエサもくれてやりません。ぷいっ。
構ってくれとワンワン吠えても相手にしません。
完全降伏、犬の敗北姿勢のようにぽんぽん(お腹)を見せて、クォーン(´Д`)クォーンと情けない声を出して、ヒンヒン鳴き声ですり寄ってきた時、母親は機嫌が戻ります。
さて、この話をどうお思いになるでしょうか。
条件付けがないと子供を愛せない母親というものが世の中にあるものです。
そういう親の元、愛されなかった子供は常に迎合して相手の機嫌や顔色を窺って行動します。へっへっ。
すぐれた母、立派な母親は子供の尊厳を認めて❝飼いならし❞ません。
猫が何処へ遊びに行こうが放っておくように首輪もつけません。
自分の子供でありながら、私のもの、私のペット、私に飼いならされたもの扱いしません。
この話は一週間後くらいにじわじわ来ます。
全然関係ないような話ですが、あなたの中である所でリンクします。
人に対して条件付けをしている、という点で。
そこをよーく、掘り下げて自分を見つめていってください。そこ掘れワンワン。🐕
じわじわ来たら坐禅会でオスワリ、ワンワン。
相手も自分自身もつねに独立個々の自由存在、世界でたった一つの素晴らしい存在であると自覚できるでしょう。よそを見ず、ただ自己をみつめるのです。相手を問題にしているのは全部自分の条件付けだッタと気づけるようになるでしょう。そこホレ、ONEONE。
質問者からのお礼
有難うございました。何があったわけではないんです。勝手に私がそう思っているだけなんです。きっとこうなんだろうな。こう思われてるんだろうな。という感じです。
『人と会話する時に必要以上に頭のなかで思考して、勘ぐるのでしょう。』その通りです。もしくは、後々会話の一部始終思い返して反省したり、色々考えてストレスになります。だから疲れるんです。いつからこうなったのかわかりません。人と会うのは楽しいのですが、結果的に自分の中で考えすぎて面倒くさくなります。ペット含めた家族といる事が一番楽です。もう社会に出ることは難しいのではないかと思います。こんなはずじゃなかった。
丹下覚元さん、私にはりかいできませんでした。お忙しいなか有難う御座いました。