友人がいない
子供の頃からコミュニケーションが苦手で
一人ぼっちがよく有ったと思います。
でも仲良くなると、一生懸命に合わせようとしてしまいます。
社会人になって仕事はきちんとこなせても、人との関わりに疲れてしまい何度か転職をして来ました。いじめられるとかでは
無くて、私が疑心暗鬼になってしまう感じです。
仲が良い友人が一人いますが、何でも話し過ぎて私が傷ついてるのに、友人に自分からメールをしておいて、返信が無いと不安感でいっぱいになります。
こんな気持ちになるなら、自分から距離を
とれれば気持ちが楽になるのですが…。
友人がいなくなる事がこわいです。
こんな年齢になっても、子供みたいな事を言っている自分が情けないです。
友人との関わりはどうしたらもっと楽になれますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
友達もあなたも、掛け替えのない存在です
はじめまして。亀山純史と申します。私も「ひとりでいたいなあ。」と思うときが、結構あります。そして人と話をするのも、時として結構疲れたりもします。『無量寿経』という教典には、「私たちは、この欲望に満ちた世界に、独りで生れて独りで死に、独りで来て独りで去る存在である」と説かれています。私は一人では生きては行けない存在でありながらも、その本質は、私は誰にも取って代わることが出来ない、掛け替えのない存在であるということです。どうか、そのような「この世に一人しかいない自分」を大切になさってください。そして、あなたがこの世に一人しかいない存在ならば、あなたの友達も、この世に一人しかいない存在だということです。ですから、自分を大切にするように、友達も大切にして下さい。
この心身は本当は誰とでも親しくなれる
自分と良い関係で❝あること❞❝あるひと❞❝あるもの❞。
それが「友達」の真意・真相であろうと思います。
生身の人間でなくても良いのです。
生身の人間でなくとも❝友達性❞とでもいうべき暖かさを感じ取れる力をこれを契機に自分の内側から見つけ出してください。
どんなに孤独になったって自分と最後まで関われる存在はあり続けます。
寂しい少女がお人形さんやぬいぐるみと話していてもそれは、相手に命を見出して、ちゃんと関わっている姿でもあります。
「私は万人の友である」
この言葉は、人間がワタクシという壁の厚さを薄くして誰とでも関われる境涯になった方の言葉です。
こちら側が、どんな相手であっても、よく、より良く、上手に関わろうとする「自分側の・こちら側の」心こそが、最も大切です。
たとえ家から外に出ない人であっても❝良く関われる❞人・相手・環境・ものがあるはずです。
あえて生身の人間だけではなく、今自分が、良い関係で関われている❝もの❞❝環境❞にも目を向けてください。
「私は万人・万物の友となり得る可能性を秘めている」
・親しめるもの
・けっして貸し借りや損得も生まれないもの
・隔て無く関われること
があるはずです。
それをまず、外の存在として探すのも良いですが、あなた自身にそういう働きがある事を知ってください。
「この心身は一切を隔てなく、受け入れると受け入れざるとにかかわらず、透過させる力をいつでもそなえている」
ひょっとしたら、友達となれるはずの存在との距離を作っているのは私たちかもしれません。
質問者からのお礼
ありがとうございます
この広い世の中から巡り会えた友人なんだから、距離をおくなんて考えず
私と関わってくれた事に感謝します。
一人しかいない存在 当たり前の事
ですが、深く思うと人を憎んだり、
裏切ったり殺人をしたり は出来ない筈ですよね。