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ストレスの解消法

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もうすぐしたら私は生活環境が変わります。そのことでそれまでストレス解消に使っていた時間が取れなくなる可能性が出てきました。しかしながらストレスの原因は色々と予測することができます。

なので新しいストレス解消法が見つけられるかが不安です。時間、お金、道具等をそこまで必要としないストレス解消法が何かありましたら教えて下さい。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分の心に向かい合いましょう

はじめまして。亀山純史と申します。ストレスの解消法とは別に、いかにストレスを溜めないか、ということも大切でしょう。
なぜストレスが生じるかといえば、「物事は自分の思い通りにならない」「自分をよく見せたい」という心があるからです。「物事は自分の思い通りにならない」とは、「物事は自分中心に物事が動いてくれない」ということです。「自分をよく見せたい」とは「他人から馬鹿にされたくない」ということ、いわゆるプライドです。なぜ、これらの心が私たちに生ずるかといえば、この世は諸行無常、諸法無我なる縁起の世界だからです。すべてのものは様々な因縁によって成り立っているので、物事を自分を中心に考えてしまえば、当然、そこに怒りや愚痴が出ます。また、自分をよく見せたいと思っても、当然ながらこの私も因縁によって生かされている存在であり、もろい存在です。このような存在ですから、仕事に失敗し、上司に注意を受けることもあります。大切な試験に不合格になることもあります。そうして、私たちはときに後悔し、ときに不安になります。
したがって、このような怒りや愚痴、後悔、不安を生じさせるこの私の心を押さえれば、ストレスも少なくなる、ということです。では、どうすればよいか。宗派によって、さまざまなやり方があると思いますが、私が属している浄土真宗の教えに沿った答えを述べれば、「このような心を抑えることなどは、私たち凡夫にはできない!」ということです。じゃあ、どうするの?私なら、静かに両手を合わせて、「このような私こそ救いの目当て」と誓われた仏様の声を聞いてみます。つまり、仏様を通して、自分の心に向かい合うことです。
少しでも参考になれば幸いです。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

取り柄がない様 お疲れ様です
わたしの考えをお伝えさせていただきます

なにかとストレスの多い現在社会
その中でいかに解消できるか悩んでいる方は多く
わたしのところへも質問をいただきます

もうすでにストレスの原因を予測できているとのこと
まず素晴らしいことです
そんなあなたを褒めてください
名前にあります取り柄がないではないですね
それが大きな取り柄だと思いましたよ

回答に戻りますが
ではその次にその原因に対して
どのように振舞うか
どのように考えるか など
それぞれを考えていくことがいいのではないでしょうか

合掌

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有り難し
おきもち

人の寄り添える僧侶をテーマに活動中! 僧侶、理学療法士、心理カウンセラー  それぞれの立場を活かして 現在における僧侶像を確立するべく こころ・からだから笑顔になれる人を増やすべく仏教用語から由来して「わげんせ」という活動を通して、日々模索しながら動いております ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください

独りでからだを使う

おはようございます。

問答を拝見していて、環境の変化など外からの情報や刺激を受けて、心にストレスや悩みが生じる印象を受けました。

心が気になるなら、体の方からバランスを保つアプローチをしてはいかがでしょうか。

・その① 3分間念仏。ひそひそ話をするくらいの声の大きさでいいので、「なんまんだぶ」をひたすら繰り返す。繰り返している途中にいろいろな思いやイメージが出てきても気にせず、とりあえず念仏続ける。ポイントは音にしなくていいので呼吸はしっかりして口を動かす。3分が短いようなら5分10分と時間を調節することは可能。
すごいお坊さんになると不眠不休で仏様の周りをぐるぐる回りながらお念仏唱える修行をされる方もいらっしゃるようです。

・その② 30分歩くか走る。 朝少し早起きして、歩き続けるまたは走り続ける。 やっているうちにいろいろな思いが浮かんでくるけれど、気にせず歩く、走る。 私の上司は週に1~2回、片道1時間程度でいける山登りをしています。 すごいお坊さんになると1000日間山の中を走り続けるような修行をする方もいるようです。

取り柄がない様の趣味や興味をお聞きしないままの一方的な情報提供で申し訳ないのですが
興味わきそうなものがあれば試してくださいませ。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

それを今後ストレスにさせない生き方

ストレスもモノによっては、悪いモノ扱いしない方が良いのです。
「ああ、これは、この環境の変化に対処せよというDNAレベルでの信号、サイン、ただの刺激だ」と思ってみましょう。
すると、対処をする様になります。
今までは、拘泥、執着、停滞、とどまるだけだった。
ところが、ストレス発生時に環境に対してこちらが自ら立ち上がって、変化に適応しようとしたり、対処しようとすることを、今から3回やって、必ず10分以内にそれをクリアーしてください。
そうすると、今後から、いわゆるすとれる発生時に「それをストレスとしない頭脳」が作動します。
先日私も、食材を床一面にばらまきました。
不思議と全く何の問題もありませんでした。
よく子供が粗相をするので、私と妻の前で同時に同じ大惨事が展開したとしても、妻にとってはストレスであっても私には全くそれがストレスにも問題にもならなくなっています。
不思議なことですが、このちょっとした工夫を本当に真剣に取り組んでみてください。
ノーストレスライフは簡単に手に入ります。
まず実践して、コツが分かったら、返答ください。
コツは「ストレス直後、対処せよ!」です。
ストレスを悪いものとして認識する前はただの出来事、ただの刺激です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

泰庵 (釋 一法)様

ご回答ありがとうございました。自分は体力にそこまで自信があるわけではないので走るというのは難しそうですがまずは近くを歩くことからくらいならできそうだなと思いました。

また念仏に関しましては別の質問で他のお坊様から瞑想を体験してはどうだろうかという意見をもらったことを思い出しました。どちらも心を静めるという意味では良さそうだと思っていたのでもしストレスを感じた時はやってみようかと思います。

亀山様

ご回答ありがとうございました。私の家も浄土真宗本願寺派なのですがこういったうまく行かない時は確かにそういった因果ないし因縁みたいなものでが働いているのかも知れませんね。

そしてそういった心を抑えることができない、なら仏様の声を聞くという考え方につきましては時間があるときにでもお寺に行ってお坊さんの話を聞くのもいいのかも知れないと思いました。

鈴木様

ご回答ありがとうございました。予測はできているのですが全て予測通りとなるわけでもないので正直新しいストレス解消法探しには手こずっていますね。とりあえず変化を経験してみないと分からないのかも知れませんね。

安穏寺丹下様

ご回答ありがとうございました。

ストレス直後に対処するとのことですがなかなか難しそうですね・・・。なんといいますか早く対処しようとプレッシャーにやられてパニックになりそうな感じがあります。しかしながら最初は軽度の問題からそれを行うと効果的かなと思いました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ