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親に相談してない

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私が高校三年の時、姉が保育の専門学校にいってることもあり私も保育士に憧れてましたが、姉の学費で大変なのは知ってましたが、一度自分の考えも言いたいと思い母に話しました、しかし母は学費が大変と泣いてしまい…それから私も専門学校の事は口に出せず諦めるしかないかと思いながら就職をしました。やはり長続きはせず様々な仕事を色々してきました…あの時の事もあるのか親に相談とかをするのが出来ない自分といつも姉を羨ましいと思ってしまう自分を変えたいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

What to do より How to be が仏道修行。

私は修行道場にいた頃、いつか修行僧の統括的役職について、道場の体質を改革したいと願っていました。
ところが私が任命された役職は調理場。
落胆し、やりがいを感じなかったものでしたが、ある時から考え方が変わりました。

私は仕事における花や果実というのは、華々しくきらびやかな“役職・職種の中”にあると思っていました。
そうではなかった。
仕事の中で、何をするかよりも、
人生の中で、どうあるべきか、どう生きるかという視線を持つこと。

仕事以前に自分の心の柔軟性や自由自在さ、心のあり方こそ大切です。

今までは花や果実にしかウマ味はないと思い込んでいたのですが、
根にも、幹にも、枝にも葉の中にも必ずウマ味、醍醐味があるとが分かる視点ができれば、どんなことも楽しめるようになれたのです。

人は自分に無い物は、華々しく見えるものです。
枝とか葉だと思って軽んじている所の中にこそ実は、花や果実にすら含まれていない、大切なエキスが含まれているのです。

玉ねぎだって、皮にガンを治す力があり、
イチョウも実ではなく葉っぱに高い薬効成分があり、
タンポポには、根にデトックス効能があるように。

これから「何の」お仕事をしていくかよりも、
今から「どのように」自分があるべきか。
華々しい咲いた花を追うより、自分が人生で咲くことの方が価値があるのです。

私にとって一番の花は、その心華、心眼👀が開けたことでした。これこそ自分の内に咲かせる人生の花であり、本当の果実ではないでしょうか。

仮にあなたが、念願の保育士さんになられたとしても現実の職場はあなたの理想とは程遠い😱かもしれません。事務や裏方ばかりかもしれません。だから今すぐあなたが咲く生き方をすることです。

たとえいかなる仕事に就いても、お母さんの気持ちを理解できる優しいあなたならば、必ず多くの人の心を理解し、多くの人のお役に立てて、幸せの道を切り開けることでありましょう。
今日は母の日です。

今まで土となって泣くのをぐっと堪えてお姉さんの花を咲かせてあげてきたあなたの生き方こそ華。あなたの生き方の視点が変わることも花。夢を追い続けるのも花。
あなたが咲かせたい花を咲かせてください。

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おきもち

「思いは、伝えなければ決して伝わらない」

りい様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

りい様は今でも保育士になりたいとお思いでありますでしょうか?

高校三年生の時に親御さんにご相談された時から、親御さんもりい様もお姉様も含めて様々な状況が刻々と変わっているかとは存じます。もしも、「保育士になりたい」と今も強くお想いでいらっしゃるのでしたら、今一度、ご家族にご相談なされてみられてはいかがでしょうか?既に保育士になられておられるのであれば、お姉様から何か良いアドバイスも頂けるかもしれませんし、ご家族で資格取得へ向けてお金の融通も利かせて頂けるかもしれません。このまま想いをずっと隠し続けているよりかは、もう一度打ち明けられてみられることをお薦め申し上げます。

「思いは、伝えなければ決して伝わらない」・・最近の過去問の拙回答にても申し上げさせて頂いておりますが、人間は結構、(誇大)妄想において苦しみ続けてしまうことがあります。いつまでも高校三年生の時の状況にとらわれたままで、まだ二十代で色々なことにチャレンジしていける年代でもあるのに、このまま「後悔」を抱えてお過ごしになられるのは実にもったいないことではないだろうかとも存じております。

また、りい様はこれまでいくつか就職をなさられて社会も経験されてきておられます。その経験は今後の人生でもきっと活かしていくことはできるであろうかとは存じます。もし、まだ何とか働きながらにでも、保育士を目指すための準備期間であるとして、お金を貯めたり、働きながらにでも通信教育などで勉強を継続なさられることなども考えられてみてはいかがでしょうか?

そして、いよいよ機が熟すれば、本格的に資格取得のために専門学校へと進学なさられるのも良いかとも存じております。

これからの人生、もちろん色々な「縁」によって結婚や子育てやらと大変なことはまだまだ控えてくるかとも存じます。

このまま今の「後悔」を抱えた状態で、これからの人生を過ごすよりかは、今後の将来の色々なことのためにも、ここでもう一度、保育士になることを目指すのか、きっぱりと諦めるのかを考えて頂ける一つの機会として頂けましたら誠に幸いでございます。

りい様の人生に幸あらんことを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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思いを伝える

専門学校に行きたかったけれど、就職してしまった。

という後悔にあなたは悩んでおいでなのでしょうか?

それとも、親と相談することができないでいるという状態に悩んでおいでなのでしょうか?

一度、ご自分の悩みがどこにあるのか、心の中を探ってみていただきたいと思います。

人生の選択として、自分の希望していない方向を選ばざるを得ないということは、多かれ少なかれ誰にでもあることではないかと思います。

もし、あなたの思いが「保育士」になりたいというものであれば、回り道をしている分だけ困難は伴いますが、「保育士」の資格を得るための努力をなさっていくことだと思います。

通信教育という道もあり、そういう道を考えるのならば、必ずしもあきらめる必要はないのだと思います。

「保育士」の資格を取る道筋をよくお調べになり(期間や費用のことも含め)、その上でご自分が「保育士」の資格を取って保育の道を歩みたいというところまでご自分の意志が固まったのなら、自ずと親御さんやお姉さんに相談する内容も固まり、相談しやすくなると思います。

もし、「専門学校」に行けなかったということを後悔しておられるなら、「専門学校」というものへのとらわれから少しでも離れようとしてください。

選ばなかった道は、自ずから「選ばれない道」としてあなたの前にあったのです。
周りの状況、あなたの覚悟、その他諸々の原因(因)があなたを「選ばない」という結果(果)に導かれたのです。

それは「自然」なことであり、そうなるべくしてそうなったわけです。

大事なのはあなたのお心。

この機会に自分と対話してみていただきたいと思います。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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子どもに触れる機会を持つ。親への伝え方は方法を考える。

りい様。

こちらの質問もそうだったのですね。
少しづつ質問する中でいろんな思いが浮かぶことと思います。

もし、家族と同居をされていたり、貯金が少しあって生活費を緊急に必要とされないのであればボランティアから始めてみてはいかがでしょうか。

学童や児童クラブ、図書館での絵本の読み聞かせ。キャンプカウンセラーなど、その辺りから子どもと触れる機会を持って子どもからエネルギーをもらうといいです。
まずはそれをはじめの一歩として歩まれたらいかがでしょうか?

残念ながら保育で飯を食べるなら資格は必要です。
資格を必要としない学童などに二年働いたのち、保育士試験を受験する。

あるいは、昼間バイトしながらお金貯めて通信制の保育科に3年通って卒業する。

制度の変更も少しありますが、具体的な助言としては上記のような感じです。

親への思いの伝え方は、時間をかけてスキルを磨いてください。
子どもに伝えることをしていく中でその親とも話す機会がでてくると思います。いきなり核心を話す必要はなく何気ない世間話でのコミュニケーションを重ねることも大切です。
また、口頭での話し言葉だけでなく手紙やメールでの伝え方もあります。

事前にお伝えしますが、保育の仕事は大変ですよ。給料も安いですよ。
私自身、15年前にもらった障害者施設での初任給より今の給料は低いです。

それでも、保育への情熱が消えないならチャレンジする価値はあります。
ウチの職場にも保育士試験の合格を目指して頑張っている若い衆がいます。

どうか、自分の中で納得できる歩みをもてますように。 なまんだぶつ。

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おきもち

自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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「親のこと」問答一覧

学生時代に親に言われたことが許せません。

学生時代、親から言われたことが、10年以上経ってもどうしても許せません。 大学生の頃、同級生からいじめを受けていました。 学生といっても大学なので、成人した大の大人がいじめだなんて情けない話なのですが、理系の大学で同じ実験班のメンバーからある時ターゲットにされてしまい、2年ほど目の前でずっと陰口を言われたり、実験に参加させてもらえないというようないじめが続きました。 本来できたはずのことができなかったので、勉学にも支障が出ました。 大人なので上手く対処できれば良かったのですが、当時はそれができずとても辛かったです。 そのことを両親に打ち明け、教授に実験班を変えてもらえるよう頼みたいけどどう思うか?と相談しました。 すると、「そんなことでグダグダ言うなら大学なんて辞めてしまえ!」と言われました。 結局、教授や先生には相談できず、実験班を変えることができませんでした。 仲のいい友人がいましたが、班が離れていたこともあり実験時間に助けてくれる人はいませんでした。 ちなみに毒親ではないと思います。普段は良好な親子関係ですし、結婚したときは結婚式の費用も工面してもらいました。 友人からの評判もよく、子どもながらに良い親だと思っています。 でもそれだけに、その発言だけが未だにどうしても許せません。2人ともいじめられた経験がないので、辛さが分からないのだと思います。 自分のしたことに気づいてもらって、一生後悔してほしいくらいです。 親にこの気持ちを言ってわかってほしいという思いが強いのですが、辞めた方が良いですか? こういう気持ちはどのように折り合いをつけていけば良いのでしょうか? アドバイス頂けますと幸いです。

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親への接し方について

実は夫はコロナになってから前職がうまくいかなくなりこれまで何度か自殺未遂をしました。 フリーランスの仕事を辞めて、新しい仕事に就くのをきっかけに、それならと当時遠距離だった私と同棲することになりました。 しかし、同棲後は職探し期間中に仮想通貨にハマり、私も再三お金を貸してしまいました。それは、親が残した私名義の遺産でした。 この時は私も心が弱く、貸さなければまた自殺をしてしまうのではと思い貸してしまいました。 それでもやはりうまくいかず、私が出張中にまた自殺未遂をしました。 その後は、彼の母親も同棲先に来て今後についての話し合いもしましたが、すぐに精神科の予約をすること、司法書士事務所へ連絡し、それまでの金銭の整理もし始めました。 それからはハローワークに通い、職業訓練なども受け、間も無く正社員として働くことができました。 今は、司法書士へお金を返済しながら生活しています。 そのような状態という事を私は全て理解した上で、今年入籍をしました。 しかし、入籍直後に私が遺産を貸していた事、自殺未遂をしていたことが、私の家族に知られ、すぐに別れろと言われました。 しかし私はどうしても別れたくなく、しばらくは実家にいるようにと言われていましたが、このまま私をここに閉じ込めておくのも良くないのかもしれないと母に言われ、実家を出ました。 しかし、この度母が病気で倒れ入院し、もう1人では生活することが難しい状況になりました。 実家に1人で住まわせるわけにもいかず、私は実家に帰るということを彼に話していました。 そして、母と退院後の話から、私に戻ってきて欲しいと言っていて、もちろん私だけ実家で暮らすつもりという事を伝えました。 しかし母は、今は本当の娘ではない。本当の娘(旧姓)になって戻ってきて欲しい。と言われました。 そこまでしなければならないのかと思いましたが、これまでの私たちの犯した罪の事を考えればそうせざるおえないのかなと思い、離婚する事を決めました。 本心はもちろん離婚したくありません。 ただ、離婚について母は「よく首を縦に振ったね」など嫌味のような発言をして、私の気持ちはぐちゃぐちゃになっています。 仕事も自分の人生も投げ合って、母と暮らそうとしているのに、このような事を言われてはこれから接していけばいいかわかりません。 何かアドバイスがあればお待ちしております。

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お年玉を預けるということ

現在お付き合いしている方との同棲を考えており、1年以内に引っ越す予定を立てています。 そこで昔から母が貯金すると言って預かったお年玉のことを思い出し、いくらか使えないかと思いお年玉のことを尋ねたところ「学校の制服や教材を買うのに充てたからもう残っていない」と言われました。 自分が学校に通うためのお金だったなら…とあまり強くは言えず、わかったとしか言えませんでした。 私には兄弟が2人いるので兄弟の分の学費も考えればお年玉を使っても仕方がない、と思うようにしていました。 ですが母が預かる際に「学費に充てる」との説明が一言もなかったため少し腑に落ちません。「貯金するから」と言われたので毎年もらった金額のほとんどを母に預けたので少なく見ても引っ越しの初期費用分ぐらいはあったと思います。 お金がかからないよう高校は公立の学校へ進学し、大学も受けず高卒で働きに出ました。 社会人になってから一度お年玉のことを聞いた際にはぐらかされたため怪しいと思い父に相談した結果「きっと他のことに使っているから」「母が信用できないなら父に預けておけばよかった」という結論に至りました。 そのため社会に出てから家に入れるお金は全て母に内緒で父に手渡していました。今現在そのお金に父は手をつけず、何かあった時のためにと全額残してくれています。 将来のためを思って貯金してくれていたと思ったお金が学費としてでも全額使われていたのが少しショックでした。 ですが他の親戚の子にも同じようにお年玉を渡していることを考えれば家のお金として使うのも理にかなっているという意見もネット上では見かけます。 なくなったもののことを考えても仕方がないのですがお年玉の使い道はどうあるべきかをご教授いただければと思い質問させていただきました。

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高齢な親を施設に入れるべきか悩んでいます

はじめに私のプロフィールを一読いただけますと幸いです。 プロフィールの通り、私は学生で現在就活中です。しかし父親の病気がここ数年で一気に進行し、親を施設に入れるべきか、加えて自分の進路や今後家をどう守っていくかについて悩んでいます。 父親の状態だけ見れば、明らかに施設に入れるべき状況なのです。しかしながら父親を施設に入れるということは、不活動宗教法人になるということであり、未だ後継者が決まっていない私の寺院から直に私たち寺族は出ていかないといけない。檀家様にも説明しないといけない。 こういうとき、まだ私には何をどのようにしたらいいか何も術がありません。 だからせめて少しでも長く活動し続けられるように、ここ数年は私が依頼される全ての塔婆を書き、お盆の準備は私がほとんど行い導師は知り合いの僧侶に手伝ってもらいながらなんとか活動を続けてきました。 ですが母親のガンが発覚したこともあり、母親がこのまま介護を続けられるのも時間の問題で、もう寺院としての活動は諦めるしかないですよね。 でも私がすんなりとそうできないのは、ずっと実家が無くなってしまうということを受け入れられないからです。 この家が自分の家じゃなくなるんだ、この家に母親がごはんを作って待っている状況が無くなるんだ、この家に誰もいなくなっちゃうのかな、この家からこのお寺から嫁ぎたかったな、結婚してこの家に戻ってきたかったな、もうちょっとでいいから実家が実家として私の居場所で帰る場所であってほしかったな そんな思いが錯乱して涙が出て、どうしたらいいか分かりません。 親戚のおばさんたちからはこの家をどうするか早く決めてくれないと死ぬに死ねないって言われたり、早く婿探してきなよって言われたりして、もうそんなの今決められない。 最終的に継ぐというのは可能性として残していますが、 今勉強していることを活かしたやりたい仕事がやっと見つかってそれに向かって頑張りたいのに諦めないといけないのかな、普通の今時の恋愛もっとしたかったな そんな気持ちも止まらなくて、人に相談するともちろん自分の人生を優先すべきと言われます。でも私の家がもう少しでいいから私の家であってほしいのも私の人生なんです。 方向性を早く決めて、心を自立させるためにはどうしたらいいのでしょうか。 分かりません。長文駄文ごめんなさい。

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親が死ぬ時、どう受け入れればいいのか

私25歳、妹23歳、両親64歳です。 社会人で一人暮らしを初めて両親の有難さに気づきました。 長年の不妊治療の後産まれた私は何の取り柄もなく、今までの迷惑と心配をかけてきた申し訳なさもいっぱいで、日々両親の健康と幸せを願うばかりです。 実家に帰るたびに、両親の白髪の多さや縮んだ背丈など、老いに気づく場面が多くなりました。ぱっと思い浮かぶ両親の姿は、背が高くて見た目も声も若い昔の姿です。ランニングが趣味だった父も「すぐ疲れる」と外出が少なくなりました。「私が死んだら食器あげるわ」「次元号変わるときはもう生きてないわ」と笑顔で話す両親の会話でも泣きそうになります。そうやって老いて死に近づいていく状態をみるのが辛いです。 昨年祖母が亡くなりました。身内の死は初めてです。 今でも祖母に会いたいと一人で泣くこともあり、祖母も祖母の家もなくなって悲しく寂しいです。 恥ずかしながら、祖母の死で改めて家族の大切さや感謝を感じました。 祖母が亡くなってこんなに悲しいなら両親が亡くなる時、受け止められる覚悟はできるのか?もし結婚して自分の家庭を持っても両親のいない長い人生を生きないといけないのか?と思ってしまいます。 「誰も死んでほしくない。健康のままずっと生きてほしい」と子供みたいに、大切な人が死ぬという現実から逃げたい気持ちでいっぱいです。 命に終わりがあるのはわかってますが、家族の死にどう向き合って立ち直ればいいかわかりませんし、受け止められる覚悟ができません。 両親が死んだらきっと悲しみで気が狂うだろうから自殺したい。でも大好きな妹のことを思うと自殺もできません。 また、介護施設で認知症の方の対応をしていたのを思い出し、両親が認知症になって私や妹ものことを忘れたら…という怖い気持ちもあります。 どうやって大切な人の死を受け入れて乗り越えたらいいのでしょうか。

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何を頼りに生きていけばいいのか

自分の父親はモラハラをよくしてきます。手を出してくることは滅多にないですが、暴言、怒鳴る、人格否定などはしょっちゅうです。小さい頃から中学生の頃までは、これが普通なのだと思っていましたが、それ以降は父親の性格が悪いことに気づき、つい最近、自分のされていることがモラハラにあたることに気づきました。 次いで母の件です。母は父親と違って性格は悪くなくて、自分が何かあった時や、それこそ父親に何かされた時は相談に乗ってくれたり、慰めてくれるような人です。ですが、母には浮気疑惑があります。以前一度スマホでのやり取りが見えた際、明らかに男性の名前の相手と恋愛関係を匂わせるようなやり取りをしていて、その後、覗いてしまった母の日記には、仕事にいくついででその男性と肉体的な関係を持っているようなことを匂わせるような内容が書かれていました。 自分は何を頼りに、何を信じて生きていけばいいのでしょうか。母親の父親でなくて他の男性と、となる気持ちもわかります。現にあんな性格の悪い奴に結婚前ほどの好意なんてあるはずがないです。何よりも自分が裏切られたとふとした瞬間に感じてしまって、抜け出せないんです。父親に関しては、自分は今までずっと「父親を怒らせる原因は自分なのかも」「父親にも親孝行がしたい」と思ってきました。でも無理なんだろうなと気づきました。いくらこっちが気を遣おうがそれは向こうに踏み躙られ、プレゼントをしようが、それは一時的なもので何も変わりませんでした。この前、SNSで仲睦まじい家族の様子をあげている友達を見て、「自分はこんなことしてあげられないんだな」と感じてしまいました。 別に父の性格が変わることを期待してるわけではありません。母の浮気を問い詰めて慰謝料がほしいわけでもありません。ただ、もう何を心から頼りにしていいのか、自分が何をしたのだろうか、もうわからないんです。でも少し冷静になると、自分が父を見捨ててしまったら、父が1人にしてしまうという謎の使命感もあります。 支離滅裂な内容でごめんなさい。 父は自分のことを否定されると、キレ始めるか、聞いたとしても全く改善しないような人間です。母にも以前、浮気のことは話しましたが、携帯のパスワードを変えて隠して終わりでした。 そのため、2人に何かをするではなく、自分がどう考えていたらいいかについてのお言葉をいただけると幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ