義父の終末についての家族の考えに疑問です
よろしくお願いいたします。
同居している義父が大病を患い、入退院していましたが、昨年頃から容態が芳しくなく、春頃より入院しっぱなしでした。
最近になり、とても親切なお医者様やスタッフの方々のおかげで、少し持ち直し、一時帰宅も頻繁になってきていましたが、先日、義父の弟さんが同じ病で亡くなりました。
義父は、私や孫の前では気丈でしたが、遠方まで行って葬儀を終えた義母が帰ってくる頃、やはり気落ちしたのか少し悪くなってきています。
義母は、以前より、義父の容態が少し良くなると家に帰り私の前であからさまにがっかりして見せ、「早く…(とても書けません)」と言うことがあり、先日私がそれに嫌悪感をのぞかせるとそれ以降あまり言わなくなりましたが、相変わらず義父の容態が悪いとそわそわして…どこか楽しそうに見える気がしてしまいます。
そんな矢先、余命宣告をされたとそんな義母から聞きました。
主人もが、今週の一時帰宅が最後だろうから私に義父の写真を撮れと言うのです。
私も父を同じ病で亡くしていて、主人の言葉の意味も気持ちもわからなくはないのですが、何か違う…と違和感を感じています。
写真なんて、そんな気持ちでとるなんて、嫌です。
私的にはこの山を越えてもらってまた持ち直してもらいたいと思うのに、なぜ本当の家族達はこんなに冷めて冷たいのでしょうか。
父の代わりじゃないですが、勝手ながら義父には少しでも長生きして貰って孝行させていただきたいです。
でもいざという時はやはり私は部外者で蚊帳の外、もどかしくさえ思います。
義母や夫から義父の話を聞くのが嫌です。
どうすれば、どう考えればいいのか、心の置き場に迷い困っています。
分かりにくい文章ですみません。うまく言えませんが、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お義父さまとの時間を大事にしましょうね。
お舅さんでも、あなたにとったら、大事な お父さまなのですね。病に向き合っておられる お父さんを、なんとか お支えしたいわよね。
優しいお嫁さんだね。
家族の余命を考えたとき、同じ家族であっても、感じ方、受け止め方は、違います。
病が長くなると、治療費も、またサポートする側の時間の拘束も増えますから。全ての人が、心配で 願っているか と言われれば、差がありますね。
自分と違う想いの人がいる と思うと、それだけで、自分まで辛く悲しくなってしまいますよね。
ただね、どうせなら早く という心の人がいたとしても、その人の正直な心ですから、否定も出来ません。(そんな心、露骨に見たくないけどね)
姑や夫から、義父さまの話を聞くのは嫌よね。その言葉に、傷つくこともあるでしょう。しかし、限られた命は、刻一刻です。
あなたの、あなただから出来る関わりを、お義父さまとの時間を大事にしましょう。
ありがとう〜と見送れるように。
今の命を、一緒に生きてくれる存在を、人は求めます。周りはどうかより、私はどうしたいか。精一杯 お側にいてさしあげてね。あなたの想いが、きっと お義父さまの支えになっていることでしょう。
質問者からのお礼
再び同じ住職様にお答え頂いてありがとうございます。
図々しくも、気にかけていただけてるような気がして嬉しいです。
恐縮です。
そうです、お金のこともわかりますし、立場もある。頭ではわかってるんですが…
近頃特に生理的に受け付けきれなくなってきたというか…
姑が電話で方々に近況報告してるのが嫌でも聞こえてきたりすると何か…
主人も姑と似ていて子供に「(舅が)もう帰って来ないかも」とか平気で言う感じです。
舅本人は二人のこういうの聞こえてないので恐らく知らないんじゃ…と思うと何か…
人の親なんだし、とあえて頭の中で付きはなそうとしたことも今まで何度かあるんですが、その度に舅が料理を誉めてくれたり等と優しかったりで…
愚痴…といえばそれで終わりなんですが、時々やり場がなくなってしまうもので…
すみません、こんな話にお付き合い頂いて、本当にありがとうございました。
聞いて頂いて感謝しています。