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仏教では幸せとは

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仏教の考え方では、"幸せとは苦が無いこと"が幸せであってますか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

上座部仏教は「灰身滅智」、大乗仏教では「無住処涅槃」

仏教の幸せは涅槃を得ることですが、その涅槃のあり方は上座部仏教(いわゆる小乗仏教)と大乗仏教とでは大きく異なります。上座部仏教は「灰身滅智」と言わゆる境地が理想とする涅槃のあり方ですが、一方、大乗仏教では自利即利他で、「無住処涅槃」〈生死の世界(迷いの世界)にとどまることなく、かといって涅槃の世界(悟りの世界)にも入らない涅槃〉が理想とする涅槃のあり方である、と言われています。私が思うには、上座部仏教は「静的な」仏教であり、それに対して大乗仏教は「動的な」仏教です。そして、「動的」であるからこそ、大乗仏教には、多くの仏様、菩薩様が登場するのだと思います。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

おっしゃる通りです。

またもう少し述べるであれば、苦の原因は煩悩にあります。
この煩悩をなくせば苦は無くなります。
逆に言えば煩悩をなくさなければ、苦がなくなることはありません。
煩悩が完全に無くなった状態を涅槃(または仏)と言います。
この涅槃こそが仏教における「幸せ」です。
涅槃を得ること(仏になること)が仏教の目的であり、最上の幸せです。

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

抜苦与楽

zensyu様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教における「幸せ」というものは、もちろん、苦しみや迷いの無いこととなりますが、世間におけるような「幸せ」とは意を異にするものとなります。

以前にも下記の各問いにてもお答えさせて頂いておりますが、仏教における「幸せ」とは、私たちの普通世間一般的、世俗的な欲望を満たすような「幸せ」ではなく、「涅槃・悟りの境地」という「究極的な幸せ」となります。

問い「幸せとは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1019840794.html

問い「幸せとは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1019837645.html

また、仏教の基本的な考え方においては、「苦しみを抜いて幸せを与える」という意味の「抜苦与楽」(ばっくよらく)という言葉がございます。

この場合の「楽」というのも、安楽や安心、幸せのこととなりますが、つまりは、これも「涅槃・悟りの境地」というものとなります。

如来様・菩薩様たちは、輪廻の迷い苦しみにある衆生たちへの哀れみ、つまり、大悲の思いから、苦しみを取り除かれようとなさられて、衆生たちへの慈しみ、大慈の思いから、衆生に楽をお与えになられようとなさられておられます。

その如来様・菩薩様たちの智慧と慈悲による善巧方便における数々のお教えを、経典や論師たちによる注釈書や論書、先師たちからの教えなどを通じて、私たちはしっかりと学び修して、涅槃・悟りへと向けて一歩一歩精進して参りたいものでございます。

もちろん、般若心経においても述べられていることとなりますが、苦しみにも、幸せにも、楽にも、慈悲にも、智慧にも、あるいは涅槃や悟りなども実体として成り立っていない「空」なるものではございますが、「縁起」としてそれぞれ成り立つものとしてございます。

それぞれにおける因縁のありようをしっかりと理解することにより、確かなる仏道を歩んでいくことが臨まれることとなります。是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

釈心誓さん、亀山純史さん 回答ありがとうございました

川口英俊さん、回答ありがとうございます。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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