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仏教では幸せとは

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仏教の考え方では、"幸せとは苦が無いこと"が幸せであってますか?

2015年3月15日 4:53

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

上座部仏教は「灰身滅智」、大乗仏教では「無住処涅槃」

仏教の幸せは涅槃を得ることですが、その涅槃のあり方は上座部仏教(いわゆる小乗仏教)と大乗仏教とでは大きく異なります。上座部仏教は「灰身滅智」と言わゆる境地が理想とする涅槃のあり方ですが、一方、大乗仏教では自利即利他で、「無住処涅槃」〈生死の世界(迷いの世界)にとどまることなく、かといって涅槃の世界(悟りの世界)にも入らない涅槃〉が理想とする涅槃のあり方である、と言われています。私が思うには、上座部仏教は「静的な」仏教であり、それに対して大乗仏教は「動的な」仏教です。そして、「動的」であるからこそ、大乗仏教には、多くの仏様、菩薩様が登場するのだと思います。

2015年3月16日 20:41
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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

おっしゃる通りです。

またもう少し述べるであれば、苦の原因は煩悩にあります。
この煩悩をなくせば苦は無くなります。
逆に言えば煩悩をなくさなければ、苦がなくなることはありません。
煩悩が完全に無くなった状態を涅槃(または仏)と言います。
この涅槃こそが仏教における「幸せ」です。
涅槃を得ること(仏になること)が仏教の目的であり、最上の幸せです。

2015年3月15日 15:57
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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...

抜苦与楽

zensyu様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教における「幸せ」というものは、もちろん、苦しみや迷いの無いこととなりますが、世間におけるような「幸せ」とは意を異にするものとなります。

以前にも下記の各問いにてもお答えさせて頂いておりますが、仏教における「幸せ」とは、私たちの普通世間一般的、世俗的な欲望を満たすような「幸せ」ではなく、「涅槃・悟りの境地」という「究極的な幸せ」となります。

問い「幸せとは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1019840794.html

問い「幸せとは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1019837645.html

また、仏教の基本的な考え方においては、「苦しみを抜いて幸せを与える」という意味の「抜苦与楽」(ばっくよらく)という言葉がございます。

この場合の「楽」というのも、安楽や安心、幸せのこととなりますが、つまりは、これも「涅槃・悟りの境地」というものとなります。

如来様・菩薩様たちは、輪廻の迷い苦しみにある衆生たちへの哀れみ、つまり、大悲の思いから、苦しみを取り除かれようとなさられて、衆生たちへの慈しみ、大慈の思いから、衆生に楽をお与えになられようとなさられておられます。

その如来様・菩薩様たちの智慧と慈悲による善巧方便における数々のお教えを、経典や論師たちによる注釈書や論書、先師たちからの教えなどを通じて、私たちはしっかりと学び修して、涅槃・悟りへと向けて一歩一歩精進して参りたいものでございます。

もちろん、般若心経においても述べられていることとなりますが、苦しみにも、幸せにも、楽にも、慈悲にも、智慧にも、あるいは涅槃や悟りなども実体として成り立っていない「空」なるものではございますが、「縁起」としてそれぞれ成り立つものとしてございます。

それぞれにおける因縁のありようをしっかりと理解することにより、確かなる仏道を歩んでいくことが臨まれることとなります。是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

2015年4月6日 15:43
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

質問者からのお礼

釈心誓さん、亀山純史さん 回答ありがとうございました

川口英俊さん、回答ありがとうございます。

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仏教をもっと学ぶ方法は?

こんにちは。 以前Googleで自分の悩みを検索したところ検索結果にこのサイトが出てきたことがあり、それ以来hasunohaを毎晩のように拝見しています。お気に入りのお坊さんをブックマークしているほどです。 生まれた時から仏教徒で、お盆やお参りなど特に考えずそのマナーに従って生きてきましたが、一方で神や仏、また心霊などの類は一切信じないたちです。 しかしながら倫理哲学の勉強は非常に好きで、現在もっとも興味があります。 きっかけは数年前心身共にとても傷つく出来事があり、以来リラクゼーションやアロマ、音楽など、私生活で自己を労る環境を整えていきました。しかしそれらは頭の中、つまり思想の面では自分を疲労から救ってはくれず、そのとき仏教が自分にとって非常に重要なものではないかと気づきました。(軽率な発言続いており誠に恐れ入ります。。) hasunohaをみているうち、信じるか信じないか、お祈りが届くか届かないか、極楽浄土に行けるか行けないか以前に、自分で自分を生きやすい方向に調整していく、大変学びの多い学問でもあることを理解しました。 長くなりましたが質問したかったことは、仏教を学ぶ上でビギナーの私におすすめできる学習方法を教えていただけませんでしょうか。 下記何でも構いませんので、回答いただけると嬉しいです。 ・おすすめの著書(専門用語が多すぎない、噛み砕いてある、原版の理解にふさわしい) ・近所のお寺に通うことも考えたが、用もないのに門を叩いて説法してもらうことなどはできるのか? ・合宿のような形式で学ぶ方法はあるか。どうすれば受けられるか。ある場合、実家は曹洞宗だが宗派を超えても学習はさせてもらえるか ・↑に似ているが、短期的に修行を受けることはできるか。どのお寺でもできるのか?できるお寺はどうやって探すのか ・その他いい方法があれば 可能ならば僧の方に直に毎日少しずつお話を受ける形式が望ましいですが、自分の周りでそう言った人は見かけないし難しいのでしょうか... よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 38
回答数回答 4

どちらの宗派、教えを信じれば良いのか

初めて質問を投稿いたします。 るると申します。 私は学生時代うつ病を患い、生きていくことのつらさ苦しさと死への恐怖に悩み、救いとなる教えを求めて父方の宗派のお寺である東本願寺へ参りました。 そこで、どのような人間であってもすくい取ってくださる阿弥陀様の教えを聞き、何があっても必ず助けてくださる存在があるということに強い安心安堵感を得ることができ、その後は真宗の教えを聞く機会を定期的に作り心の支えとしてきました。 数年後、大学は無事卒業し就職すると私は非常に忙しい部署に配属され、激務と過労で再びうつ病の兆候が出てきて頭の中があらゆる雑音でいっぱいになっているような感覚に陥りました。 その時心の支えとなる教えをまた求めてお寺に行こうと決心したのですが、何故か今回はいつもとは異なる直感のような感覚で母方の宗派のお寺である永平寺に参りました。 永平寺で禅の一端を体験し、その後禅に関する本を読む中で、あるがままを冷静に見つめ自らの内の欲や煩悩を統御する教えを学び深く感動し、禅の教えをこれから生きていく中で実践したいと思いました。 前置きが大変長くなりましたが、二つの宗派の教えと出会いわたしは今どちらを信じたら良いのか迷っております。 煩悩を否定せず阿弥陀様が必ず救うとする真宗か、煩悩を統御し坐禅を通して自ら悟りを目指す禅宗か、全く異なる教えに触れどちらも捨てられないと悩んでいます。 両方を信じる道もあるのでしょうか。 拙い文章になりましたが、僧侶の皆様から何か教えをいただけたらと思います。 何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 37
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