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失恋しました

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3年半前からずっと片思いをしていました。その方は10個年上です。最初は年上で色々な事を教えてくれて魅力的だし、大人の男の人への憧れもあったと思います。でもその人の色々な面を見ていくうちに、もちろんステキな面も、失敗して悩んでいる場面も、怒っている時も好きだと思うようになりました。事情があって半年以上会えない期間もあったけど、周りの男の人は目にも入らない状態でした。恥ずかしながら、勝手に想像が先走ってこの人なら結婚してもいいなと思っていました。相手の方とは付き合ってもいなかったし、告白したこともありません。ただ私が勝手に思っていただけです。我ながら気持ち悪いな、と思いますが…。
そして、このまま片思いをしていてもいつまでも私だって若いわけではないし、片思いをしてもう3年半も過ぎているし、次会った時には告白しようかな…と思い始めていました。そんな時に相手の方が結婚したということを知りました。前回会った時にはそんな雰囲気は全くありませんでした。私が気づかなかっただけかもしれませんが。だから尚更、状況が未だに自分の中で整理できなくて。多分受け止められないんだと思います。自分でも自分がどう思っているのかよくわかりません。もたもたしてるうちに、ずっとずっと好きで諦めないで告白できるタイミングを見計らっていた最中、相手の人が結婚しちゃうなんて。いっそ、この状況で告白してしまおうかとも思いました。でもそんなことしたところで、上手くいかないのは当たり前だし、上手くいっても不倫になってしまいます。でもだからと言って私は私の中でずっとずっと好きだった人への気持ちを消えて無くなるまで待つしか無いのでしょうか。動くに動けない状態です。どうすることもできないです。もしも何か良い考え方があれば教えて頂けると嬉しいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一歩を踏み出す絶好の機会

3年半という長きにわたって、正直で一途なリリさんの思いに敬服しますし、羨ましくも思えます。出来ることなら、恋愛成就まで応援してあげたい。

でも、恋愛をするって、お互いの幸せを願えばこそですよね。
相手を困らせてしまっては、恋の語源のように千々にもつれて収拾がつない事態を招きます。

今、コクってしまうのは、貴方にとっては3年間溜まりにたまったガス抜き。
お相手方にとっては、毒ガスを浴びせられたようなものです。

「動くに動けない状態」でもないし、「どうすることもできない」のではないのです。新たな一歩を踏み出す絶好の機会なのです。
人生は奇なもの…もしかしたら、この先またご縁が生まれるかもしれない。それはそれとして、今はお相手への純粋な美しい心をそのままに、先ずは貴方の思いにピリオドを打って下さい。

それが、お互いの幸せを願うということ。

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有り難し
おきもち

初めまして。桑木茂光と申します。 大阪最北端に位置する能勢町にございます蓮華寺というお寺を預かっております。 We are the ones who make a brighter day!☆明るい明日を作るのは僕らの仕事! お寺と病院を掛け持ちしながら、こんな言葉を胸に日々ジタバタしております(^_^;) どうぞよろしくお願い致します。

泣かせる人の数は少ない方がいい

先に結論を:「人のものに手を出さない。」
賢い人ならこれで十分です。
以下、オマケ。
難しく考えようとするから恋だとか愛だとか、いろんな理由付けが出てくるのです。
本当に「人のものを欲しがらない」これは大切なことです。
道徳心、倫理観の欠如をこそ無宗教というのです。
妄想を膨らますとその妄想が行動に移されます。
不倫ドラマは不倫肯定な面がありますから、妄想と実際が混同します。
不倫の道を歩んで、沢山の非と泣かせる前に目を覚ましましょう。
残念ですが、ステキな人には色んな人が早くに目を付けてすでに所有者がいるのです。
武井咲とタッキーの不倫ドラマではないですが、不倫するのに好条件な設定というものはありません。
「人の旦那に手を出すんじゃないわよ!」
そんな声が聞こえてきませんか?
「うちのダンナに手を出すんじゃないわよ!」
やっぱり越えてはいけない一線ってあるのです。
「このドロボー猫!」(あ、ドラマのセリフです🐈)
人は自分のものにはなりませんが、それでも結婚している人は結婚をして家庭・家族を持っているということです。
「このメスブタ!」(あ、ドラマの中のセリフです( ..)φメモメモ)
まぁ、そんなこと言われても、反対する人が多ければ多いほどモエるのが恋というものでしょうが。
夢は夢。今の現実の彼は家庭を持っている。
夢とはインナワールドの自分だけの独自の妄想。
夢を壊して申し訳ないですが、人はその夢が妄想化して、暴走化して、世間を騒がせることになるのです。泣かせる人が少ない道を選択してください。
失恋で3か月治らない時はうちのお寺の坐禅会にお越しください。
失恋の効果的な治し方を伝授します。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

桑木様、丹下様、回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまい、申し訳有りません。
私はお二人から回答を頂いた後、沢山悩みました。
そして、桑木様の「新たな一歩を踏み出す絶好の機会」この言葉、本当にその通りでした。気持ちを改め、様々なことに挑戦した結果、新しいご縁に巡り会うことができました。この経験がなければ、巡り会えなかったご縁かもしれません。感謝致します。
丹下様、「人のものに手を出すな」その通りですね。この言葉が、私の暴走しそうになる行動のブレーキになりました。感謝致します。
お二人の回答が頂けて、本当によかったです。ありがとうございました。

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