納骨の時に思ったこと。
はじめまして。
去年、83歳の母を自宅で見送りました。ガンでした。
納骨をする時がきて、お墓を開けた時に、中が湿っぽくて、暗くて
何十年か前に、納骨した父や祖母の骨が、蓋のない骨壺の中で赤黒くなっているように見えました。
きれいな母の骨を、こんな所に入れたくない。と、思いました。
と同時に、私も、骨になったらここに入れられるの? 嫌だ。
と思いました。
骨は、家に置いたままでは、いけないのでしょうか。?
それじゃ、成仏できないよ。って、親戚が言っていましたが。
なんか、嫌で嫌で、仕方がありません。
親戚とか、何人もで見てたのに、誰もそんなことを思わないみたいで。
変な人。って思われたとおもいます。
私の、感覚がおかしいのでしょうか。
どうか お考えを聞かせて下さい。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
千の風になって
千の風になって、という歌がありますね。
内容は私の信仰する浄土教とは少し違いますが、共通することもあります。
それは、お墓には居ない、ということ。
例えば浄土宗などでは、人は命が尽きると極楽浄土に行くと信じています。
そこで、みんなとまた会えるのです。
ですから心配しないでください。
なお、骨壷に蓋が無いようですが、私の地元では蓋もつけて置いてますよ。
また、遺骨を家に置いていても構いません。
ずっと置いている人もいます。
成仏できないなんてことはありません。
ただ、家も永遠に存在するわけではありません。いつかは長い間安心して置いておけるところに、遺骨を移してあげなければなりません。
なので、どこかのタイミングで、別れの悲しみが少し落ち着いた頃を見計らって、お墓などに収めることを勧めするのです。
お母さんはお墓には居ません。
極楽浄土から、あるいは、あなたの側でいつも見守っているのです。
位牌や写真などに話しかけてあげてください。
きっと聞いてくれますよ。
時々心の中で返事もしてくれますよ。
遺骨を自宅に置いておくことは問題ありません
また、成仏できない、などということはありません。
お墓は、死者のためにあるのではありません。
亡くなった方を思い出すことによって、今生きている人間が、自らの生き方を問い直すためにあります。
ですから、納骨しなかったら、故人が成仏できない、などというのは道理にありません。
生命を学ぶこと…それが供養
お墓というのは遺族や知人友人がお参りするための指標です。お墓を作ることができない事情があるならまた別ですが、お骨をお宅の中で祀ってしまったら自分以外の人たちがそれぞれの都合に合わせてお参りできなくなります。このようないわばお骨の私物化はできるだけ避けるべきでしょう。
また、今となっては都市の真ん中に霊園区画があったり、ビルの中に納骨堂があるというのが増えてきましたが、元々は人間社会と自然界の緩衝地帯にお墓を作っていました。村、里、野(山)のうち里と呼ばれた地域です。自然界への入り口に埋葬することで、人間社会から自然へ還るということを感覚的に学んでいたのです。やはり事情があるなら別ですが、未練や執着を残すような方向性でお宅に止めおくのは良くないと私は思いますよ。
ただ、お墓の形には時代によって流行り廃りがあります。家族墓にしてもここ数十年のものですから、今の形にこだわる必要はないでしょう。綺麗に送ってあげようとするのは立派な供養の形です。仏教語で「荘厳」(しょうごん)といいます。…と言いたいところですが、実際問題として高価で気軽に買い直せるものではありませんし、みんなでお参りするものである以上、独断で変えて良いものではありませんので難しいところです。
さて、生物にとって死は恐ろしいものです。死ねば変わり果てた姿になってしまう…なんとなく嫌で当たり前です。そういう風に進化したのですから。それが本能です。でも、人はその恐ろしさに決着を付けないといけないのですよ。そうしないと辛いから。
そして自然界も怖くて当たり前です。人は自然のおどろおどろしさが怖いから人間社会というものを作り出したのですから。でも結局、人も自然の一部なのです。土に還るという言葉がありますが、土の中は暗くてジメジメしていて当たり前なのですよ。
嫌だから家に置いておいたとこで根っこの部分で死への恐怖は消えません。この機会にしっかり向かいあってみましょう。今こそ学ぶ時です。
日本人の伝統的な死生観を学ぶ糸口としてこちらがお勧めです。
http://bookstore.yahoo.co.jp/shoshi-131833/
確かに暗い所ですね
拝受
お母様のご冥福お祈りいたします。
私はもともと在家から出家しておりまして
私も確かに子供の頃からお墓ってなんか暗いイメージがありました。
でも死ぬという事は奇跡的に精神と体が一つになっていた
この世を離れること
肉体は滅び腐れて虫に喰われカビてしまい自然に帰り
精神は帰るべき極楽へと向かうこと
それが死であり
逆らったところで人は死に対し無力なのです
綺麗な自宅にそのまま置いておいても何れ子孫に持て余され
埃にまみれて汚らしくなります
実際にはそういう事なのです
その内結局お墓がどこかすら忘れられ
末代にはどこにやられるかも知れたものではありません
うーむどうでしょう!?
お墓を建て直してみては?
今はいろんなデザインのものもあります
納骨堂が綺麗に保てる工夫をされているものもあるようです
お母様のお供養にもなります。
ご自分の納得のいくものがきっとありますよ。
質問者からのお礼
このたびは、私の思い悩んでいたことに対し、真摯にご回答いただきまして
ありがとうございます。
ひとつひとつ何回も読みました。ふと顔をあげると、亡き母の遺影が、いつもより
ニコニコしているように思えました。
なんか、涙が出てきました。
そうですよね、もし将来、私が亡くなり、遺骨を家に置いていたとしても、息子の代、孫の代と、
いつまでもあるとは思えませんし、息子の将来のお嫁さんも、迷惑かもわかりませんよね。
しみじみと感じ。
心が、すっきりとしました。
本当にありがとうございました。