大切な一人娘を亡くしてしまいました
私はシングルですが、一人娘と親子以上の関係で16年間共に仲良く過ごしてきました。
高校卒業後は、私に親孝行したいからと地方へ就職して1年ちょっとになりますが、今年の7/1に先輩の車の後部座席に乗って、スピードによる事故で亡くなってしまいました。
突然の事故から2ヶ月半経ちましたが、絶望感と喪失感が大きくて外に出るのも人に会うのも嫌です。
毎日毎日、泣いて後を追いたいくらいです。
助けて下さい。
この先、ずっと辛い思いして生きていく意味があるのでしょうか?
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつも側に
心からお悔やみ申し上げます。
南無阿弥陀仏
この世の理不尽さにはほんとに悲しくなります。私は弟を病で亡くしました。もう十年経つのに、いまだに時々涙が浮かびます。
ただ、ひとつだけ知って欲しい。
死は永遠の別れではありません。
また浄土で会えます。
今、浄土からあなたを見守っています。
あなたが後を追うことをきっと娘さんは悲しみます。自己嫌悪します。責任を感じます。
ですから、生きてください。
娘さんのためにも。
綺麗な景色や絵画、楽しい映画などをあなたが見れば、あなたを見ている娘さんも一緒に見ることになるでしょう。
美味しいものをお供えすれば、娘さんは食すことができるでしょう。
仏壇か遺影に話しかければ、娘さんは聞いてくれます。
いつも娘さんは側にいると思ってお過ごしください。
いつか浄土で再開した時に、お母さんありがとう、と言って貰えるように。
さおりさま
それは大変御愁傷のことと思います。突然の別れを受け入れがたい気持ちでいっぱいなのでしょう。
人が亡くなるというのは、悲しいことのようで、生まれるということと同じように誰にでも起きることなのです。そして、生まれたその日から、明日の命の保証すらないのですが、生きるのが当たり前だと思いこんで生活しています。出会えば必ずいつか別れが訪れる。予想していたより早い別れが突然訪れてしまったという事実があったということでしょう。
生命がなくなると、触れることも声を聞くこともできなくなります。寂しいことです。しかし、私たちの生活は大きな命の働きの中でおきています。あなたもなくなった娘さんも私もその命の働きそのものです。そして、花が咲く、風が吹く、水を飲むと冷たいと感じる、鳥の声が聞こえる、すべて大きな命の働きです。
つまりあなたのそばで感じられる命の働きそのものがあなたの娘さんそのものです。
安心して大丈夫です。あなたのすぐそばに娘さんはいますよ。
質問者からのお礼
◎聖章先生、ありがとうございます。
これまで、娘と力を合わせて一生懸命生きてきたのに…
耐えられる人にだけ こういう試練を与える…とお聞きしたことがあります。
どうして、神様・仏様は苦労してきた人間を辛い試練を与えてくるのか理解ができません。
きっと、これからも自分の運命を悔やんで、死ぬまで辛い思いをしながら
一生、生きていくことになるでしょう。
でも、ここで聖章先生がお話しされた事…
●死は永遠の別れではないという事
●綺麗な景色や絵画、楽しい映画などをあなたが見れば、あなたを見ている娘さんも一緒に見ることになるでしょう。
美味しいものをお供えすれば、娘さんは食すことができるでしょう…という事
いつでもそばにいて見てくれてるという事ですね。
いつか娘に再開する日まで、『お母さん、辛いのによく頑張ったね!』
と褒めてもらえるような生き方はしていこうと思いました。
◎邦元先生、ありがとうございます。
小さい頃から親に『生まれてきて以上、人はいつか死ぬんだよ』って
洗脳されてきました。
でも、まさか…そんな日が突然来るなんて 自分の体の一部をもぎ取られた感じです。
毎日、呼吸するのも苦しくて、今も生きていくのが辛いです。
もう、娘を抱きしめる事も声を聞くこともできない。
娘と一緒に過ごしてきた四季をこれからも感じて、私が生きている以上 思い出しては涙するでしょう。
命の働き…ずっと娘は側にいてくれてるのですね。