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無とはなんですか?

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有り難し有り難し 43

少し哲学じみた質問なのですが、
仏教の教えで考えが変わるのであれば
どうかお話を聞かせて下さい。
学生時代、地球がいつかなくなると
授業で習いました。
だいぶ後の事だし今が楽しかったので、
そこまで気にもしてなかった事なのですが
ふと、そんな事を考えていたら、
地球がなくなる=いま生きている事がなくなる と繋がってしまい、いつか何もない
無の世界になってしまうのか?と
毎日不安で押しつぶされそうになりました
死ぬことが怖いとは思いませんが、何もなくなる世界が恐ろしくてたまりません。
この恐怖をなくして、前のように今ある命、人生を楽しく、人間らしく生きて
いきたいです。
変な質問ですみません。
どうかアドバイスをお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何も無くならない

あなたは「無くなるのではないか?」という邪推に苦しんでいるだけです。
本来の無とは、もともとまっさらな純粋無垢な世界のこと。そこに対して自分の思いのペンキで塗りたくる(有化される)前、脚色される前の様子を無というのです。
だから、目の前にものがあっても無くても、元々の様子が無。
なくなる、とか虚無とか、そういうことではない。
ものがありながらも、考えや思考のペンキで塗りたくられ「有心され」ないことが無です。
実際、あなたが思い込んでいた無は、あなたを苦しめる材料でしかなかったでしょう?
カラッポの無、虚無、ゼロの無が何がどう、何の救いでしょうか。
般若心経や禅の公案でも「無」というのがあります。無という道理は、心が救われるための道理とされるならばまだしも、無という言葉を運びきたって救われない解釈地獄に陥るようでは虚無、空無、悪い意味でのネガティブな「無」です。
本当の無とは「ものがありながらも、見えながらも、そこに自分独自のわたくし的イメージを添えていない様子」が無なのです。
あなたの質問を読み返してみてください。
「世界はきっと…」「…無くなるのではないか?」←その思いこそが実は有心(思考のペンキ)なのです。何故なら、自分の思いを介入させているでしょう?
だから、それは<有><有心>なのです。
一切は自分が拾い上げなければ、さらさらと流れる川のようなものです。
たった今も映し出されているもともと無垢の現実の河の中で、何かを流れてきたものをつかんで認識に移すこと、拾い上げることが「有」なのです。
握り事や掴み事が心の中にあるから。
あなたが、そんな事を拾い上げて悩む以前を思い出してみてください。
まるで、問題にならなかったでしょう?
もっと、その時の今を謳歌していて人生も楽しかったはずです。そういう素晴らしい在り方が無、無心です。
あなたが、人から言われた論をつかんで、もともとサラサラと流れてい河をSTOPさせ、思考で有心だらけのドロドロの濁り川にしていただけです。目覚めましょう。
自分を救えない論はもう手放し、今も流れている、無心(あなたのペンキが塗られていない)の川の流れに目を向けましょう。

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有り難し
おきもち

「無始無終」

ひまわり様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「無」についてお悩みのご様子をお伺い致しました。

実体としての「無」というものは無いかと存じますが、実体としての「無」は無いとしても、「縁起」としてはあり得ることにはなります。このあたりのことは非常に理解が難しいことですが、ひとまずは下記拙論をご参照下さいませ。

拙論「 死後について 」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008841241.html

そして、いつかこの世が「無」の世界となってしまうのかどうかということですが、それは正直あり得ないことかと存じております。

もちろん、いつか膨張を続けているこの宇宙はやがて臨界期を迎えると今度は収縮に向かうことになるでしょうが、限りなく収縮したとしても、決して「無」になることは無いかと存じます。拙見解ではございますが、その凝縮されたエネルギーが、また何かのきっかけによるアンバランスによって、爆発(ビッグバン)、膨張を生じることになるであろうかと思っております。

この宇宙が誕生したのは、そのアンバランスさによるもので、本来は相反する超素粒子同士の衝突により、超素粒子同士が消滅して、ビッグバンは起こらなかったはずですが、僅かなバランスの崩れがあって、ビッグバンに繋がりました。そして、現在の宇宙が生成されているわけですが、これが収縮していったところで、アンバランスさは変わっていない可能性が高く、きっとまたそのアンバランスさにより、ビッグバンが起こるのではないかと考えております。

もちろん、何度かこの宇宙も膨張と収縮を繰り返す中で、やがてバランスが取られて、消滅してしまうこともあり得るでしょうが、それは相当先(千万無量大数年以上)として、それでも他の宇宙もたくさんございますので、この点ご安心下さい。

とにかく、この世は(実体としては)「始まりも終わりもない」・「無始無終」というのが仏教の基本的な考え方でもあり、あまりご心配に及ぶことでもないかと存じております。

それよりも、幾劫にも及ぶ輪廻の迷い苦しみのありようを何とかしていけるように心の連続体(心相続)のありようをより良くに変容させていくことが大切であるかと存じております。共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ありがたいご回答
ありがとうございます。
本来の無 無心について
気づかされました。
私の思考ペンキで塗られている
←まさにその通りだと思います!
濁しているのは私だったんですね。

川の流れに身を委ねる生き方を、
考えることなくありのままに
受け止めたいと思います。

今という時間を楽しく過ごします!

ありがたいお言葉本当に
ありがとうございます^ ^!!

川口 英俊さま
ありがたいご回答
ありがとうございます。

何でも不安になり、今生きてる事さえ不思議に思ってしまっていましたが、この世に不安はないのですね。

不安から世界を見ていましたが、
仏教の教えからも宇宙のお話も、
今の私をしっかり救って頂けました!
本当に感謝でいっぱいです。
ありがとうございます^ ^!

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良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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