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お骨を家に置いておくと故人の修行が無駄になるのですか?

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父が亡くなり来週で49日になりますが、お坊さんの都合で、今日49日の法要がお寺で行われました。

墓は未定のため、三回忌くらいまで家にお骨を置いておくつもりでしたが、曹洞宗のお坊さんに、家にお骨をもって帰ると故人が亡くなってから修行したのがもとに戻って無駄になるから、もって帰らないで寺に置いておいた方がいいと勧められ置いてきたと母に言われました。

そのようなことはあるのでしょうか?

将来、そのお寺に埋葬するとか、そのようなことは何も決めていない状況です。母は檀家と信徒の区別もわからず、父の葬式に際し檀家になったとかで、契約書もありません。某県の田舎のお寺です。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お悔やみ申し上げます。曹洞宗僧侶です

要するに「未練がよみがえってしまう」というのを遠回しに(比喩的に)おっしゃっているのですよ。
お葬式から七日参り、四十九日、そして一周忌の喪明けに向けて一連の送り出しの儀式が続きます。このうち七日参りから四十九日にかけての法要を中陰法要(ちゅういんほうよう)といいます。
この中陰法要の期間中、(いろいろな話がありますが総じてザックリ言うと)故人は成仏できるよう修行すると言われています。これは浄土真宗さん以外では曹洞宗に限らず一般的です。

ここ大切なのは「1ヶ月前後で喪失感が強くなる」ということです。もちろん個人差が大きく、亡くなった方の年齢や死因によっても大きく左右されます。左右されて良いです。
死後に修行をすると言われると非科学的な雰囲気になってしまいますが、本来、先祖代々の実生活・実体験に基づく慣習として確立されているわけです。七日参り期間はとてもデリケートなのです。

つまり「故人が修行している」というのは「遺族の心が修行している」というのと表裏一体です。
人には「見る自分」と「見られる自分」があります。仏教語を使えば「六根」と「六境」としての自分です。「見る自分」は故人そのものであり、もう亡くなってしまっています。しかし「見られる自分」は、ロウソクの火が消えた後もくゆる煙のように、故人を知る人が生きる限り残り続けます。「故人が修行している」というのは実は、遺族の心の中の「見られる自分」としての故人が修行しています。

その「心の中のお父さまの修行」=「ケ・セラ・セラさま自身の救いに向けた修行」のためにならない、つまり未練が残るからお骨を手元に残すべきではないということでしょう。

ご返信ありがとうございます。字数制限のため一部削除して追記
私個人は「故人の修行の邪魔になる」という表現は好みません。理由は2つ。教育を受けたことが無い人の方が多数派で、理屈っぽいと感じたらすぐ耳を閉じられてしまった「納得より結果」の時代の表現であり、今の「結果より納得」の時代に則さないのが1つ。もう1つは語感がキツくてネガティブだからです。

一言に曹洞宗と言っても十人十色です。人対人の関係として、お互いに理解し合って良い関係を築けるか、あるいは人として自分に合うお坊さんに出会えるかには時間も労力もかかります。良いご縁に恵まれることをお祈り申し上げます。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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そもそも前提からしておかしいです

まず、修行は、生きている人間がやるものです。

私は真宗大谷派なので、曹洞宗には詳しくはありませんが、曹洞宗は、禅です。
座禅だけでなく、掃除、炊事、食事等、生活すべてが仏道修行だそうです。
(これは浄土真宗も、南無阿弥陀仏の称名念仏だけが行なのではなく、生活すべてが仏道修行です。)

死後に修行をするというのは、そのそもその必要もありません。

お骨を最終的にどこに納骨するか決まるまで、お骨を家に置いておくことも特に問題はないと思います。
もちろん、そのことによって故人の修行が無駄になるなどと言うこともありません。

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浄土真宗、真宗大谷派です。
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質問者からのお礼

佐藤様

回答、ありがとうございます。
亡くなってからの仏様になるための修行のことらしいですが、私には何が正しいのか知る由もありません。

母は父の修行の邪魔をしてはいけないと思って置いてきたそうです。父は満足しているのか、また、これが曹洞宗の考え方なのか知りたいです。

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大慈様

回答ありがとうございます。おかげさまで、そのお坊さんの意図を推察する手立てになりました。強制ではなかったようなので、大慈様のおっしゃるところの比喩的表現かもしれないと思います。

しかしながら、お坊さんにとっては同じことの両面であるのかもしれませんが、言われたほうにとっては、自分の心の区切りをつけるためと言われたほうがとても親切であるように感じます。

なぜなら、故人の修行の邪魔をすることになるといわれたら、故人のために自分の気持ちを犠牲にしても、故人にとってよかれと思う方を選ぶのが家族の情ではないでしょうか。

菩提寺というのが先祖代々のお墓があるところとするなら、そのような関係ではなく、この度の父の葬儀で初めてご縁をいただいたお寺です。

葬儀に際しては、こちらの提示額に対し、お布施をあと5万欲しいとおっしゃられたお寺なので、どのような意図でのことなのか、図りかねるところもありました。

大慈さんのおかげで、考え方の道しるべとなりましたので、そのように母に伝えます。ありがとうございます。

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大慈様

追記、ありがとうございます。

そのお坊さんのおっしゃりようは、お寺の営業の一環で、多かれ少なかれ、囲い込みを狙っての言動ととられても致し方のない面もあると私は思います。

大慈さんもおっしゃるように、よいご縁のお坊さんに巡り会うまで、お骨は最初の予定どおり家に置いておけるのが私の理想です。

しかしながら、私には何の権限もなく、将来的なリスクを抱えたまま、お骨はそのお寺にあるままになる可能性もあります。正直、今はちょっとやりきれない気分です。テンション低くてごめんなさい。

「法事・法要・49日」問答一覧

菩提寺不明、法事を忘れた!

見つけてくださってありがとうございます。お恥ずかしい話です。 祖父の命日も三回忌もすっかり忘れてしまいました。そして、菩提寺不明、故人と私は違う宗派な状態ですが、宗派が違うお寺さんに拝んでもらってもいいのでしょうか。 私は、臨済宗妙心寺派の宗派です。 私の父方の祖父(故人)は、私と同居しておらず、おじ夫婦と一緒に暮らしていました。元々おじ夫婦は、私と同じ宗派だったのですが、おじが仏教系の新興宗教に入りました。祖父はわけもわからないまま、その新興宗教に入っています。 おじの新興宗教入会(?)がきっかけで、おじと他の兄弟で分裂し、音信不通です。 時間がたつにつれ、私の父は故人に、兄弟達は病気に、で、動けるのが私だけとなりました。 おじは新興宗教(先祖供養を大切にしている、とネットに書いてありました)に一生懸命な人なので、もしかすると、法事をしたのかもしれません。宗派によってはしないのかもしれません。しかし、歴代の同じ宗派の先祖の法事をやらなかったことを考えると、祖父も…と考えてしまいます。 三回忌も命日も忘れ、どうしようと悩んでいます。 三回忌に間に合っていないのに法事をしてもいいのでしょうか。 位牌もなにもない、菩提寺もわからないですし、宗派が違うのですが、お寺さんにお願いしてもよいのでしょうか。 唯一わかるのは、お墓です。 よろしくお願いします。

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亡き父の年忌法要をあげたくありません

年少のときに母が精神疾患を発病。 父は、大して面倒も診ずに放置。 母は医師の力でなんとか病気がおさまりました。 しかし私が小学生の時に再発。 その後20年間父は、精神疾患を抱えた母を自宅に放置しながら、 自分の給料をギャンブルと風俗につぎ込み、家にはお金を入れない状態が続きました。 私が成人したあと精神疾患について調べ上げ、入院と適切な治療が不可欠と判断し、きちんと面倒を見てくださる病院に入院。先生方のご尽力もあり、母は快方に向かいました。 その後、平穏な暮らしが戻りましたが、数年後に母は末期癌を発病。 母が他界するまで、積極的に治療にかかわろうとはしませんでした。 父は母の遺産をギャンブルで使い果たしました。 そんな父も数年前に他界。 家族を苦しめ続けた父を供養する気持ちなど、まったくありません。 墓石に戒名を刻みましたが、消したいくらいです。 骨も適当に海洋散骨したい気分です。 そんな父ですから、親戚の墓参はまるでありません。 墓は父方の墓です。母も入っています。 父方の先祖はあったこともありません。 相談です。 父の供養をしたくありません。父の先祖なんで知ったことではありません。 寺から知らない先祖の50回忌あげさせられて、怒り心頭です。 なぜ、知らない先祖の供養のために高い金払わされて、会社休んで読経聞かなければならないのか。 父方の先祖代々の墓を適当に処分して、愛する母だけきちんと年忌法要したいのです。 お知恵を拝借ください。

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僧侶として人として

父兄は曹洞宗の住職、副住職の僧侶です。 寺族である母が亡くなりました。 その後四十九日、秋春のお彼岸、一周忌、新盆。 何も連絡がありません。 伯母や従姉妹達にも連絡はありません。 亡き母の誕生日に孫達が実家に集まる事も拒否されました。 理由を教えてくれる事もありません。 こちらからの連絡は直接してはならず弁護士を通すように伝えらています。 法要とは故人を偲び、残された遺族が悲しみをのり越えて生きていくために、心の折り合いをつける大切な仏教行事であると思っています。 その機会を尊敬していた僧侶である父兄に一方的に奪われて 驚きと理不尽さと不安で心がいっぱいです。 今年は三回忌になります。 たぶん連絡は来ないでしょう。 お寺で産まれ、一生をお寺の為に尽力した母があまりにも可哀想で不憫でなりません。 今後、僧侶として檀信徒の方々に何を布教していくのでしょうか。 僧侶も人間です。 間違いも犯すでしょう。 保身に走りたくなる気持ちも分かります。 でも、逃げずに向き合う時は必要です。 やってない。俺じゃない。知らない。覚えていない。分からない。 と逃げ回っていても誰も解決などしてくれません。 誤魔化し、嘘をつき、欺くことをやめて 自分の立場を自覚して誠心誠意、他者に対して心を尽くす事を 人して僧侶として今生を生きて欲しいと思っていますが、 無理な願いでしょうか。

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質問させていただきます。 お寺にお墓のある人の法事を、教会で行うというのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? また、義姉と折り合いをつけるにはどうすればよいでしょうか。 . 私の父は2年前に亡くなり、この度3回忌を行うこととなりました。 そこで私の兄のお嫁さん(以下義姉)が「キリスト教の教会で三回忌をしたい」と言って揉めています。 義姉は2年ほど前にキリスト教になり、教会へ通っています。普段会っても勧誘や説教はされなかったので今回突然のことに驚いています。 . 父が熱心な仏教徒であったわけではないのですが、父の墓は浄土真宗のお寺にあります。わざわざ教会に死んだ父を呼びつけて法事を行うというのは違和感です…。 . そのため それはおかしいのではないか、と義姉を諭すと泣いて癇癪を起こしてしまいました。 義姉の言い分は「教会の方が安く済ませられる」「お寺は家から遠い」「自分の信じていないものにお布施をしたくない」「教会の神父さんにももう頼んでしまったので後には引けない」などです。 . それならお金は払わなくていいし来なくていいとも伝えましたが、そういう問題ではないそうで。 兄は家庭を大事にしており、義姉には強くものを言えません。私も兄の家庭には平和であってほしいです。 しかし今回の話があまりにも平行線であるため、本職の方の意見をお伺いしたく書き込みました。 . 最後に重複となりますが、「お寺にお墓のある人の法事を教会で行う」というのはお坊さんから見てどうなのでしょうか? 義姉と折り合いをつける方法はありますでしょうか? 私としては先祖を改宗させるような行為はバチ当たりなのではと思ってしまいます…よろしくお願いいたします。

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