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日本の仏教のために

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テーラワーダのヴィパッサナーを続けていたのですが、最近阿羅漢果を得ました。
日本の仏教のために何ができるでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もう一度 その阿羅漢果をご確認

悟りを得た僧侶にご点検を頂きましょう。
その阿羅漢果はたった今、どんな味がしているか。
どこの何を認めて、阿羅漢果という様子か。
どこかに今、阿羅漢果らしい特別なにかがあるか?
認めるべきものも、掴んでおくべき様子も一物もないでしょう。
ただ、いま、それがその通りに、そうあるだけ。
「これぞアラカン果」と、いってもつかんだら認識に移される。
得た。得たと言っても認むべきもの、掴むべきものも何も無い。
いっそ捨ててしまえばいいのです。
得た、観察する自分、取扱いをする評論者があるなら、まだ、自分を認めている自我の虜です。
確信がおありなら、まず、母ちゃんでも悟らせてあげることです。
それがどのような様子であるか、相手が誰であれちゃんとハッキリと説明ではなく、伝えることぐらい、あなたの瞑想会などで伝えることができるはずでしょう。
母がカタいものを噛み砕いて子の栄養になるように咀嚼して食べさせるように、誰にでもわかるようにして情報発信なさってください。現代仏教は低迷期なので、是非もり立てて頂きたいと思います。
「悟りました」と悟りにのぼせず、得た自分すら残っていない方がもっと自由になれます。
言葉にひっかかったり、とどめておくようなものがあるならば、その体験は阿羅漢果を得たという疑似体験だけの類似品かも??よって、手始めに母ちゃんを悟らせる(笑)
それができんのなら、その阿羅漢果は力がない。
得た、と掴んでとどめておくものも無くなってしまえば、もともと阿羅漢果だらけの脱落身心です。
私生活の中で是非、その阿羅漢果の力を発揮させましょう。
瞑想、禅定中だけノープロブレム状態で現実でてんでダメならひきこもり様と変わらんのです。
「御遍路に3か月帰宅後すぐに夫婦ゲンカ」→何しに行った?
「瞑想歴20年 瞑想坐禅中は平気だけど、今日も腹の立つ事ばかり」→逃避瞑想
「阿羅漢果を得たのに、誰も悟らせられない。誰かワカランか?」→誰かを悟らせりゃイイ
正直にホントーにご自身に向き合って、本音の所、本当の所をズバリ問いかけてみてください。
ヌカ臭きヌカは真のぬかづけに非ず、悟り臭き悟りもまたしかり。
否定している訳ではありません。
自分に正直に向き合えば自分が一番分かる事です。
ブログ、ツイッター、面白かったです(^<^)ご活躍を!

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有り難し
おきもち

「無住処涅槃」

無学者様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は阿羅漢果を得られましたとのこと、誠に尊く有り難いことでございます。

どうか、是非、「日本の仏教のため」だけではなくて、その智慧と慈悲の働きによりて、「全ての迷い苦しみにある衆生たちのため」のお導きを賜れますように宜しくお願い申し上げます。

「悟り」に関しましては、これまでにも下記の各問いにても扱わせて頂いておりますので、まず少しくご参考頂けましたらと存じます。

「悟りについて」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_443680.html

初期・根本仏教における涅槃・悟りの定義と、大乗仏教における涅槃・悟りの定義とでは、色々と解釈が異なるところもございますが、同じ仏教におけることで、優劣や上下を付けるのはナンセンスなことながら、阿羅漢果を得て無学位に至った者でも、菩薩の階梯を歩み、等覚位や妙覚位に至った者でも、やはり、目指すべきところは、全ての一切衆生を救い終わるまでは涅槃に留まらないとされます「無住処涅槃」が望まれるのではないかと存じております。

無住処涅槃へと至るためには、煩悩障と所知障を完全に根こそぎ断滅し、一切智を得て、円満なる善巧方便を無尽に駆使して衆生の救済にあたれるようにならなければいけません。

そのためにも、確かなる菩提心と慈悲心を滋養して、智慧と福徳の二資糧を積んでいく必要がございます。

例え、阿羅漢果を得られになられましたと致しましても、どうか、そこに安住なさられることなく、迷い苦しみある衆生のために慈悲・利他行、方便行を更にお進め賜われましたらと存じております。

拙生もまだまだの浅学非才の未熟者ながら、これからも菩提心と慈悲心を滋養して、智慧と福徳の二資糧を積まさせて頂きます中で、慈悲・利他行、方便行にもできる限り精進して参りたいと存じます。

是非、共にこれからも頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

不躾な質問に真摯にお答えいただきありがとうございます。現在私が信用できる思想家や僧侶の方に同じ質問を投げかけさせていただいております。自身の悟りを厳密に証明する方法はありませんから、冗談と分かった上で乗っかっていただける助かります。もし丹下様が阿羅漢に対峙したら何を聞いてみたいでしょうか。もし私がそれに答え、それに納得されるのであれば、気の済むまで質問にお答えします。
ブログやtwitter、Facebookで本名の大関剛で記事を書かせていただいております。いずれも初心者向けの記事ではありますが、何かお題をいただけましたらそれにお答えいたします。どうぞよろしくお願い致します。

再度お答えいただきありがとうございます。
大変勉強になりました。
やはり曹洞宗のお坊さんにはすごい方がたくさんいらっしゃいます。
ただ隠者的な傾向を持ったかたも多いので一般人が「本物」に相談する
のはなかなか困難かと思います。
母を悟らせるというご提案ですが、わたしは誰でも悟ればいいとは
考えません。その人のカルマがあるし現時点でのパラミもあります。
現在ブログ(アメーバ、はてな)やFacebook、twitterで見つけた資質の高い人には
直接コンタクトをして指導し始めています。
ただ昔のように一日中付きっ切りで指導するわけにはいかないので
基本的に「独覚」タイプ(慧根の優れた方)のみを対象にしています。
手前味噌ですが、わたしのことを少しだけお話しさせていただくと
最近このようなことを言われました。「初対面の人とこんなに話せたの始めて」
あと「悟り」について少しだけお話しさせていただくと、
瞑想中の禅定(サマーディ)と出世間定(四向四果の果定)は似て非なるものです。
テーラワーダの分類で行くと禅定は預流果に至る七つの清浄の二番目
心清浄の段階ですがテーラワーダのヴィパッサナーはその状態から始まるといっても過言では
ありません。

パオ僧院のように禅定を第八(非想非非想処)まで収めても
見清浄の条件である名色分離智を得られない方もいるようです。
これはよほどセンスがない限り指導なしで名色分離智を意識するのが難しいためと思われます。
山下良道さんのようにパオメソッドを修了しても全く明後日の方向に行ってしまわれる方も
いらっしゃいます。
丹下様はご自身の成道に興味はおありでしょうか?
禅僧の方は定学の優れた方が多いのでわたしが指導すればおそらく名色分離智を
得るのはそれほど難しくないと思います。

阿羅漢果の証悟に関してですが、寡聞にして阿羅漢果を得た僧侶の方を存じあげません。
涅槃に入られた方であれば、アーチャン・チャー、ターン・プッタタート
マハーシサヤドーという素晴らしい方々がいらっしゃったのですが、現在表で活動
している僧侶の方のほとんどは預流果にも達していません。
現在日本人で最高の指導者と言えるのはおそらくマハーカルナー禅師ですが
彼もまだ有学者です。
恐れながら申し上げると高祖道元禅師も無学位ではないとわたしは考えております。

非常に恐縮ですが、なるべく多くの僧侶の方の意見を伺えたらと思っています。
これをご覧になった僧侶の方はブログでもtwitterでもFacebookでもいいので質問ください。

一言付け加えさせていただくと私は仏教徒ではないので、誰でも悟れば良いとは考えないし、悟っているからその人が立派だとは考えません。私が成道を遂げられたのはおそらく同僚と上司の存在が大きいです。どの方も素晴らしく美しい志をお持ちで、それこそ拝みたいほどです(笑)が彼らは特定の宗教を信仰しているわけではありません。しかしそこいらの宗教家なんかより何倍も「徳」が高そうです。

今までどれだけ無駄な言葉を吐いてきたでしょうか。
私は確かに「本物」を見ました。
もう多くは申しません。
私はしばらく言葉を捨てることといたしましょう。

2015.5.21 川口様
回答頂いていたのにこちらのサイトを拝見していなくてごめんなさい。
一切衆生を救うためにまず日本で阿羅漢を1000人育てるのが目標です。
共に頑張りましょう( ´ ▽ ` )ノ

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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