学校の授業をまともに聞けない
今大学へ通っています。
大学では好きな授業をとれるので、自分の興味のある分野の講義を受講したのですが、その先生のことがとても嫌いで、授業を聞いているだけでイライラしてしまいます。
その先生は私達学生を小学生のように子ども扱いします。物腰は柔らかいのですが、とにかく上から目線なのです。
「ノートはちゃんと取りましょう。こういうふうに取るのですよ。ノートをとるスキルを身につけた人は、社会に出ても評価されるのです。これはあなた達のためを思って言ってるのですよ」
という調子が、腹立たしくて仕方ありません。私達はもう大人です。学び方も自分なりに考え、自分で実践しています。教師として学生を指導するのは当然ですが、あまりに私達を舐めすぎています。「ノートの取り方も知らない君達のために」というのがなんともムカつく。
くだらないことといえばそうなのですが、そんな先生の態度が気に入らなくて、授業を聞く気すら失せて来て、「よくやったな。よしよし」と頭を撫でられているようで、テストで高得点を取ってやる気にもなりません。
せっかく興味のある分野の授業をとったのに、それでは学べることも学ばなくなっているだけでなく、聞くだけで毎週ストレスを溜めてしまいます。
どうにかそんな怒りや腹立ちを抑え、無我の境地で人の話を聞くことはできないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたは、美味しいとこだけつまみ食いしようとしている
講義の上手な教授も居れば、下手な教授もいます。説明がすうっと耳に入ってくる方も居れば、不快で聞く気になれない話し方も確かにあると思います。
大学の選択科目なら、好き嫌いで履修を止めたり単位を落としたりしても、何とかなるでしょう。でも、必修科目ならそんなこと、言ってられないですよね。失礼ながら、「甘い」と思います。社会に出て、営業の仕事をする場合でも、企画の仕事をする場合でも、広報の仕事をする場合でも、「クライエントが嫌いだから、クライエントの言うことのメモを取る気になれません。」なんて言ってたら、社会人失格だと思います。
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どうにかそんな怒りや腹立ちを抑え
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怒るべきなのは、自分自身の甘さに対してだと思います。「無我の境地」と書いてますが、自分の好き嫌いという「我」を野放しにしておいて「無我の境地」なんて得られる訳がありません。
誰だっていろんな面で好き嫌いはあります。でもね、それが通用する場合もあれば、通用しない場合もあるのです。むしろ、通用しない場合の方が多いと思います。人生、そんなにおいしいことばかりじゃありません。ところが、あなたはおいしいところだけつまみ食いしようとしている。
前に他の方の質問に、至道無難、唯嫌揀択( しどうぶなん、ゆいけんけんじゃく) というタイトルで回答したことがあります。http://hasunoha.jp/questions/11937
今のあなたは揀択(けんじゃく)の状態です。選り好みばっかりしている状態なのです。
学問だって仕事だって「美味しいとこだけつまみ食いして行こう。」という気持ちじゃ、上手く行くわけありません。講義がつまんなくても、不愉快であっても、ノートを取るべき時にはしっかりノートを取る。嫌な上司の指示でも、不愉快なクライエントの説明でも、メモを取るべき時には、きちんとメモを取る。そういうことが出来るように、自分を鍛えていくことが大事です。
大切なひと時ですから
拝読させて頂きました。その様な姿勢で指導されても学ぶ気持ちになりませんよね。
おそらくですが、その先生も不満を抱えながら講義なさっていらしゃるのかと思います。
自分に対する周りの評価、指導する生徒への不満、本来自分が求めることとのギャップを抱えながら講義なさっていらしゃるのかと思います。
いかがでしょうかね。
それを踏まえてみると先生の見方が変わるのではないでしょうか。
教える側も教えられる側も共に未熟なのです。お互い未熟ながら共に学んでいく姿勢が大切かと思います。
どうかじっくりと観察してみてゆっくりと考えてみてくださいね。大切なひと時ひと時ですからあなたが学んでいるその時を充実してお過ごしなさってくださいね。
あなたのこれからの未来が豊かに学び多い日々でありますようにお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
>吉田俊英様
ありがとうございます。全く貴方の仰る通りですし、そのことは重々承知しておるつもりです。このような話し方は嫌いだ、嫌いな人の言う事は聞きたくない、という私の自分勝手ゆえにこのようなことが起きています。ですから私の気の持ち方を変えれば、不愉快を感じず人の話が聞けると思います。それで、無我になれる小技裏技などないかと期待したのですが、そこまで世の中甘くはないですね。地道に自分を鍛えていくしかないとのこと、真摯に受け止めて、精進いたします。
しかしひとこと言わせていただきますと、大学の講義は単位をもらうことを目的に受けるものではありません。「単位を取るために嫌なことも我慢する」と、「仕事のためにクライアントの嫌なところを我慢する」を同列に語り、学問と労働を同じ扱いにしてしまうのはよくないと思います。私達は自分の学びのために学校を利用しているのです。私達には自分がよりよく学べるために環境をある程度選択し、主張する権利があります。
>Kousyo Kuuyo Azuma様
ありがとうございます。共に学んでいくという姿勢と言われると、なるほどと思います。お互いにお互いの未熟さを思いやることができたらいいですね。講義内容に集中できるよう、努力を続けます。