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五逆罪は救う?救わない?

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いつも回答有難うございます<(_ _)>

YouTubeの法話(浄土真宗系)をよく聴きます。

ある法話で阿弥陀如来は
「そのまんまで救われる」とか
「すでに誓願に叶われている身である」
などと全て者は救われると説かれてます。

が、疑問があります。

第十八願には五逆の罪は救わないと説かれてます。

さてこれは、どのように受け止めればいいのでしょうか?

※五逆の罪
すなわち
(1)母を殺すこと
(2)父を殺すこと
(3)僧(阿羅漢)を殺すこと
(4)仏の身体を傷つけること
(5)教団の和合一致を破壊すること

また、日蓮聖人は「念仏を唱える者は無間地獄に落ちる」とも言って、日蓮系や新興宗教の中では第十八願の五逆罪を除くの部分を指して邪宗と理由付けます。

第十八願の五逆罪の除く部分が凄く引っかかるのです。

阿弥陀如来は、全て者を救うのか?救わないのか?
教えて下さい、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

救われます、お礼

浄土三部経を浄土宗や浄土真宗では大切にしていますが、無量寿経はその一つです。
確かにそこにはそのように書いてあります。
しかし、三部経の一つである観無量寿経には、五逆罪の人も救われると書いてあります。
ですからみんな救われるのです。
極楽浄土に行きたいと願えば、阿弥陀仏の誓いの通り、誰でも連れて行ってもらえるのです。

では、なぜ無量寿経には除くとあるのか。
それは、堅田様の言われるように、悪いことをするなよ、という方便なのです。

お礼ありがとうございます。
衆生の解釈は人だけなのか、命あるもの全てなのか、意見が別れるところですが、私は命あるもの全てと思っています。
念仏を唱えずして亡くなった命には、代わりに生きている人が念仏を唱え、その功徳をその命に振り向けるのです。分かりやすく言えば阿弥陀仏にその命をお救いくださいと念仏を唱えることによってお願いするのです。
これを回向といいます。

また、浄土教以外の他宗の人にはそれぞれの目指す道(浄土、悟り、天国、他)があります。その人がもし念仏を唱えるなら、阿弥陀仏はその人を手助けし、応援してくれます。このことは四十八願の第四十から四十八願に書かれているので、是非ご一読をお勧めします。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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「全ての者を救うが、いましめ」と味わわせていただいております

私は、教典は文字を文字通りに読むのではなく、その書かれた「意図」、つまり「おこころ」をよむ事が大切だと思っております

「唯除五逆誹謗正法」の文字を、文字通り読めば、
「五逆の罪人と正法を誹(そし)るものは本願の救いから除外する」という意味ですが、
「全ての衆生(人々)を必ず救い摂る」という願いをたてられた阿弥陀さまのその「おこころ」を察する時に、それは、
「救いから除外する」が本意ではなく、
私達人間が逆謗の凡夫であることを知り尽くした上で「五逆を犯すなよ!正法を誹(そし)るなよ!」という「戒め」と味わうことができます。

浄土真宗では「唯除五逆誹謗正法」は抑止文(おくしもん)と呼ばれています。
浄土真宗の教義でもある「悪人往生、悪人正機」につながってくる要でもあります。

合掌

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おきもち

良い質問ですねぇ。

 とんとんさん、文書読ませて頂きましたが、四十八願の真実の願である十八願の「唯除五逆誹謗正法」ですが、仏説無量寿経上巻に書かれておりますが、もう少し詳しい内容に関しては、宗祖(親鸞聖人)の尊号真像銘文の中に、「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。という御文で、ここで、最初に「五逆のつみびとをきらひ、謗法のおもきとがをしらせんとなり」と言われています。阿弥陀仏は「唯除」ということで、五逆罪、謗法罪がどれほど恐ろしい罪であるかを知らせようとされています。そのように言われる理由は、阿弥陀如来は五逆罪謗法罪のものも救ってくださいますが、五逆罪謗法罪自体を許しておられるのではないからです。ですから、未だに五逆罪、謗法罪を造っていない者に対して「ただ除く」ということで、私達に罪を造らせないという大慈悲から言われたお言葉だと分かります。人間の親子でも、友人でも「もしそんな恐ろしい罪を造ったら縁を切るぞ」というのは、「相手を威嚇したり恐怖に陥れる」ためではありません。本当に相手のことを思っているならば、それは「絶対にあなたに恐ろしい罪を造って欲しくないし、造らせない」という相手を罪から護ろうという心です。しかし、已に五逆罪謗法罪を造った人や、また今も造り続けている人に対しては、「このふたつの罪のおもきことをしめして、十方の一切の衆生みなもれず往生すべし」と言われています。これは、罪の重いことを知らせて、廻心懺悔させ本願を聞くものに導いて全ての人を救うといわれたお言葉です。決して、已に造った人は、「罪人だから嫌いだ」「言うことを聞かないものはもう助けない」と言われるのではありません。最初に「逆のつみびとをきらひ、謗法のおもきとがをしらせんとなり」とあるように、已に五逆罪、謗法罪を造っている者をなお哀れに思われて、それを「重き咎を知らせん」とされているのが阿弥陀仏です。また、それを「重き咎」と知る人は、已に法を聞いている人です。特に謗法罪は、そもそも仏も仏の法も、浄土も認めない人だからです。少し難しかったです。合掌

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おきもち

山寺の住職です。他の仕事と兼務してます。
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質問者からのお礼

釋俊道様
聖章様
堅田正樹様

どなた様も懇切丁寧なご返答ありがとうございます。

まずは、はっきりして心がすっきりしました。
やっぱり、救われるのですね。

全ての衆生の定義はどのような定義でしょうか?
念仏を唱えない、赤ちゃんや他宗(仏教意外)の方は救われるのでしょうか?

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
追記の質問までのご回答ありがとうございます<(_ _)>

回向とよく聴きますが、このような意味でしたか。また一つ知る事が出来てよかったです。
他宗でも念仏を唱えると阿弥陀さまは救うのだから大変に大忙し仏様ですね。

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