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嫉妬心について

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有り難し有り難し 32

私は、父が弟に行う支援に対して嫉妬してしまいます。

弟は結婚していて子供が二人います、私は独身です。
その弟は、実家に帰省する際、父や祖父母から交通費やお小遣いを守らているようです。
私は祖父母には正月にお年玉をあげていて、交通費やお小遣いはもらっていません。
さらに、弟の義父母の家に行く際、その交通費も父からもらっているようです。

祖父母や父にとっては、初めての孫、ひ孫になるので支援したくなる気持ちはわかります。
けど、どうしても私が帰省したときの差を感じてしまい、嫉妬してしまいます。

家族や親戚づきあいをしなければ嫉妬心が生まれることもないのですが、お盆や正月などには帰省することになるので、難しいです。

どうすれば、嫉妬心を抱くことなく、帰省することができるのでしょうか。
また、父に、その嫉妬のことを伝えるのはよくないことでしょうか。

本来は、大人なので、交通費やお小遣いをもらっているからと嫉妬心を抱くのはよくないのですが、どうしてもそのことが気になってしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

僕も頂戴、頂戴よぉ!おくれよう。ずるーい。僕にもおくれよぅ。

あなたが長男であることを捨てておねだりすることです。
親のすねをかじるには、かじるための条件があります。
まず、こいつはダメだ、と思われる事。
ああ、こいつは、今支援を要求しているのだ、と思われる事。
枯渇アピール、可愛さ、従順さ、何だか物欲しげなきらきらする瞳。
あなたが定食を驕るにも驕りがいのある人がいるでしょう。
お父さんはお父さんが好むペコペコ感があります。
弟くんはその辺のツボを心得ているのでしょう。
もっとペコペコになりましょう。
「おとうちゃーん♡ いつもありがとねー♡ はーい、これパパの好きなお酒-♡僕お父ちゃんの事超ーリスペクトー♡ ねーねー、ボクちゃん、いっつも思っていることがあるんだけどー。弟だけにおこづかい、ずるい…。ボクも、欲しいー。」
(一一")「お前は、長男だからダメだっ」
(´Д`)「くぉーん、欲しい欲しいー。おくれよぉー、おくれようー。」
(一一")「ダメだっ」
(´Д`)「じゅるーい(指をくわえながら)、欲し欲しー。くれなきゃヤダヤダー、老後メンド―見るからァー、おくれよぅ、おくれよぅー。🐕」
この時、自分にシッポがあるとして、全力で振るのです。
犬は降参の時に相手にお腹を見せます。
あなたは長男であり、はじめての男の子だったから厳しく育てられたのかもしれません。
そのキャラにとどまっていると損をします。
長男あるある、次男あるある、末っ子あるあるをみて研究して、父親ごころをくすぐるお坊っちゃま君のようなキャラを目指して、自我とプライドと見栄と虚栄心と恥じらいと長男らしさを無くす修行を致しましょう。
それでもくれなかったら(その前に出来ないでしょうけど)、それはきっとお父さまはあなたには特別なものを与えるつもりなのでしょう。
本当は既に与えられているものもあるのですがね。
それに気づかせてくれるための仏の修行(無私・無我を悟るための精神修養)としてあなたに嫉妬心を与えてくれたのですよ。
オレの俺の、僕が僕が、という心のチラツキ。
それが人間を苦しめるのです。

私からのお小遣いは以上です。
あ、上記の方法でもし、もらえたら、
「ボクも欲しい欲しい―♡ おくれよーう。じゅるいじゅるーい。(指をくわえながら)」<嘘>
嫉妬とは、元々自分のものでないものを自分のものだと思いこむ、所得心・所有心から生ずるのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

ドーンと構えて

現代の小さな子を持つ父親は、昔と違い、収入も少なく子供を育てるために親のすねをかじらなければならないという実態もあります。
もちろん孫がかわいい、孫に何かしてあげたい。という気持ちは、昔から変わらないと思います。

あなたが嫉妬してしまうのは、どこかで、まだ子供をやっているからではないでしょうか。確かにお父様お母様にとっては子供でありますが、年齢から考えて、もう立派に自立していなければなりません。
お小遣いどうこうはもう関係ないでしょう。弟さんは申し訳ないと思いつつ、しかしありがたいと感謝しているのではないでしょうか。

同じ生活状況でないわけですし、比べるのもおかしな話です。あなたにはあなたの生活がある。実家に帰る時は、お父様お母様を労うつもりで帰ればいい。あとは何も気にしなくていいじゃないですか。ドンと構えてご両親を養ってあげるぐらいの気持ちで、全てを包み込んであげてください。そうした大きな男になれれば嫉妬もなくなりますよ。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

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