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前に進めません、、、

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有り難し有り難し 35

何度か質問させていただいてます。
以前付き合った元彼との間にできた赤ちゃんを2度も中絶しました。結婚したい、私との子がほしいという言葉を信じていました。しかし、いざ妊娠すると、私の覚悟がないやら、全て私に責任を負わせられ、しかも暴力、暴言ひどくなりお腹の子を殺すしかないやらとても考えられない言葉を言われ、他の女の子に手をだしてるのも分かり精神的にも耐えられなくなりました。また、私はバツイチで一人子どもがいるため、2人を一人で育てるだけの経済的余裕もなかった為中絶しました。今でも彼を信じ浅はかに行動した自分、既にいる子どもにも彼と会うため淋しい思いをさせたこと(会いたい会いたいと彼は束縛が酷く週.5〜6深夜まで会ってました)、お腹に宿ってくれた2人の赤ちゃんに辛い思いさせてしまった事、信じてたのに簡単に裏切られた惨めな自分が許せず2年経つのに立ち直れなく、パニック障害まで発症してしまいました。彼と出会わなければ、あの時付き合わなければ、一回目の妊娠で言い訳された時本性に気づいてればと後悔ばかりです。男性不信にもなってしまいました。男の人は簡単に裏切るのですね。子どもの前でも明るくできず、笑うことさえなくなりました。信用してたのに、、、
これからどう生きたらいいのか、分かりません。2年前のあの時から、時がとまってしまいました。
あの男がのうのうと生きてると思うと許せないのです。
裁判での慰謝料も多少とれると言われましたが、子どもや両親など身内に仕返しされても嫌な為諦めました。結局泣き寝入りするしかないんです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本当に優先させるべきことってなぁに?(´-`).。oO

それは大変な目に遭いましたね。
おかわいそうに。
ですが、ですが、ですが!
あなたがそれでも優先すべきことは「悩む」「悔いる」ことより、子供の前で笑顔になれることじゃないでしょうか。
子供もつれて埼玉に遊びに行くつもりでDO田舎ですが、THE禅会に親子で来てみませんか。子供にとってもお母さんと久しぶりにゆっくりできる良い環境です。
子供はあなたより立派になろうとしているかもしれませんね。可哀想ですね。
子供が親より強くならなくちゃなんて思わせちゃ可哀想ですね。(´;ω;`)
今お子さんにもあなたにも必要なことは時間よりお金より、同じことを親子で共有するべきなのではないでしょうか。
そして、その時間は暗い時間より、立ち直りや回復に向け、向上に向けて進んでいく時間。
あなたは確かに被害者です。
ですが、あなたは子供を優先するより、あなたが被害者であること、あなたが被害者であり続けようとすることを優先されておられるのです。それは、わが子より、自分を優先させた姿です。
自分を優先させようとしているから怒りが抜けないのです。
実はアナタの一番の問題は、そこだったのではないでしょうか。
彼を子供より優先してしまった。
二度も子供より、生まれてくる子供より優先してしまった。
それは彼を優先させたというより、本当はUSOでも彼から必要とされる自分を優先させていた姿なのかもしれません。別に責めません、叱りもしません。
そうであったにせよなかったにせよ、自分をいつも一番苦しめているのは、根強い「それ」ではないでしょうか。
今、ボーっとしていた時、誰を優先していましたか?
人間はこの「わたくし」を離れることで本当の無私の私になれるのです。
ここでも申し上げる「わたくし」とは無我ならぬ、我の強さの「我」。自我。エゴ。自分を自分と認めてそれを一生懸命大事にしようとする心なのです。
そこに向き合えた時、人は古き殻から脱皮して、飛び立てるようになるように、大きく成長するのです。
自分の「我」に向き合える強さを持ってください。
そこに打ち克てれば彼や恨み、被害者意識からの誘惑に打ち克てるからです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

幸せになったもんが勝ち

終わってしまったことはもうとやかく言っても仕方が無い。
間違いを犯したり、失敗してしまったりは誰にでもありうることです。

本当は、時間をかけてゆっくり忘れなさいと言いたいところなのですが、お子さんがいらっしゃるのですね。
ならば、なるべくさっさと忘れてしまいなさいよ。
そうやっていつまでも悩み苦しみ、自分を責め続ける母親を見て育つ、お子さんの心労の方が私は心配です。
お子さんのために生きてほしい、母として何ができるかを、これからは考えて欲しいです。

何年もぼんさんをやって、たくさんの人をお葬式で送ってきました。
その経験から見えてきたことがあります。それは
「お葬式でどれだけの人が泣いていたかで、その人の人生が幸せだったかが分かる」
ということです。
お金も地位もある偉い人のお葬式で、何百人も弔問客が集まっていても、誰も泣いていない、それどころか後ろの方では雑談してる人までいる、家族もヤレヤレといった顔で、泣いている人はいない。
そんな人もいれば、家族も集まった人たちも、皆が「いい人だった」と、故人のために心から涙を流し、その死を惜しんでくれる、そんなお葬式も経験あります。
どう考えても、幸せに思えるのは後者ですよね。

大事なのは、これからの人生をあなたがどう生きるか、ですよ。
子供の幸せを想い、周囲の人たちの幸せを願い、ひたむきに誠実に生きることが、結果、あなたの幸せに繋がります。
あなたが亡くなったとき、どれだけの人があなたのために泣いてくれるか。
そこでクズ男に勝てば、あなたの人生は大勝利です。

がんばって、幸せになりましょ(#^_^#)

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有り難し
おきもち

個別相談可能
様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ