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子供も親も互いに選べないのはどうして?

回答数回答 6
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この世の中には
①子供がほしいのにどうしても授からない人。

②子供が欲しくないのに何人も産み落とし、あげくの果てに育児放棄したりする人。

③子供が欲しくて授かりさらにその子が障害児でもきちんと育て上げる人。

子供も親もお互いに選べない中例えば、病気や障害、もしくは親の虐待ですぐに死んでしまう子供はなんのために授かるのでしょう。
私は10年以上鬱病で、満足に子供達と遊んであげたりすることができませんでした。主人や母、さらには義父母などの力をかりてやっと育ててきたぐらいのダメな母親です。私のところに来てくれた子供達が時々不憫でなりません。


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お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間のか弱さは 優しさを引き出すことも

「ダメな母親でごめんね」
もしくは
「立派な母親の私に感謝しなさい」と

相反する言葉をかけられたとしたら

私は前者の言葉に尊いものを感じます。

自分の至らなさを自覚している
人間のか弱さは

周りの人の優しさを引き出し
繋がりを生んでいるのではないかと思います。

ゆうさんとお子さんの存在が
ご主人、お母様、そして義理のご両親の
優しさ引き出し、繋がりを育んでいるのではないでしょうか

どなたも
迷惑をかけられたというよりも
お子さんとの時間を
豊かに過ごされたのではないでしょうか

お子さんも多様な人間に育まれ
新たな視点を与えられたとも思います。

何よりあなたの存在が
お子様に成長を促したかもしれませんよ

極度な迷惑をかけてはならないという考えは
人間を途方にくれさせ、孤立を生みます。

不憫と嘆くところから
助けてもらえる有難いご縁を頂いたなと
感謝してみませんか

そして
ゆうさんが元気になられたら
困っている人を助けてあげたらいかがでしょうか

また
人間は生まれながらに
親も、時代も、国も、性別も、才能も選べません
自分の思い通りに生きようとする限り
境遇を恨み、他人を羨むしかありません。

与えられた自分を生きる
良いことも悪いことも含めて
自分を支えているものだと
受けとめられた時
新たな世界が開かれるのではないでしょうか。

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一切は、自分の願いとは無関係に存在している。

「この世は、自分の思いや願いとは、まるで無縁な世界」=一切皆苦・無常・無我だからです。
それを悟る事で、あなたも涅槃寂静、心が静かになります。
それがこの世の大前提であることを、まず知るべきです。
ですが、それを深く悟る事で、この世界に自分の要求や願い望みを持つ事が無くなるので、心静かになります。
この世界は残念ながら、有り難い事に、人間のルールが先じゃないんです。
人間は、人間の都合で自分のルールを、この無常、無我の世界に「常」や「自我」を要求するから苦しみが生まれるだけなのです。だから、このカラクリを悟れば、この世界に人間の無理な要求を押し付けること無くなって、お任せするだけでいられるので、心が安らぎます。
あなたの場合、諸行無常とは、自分がこうだと思いこんだものではないのだ、無常ゆえに、決まりも、定まりもないのだと悟るべきであり、
諸法無我とは、この世は、自分も私の子供も先祖も含め、誰もが誰の親の元で生まれてこようとか、無しに生まれてきたのであり、思い通りにならないならばこそ、そういう願いを持つべきではないのであり、それによって、真実のすがた寂静を悟り、涅槃(安らぎ)に至るのである、と読むことで必ず救われましょう。
子供が不憫であると思って、自分を卑下し、その卑下した表情や態度で子供に接することが一番自分も子供も不幸にします。それは単なる一面的なものの見方に、あなたがこだわろうとしているだけです。そういうネガティブ陶酔、悲劇のヒロイン症候群を今日限りでやめ、ハスの花のように、過去の泥を吸収して養分にして、かつ染まることなく生きることがあなたの日々の子育て、家族に対するおつとめです。
困ったことがあったらいつでもお電話ください。

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あなたの勝手な判断。

難しい問題のような気のしますが簡単かもしれません。
人間の思い通りに物事が進む訳が無いからです。
ゆうさんはお子さんに対して不憫だと感じているのですね。
十分にしてやれてない、自分の病気のせいだと思われているみたいです。
一度軽い気持ちでお子さんに何が最近楽しかったのか聞いてみてください。
つぎにお母さんといて楽しかったことを聞いてみてください。
多分お子さんは楽しかったことを伝えてくれます。
それがゆうさんからみてつまらない事かもしれません。
子供はディズニーランドに行くことも好きですが母親といて一緒にかんじられたことの方が
印象的で喜んでいるのかもしれません。

親や主人を使って子供が育っていれば十分母親合格です。
虐待したり子供の性格成形に問題があれば別ですが
そのような感じは全くしません。
私から見れば立派な母親です。

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なりふりかまわず生まれてきたから

前世で死ぬときに、とにかくまだまだ生きたいんだ、どんな境遇でもいいから生きたいんだ、というレベルの心だったから、なりふりかまわず、手近な受精卵に飛び付いて生まれて来たのだと思います。
もしも前世で精神統一をマスターした聖者だったなら、精神統一状態の世界しか好まないため、梵天とか天のような神様にしか生まれ変わらなかったかもしれません。
病気や障害などの肉体的な条件はさまざまでしょう。
人間とはそういう苦しみを抱えた存在です。
そんな苦しい人生でもいいから、とにかく生きていたいんだ、という暴れんぼうな生への執着により輪廻した結果、生まれてきたのです。
あなたのお子さんが生まれ変わろうとして瞬間に、ちょうどあなたの身体が命を宿す準備ができていた、ただそれだけのことです。
その瞬間は、生まれようとする子供と生もうとするあなたの身体との利害が一致していたのでしょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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きっと選んでますよ。

ゆうさん、はじめまして。

仏説ではないのであくまでも個人的な考えですが…

人は因果の法則で生き、業を昇華することを目的とし、輪廻転生して今を生きていると考えると、子供が親を選んで生まれてきているといっても不思議ではないと思います。

学問的にいえばつじつまが合わないこともあるかもしれませんが、
この世のものはすべて「因=果」「縁=報」で成り立っています。

前世でやり残した越えられなかった宿題をもって今世に生まれてくるならば、その宿題の方向に連れて行ってくれる親を私なら選ぶでしょう。

親になる人も、またそれぞれに残った宿題をやるために生まれてきていると考えると、生まれてきた子を本来望んでいたはずです。

いかんせん、前世の記憶はありませんから、戸惑うのは当たり前の話ですが、与えられるためには何らかの因果があり、得たからには何らかの果報があるはずです。

精一杯やるしか方法はありません。

ゆうさんは、鬱を患っておられるとのこと。
大変だと思いますが、お子さんはきっと
あなたを選んで生まれてきてくれたんですよ。

嬉しいじゃないですか。
ありがたいじゃないですか。

鬱になった原因はわかりませんが、人はみんな、言葉や態度と心はうらはらなものです。
わかってもらえず、うまくいかず、身動きが取れなくなることなんていっぱいあります。

でも、お子さんはみんなあなたを必要としているはずですよ。

特別なあなたじゃなくて
何でも出来るあなたじゃなくて
上手に出来るあなたじゃなくて
お母さんのあなたじゃなくて
子供の望むあなたじゃなくて

ただのあなたを

素顔のあなたを

だって、沢山の夫婦の中で、沢山の女性の中で、
わざわざあなたを選んで来たんですもの。

元気を出してくださいね。

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全ては如幻ではあるが・・

ゆう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

そうですよね・・この世では、色々と選べないことばかりにて思うようにならないことの方が圧倒的に多いですよね・・

もちろん、これにも確かな理由がございます。もっともこの世界というものは、実体(永遠永久に変わらない、独立自存なもの)として成立しているものが何もないため、選ぶモノ・コトも選ばれるモノ・コトの双方ともに実体として存在しているものではなく、本来は、選ぶ、選ばれる何かが実体としてあるわけではないのであります。

簡単な例えと致しましては、幻のようなものが幻のようなものを選ぶ、幻のようなものにより幻のようなものが選ばれるみたいなこととなりますが、それでも現にゆう様の目の前の世界は確かに展開していっており、存在しているものがあって、決して何も無いというわけではありませんよね。

もちろん、それらの存在、モノ・コトは、実体としてあるわけではなく、様々に「縁起」によりて成立して変化していくものであると仏教では考えることとなります。

縁起にも幾つかの考え方がございますが、まずは最も理解しやすい「因縁果」ということをお考え頂けると良いのではないかと存じます。

因縁果とは、全てのモノ・コトの結果には、必ず、因、つまり、原因(直接的要因)と縁、つまり、条件(間接的要因)が作用しているということでございます。

そして、ゆう様が挙げられたる三項目にも、もちろんしかるべくの因縁があり、ゆう様の今における結果にも当然にその因縁があるのであります。

ここからが本題となりますが、過去の因縁は既にどうにもできませんが、これからの因縁はこれから次第であり、しっかりとより善いものへと調えていくことで、より善い結果へと向かうこともできるということになります。

しかし、それをいつまでも後悔や自己嫌悪に陥られてしまわれて、より善い因縁を調えるための努力ができないのであれば、いつまでもその悩み苦しみからは逃れられないということになりかねない恐れがございます。

まずは自分はダメだ、子供たちが不憫で可哀想だという思いを少しずつでも変えていけるようにして、もっと前向きに、もっと楽しみを持って取り組めるようになさられるだけでも色々とこれからが変わってくるのではないだろうかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

中根さま
ご回答ありがとうございました。
「自分の至らなさを自覚している
人間のか弱さは周りの人の優しさを引き出し 繋がりを生んでいるのではないかと思います。」目からウロコでした。私は自分が他の母親と比べて自分を責めてばかりいました。自分の至らなさが何かの役に立っているなんて。色々な人に助けられ育てられた息子たちは人見知りをしない、ご高齢の方に優しい子供に育っているかもしれません。自分が鬱でなく元気で教育もバリバリ1人で行える母親だったら、もしかしたらこんな人見知りをしないのびのびとした子に育たなかったかもしれません。アドバイスありがとうございました。

覚元さま
いつもありがたいお言葉ありがとうございます。
そうなんですよね。
世の中、自分の思い通りにならないということが受け入れられなかったのです。
自分が産んだ子供を理想通りに育てられない。
そんなことは当たり前なことなんですね。子供も理想通りの家庭に生まれてくることはできない。
ないないだらけだけど、自分が今精一杯できること、愛していますよ、大切な家族ですよということだけは発信し続けたいと思いました。
確かにかなり悲劇のヒロインだったかもしれません。というか本当に幼い人格でした自分の思い通りにならないことを無い物ねだりして駄々をこねて拗ねて泣いて押入れに籠っている子供。
そうなんだ。思い通りにならない。って教えていただいてふと気持ちが楽になったような気がします。ありがとうございました。

三品さま
ご回答ありがとうございました。
仏教の無常とは何かとても悲しい言葉虚しい言葉に捉えておりましたが、そうではなくて、思い通りにならないって知れば生きていくのって案外と楽になるという事だったんですね。
思い通りにならない人生をどうやってしなやかに生きていけるのかと考えました。私なりの答えは周りの人に感謝の言葉を伝え続ける事だと思いました。何かをしてくれたからありがとうではなく、私のそばにいてくれてありがとうと伝え続けたいと思いました。

願誉さま
アドバイスありがとうございました。
利害が一致した。なるほど人の生命はそんなクールな仕組みでできているのかもしれませんね。1日でも長く生きたいと思っていてもバッサリと事故や災害などで命を絶たれてしまう人もいれば、とりあえずもう1度生きたいから空きが見つかったらその母体に自分を託し生まれる。人間の転生など、以外とそんなシステマティックなクールな仕組みで出来ているのかもしれません。よりよく生きたい、自分の思い通りの子育てがしたいと思うなんて転生工場(あったとしたら)の工場長に笑われてますね。ありがとうございました。

英俊さま
いつもありがたいお言葉ありがとうございます。
因果というのは変えられる。確かにこの世は自分の思い通りにならない。でもポジティブに捉えて今を周りの人たちと楽しみながら生きていく事って素晴らしい事かも!お金持ちになるより、子供がエリートに育つよりそんな事より毎日周りの人に感謝の気持ちを忘れず笑って生活できればなんだか未来もそんなに絶望する事はないのかもしれません。素敵なアドバイスありがとうございました。

小原さま
泣きました。
誰かに、こんな私でもいいんだよと言って欲しかったのです。
子供が勉強ができない、家事もうまくこなせず、夫のサポートもできない。
こんな私でもいいんですね。こんな私を家族や友人に選んでくれた周りの人に感謝の気持ちを込めて笑顔で接していけるよう、私にできる事はそんな事ぐらいですがそんな事をずっと続けていこうと思いました。

たくさんのお坊さまからありがたいお言葉をいただき、私は果報者です。
今ままでずっと自分の病や境遇を恨み、他人と比べては虚しい日々を過ごしてきました。
この世は自分の思い通りにならない。だから求めないし、輝かしい未来なんて想像しない。毎日を私と関わってくれた人たちに感謝しながら楽しみながら生きていこうと思いました。
また迷ったりしたらご相談するかもしれません。
しかし、こんな駄々っ子のような私に真摯にアドバイスをくださったお坊さまたちに本当に感謝しております。
皆様から頂いたお知恵はいろんな形でお返ししたいと思っております。
本当にありがとうございました。

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