hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

夫に腹を立てている

回答数回答 2
有り難し有り難し 29

夫には借金があり過去には浮気をしました。
マンション頭金だせず私が出しました。
お金かかるので 飲み会には極力行かないと約束しましたが守れるわけもなく。

昨夜夫は、泥酔で帰宅し トイレで嘔吐していました。その後のトイレは悲惨な状態で、情けなくなり泣きながら私はトイレ掃除をしました。
夫は謝罪もなく「言ってくれれば掃除した」と言っていました。

私は心が折れました。憎しみを感じました。
お金があったら離婚したいです
が、もうお金もありません
夫婦が苦痛です。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

もう一箇所、掃除しましょう。

まずは、にっくきご主人のゲロッパのお掃除、大変でした。(テーマソング:ジェームスブラウン)
おいおい、ふざけんな冗談じゃねー、自分で掃除しろ!って思いますよね。
でもどうせアンタがやったってきれいにならないから、アタシがやってやったのよ!はぁ、心折れるわ。といったご心境でしょうか。
ですが、あなたは大変素晴らしい功徳を積みました。
わたしも仕事先のお寺の本堂のトイレを参詣客の見知らぬオッサンが、うんこまみれにしていきましてね。
あまりにも閲覧注意画像なので、あまり克明には申し上げませんが、ちょっと説明させていただきま。と(やっぱり言うんかい)トイレにオッサンが一時間以上入りっぱで全然出てこないもんだったから師匠が「何かあったんですか!」と無理矢理入っていってですねぇ(入っていくか、そこ。)、そしたら、そのオッサンのズボンがう◌こ(以下、表記を変えます)まみれで、どうやらウンティーを我慢できなかった模様で、めちゃボンバーなされたのです。(おっさん下半身裸)しかもそのぽよよよーんを水道で洗いながら、もうあちこちにぷりんぷり~んが。どんな態勢でしたらこんなところにまでぽにょぽにょが付着するんじゃい、とまぁ、視るもあわれ聞くも無惨。身内ならまだいいですよ。しらんおっさんの、ですからね。しかも本堂のトイレをですよ。念入りに掃除しました。その、しらん、おっさんの✨キラキラ✨をね。
まぁ、あなたも中々ない経験です。今後、多少の困難があっても「アレニクラベレバ」と唱えてみてください。アラ不思議。あらゆる苦しみをはじき返すタフな心をゲットできていることに気づくでしょう。「他人のうんこも授かり」なのです。ことわざに認定してもらいたいです。
ですが、大変でしたでしょうから私がご主人の代わりに謝ります。
本当にごめんなさい。すみませんでした。
ついうっかり飲み過ぎました。
恥じています。もう、しません。
本当にゴメンナサイ。
いつか、あたらしいの買います。便座。便器。🚾 (あ、それはご主人にお願いしてね。)
さて、今まで30程質問がありましたが、これだけお坊さん達から色々なアドバイスを受けて怒りや不安やストレスや悩みや苦しみが減らない「自分を変えようとしない」自身に冷静に目を向けましょうか。
依存になっています。
仏教は人から救ってもらうのではない。自分で自分のその心を洗浄するのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

まずは調べて、準備して。

 前々からのご質問、読ませていただきました。率直に申しまして、貴女の決断は正しいと思います。ただし早まらないで、しっかり準備してから事を起こしたほうがよいと思います。
 まず、別れることのメリットでデメリットを、しっかり認識してください。今までの仕打ちを形に残し(記録)、「もう別れても後悔しない」と自分が決心していることを冷静に観察します。ホットなままで勢いで行くと、苦労する可能性が上がります。
 現在、3人家族で手取り月収34万円(住宅費含む)というのが平均像だそうです。この半額になる(17万円)と貧困家庭と判断される、と『児童貧困』という本に出ていました。ただお住まいの地域、家族構成はそれぞれですから、加減して考えてください。
 手続きはいろんな情報があるでしょうから、それらを参考に。あと、貴女のご実家との中はいかがですか。頼れる親類はいますか?
 繰り返します。早まらず、準備をしっかりね。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

ありがとうございました
丹下様のおっしゃる通り、依存になっているのですね。変わらない私に問題ありです。
何度も何度も質問してしまい、お忙しい中すみませんでした
以後気をつけます

煩悩スッキリコラムまとめ