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もう幸せなど望んでいません…

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有り難し有り難し 53

以前、2度ほど「家族で幸せになりたいだけです…」というタイトルで相談に乗って頂いた者です。

あれから、何も変わることなく日々が過ぎています。

私の中で離婚はやはりあり得ません。
それは、子供のことを思うとこんな冷めきった夫婦でも子供にとっては大好きなパパとママであるからです。

子供の前では不仲な姿は見せていません。

そして、前回離婚協議でかなり親権で揉めました。
その事を思うとまた揉めて辛い思いはしたくありません。

しかし、このまま夫婦生活を続けるのは生き地獄…私にとっては苦しみでしかありません。

子供がいるから生きていられる。ただそれだけです。

もう逃げたい。
毎日、旦那が死ねばいいのにと望んでいた私ですが、日に日にそう念ずることすら疲れました。

子供が成人したら熟年離婚しようとも考えました。
あと、15年ほど…
我慢できるだろうか…

それすら我慢できない私は、自分が死ねばいいのでは…と考えています。

それは、現状からの逃げでもあるし、旦那に対する復讐でもあります。

私が死ねば旦那は一生苦しんで生きていく。
そんなことを望む私がとても恐ろしいです。

しかし、やはり子供のことを思うと思い悩みます。

私が死んだら、親権で揉めることもなく、旦那と子供は二人で逞しく生きていけるのではないか…
そんな思いに至ります。

私はどうしたらいいのか…自分でも分かりません。幸せになりたかった。ただそれだけなのです。

長文になり申し訳ありません。
心を救ってください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その根強い自己肯定、我欲を完全に捨てさる。

過去の質問も拝読いたしました。
そんな難しい問題じゃないですね。
簡単に言うとホントウに反省がないのです。
分りやすく言いましょう。
普通の場合「ごめんなさい。私が悪かったです。」
あなたの場合「ごめんなさい。でも、旦那がああだったからああしてしまったのです。」
何がいけないかわかりますか?
あなたの場合「ごめんなさい。」に徹底していない。+アルファがまとわりつく。そのプライド捨てなぁ。
浮気発覚で反省しているようにみせても、本当はそこから逃げている。
次を求めている。
これまでの悩みだって、みんな+アルファばかりです。
ご主人が浮気して、謝ったとします。
「悪かった。」
ならまだしも、
「悪かったよ。でも、お前だってさぁ」これって、本当の詫びじゃないです。
キャッチャーの受け止め姿勢ではなく、バッターの打ち返し姿勢なのです。
貴女にそれがある。
離婚するくらいだったら、埼玉に家族旅行にいらっしゃい。そこで3時間まで付き合いましょう。
私がレフェリーで、今までのお互いの恨みつらみを本当に罵り合ってでもぶちまけ合う。第三者の仲裁人である私はどちらの見方にもつかない。夫婦関係修復の対話です。
お互いがお互いの言いたいことをちゃんと言い尽くして、受け止め、子供たちのために本当の出直しをしてあげる。不貞の浄めの儀式もする。人間の体なんて常に細胞は生まれ変わっているんですから、不貞行為したあなたはもうどこにもいない。
ただし、それではただの開き直りだから、司祭者である僧侶が儀式として再出発の公認の儀式をするのです。
前にもそういう方が夫婦でこられました。今も別れずにうまく行っています。
その夫婦も奥さんが他の男性複数人と性的関係を持ちながらも、旦那のことを悪く言っていた。
自分のことしかないのです。本当に子供の事を考えるなら、全面的に完全降伏、私が悪かった、どうかこの家に置いて下さい、と心底完全敗北で詫びることでしょうが。ところがあなたに負けたくない変な意地のようなプライドがある。それが旦那に隠れて優しいオトコの言葉に負けてしまった。欲で今も抜けていない。あなたに宗教心がないからです。だから、今からその必要性を感じて、清廉潔白の道をこれから歩む。その誓いをしに埼玉に来る覚悟があればいつでも家族でいらっしゃい。
貴女の自我、我欲にあなたが向き合っていないだけにしか聞こえません。

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有り難し
おきもち

「幸せ」というもの

ようこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

旦那様とのご関係に色々と悩み苦しまれておられるご様子・・誠におつらいことでございます・・

詳しい事情は分かりませんが・・

とにかく、「幸せ」というものは、「これが幸せです」と決定して言えるような何か実体的なものがあるわけではなく、色々な因縁(原因と条件)、依存関係によって成り立っているものとなります。

良い因縁によれば、良いものに、悪い因縁によれば、悪いものとなり、また更には、その結果を判断する人の思考・概念作用によっても左右されて成り立っているものでございます。

ですから、一つの同じ出来事や境遇でも、ある人にとっては「幸せ」となったり、ある人にとっては、「不幸せ」となったりすることもあり得るものでございます。

ようこ様が望まれる「幸せ」の通りに、現実がなれば「幸せ」となれることも、もちろんありうるところでございます。

ただ、ままならない現実に、嫌悪し、それが怒りや恨みという煩悩になってしまっているようにも存じます。仏教で申すところの「求不得苦」(ぐふとっく)という苦しみに今は近いのかもしれません。

とにかく、「幸せ」も、これからの因縁次第で変わるものとなり得ます。諦めずに、幸せの種(因)をまき、それを丁寧に育み(縁)、花を咲かせたいもの(果)でございます。もちろん、その因縁も、悪い動機、悪い因縁ではいけません。

では何が良い動機、良い因縁になるのかについては、仏教に色々とヒントがございますので、是非、これから少しずつでも仏教を学び修していって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

有り難い御言葉ありがとうございます。
まさに、まさにその通りです。

あまりの的確な御言葉が心に突き刺さりました。

私こそが、プライドの塊。自己愛、自我が強いのです。それを分かっていながら認めずいつも他人のせいにしてきました。

まずは、旦那と向き合ってこれからのこと話し合えるよう努力していきます。

何度も申し訳ありません。
色々考えて、旦那と向き合って話し合うことはやはりできません。
怖いです。

私はずるくて弱い人間です。

一生旦那に対して懺悔の思いでやっていくしかないと思います。

自業自得ですが、私は幸せになってはならないのかもしれません。

相談に乗って頂きありがとうございました。

川口英俊様

有り難い御言葉ありがとうございます。

本当に私は弱くずるくて小さな人間です。
仏教を少しずつでも学んで幸せとは何なのか、ゆっくり考えていこうと思います。

ありがとうございます。

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